エピローグ 予想だにしない結末 11月7日 午後1時
田辺晴美こと上村冬美(後に判明した)は、さんざん泣き腫らした後、スッキリしたのか、憑きものが落ちたように捜査本部での取り調べで話した。俺も鶴崎さんの厚意で同席させてもらった。
「自分が、田辺夫妻の実子ではない事を知ったのは、ほんの偶然でした。二十五年前の事件の共謀者であった一人が、祖父にあたる人の法事の席でポロッと話したのを聞いたのです。私が中学二年生の時です。田辺時頼は事件の日、私の本当の母親である京子を強姦して、逃げようとした母の首を絞めて殺し、山神神社の欅に吊るして、自殺に見せかけたと。偽装自殺を実行したのは、時頼と小野、他にも三人いたそうです」
冬美の話は衝撃的だった。上村京子は自殺ではなく、殺されていたのだ。
「平成九年、か」
誰かが呟いた。平成二十二年に殺人罪の公訴時効が廃止された。それよりもはるか前の事件であるが、改正時点で時効が完成していないので、時効は廃止対象だ。しかも、殺害時期によっては、改正前でも時効は成立していない。
「でも、事件は自殺で片づけられてしまい、自殺の理由も村の生活に馴染めなかったからとされた。その上、殺人を立証する証拠もなく、時間が立ち過ぎたために証言も得られない。何の因果か、実行犯の二人は事故死、一人は行方不明。メディアに訴えるにしても、何も残っていなかった」
冬美はごく冷静に続けた。鶴崎管理官は腕組みをして黙ったままだ。
「私が母と思っていた敏美が石井の叔父と話していた、実は私こそが上村京子の娘だというの知り、行動に移れるようになった時には、実行犯は時頼と小野しかいなかった。そんな時、武上先生と白巻陽子さんが村に来た。ほぼ同じ頃、水崎さんも駐在として来た。私は役場の仕事柄、陽子さんと接する機会があり、彼女が平本幹次という男を探しているのを知りました」
まさに運命の出会いだな。この出会いがなければ、冬美も陽子も水崎駐在も殺人犯にならなかったのかも知れない。
「私は平本幹次が山神村に移住して来る事を知っていました。すぐに陽子さんに話すと、水崎さんが連絡して来たんです。そこで水崎さんと陽子さんが協力者だと知りました」
鶴崎さんは唾を呑み込んだ。他の捜査員も黙って冬美の話を聞いている。
「私は知っている事を全て陽子さんと水崎さんに話しました。二人は私の境遇に涙を流してくれました。そして、小野と時頼を殺害する計画に賛同してくれたのです。しかも、私が疑われないように小野と時頼を殺すのを引き受けてくれました。二人は、私が平本の情報を教えてくれた事にそこまで感謝していたので、驚きました。貴女と出会えなければ、平本を見つけられなかったと。だから、貴女の無念を晴らすと」
冬美はこちらが引くくらい冷静だった。全く顔に感情が表れていない。俺はゾッとしてしまった。
「陽子さんは時頼を殺す時に、『私が上村京子の娘の冬美だ。母の仇、討たせてもらう!』と言ったそうです。すると時頼は涙を流して命乞いをし、土下座をしろという陽子さんの指示に素直に従いました。陽子さんは時頼の身勝手な行動に心の底から怒りが湧いて来て、鉄アレイを入れたバンドバッグで後頭部を打ち付ける時、『死ね!』と叫んだそうです」
鶴崎さんは頭を強く横に振ってから、
「復讐はそれで完了したはずなのに、どうして石井や山村キネ、敏美、時生まで殺したんだ?」
冬美を見て尋ねた。冬美は生気のない瞳を鶴崎さんに向けて、
「石井の叔父は陽子さんに惚れていたので、陽子さんをこっそり尾けていたんです。そのせいで、時頼を殺すところを見られた可能性があった。だから、殺したのです。キネも同じです。キネは最初は協力すると言っていたのに、途中で欲を出して、水崎さんを強請ったようです。水崎さんはキネがどう動くかわからなかったので、殺したと言っていました」
鶴崎さんは気分が悪くなったようだ。だが、それでも尋問を続けた。
「敏美さんを殺す必要はなかっただろう? 仮にも育ての親だぞ?」
鶴崎さんが非難めいた口調で言ったせいなのか、冬美の目が鋭くなった。
「貴方に何がわかるんです!? ずっと自分の出生を偽られて、実の母を殺した男を父と呼び、自分の娘が突然死したので、代わりに私を娘として育てた自分勝手な女を母と呼んでいた私の気持ちがどんなものか、わからないでしょう!」
冬美の反論に、鶴崎さんはグッと詰まった。確かに真相を知った時の冬美の心情は推し測れるものではないだろう。
「敏美は私が犯人だと気づいていたようで、こっそり後を尾けて行くと、不意に振り返って私に詰め寄って来ました。『私は貴女に取り返しのつかない事をしてしまった』と。そして、『本当の娘は庭に丁重に埋葬して、命日と月命日に線香を時頼に見つからないように供えていた』と言いました。でも、そんな事は私には関係ありません。だから、何の躊躇いもなく、敏美の喉を切り裂きました」
その無表情な顔が、俺には泣いているように見えた。止めて欲しかったのか? 俺が敏美が来ないのを変に思っていれば、止められたのか? 後悔の念が強くなる。まさかとは思うが、敏美は殺されるつもりだったのか?
