左京、村長に話を聞く 10月29日 午後1時
村長の家に戻ると、龍子さんが玄関で出迎えてくれた。
「ごめんなさい、左京さん。私が間違っていました」
深々と頭を下げられて、俺は逆にバツが悪くなってしまった。
「俺も悪かったんですから、もういいですよ」
俺は龍子さんの肩を軽く叩いて、お手伝いさんに昼食をお願いした。龍子さんも食べていなかったようで、二人で並んでいただく事になった。
「おや、仲良くお食事ですか」
最悪のタイミングで村長が帰って来た。小野の葬儀が終わり、田辺時頼の通夜まで時間が空くので、帰って来たようだ。
「はい」
龍子さんは村長の嫌味に笑顔で応じた。俺は苦笑いをして応じた。
「芳夫の葬儀は寂しいものでしたな。奴はほとんど人付き合いがありませんでしたから、参列者はごくわずかで、近所の人だけでした」
村長は何も訊いていないのにベラベラと話し始めた。
「小野さんを殺害した犯人は誰だと思われているのでしょうか?」
俺はこれ幸いと尋ねた。村長はお手伝いさんから湯呑み茶碗を受け取って、
「警察は相変わらず、時頼だと思っているようなんですが、その時頼が殺されちまいましたからね。困ってるみたいですよ」
ごくりと一口お茶を飲んだ。そして俺を見て笑みを浮かべ、
「先生はそうじゃないと思っているんでしょう?」
また「先生攻撃」だ。しつこい人だ。
「先生はやめてください」
無駄だと思いながらも、一応釘を刺しておく。
「ええ。この事件は上村京子の関係者が起こしていると思っています」
俺は村長を睨みつけるように見て言った。村長は湯呑み茶碗をテーブルの上に置くと、
「私が変な事を話してしまったせいで、そんなふうに思われるのでしょうが、根拠はあるんですか?」
俺はお手伝いさんに使い終えた食器を渡しながら、
「根拠はありませんが、小野さんを田辺さんが殺して、田辺さんを奥さんの敏美さんが殺したという捜査本部の見解よりも、筋が通っていると思います」
「なるほど」
村長は湯呑み茶碗をもう一度持ち、お茶を飲んだ。
「田辺さんと奥さんの夫婦仲はどうだったのですか?」
俺も湯呑み茶碗のお茶を一口飲んで訊いた。村長は湯呑み茶碗をテーブルに戻して、
「おしどり夫婦とは言えませんが、険悪な仲でもなかったですよ」
「田辺さんが奥さんに暴力を振るうような事はありませんでしたか?」
俺は気になっていた事を尋ねた。村長は目を見開いて、
「まさか! 確かに時頼は人相が悪くて、どこかの組員に見えなくもなかったですが、敏美に手を上げるような事はなかったと思いますよ。ああ見えて、気の小さい奴だったですから」
さりげなく時頼を貶した。
「むしろ、危ないのは息子の時生です。あいつは所謂マザコンですから、もし時頼が敏美に暴力を振るったりしたら、時頼を殺しかねないですよ」
村長は意外な事を話してくれた。
「マザコン?」
龍子さんがビクッとした。俺は龍子さんをチラッと見てから、
「捜査本部はそれを知っているんですか?」
俺は村長に詰め寄った。村長はヘラヘラして、
「知る訳ないでしょ。私は事情聴取を受けていませんから」
呆れてしまった。このタヌキ親父、どういうつもりなんだろうか? 俺もその時生という男が犯人とは思えないので、そのまま聞き流した。
「もしかして、晴美さんも時生君に暴力を振るわれているんですか?」
気になったので訊いてみた。龍子さんが俺を睨んでいるのがわかる。だが、無視した。
「それもありませんよ。時生と晴美ちゃんは四歳違いですが、時生は晴美ちゃんを小さい頃から可愛がっていましたから。実際、晴美ちゃんは可愛いですしね」
村長は龍子さんがムッとしているのを面白がっている。底意地が悪い人だ。
「それから、石井恭次という男の事なんですが」
俺は話題を変えた。村長は俺を見て、
「石井ですか? 何です?」
不思議そうな顔をした。どういう事だ?
「敏美さんの弟だそうですが、どんな人ですか?」
龍子さんはストーカー男の事を知りたいのか、じっと村長を見た。
「どんなって、別に取り立てて言うような事がある奴じゃないですよ。おとなしいというか、暗いというか」
村長はどうして石井の事を訊くんだという顔をしている。
「彼は、武上医院の看護師である白巻陽子さんを付け回しているんです。ストーカーの可能性があります」
龍子さんが口を挟んだ。村長は龍子さんを見て、
「ええ? ストーカー? まさか、あのおとなしい石井が?」
意外そうな反応だ。何も知らないのか?
「陽子ちゃんからそんな相談受けた事がないですねえ」
村長は首を傾げている。それはあんたが信用されていないからだよ。そう言いたかったが、契約を打ち切られて帰らされると困るので、言わなかった。
「石井は時頼さんが殺された神社付近をうろうろしていて、一時は被疑者になりかけたんですが、アリバイがあったので、解放されたようです」
俺は溜息混じりに告げた。村長はまた目を見開いて、
「そりゃ魂消た。そうだったんですか。石井は虫も殺せねえような意気地なしですけどねえ」
やけに石井を庇うな。何故だろうか?
