深まる謎 10月29日 午後8時
石井恭次が山神神社で殺されていた。しかし、何故? やはり、上村京子の事件と関係ないのか?
「一つ確認したいのですが、石井さんは例の事件に関わりがあるのですか?」
俺は居間に着くと、村長に尋ねた。村長はテーブルの前にドスンと座ると、
「あの事件の時は、石井はまだ十代でしたからね。関係はないと思いますよ」
すっかり酒が抜けた顔で俺を見た。俺は村長の向かいに座って、
「では、姉の敏美さんは?」
重ねて訊いた。村長は目を見開いて、
「敏美は女ですよ。関係ないでしょう?」
「いや、そうではなくて、夫の時頼さんが関わっていたのとは違う意味で、何か関係はなかったのですか?」
俺は村長がおかしな方向へ舵を切り出したので、慌てて言い添えた。
「ああ、そういう事ですか。いやあ、わかりませんねえ。もし、その当時敏美が知っていたら、大騒ぎになっていたはずです。あいつは嫉妬深いんですよ。時頼がスナックの女の子とちょっとでも仲良くすると、女の子の住んでいるアパートの部屋に怒鳴り込むくらいね」
村長は昔を思い出すように話してくれたが、どうも納得がいかない。このタヌキ親父、また何か隠していないか?
「では、今でも敏美さんは事件の真相を知らないという事ですか?」
念押しして確かめた。
「知らないと思いますよ。だからこそ、離婚もしないで一緒に暮らしているんですよ。先生も疑り深いですね」
村長がまた「先生攻撃」を繰り出して来たので、
「先生はやめてください」
俺は釘を刺してから、隣に龍子さんが座るのを見てから、
「石井さんは敏美さんとは仲が良かったのですか?」
村長は腕組みをして、
「うーん、仲がいいという程でもないですが、悪かったとも言えないですなあ。どちらかというと、時頼の方が石井を可愛がっていたと思いますよ」
「なるほど」
時頼と石井の関係は良好だったのはわかる気がする。時頼は石井を手懐けて、敏美に対する防御柵にしていたのかも知れない。いざという時、敏美の味方にならないように。村長からはこの程度しか訊けないだろう。後は晴美さんだが、俺の信用はガタ落ち状態だから、話をするのは無理だろうな。そうなると、もう誰からも話は聞けない。七釜戸さんに訊いても、何も知らないだろうからなあ。
「どうしました?」
村長がニヤニヤして言った。何だ?
「いや、田辺家の事情に詳しい人はいないかと思案していました」
俺は村長の不気味な笑顔に引きつつ、答えた。村長は笑って、
「何だ、そんな事ですか。だったら、晴坊に訊いたらいいですよ」
俺は苦笑いをして、
「いや、晴美さんにはちょっと……」
すると村長はまた笑って、
「違いますよ。七釜戸君ですよ。あいつの名前、晴久っていうんです。知りませんでしたか?」
そこまで言われて、初日に名刺をもらった事を思い出した。そういえば、そんな名前だったかも知れない。
「あいつ、高校生の時、中学生だった晴美ちゃんと付き合っていたんですよ。悪い別れ方はしていないので、今でも行き来があるんです」
「ええ?」
また俺と龍子さんはほぼ同時に叫んでしまった。
「晴れ晴れコンビとか言われて、よく同級生に揶揄われていたそうです」
村長が嬉しそうに言うと、
「どうして別れたんですか?」
龍子さんが立ち入った事を訊いた。
「当人同士というより、兄貴の時生がね。妹可愛さに七釜戸君を脅したみたいなんですよ」
村長の言葉に龍子さんは唖然とした顔で俺を見た。
「悪い別れ方じゃないですか」
龍子さんが言うと、
「七釜戸君と晴美ちゃんには何も蟠りはないから、悪い別れ方ではないんですよ。でも、時生の手前、流石にもうお付き合いという事はできなくて、幼馴染として交流があるだけですけどね」
村長は龍子さんを見て言った。