「時生を殺したのは、強姦されそうになったからか?」
鶴崎さんが尋ねた。冬美は自嘲気味に笑うと、
「はい。あの男は、随分以前から、私が実の妹ではないと知っていたようです。風呂を覗いたり、部屋に入って来て抱きついたりしました。私が時生を兄ではないと知る前は、悍ましいと思っていました。時頼にも敏美にも言えず、当時付き合っていた七釜戸先輩にも言えませんでした」
七釜戸さんは時生の異常性に気づいていたかも知れないな。只、冬美が実の妹ではないとは思っていなかったろうが。
「時生は敏美が死んだ時、すぐに私を疑って来ました。警察にバラされたくなければ、言う事を聞けと。すぐに殺そうと思いました」
時生は自業自得という事か。とはいえ、殺人を正当化する理由にはならない。
「時生は君が一人で殺したのか?」
鶴崎さんが訊いた。
「ええ。言う事を聞くから、風呂に入って待っていてと言ったら、呆気なく引っかかって、入浴中に背後から近づいて首を絞めました」
「平本は、水崎の自供どおり、奴が殺したんだね?」
鶴崎さんは念を押すように尋ねた。冬美は鶴崎さんを見て、
「はい。平本だけは自分が殺すと言っていましたので」
不平等極まりない交換連続殺人事件は、こうして全てが明らかになった。
冬美を長野原署に移送するため、捜査本部を出ると、村長が待っていた。
「晴美ちゃん」
村長は真顔で冬美に呼びかけた。
「村長さん、申し訳ありませんでした。山神村の活性化、頑張ってください」
冬美は頭を下げると、捜査員に囲まれて正面玄関へと歩いて行った。
「先生、何とかならないのですか? あの子が不憫過ぎます」
村長が俺に詰め寄って来た。真顔の村長はちょっと怖かったが、
「何ともなりませんよ。これは現実世界の出来事なんです。推理小説の世界では、犯人を見逃す自称人情派の探偵がいたりしますが、それは作家のとんでもない思い違いです。復讐の殺人に目を瞑れば、日本は法治国家ではなくなってしまうのですよ。罪を償ってこそ、未来が開けるんです」
俺は歩いて行く冬美の後ろ姿を見た。村長は不満そうに腕組みをしていた。俺は村長の肩をポンと叩くと、元助役室へ荷物を取りに行った。中に入ると、
「左京さん、あの……」
冬美が真犯人だった事を知った龍子さんがバツが悪そうな顔で近づいて来た。しばらく沈黙が流れ、だんだん気まずくなったので、
「さあ、そろそろ帰りましょうか、龍子さん」
俺は微笑んで龍子さんを見た。
「あ、はい!」
龍子さんはご機嫌を直してくれたようだ。これで気兼ねなく東京へ帰れる。俺と龍子さんは荷物をまとめると、元助役室を出て、こちらを睨んでいる村長に軽く会釈をして正面玄関へと歩き出した。するとそこへ、七釜戸さんが青い顔をして走って来た。
「村長、大変です! たった今、吊り橋が崩落したそうです!」
「何だって!?」
俺と村長は異口同音に叫んだ。
「警察車両が何台も通過したせいで、吊り橋のワイヤーが切れたみたいです」
七釜戸さんが言った。俺は思わず龍子さんと顔を見合わせた。おいおい、手抜き工事だろ、それ? 怪獣が現れた訳じゃないのに、ワイヤーが切れるって、どういう事だよ? あのタヌキ親父は何度も工事の視察に行っていて、何もわからなかったのか?
「吊り橋以外で、この村から出る方法はありますか?」
俺はまさかとは思いながら、七釜戸さんに訊いた。
「ありますけど、貴方の車では無理ですよ。四駆車でないと登れない道しかないですから」
七釜戸さんは冷たく言い放った。冬美を真犯人と見破ったせいで、この人にまで恨まれているのか?
「じゃあ、今ここは、陸の孤島って事ですか?」
龍子さんが言った。
「そうなりますね」
七釜戸さんは他人事のような顔をしている。
「まあ、先生、橋がつながるまで、ゆっくりしていってください」
村長はまたヘラヘラし始めた。
「それから、貴方の車のタイヤ、またパンクしていますよ」
七釜戸さんは総務課に戻りながら言った。
「えええ!?」
俺は仰天して、駐車場へと走った。まさか、パンクの犯人、あいつじゃないだろうな?
「ああ、待ってください、左京さん!」
龍子さんが追いかけて来る。まだしばらく、この人と過ごさなければならないのか。胃潰瘍になりそうだ。
全然、めでたくないぞ。