左京、事情聴取をされる 11月2日 午後1時
「早速で申し訳ありませんが、お話を伺えますか?」
今度は富澤刑事が元助役室へ顔を出した。
「私も同席させてもらいますから」
龍子さんは富澤刑事が後退りする程の迫力で言った。俺は苦笑いするしかない。
「はい、それで結構です」
富澤刑事は鶴崎管理官に言われて来ているので、あっさりそう言った。俺は龍子さんと共に捜査本部へ出向いた。
「もう一度確認します。敏美さんは会って話がしたいと言っていただけで、内容については言わなかったのですね?」
管理官席に座っている鶴崎さんは何かを掴んだ顔をしていた。何だろう?
「はい」
俺はとぼけるしかないと思い、言った。すると、
「おかしいですね? 敏美さんの長男の時生君が、『二十五年前の事件で、まだ表沙汰になっていない事があるんです』と言っているのを聞いたと証言しているんですがね?」
鶴崎さんは陰険そうな顔で俺を見た。伊達刑事と富澤刑事も俺をジッと見ている。
「まあ、かけてください。長くなると思いますので」
鶴崎さんは俺のおとぼけを絶対に許さないと言いたそうだ。
「ああ、そう言えば、そんな事を言われた気もしますね」
俺は思い出すふりをして言った。あのバカ息子め、聞いてやがったのか。まずいな。
「本当ですか? 何か隠している事があるんじゃないですか? 時生君もそこしか聞いていないそうですが、敏美さんは長く電話をしていたようだと言っていましたよ」
鶴崎さんがテーブル越しに詰めて来た。
「左京さんを疑っているんですか?」
龍子さんが割り込んで来た。こういう時は頼もしい気がする。
「疑っている訳ではありません。只、知っていて隠している事があるのではないかと思っているだけです」
鶴崎さんは龍子さんを睨みつけた。しかし、そんな事で怯んだりしないのが龍子さんだ。むしろ火に油である。
「では、この聴取はあくまで任意、という事ですよね?」
龍子さんは鶴崎さんに顔を近づけて、逆に睨めつけるように顔を下から上まで見た。
「まあ、そうです」
鶴崎さんは気圧されたのか、後退した。
「左京さん、答える必要はありませんよ。あくまで任意の聴取ですから」
鶴崎さんの顔つきが変わった。伊達刑事が龍子さんに掴みかかりそうな雰囲気になっている。
「むしろ、その時生という長男が、敏美さんを尾けて、殺害に及んだと考える方が合理的ではありませんか?」
龍子さんが反撃に出た。また鶴崎さんの顔つきが変わった。
「時生君は敏美さんの息子ですよ? それは……」
鶴崎さんが反論しかけると、
「捜査に予断を持って当たられているのですか? 息子だから殺さない。それは予断ですよね?」
龍子さんが更に反撃した。鶴崎さんはグッと詰まった。そこへ別の捜査員が駆け寄って来て、
「山村キネがいなくなりました。神社にも自宅にもいません」
「何!? 張り込んでいた連中はどうしたんだ!?」
鶴崎さんは立ち上がって怒鳴った。その捜査員は、
「玄関も勝手口も見張っていたのですが、蛻の殻だったようで……」
鶴崎さんの迫力に後退りながら告げた。
「山村キネは最重要参考人だ。何としても見つけ出すんだ!」
鶴崎さんは周囲にいた捜査員全員に聞こえるように叫んだ。
「はい!」
捜査員達はドヤドヤと本部を出て行った。
「お引き取りくださって結構です」
鶴崎さんは苦虫を噛み潰したような顔で俺を見た。
「わかりました」
俺は龍子さんと目配せしてから、鶴崎さんに会釈して捜査本部を出た。山村キネが消えたか。しかし、どうやって……。家のどこかに隠し通路でもあるのか? まさかな。敏美の事も疑問が多いが、キネが消えたのも不思議だ。何を思っての行動なのだろう? 犯人からの指示か?
