山村キネの謎 10月30日 午後1時
結局、捜査本部はずっとてんてこ舞い状態で、富澤刑事を捕まえる事はできなかった。あの水崎駐在でさえ、忙しく駆けずり回っていた程だ。仕方なく、会議室へ戻り、龍子さんの携帯に連絡してみた。電波状態が良かったので、あっさり繋がった。
「あ、左京さん、こちらから連絡しようと思っていたんです」
龍子さんは息を弾ませて言った。どうしたんだ?
「村長さん、誰にも連絡しませんでしたよ。それで、今役場に向かいました」
龍子さんはぜいぜい息をしていた。
「どうしたんですか? 随分息が上がっていますが?」
俺は心配になって尋ねた。龍子さんは、
「左京さんがスマホに連絡をくれたからですよ。私、村長さんの家の電話に連絡があると思って、電話の前で待っていたら、奥の方でスマホがなっているのに気づいて、慌てて走って来たんです」
「ああ、そうでしたか」
いやいや、手元に置いておくから携帯電話なんだろ? どうして部屋に置きっぱなしにしているんだよ? そもそも、携帯電話が繋がるという話をしていただろ? この人も、樹里程ではないが、天然なところがあるな。
「左京さん、迎えに来てくださいよ。お手伝いさんも出かけるそうなので、一人でこの大きなお屋敷にいるの、心細いんです」
「お昼に戻りますよ」
俺は別に深い意味もなく言ったのだが、
「そんなに待てませんよ! この村始まって以来の連続殺人事件が起こっているんですよ! 早く迎えに来てください!」
龍子さんはそれだけ叫ぶと、通話を切ってしまった。それだったら、お手伝いさんにも出かけないように言ってくれ。無差別殺人ではないとは言い切れないが、少なくとも龍子さんやお手伝いさんが狙われる事はないと断言してもいい。それにしても、石井が殺されたのは予想外だった。もし、田辺時頼の次に誰かが殺されるのだとすれば、敏美だと思っていたからだ。やはり、上村京子の事件は無関係なのだろうか? 龍子さんの言うように、平本幹次が昔の凶暴性を蘇らせて、殺人を始めたのだろうか? いや、それはあまりにも突拍子もない推理だ。考えがまとまらないまま、俺は村長の家へ向かった。
「左京さんて、やっぱり女性に優しいからモテるんですね」
助手席で上機嫌の龍子さんが言う。俺は頭が痛くなりそうだ。別に優しさから迎えに行ったんじゃない。そうしないと面倒臭い事になるからだよ。そう言いたいが、今後の事を考えるととても言えない。
「田辺晴美さんでしょう、白巻陽子さんでしょう? あと、役場の総務課にも、左京さんのファンの子が何人もいるんですよ」
龍子さんの嫌味タイムは役場の駐車場に着き、正面玄関へ向かうまで続いた。だが、捜査本部から聞こえてくる山村キネの叫び声によって、嫌味タイムは終焉を告げた。龍子さんはビクッとして、俺の背後に隠れた。キネの声を聞き、小野芳夫の遺体の事を思い出したのだろう。
「どうしてあのお婆さんがいるんですか?」
龍子さんは震える声で訊いて来た。
「また現場を荒らして、ゲソ痕を消してしまったようです」
俺はそのまま会議室へと進みながら言った。
「またですか? 何を考えているのでしょうか?」
龍子さんは身震いしていた。ここへ来て、また山村キネの存在感が増して来た。一度ならず二度までも、現場を荒らした。これは偶然ではないだろう。何かの意図を持って、行っていると考えた方がいい。だから、捜査本部もキネを引っ張って来たのだ。
「あ」
そこへ七釜戸さんが絶妙のタイミングで現れた。
「ちょっとお訊きしたい事があるんですが」
俺が声をかけると、七釜戸さんは嫌そうな顔をした。
「龍子さん、お願いします。七釜戸さんは貴女に好意があるんです。説得してもらえませんか?」
俺は背に腹は変えられないので、龍子さんを利用する事にした。
「え? そうなんですか?」
龍子さんは満更でもない顔をした。ちょっと癪に障るが、仕方がない。龍子さんは俺に目配せしてから、七釜戸さんに近づいた。
