わかった事、わからなくなった事 10月30日 午前9時
翌日になった。俺は村長と龍子さんと三人で黙食をした。誰も何も話をしようとしない。俺と龍子さんは昨夜いろいろと話したが、村長とはそれ程話していない。七釜戸さんが晴美さんと付き合っていた事があり、今でも友人として交流がある事くらいしか話せていない。取り敢えず、役場の捜査本部へ行って、富澤刑事に聞いてみるしかない。あるいは、七釜戸さんか。時生の事は、七釜戸さんの方がよく知っているかも知れないな。どうも村長は様子がおかしいところがある。ここは一計を案じてみるか。
「龍子さん」
俺は食事の後、龍子さんを部屋に呼んだ。
「な、何ですか、左京さん?」
何故か龍子さんはソワソワして顔を赤らめている。どういう事だ?
「朝から何をするつもりですか?」
龍子さんは途方もない勘違いをしていた。夜になってもそんな事をするつもりはないぞ。
「頼みがあります」
俺は廊下に村長の姿がないのを確認してから、ドアを閉じた。
「え?」
龍子さんはますます顔を赤らめた。
「何をさせるのですか? 私、何もわからないので、困ります」
龍子さんの妄想は激しさを増していった。俺は溜息を吐いてから、
「村長を見張って欲しいんです。私が出かけた後、誰かに連絡を取らないか、監視してください」
「え?」
龍子さんはようやく自分が恥ずかしい思い違いをしている事に気づいたようだ。更に顔を赤らめた。
「どうやら、携帯電話が通じないというのは、嘘のようです。先日、ある人がスマホを使っているのを見ました」
陽子さんの名前を出すとややこしくなるので、敢えて言わなかった。
「え? 本当ですか?」
龍子さんは鞄からスマホを取り出した。
「あ、ホントだ。圏外じゃなくなってる。使えますよ」
龍子さんは嬉しそうにスマホを見せてくれた。おい、待ち受けが俺の隠し撮りのような写真なのはどういう事だ?
「あ!」
それに気づいたのか、龍子さんは慌ててスマホを鞄に入れた。俺は敢えてその事には触れず、
「とにかく、村長の監視、お願いします」
俺はそのまま村長の家を出ようとしたが、
「でも、確かにスマホは圏外だったですよ。どうしてなんでしょうか?」
龍子さんは首を傾げた。確かに、この村に来た時は、嬬恋村を超えた辺りから、全くスマホが繋がらなくなったのは事実だ。村の場所によって、つながる時とつながらない時があるのかも知れない。
「基地局のアンテナが足りていないのかも知れません。ここでは繋がりそうですね」
俺は自分のスマホを取り出して、電波状態を確認した。すると、Wi-Fiのマークが出ているのに気づいた。
「この家、無料のWi-Fiがあるようですね」
俺は妻の樹里を待ち受けにしている画面を龍子さんに見せた。
「ああ、ホントですね」
龍子さんは樹里の笑顔が眩しいのか、俯いてしまった。これに懲りて、もう少し考えて行動して欲しいよ。
役場に着いて、当てが外れた事に気づいた。捜査本部の人員が大幅に増加されている。三人も殺害されたので、所轄が捜査員の増員をしたようだ。俺は富澤刑事を探したが、忙しそうに駆け回っているので、呼び止める事ができなかった。
「県警本部から刑事さんが来たみたいですよ」
俺が諦めて会議室へ向かおうとした時、七釜戸さんが教えてくれた。
「そうなんですか。遂に県警が動きましたか」
俺は富澤刑事からの情報を得られない事を確信した。ならば、搦手から攻めるか。
「七釜戸さん、田辺時生さんについて訊きたい事があるのですが」
俺は七釜戸さんを呼び止めた。
「え? 時生、ですか?」
七釜戸さんはあからさまに嫌そうな顔をした。晴美さんとの事で、何かあったのだろうか? 俺は七釜戸さんを会議室に連れ込んで、後ろ手にドアを閉じた。
「時生さんはどんな人ですか?」
俺は時間をかけている事はできないと思い、単刀直入に尋ねた。
「どんな人って、まあ、嫌な奴ですよ」
七釜戸さんは俺から目を背けて言った。それはそうだろうな。晴美さんとの交際をぶち壊されたんだからな。
「晴美さんと付き合っているのを知られて、交際をやめるように言われたからですか?」
村長への気遣いもしないで、はっきり訊いた。七釜戸さんは目を見開いて、
「村長から聞いたのですね? 全く、おしゃべりな人だな」