「村長さん、石井という人を随分擁護されていますが、何か弱みでも握られているのですか?」
龍子さんが踏み込んだ質問をしてしまった。おい、何て事を訊くんだよ!
「弱みなんか握られていませんよ。石井の事はガキの頃から知っていますから、あいつが悪さなんかできる男じゃねえのはよく知ってるんです」
村長は苦笑いをして龍子さんを見た。タヌキ親父め、何か隠しているのか?
「ふうん、そうかあ。石井は、私の知らない一面を持っているのかなあ。ちょっとびっくりだなあ」
村長はそれでもなお、石井がストーカー行為をしている事を信じられないようだった。
「おっと、もうこんな時間か。時頼の通夜に行かないと」
村長は龍子さんが更に何かを訊こうとするのを察したのか、立ち上がって玄関へ行ってしまった。
「何か隠していますね」
龍子さんは村長の背中を睨みつけて呟いた。
「ええ。何を隠しているのかは、わからないですけどね」
俺は龍子さんに同意して、村長を見送った。田辺時頼の通夜は午後五時からだと聞いている。まだ午後二時にもならないのだ。村長が俺達の質問を切り上げさせるために出かけたのは間違いない。その時、お手伝いさんが電話だと告げに来た。璃里さんからだ。俺は玄関の脇にある固定電話に向かった。龍子さんがついて来たが、追い払う訳にもいかない。
「お疲れ様です」
俺はよそいきの声で応じた。
「どうしたんですか、左京さん、そんな気取った声を出して?」
早速璃里さんに突っ込まれてしまった。
「あ、いや、そんなつもりは……。それで、何かわかったのですか?」
俺は背中に張り付いてくる龍子さんを押し退けながら尋ねた。
「はい。思ったより時間はかかりませんでした。まず、上村松雄さんですが」
璃里さんが話し始めた。俺は思わず唾を呑み込んだ。
「すでに死亡していました。事件があった翌年に自殺しています」
「ええ!?」
俺は驚愕した。そんな昔に上村京子の夫の松雄は死んでいたのか?
「妻の京子さんの自殺からあまり時を経ていないので、捜査を担当した所轄には後追い自殺だと判断されたようです」
璃里さんの話はあまりにも衝撃的だった。
「間違いなく上村松雄だったのですか?」
俺は食い下がった。
「間違いないようです。松雄さんの兄が確認しています」
それでも俺は、
「その兄は今、どこにいるのですか?」
畳み掛けるように訊いた。
「すでに亡くなっています。五年前です」
そこでプッツリと糸が切れてしまった気がした。
「松雄さんの自殺も間違いないのですか? 他殺の線はなかったのですか?」
俺はもう破れ被れだった。
「はい。間違いなく自殺だそうです。遺書もあり、筆跡鑑定の結果、本人のものと判明しました」
璃里さんの声が告げた。俺は項垂れてしまった。上村京子の関係者の犯行と考えるのは間違っていたのか?
「左京さん?」
璃里さんが俺が押し黙ってしまったので、声をかけてくれた。
「あ、すみません。ありがとうございました」
俺は我に返って璃里さんに礼を言った。すると、
「まだ話は終わっていませんよ。二人の間に生まれた娘の事です」
璃里さんが言ったので、俺はハッとした。そうか。生まれたばかりの子供が生死不明のままだったんだ。
「娘さんの生死は不明のままです。山神村に両親と共に移住したまではわかっていますが、その後の足取りが途絶えてしまっています。行方不明という事です」
完全に終わってしまった。上村京子の関係者は今回の殺人事件に関わっている可能性は限りなくゼロに近くなった。
「上村松雄さんが自殺した時、彼は一人でした。捜査資料によると、彼には同居の家族もなく、娘の死亡届は出されておらず、行方不明者届は群馬県の長野原警察署に出されています。ですが、目ぼしい情報はない状態です」
俺は無駄とは思ったが、
「上村松雄さんには他に親族はいないのでしょうか?」
「お兄さんだけですね」
璃里さんは言った。どうやら、俺はとんでもない間違いをしていたようだ。村長の話に興味を惹かれて、泥沼に落ちていたのだ。
「そうですか。わかりました。いろいろとありがとうございました」
俺は自分の浅はかさに笑いが込み上げて来てしまった。
「左京さん、事件の方はどうなのですか? 二人殺害されたと聞きましたが?」
璃里さんが訊いて来た。俺は笑うのをやめて、
「ええ。捜査本部も混乱しているようです。一体誰が犯人なのか……」
今度は悔しさが込み上げて来た。
「もうそろそろ帰って来てはどうですか? 樹里も心配していますよ」
璃里さんの言葉に俺は愛妻の顔を思い出した。樹里の笑顔。娘達の笑顔。もう、引き時か。俺は刑事じゃないのだから。
『見つけて。探して』
ふと前を見ると、見知らぬ女性が立っていた。誰だ?
『私の無念、晴らして』
その女性は血の涙を流していた。
「誰だ?」
俺は思わず問いかけたが、そこには誰もいなかった。
「どうしました、左京さん?」
璃里さんの声が聞こえた。俺は意を決した。
「いや、帰れません。この事件、必ず犯人を突き止めます。私は名探偵ですから」
俺は決め台詞のように言った。璃里さんからは、
「そうでしたね。では、何かありましたら、連絡をください」
それだけ言われ、通話を切られた。龍子さんを見ると、ドン引きされていた。ああ……。