混乱の極み 11月5日 午前10時
一体何が起こっているのか?
小野が殺され、田辺時頼が殺され、石井恭次が殺され、時間的には先に山村キネが殺され、田辺敏美が殺された。これで終わるのか? わからなかった。犯人像が見えてきた気がしたのに、振り出しに戻された感じがした。犯人は一人なのか? 複数なのか? それとも……。五里霧中とはこの事だ。
すでにほとんど可能性がなくなった上村京子の関係者犯人説。小野と時頼の殺害はそれで説明がつくが、石井が当てはまらない。キネは犯人を知っているために殺されたのだとしても、敏美はどうしてだ?
「二十五年前の事件で、まだ表沙汰になっていない事があるんです」
確かに彼女は俺にそう言った。しかし、少なくとも、上村京子の事件に敏美が関わっているとは思えない。敏美は何を言いたかったのだろうか? 村長は敏美は事件の事を知らないはずだと言っていたが、そうではなかった。敏美は知っていた。だが、何故か時頼を責める事をしなかったようだ。それは何故なのか? 敏美も関わっているからなのか? どうもそこがしっくりこない。
そして、龍子さんがまだ捨て切れていない平本幹次犯人説。二十年前、凶悪事件を起こした平本が事件を起こしたという途方もない説。時期的に付合する殺人。しかし、平本は上村京子の事件を知っているのか? 小野は明らかにそれを知っている者に殺されたのは間違いない。偶然、上村京子が首を吊っていた欅の木に吊るされたとは考えにくいからだ。そしてまた、時頼は土下座をしている時に後頭部を殴られて鼻の骨を折っている。上村京子の関係者に責められ、謝っていたのだと考えられる。どちらも平本が殺したのだとすると、説明がつかない死に方をしているのだ。やはり、平本犯人説は無理がある。
更に考えられるのは、連続殺人ではないという説。小野を殺したのは時頼で、時頼を殺したのは敏美。石井は犯行現場を目撃したために、敏美に殺された。キネも同様。とすると、敏美は誰が殺したのか? ダメだ。辻褄が合わなくなる。
「左京さん、湿布、替えましょうか?」
龍子さんがまた保健課からもらってきた湿布薬を持ってきてくれたが、
「いや、もう大丈夫です」
また恥ずかしい思いをするのは嫌なので、丁重にお断わりをした。
「そうですか? でも、治りかけが大事なんですよ。やっぱり、張り替えましょう」
龍子さんは俺を強引にソファにうつ伏せにし、シャツを捲り上げて、ジーパンを下ろしにかかった。
「失礼します」
そこへ不意に晴美さんが入って来た。あれ? 母親の葬儀の準備で今日は休みじゃなかったのか?
「きゃっ!」
俺は晴美さんにまで尻を見られてしまった。
「何してるんですか、お二人共!?」
晴美さんは完全に勘違いして叫んだ。
「何をって、湿布薬を張り替えようとしていたんです! 晴美さんこそ、何を想像しているんですか、嫌らしい!」
龍子さんが凄い剣幕で言い返した。
「え? あの、私……」
晴美さんは顔を真っ赤にして元助役室を出て行ってしまった。
「もう、あの人、左京さんのお尻を覗きに来たんですよ、きっと」
龍子さんは口を尖らせて推測したが、
「それはないでしょう。私は晴美さんにかなり嫌われていますから」
「そんな事ないです。あの人、左京さんが好きなんですよ」
龍子さんは頑として譲らない。俺は呆れて、
「晴美さんは七釜戸さんと付き合っていたんですよ。私みたいな中年を好きになるはずないでしょう?」
「誰と付き合っていたとしても、わかるんです! 私も左京さんが好きだから!」
龍子さんは顔を赤らめて叫んだ。こっちまで恥ずかしくなるよ。
「取り敢えず、湿布を貼ってください。いつまでも尻を出しているの、恥ずかしいですから」
俺は苦笑いをして告げた。
「あ、ごめんなさい!」
龍子さんは手早く湿布を貼り、トランクスとジーパンを上げてくれた。
「ありがとうございます」
俺は起き上がって龍子さんに礼を言った。
「いえ、どう致しまして」
龍子さんは俯いて言った。それにしても、晴美さんは何か用事があったのではないだろうか?