「時生と七釜戸君は同級生なんですよ。それなのに、兄に断わりもなく交際を始めたので、怒ったみたいです」
随分と古風な考え方をするんだな。俺には兄弟がいないから、よくわからないが、妹はそんなに可愛いと思うものなのか。
「やっぱり、田辺時頼さんを殺害したのは、息子の時生ですよ」
龍子さんが俺の耳元で言った。気性が激しい時生が発作的に時頼を殺したのであれば、現場は家の中になるだろう。わざわざ山神神社に行く必要はない。それにしても、小野も時頼も、そして石井までも、殺害現場は山神神社だ。これは何を意味するのだろうか? やはり、二十五年前の事件が絡んでいるのか? しかし、そうなると石井が何故殺されたのか、疑問が生じる。わからない。どういう事だろう? 明日、富澤刑事に訊いてみるか? だんだん、捜査本部の壁が厚くなっている気もするが。
その後、俺達は遅い夕食をすませ、入浴をすませると、床に就いた。だが、眠れない。疑問が多過ぎて、頭が冴えてしまう。
被害者の三人が三人共、奇しくも同じ山神神社で殺された。小野芳夫と田辺時頼は、二十五年前に上村京子を強姦したという共通項がある。しかし、その当時十代だった石井恭次は事件に関わってはいないらしい。石井が正確には当時何歳だったのかわからないが、絶対に関わっていないとは断言できない。だが一方で、上村京子の夫だった松雄は二十四年前に自殺しており、それは間違いなく自殺だと璃里さんは言っていた。そして、松雄の唯一の肉親である兄も五年前に他界している。上村京子の関係者で生きている者はいない。そして、二人の娘は未だに行方不明のままだ。連続殺人ではなく、それぞれに別の犯人がいる不連続の殺人事件なのだろうか? それすらわからない。寝返りを打って何とか寝つこうとした時、ドアがノックされた。
「はい?」
俺は半身を起こして応じた。
「左京さん、ごめんなさい。ちょっといいですか?」
龍子さんだった。まさか寝込みを襲いに来た訳ではないだろう。
「どうぞ。入ってください」
俺は布団から抜け出して、そばにあるテーブルに座布団を並べた。
「失礼します」
龍子さんは臙脂色のジャージ上下を着ていた。何故か恥ずかしそうだ。
「どうしたんですか?」
俺はそんなつもりはないというのを示すために、龍子さんを座らせると、なるべく離れて座り直した。
「犯人の事なんですけど」
龍子さんは俯いてモジモジしている。ああ、そうか。風呂上がりで化粧を落としているので、それが恥ずかしいのか。
「犯人の事、ですか」
俺は先を促した。龍子さんは黒縁眼鏡をくいと押し上げて、
「やはり、犯人は上村京子さんの関係者ではなくて、平本幹次ではないでしょうか? 彼は村役場で働くうちに、京子さんの事件を知り、それを調べるうちに復讐をしてみたくなったのではないかと」
平本幹次は捜査線上に上がってもいない。完全に圏外だ。だが、いろいろと無理がある。
「平本は事件の事を知れる立場にないと思いますよ。役場には事件に関する資料はないでしょうし、もしあったとしても、ゴミの収集車に乗っている平本にはその場所に近づく事はできないと思います」
俺は龍子さんを追い詰めないようにゆっくりと穏やかに話した。
「そうかも知れないですけど、平本がこの村に来て、それ程経たないうちに事件が起こりました。偶然とは思えないんです」
龍子さんは未だに平本をサイコパスだと思っているのか? それも無理がある。
「時期的な事で言うと、私も該当してしまいますよ」
俺は自嘲気味に言った。
「それは……」
龍子さんは自分の説が破綻しているのを気づいていながらも、捨て切れないようだ。
「とにかく、明日、富澤刑事に訊いてみます。もう休んでください」
龍子さんは項垂れたまま立ち上がると、
「失礼しました」
部屋を出て行った。俺は溜息を吐き、布団に戻った。