「お願いします、七釜戸さん。お忙しいとは思いますが、協力してください」
龍子さんは七釜戸さんの右手を両手で包み込むように握った。
「え、あ、はい」
七釜戸さんはわかり易く赤面すると、頷いた。俺は会議室に七釜戸さんを連れて行った。
「何が知りたいんですか? もう田辺の家の事は知っている事は全部お話ししましたよ」
七釜戸さんは警戒心MAXで俺を見ながら、パイプ椅子に座った。俺は会議テーブルを挟んでパイプ椅子に座り、
「いや、訊きたいのは山村キネさんの事です」
「え? キネ婆さんの事、ですか?」
七釜戸さんは目を見開いた。俺は身を乗り出して、
「そうです。あの人はどういう人ですか? 家族はいないようですが」
七釜戸さんは俺に合わせるように身を引いて、
「ええ。息子さんを交通事故で十年前に亡くして、それ以来、ずっと一人で一軒家に暮らしています」
俺は苦笑いをして椅子に座り直し、
「キネさんは普段は仕事をしているんですか?」
七釜戸さんは考え込んでいたが、
「私が言ったって言わないでくださいね」
「もちろん。秘密は厳守します」
俺は龍子さんを見た。
「私は弁護士です。もちろん、誰にも話しません」
龍子さんは七釜戸さんの隣に椅子を近づけて座った。七釜戸さんがピクッとしたのがわかった。
「キネさんはご主人をずっと以前に病気で亡くしています。その当時すでに年金受給者でしたので、自分の年金と遺族年金で暮らしています。働いている様子はないです」
「そうですか。それで、いつも神社の周囲を彷徨いているのですか?」
俺は腕組みをして背もたれに寄りかかった。
「はい。何がきっかけなのかはわからないですが、神社の周辺に車が近づくと、飛び出して止めているようです」
七釜戸さんの言葉で、俺は晴美さんと一緒に神社へ行った時の事を思い出した。
「だとすると、キネさんは神社の鳥居を壊した連中を見ているかも知れませんね」
俺は不意に思いついたので、言ってみた。すると七釜戸さんは、
「ああ、それはないです。キネさんは人を見て飛び出しているようで、大勢の時や、暴力を振るわれそうな時には、止めに出ないそうなんです」
「なるほど」
俺はちょっとガッカリした。鳥居を壊した連中の事はすでにどうでもよくなっていたが、何かヒントがないかと思ったのだ。キネはもしかすると、犯人を見ているかも知れない。
「また何かありましたら、お尋ねするかも知れません。ありがとうございました」
俺は七釜戸さんを会議室の外へ送り出し、ドアを閉じながら、溜息を吐いた。
「でも、キネさんは怖くないんですかね」
龍子さんがボソリと言った。
「え? どういう事ですか?」
俺は椅子に戻りながら尋ねた。龍子さんは俺を見て、
「だって、殺人現場って、もしかすると、犯人がまだ近くにいるかも知れないんですよ? 見つかったら、殺されるかもって思わないんでしょうか?」
首を傾げた。
「ああ、確かに」
俺は思わずポンと手を叩いた。キネは犯人を見たのではなく、協力者の可能性があるって事か。だから、現場を踏み荒らして、犯人の痕跡を消した。そう考えると、筋が通ってくる。
「キネさんが犯人なんですかね?」
龍子さんはまた突拍子もない事を言い出した。
「いやいや、小野さんの遺体の状態から、あの老婆にできる犯行じゃありませんよ。仮に犯人だとしても、共犯者がいるはずです」
「ああ、そうですね」
龍子さんはしょんぼりしてしまった。キネが主犯ではないのは明らかだ。田辺時頼殺害の犯行現場には現れていない。共犯だとしても、事後従犯(犯行後に犯人の利益を図る行為)だろう。でも、どうしてそんな事をするのだろうか? 犯人に脅されて? とすれば、キネは小野の殺害現場には偶然居合わせた事になる。いや、時頼の殺害現場には、石井恭次がいた。だからキネは現れなかったのか? うーん、謎の行動だ。キネの立ち位置がわからない。
「もう一度、富澤刑事に尋ねてみましょう」
俺は龍子さんを宥めるように告げた。