舌打ちをしてまた目を背けた。この人、案外感情がはっきりしている人かも知れない。
「別にそれだけじゃないですよ。私はあいつに長い間、いじめられていましたから」
七釜戸さんは歯軋りをして俺を睨んだ。この人、やっぱり気性が激しいようだ。普段おとなしい人程、切れると怖いという典型だな。
「それは晴美さんと付き合う前からですか?」
俺は七釜戸さんに詰め寄った。七釜戸さんは俺を睨んだままで、
「晴美ちゃんと別れてからですよ。余程私が晴美ちゃんと付き合っていたのが気に食わなかったのか、別れてからずっといじめられました」
「晴美さんはその事を知っていたんですか?」
俺は七釜戸さんを睨み返した。七釜戸さんは元刑事の俺の眼光に恐れをなしたのか、また俯いて、
「時生はずる賢いですからね。晴美ちゃんにはわからないように私を痛ぶっていましたよ。もちろん、私もそれなりにプライドがありますから、晴美ちゃんには言いませんでした」
「なるほど」
俺は顎に手を当てて考え込んでから、
「田辺家の人達は、仲がいいですか?」
七釜戸さんはどうしてそんな事を訊くんだという顔で俺を見て、
「時頼さんと敏美さんは仲がいいというより、主従関係が強いという感じでした」
俺は苦笑いをして、
「そうですか。では、時生君とは?」
七釜戸さんはまた不愉快そうな顔になり、
「時生はマザコンですからね。敏美さんとは良好な関係ですが、時頼さんとは決して仲がいいという関係ではなかったと思います」
俺は更に、
「晴美さんと両親の関係は?」
七釜戸さんは不思議そうな顔で俺を見て、
「晴美ちゃんは時頼さんに溺愛されていました。晴美ちゃん本人は、それを嫌がっていましたが」
「確か、高崎に就職しようとしたのを反対されたとか聞きましたが?」
俺は畳みかけるように言った。
「そうです。それがきっかけで、晴美ちゃんは時頼さんと話さなくなったみたいです」
七釜戸さんは更に不愉快そうになった。
「敏美さんとはどうですか?」
俺は七釜戸さんの百面相につい噴き出しそうになりながらも、尋ねた。
「晴美ちゃんは、時生と母親のべったりな関係を嫌がっていましたからね。仲がいいという関係ではないと思います」
「では、時生君と晴美さんの関係は?」
俺が訊いた時、どうした事か、七釜戸さんはビクッとした。
「時生は晴美ちゃんにはいい兄を演じていますからね。仲は悪くないと思います。但し、晴美ちゃんは時生を煙たがっていますよ。知らない人が見たら、恋人同士に見えなくもないくらい、時生が晴美ちゃんと寄り添って並んで歩く事がありますから」
七釜戸さんは今日イチの不愉快そうな顔をした。今でも晴美さんの事を好きなのか。それなら、どうして龍子さんに告白しようとしたのだろうか? 未だにした様子はないが。時生はマザコンだけではなく、シスコンでもあるのか。気持ち悪い奴だ。要するに大人になり切れていない男、という事か。
「それから、石井恭次という男の事で、何かご存じの事はありますか?」
無駄かも知れないが、訊いてみた。
「石井さんの事ですか? 特にこれといってないですね。話した事はないですし」
七釜戸さんは首を傾げた。思った通りのリアクションだったので、俺はまた苦笑いをして、
「そうですか。石井さん、ストーカーをしていると聞いたのですが、その事もご存じではないですか?」
「え? そうなんですか? いや、初めて聞きました。誰がされているのですか?」
七釜戸さんは田辺家の事ではないのでホッとしたのか、訊き返してきた。
「それは守秘義務がありますので、言えないんです」
俺は作り笑顔で応じた。
七釜戸さんに礼を言って会議室を出た俺は、捜査本部に連れて行かれる山村キネを見かけた。
「放せ! 山神様の祟りを受けるぞ!」
キネは刑事二人に両側からしっかりと押さえつけられた状態で本部に入って行った。今度は何をしたんだ、あの婆さんは?
「あのお婆さん、何をしたんですか?」
俺はようやく富澤刑事を捕まえられた。富澤刑事は周囲を見回してから、
「またあの婆さん、犯行現場で暴れ回って、足跡を消していたんです」
「またですか?」
俺は小野芳夫の殺害現場に現れたキネの行動を思い出した。一体、あの婆さん、何を考えているんだ?
「じゃあ、これで」
富澤刑事は伊達刑事に睨まれているのに気づくと、走り去った。