「晴美さんは何故ここへ来たんでしょうか?」
俺は素朴な疑問を口にしただけだったのだが、
「左京さん、晴美さんが気になるんですか?」
龍子さんが涙ぐんで訊いて来たので、
「そうじゃないですよ。確か、敏美さんの葬儀の準備があるから、今日は休みだったはずです。それなのに役場に来ているなんて、変だなって思ったんですよ」
「村長さんが呼んだみたいですよ。それで来たんじゃないですか」
龍子さんはすっかり不機嫌な顔になった。面倒臭い事この上ない。
「村長が呼んだんですか。あの人、晴美さんの事、何とも思っていないんですかね? 母親が亡くなったのに」
俺は龍子さんの不機嫌を無視して、村長を非難した。まさにタヌキ親父全開じゃねえかよ。
「そうですね」
龍子さんも自分が村長と同類だと思われるのは嫌だったのか、同調してくれた。
「何か、腹立って来た。村長に一言言ってやりたい!」
俺はソファから立ち上がって、よろよろとドアに近づいた。
「危ないですよ、左京さん」
龍子さんが支えてくれた。
「あ、ありがとうございます」
俺は結局龍子さんに助けられて、隣の村長室へ行った。
「やあ、先生、仲がよろしいですな」
入って行くと、「先生攻撃」と嫌味の波状攻撃を喰らった。
「晴美さんを呼んだそうですね? 彼女は母親を喪って傷心状態なんですよ。どういうつもりですか?」
俺は村長の言動に突っ込む事なく、晴美さんへの仕打ちを非難した。
「その事ですか。それには理由がありましてね」
村長はヘラヘラしながら席を立つと、俺と龍子さんにソファを促して、自分も座った。
「理由、ですか?」
俺は村長を睨んだままソファにゆっくりと腰を下ろした。龍子さんに支えられながら。
「はい。時生ですよ」
村長はヘラヘラを封じて真顔になった。
「時生君?」
俺は意味がわからず、首を傾げた。
「時生君が何か?」
俺は先を促した。村長は声を低くして、
「敏美があんな事になって、時生が荒れているんです。晴美ちゃんにまで暴力を振るうようになったとか」
「ええっ!?」
俺と龍子さんはほぼ同時に叫んでいた。
「マザコンだった時生は、敏美が死んでしまったので、生きる気力がなくなったらしいんです。晴美ちゃんが慰めたのですが、それすら受け付けずに、逆に晴美ちゃんを蹴飛ばしたそうです」
村長の言葉に龍子さんが反応した。
「警察があれ程いるんですから、すぐに時生を逮捕するべきでしょう!」
龍子さんが凄まじい剣幕で立ち上がった。
「晴美ちゃんが暴行の事実はないと言って、取り合わなかったんですよ。警察も親族間の事はそうなると手出しができないみたいで」
「ではどうして、時生が晴美さんを蹴飛ばしたのがわかったんですか?」
疑問に思ったので、尋ねてみた。
「敏美の葬儀の準備でそばに何人か近所の人がいたんです。でも、晴美ちゃんが蹴られていないと言ったので、近所の人も何も言えなくなってしまったんですよ」
村長はやるせなさそうだった。このタヌキ、晴美さんには優しいのか。
「だから、時生のそばに置いておけないと思って、呼んだんです」
村長の気遣いだったのか。何だか、俺の方が悪者だな。
「それでは、どうして晴美さんは元助役室へ入って来たんですか?」
龍子さんはそれには納得していないようだ。村長は苦笑いをして、
「ああ、それですか。あのお二人、密室で何をしているのかなって私が言ったんですよ。そしたら、晴美ちゃん、急に立ち上がって……」
やっぱりタヌキ親父だった。悪いのはこいつだと思った。龍子さんは呆れて村長を見ていた。