「左京さん?」
俺は元助役室の前で考え込んでいたようだ。龍子さんに声をかけられ、我に返った。
「ああ、ぼんやりしていました」
俺は笑って誤魔化すと、元助役室へ入った。
「コーヒー、淹れましょうか?」
龍子さんが言った。
「ああ、ありがとうございます」
俺はソファに座りながら言った。すると、
「左京さんて、どうして私には敬語なんですか?」
コーヒーメーカーを操作しながら、龍子さんが突拍子もない事を言い出した。
「え?」
俺はキョトンとしてしまった。
「だって、左京さん、樹里さんや蘭さん、ありささんにはタメ口でしょ? 年下の私に敬語って、どうしてなのかなあって思ったんです」
龍子さんは寂しそうな顔をしていた。ああ、そういう事か。
「それなら、勝美加先生や、沖田総子先生、それから隅田川美波さんにも、敬語ですよ。それと、貴女の親友の斉藤真琴さんにも」
俺は微笑んで告げた。別に他意はない。何となくなんだけど、それじゃあ多分納得してくれないのが、龍子さんだよな。
「それはそうですよ。彼女達は左京さんとそんなに親しくないんですから」
あれ? そういう反応をされるとは思っていなかった。これは面倒だぞ。確かに会う頻度から言うと、龍子さんが圧倒的で、それに続いて税理士の沖田先生になるか。
「どうして敬語なんですか?」
龍子さんはカップに注いだコーヒーをテーブルの上に置くと、向かいのソファに腰を下ろした。うーん、殺人事件より難題だな。今後の仕事にも差し支えるかも知れないから、答えは慎重にしないと。
「確かに沖田先生達よりは龍子さんは私には身近な人ですが」
『身近な人』と言ったのが嬉しいのか、急にニコニコし出したぞ。まずいな。
「それでも、平井蘭や加藤ありさや樹里に比べると、まだ時間が違うんです。申し訳ない。龍子さんとはまだタメ口で話せる程、砕けた間柄ではない気がします」
俺は慎重に言葉を選んで言った。
「そうですよね。私と左京さんは、仕事だけの関係で、プライベートは全く交流がないですものね」
龍子さんは涙ぐんだ。まずい、まずい!
「わかりました。私が頑張るしかないのですね」
龍子さんはニコッとして涙をこぼした。あああ、勘弁してくれえ! 多分、樹里と結婚していなかったら、完全に落とされている。
「それなら、タメ口にするか、龍子?」
俺は思い切って言ってみた。
「結構弁護士の先生には引け目があってさ。なかなかそういう言葉遣いにはできなかったんだよ」
俺はもう破れかぶれだった。
「左京さん!」
龍子さんはテーブルを回り込んで、抱きついて来た。
「わわっ!」
俺はそのままソファに倒れ込んでしまった。龍子さんがのしかかって来て、彼女の柔らかいものが俺の胸に当たって来た。
「左京さん……」
龍子さんが目を瞑った。これは多分そういう事だ。だが、さすがに妻帯者の俺にはそれはできない。その時、天の助けのようにドアがノックされた。龍子さんは飛び退き、向かいのソファに戻った。
「どうぞ」
俺は居住まいを正して言った。
「失礼します」
入って来たのは、七釜戸さんだった。
「どうしましたか?」
俺は革ジャンの襟を正して尋ねた。龍子さんは涙を拭って俯いている。
「お取り込み中でしたか?」
勘のいい七釜戸さんが訊いて来た。
「いえ、別に。ご用件は?」
俺は重ねて尋ねた。七釜戸さんは、
「実は山村キネさんを探すのを手伝って欲しいんです。あのお婆さんは結構な健脚で、どこまで行ったかわからないので」
「そうですか。わかりました。特に用事はないので、微力ながら、お手伝いさせていただきます」
俺は龍子さんのプレッシャーから逃れるため、渡りに船の話にすぐに飛び乗った。
「じゃあ、私も……」
龍子さんがとんでもない事を言い出したが、
「坂本先生は、炊き出しの方のお手伝いをお願いします」
七釜戸さんににこやかに拒否されてしまった。炊事洗濯が苦手な龍子さんは顔を引きつらせた。