一番怪しい男のアリバイ 10月28日 午後5時
富澤刑事は石井恭次を確保した事を自慢げに言うと、鼻を膨らませたまま、会議室(とは名ばかりの物置)から出て行った。
「しかし、石井は何故現場付近を彷徨いていたんだろうか?」
俺は首を傾げた。田辺時頼は石井恭次の義理の兄だ。もちろん、親戚だからといって、犯人ではないという証拠にはならない。だが、その逆に、犯人だという証拠にもならない。
「最近では、肉親や縁戚者だからこそ、殺してしまう事件が多くなっています。表面的にはわからない動機があったのかも知れませんよ」
龍子さんは黒縁眼鏡をくいと上げながら言った。
「それはそうなのですが、石井という男はそこまで間抜けなのですかね? 田辺さんを殺して何時間も現場付近にいるなんて、変じゃないですか?」
俺はパイプ椅子に座り直して龍子さんを見た。
「確かに妙ですね。でも、案外、間抜けな人なのかも知れませんよ。だって、隣の嬬恋村まで往復二十キロメートルも歩いてラーメン屋にラーメンを食べに行くのですから」
龍子さんはすぐに反論して来た。なるほど、変わり者なのは確かだが、それがイコール間抜けとは限らない。
「石井に田辺時頼氏を殺害する確固たる動機があるのならば、疑う事もできますが、それもはっきりしていないのであれば、これは捜査本部の勇み足ではないかと思いますよ」
俺には石井が犯人とは思えなかった。
「左京さんは、どうしても上村京子さんの関係者が犯人だと思いたいのですか?」
龍子さんは自分の説を否定されたと思ったのか、頑固になっていた。いや、頑固なのは俺か。
「別の人が殺されたのであれば、石井を疑いもするのですがね」
俺は武上医院の看護師である白巻陽子さんを送った事を龍子さんに言っていないので、その事にはあまり触れたくなかったのだが、つい言ってしまった。
「それって、どういう事ですか? 石井に誰を殺す動機があるんですか?」
龍子さんが食いついて来てしまった。まずい。まあ、仕方ないか。俺は石井が陽子さんを家まで尾けていた事を話した。
「やっぱり。どうして私に内緒にしていたんですか? まさか……」
龍子さんがよからぬ妄想をし始めたので、
「違いますよ。言えば、龍子さんが同行したがると思ったから、言わなかったんです。何かあると困るから」
ちょっと嘘を交えて言った。龍子さんは何故か顔を赤らめて、
「ありがとうございます。私の身を案じてくださったのですね。でも、弁護士ですから、多少の危険は経験済みです。ストーカーに待ち伏せされた事もありますから」
胸を張ってみせた。俺は苦笑いをして、
「そうですか。でも、同行しなくてよかったですよ。石井は私を見て逃げましたが、龍子さんがいたら、どう動いたかわかりませんから。何しろ、龍子さんは美人だし、モテますからね」
更に嘘を重ねた。盛り過ぎかな?
「やだ、左京さんたら。あまりおだてても、何も出ませんよ」
龍子さんは嬉しそうにクネクネした。褒めると喜ぶタイプのようだ。ところが、
「左京さんは、白巻さんが石井に殺されるかも知れないと思ったのですか?」
龍子さんは急に弁護士の顔になった。
「そうです。もしも、陽子さんが被害に遭ったのなら、石井がホシで間違いないと思いました」
俺が言うと、何故か龍子さんは不機嫌そうな顔になった。
「ほんの二回しか顔を合わせていない看護師さんを『陽子さん』て下の名前で呼ぶなんて! 私なんか、何年も『坂本先生』って呼ばれ続けたのに!」
まずい。非常にまずい事を思い出された。結構根に持つタイプだからな。
「もう知りません! 白巻さんと仲良く調査をなさったらいいんです!」
龍子さんはプイッと顔を背けると、スタスタと会議室を出て行ってしまった。おいおい、別に頼んで一緒に行動してもらっている訳じゃないぞ。そうは思ったが、口が裂けても言えない事だ。面倒臭い人だな。
「さてと」
俺は気を紛らわせるために声を出すと、パイプ椅子から立ち上がり、会議室を出た。
「お、お帰りですか、先生」
そこへタヌキ親父、いや、村長がやって来た。まだ「先生攻撃」を続けている。
「それにしても驚きました。時頼まで殺されるなんて。でも、犯人は恭次なんでしょ?」
村長は俺の耳元で言った。
「まだ、犯人と決まった訳ではないですよ。現場付近にいただけですから」
俺は酒臭い村長の息に閉口しながら応じた。
「まあ、あいつは時頼に世話になっていましたから、殺す動機なんてないですけどね」
村長はニヤニヤしながら言うと、
「姉の敏美とも仲が良かったですし、先生の言う通り、犯人じゃないんでしょうねえ」
また「先生攻撃」を仕掛けてくる。しつこい人だ。
「先生はやめてください。それに、犯人ではないとは言っていませんよ。決まった訳ではないと言ったんです」
俺は村長から離れた。村長は正面玄関へと歩き出して、
「なるほど、わかりました。では、お先に失礼します」
勝手な人だ。よく村長になれたなと思う。すると、不意に振り返って、
「ああ、そうだ。坂本先生なら、総務課長と嬉しそうに話していましたよ」
妙な情報を告げると、また歩き出した。何だよ、そのいらない情報は? 龍子さんが誰と話していようと、俺の知った事か。どうもこの役場内では、完全に俺は龍子さんと不倫関係だと思われているようだ。気が重くなる。
「あ、副署長」
またややこしいのが現れた。俺は副署長じゃないって!
「違いますよ」
俺は否定してから、
「どうしました?」
浮かない顔をして捜査本部を出て来た富澤刑事に尋ねた。富澤刑事は溜息を吐いて、
「絶対に石井が犯人だと思ったのですが、アリバイがありました」
「え?」
俺はあまりにもあっさりと石井の無実がわかったので、拍子抜けした。
「田辺さんの死亡推定時刻、石井は武上医院で治療を受けていました。武上医院から犯行現場の山神神社までは車で二十分程ですから、石井に犯行は不可能です」
富澤刑事はあからさまにガッカリした顔だ。いや、石井が犯人だと決めつけるのは早過ぎだろう? 俺は富澤刑事に同情できなかった。通常なら犯行は可能だと思われるが、車を持っていない石井には無理なのだ。しかし、一つ、疑問が湧いた。
「それなら何故、石井は犯行現場にいたんですか?」
俺の質問に富澤刑事は急に明るくなり、
「そうなんですよ。怪しいですよね? でも、石井ははっきりしない事を言っていて、埒が明かないんですよ」
俺に詰め寄って来て、
「どう考えても、何かおかしいですよね? もしかすると、石井はどこかに車を隠し持っていて……」
俺は手で富澤刑事を制して、
「違いますよ。石井は犯人じゃありません。犯人は別にいます」
富澤刑事は俺の言葉に目を見開いた。
「え? 副署長は犯人が誰なのか、わかっているんですか?」
「だから、副署長はやめてください。今は私立探偵ですから」
俺は富澤刑事に釘を刺してから、
「犯人が誰かはわかりませんが、少なくとも、石井は犯人ではないです。それだけは断言できます」
富澤刑事は呆気に取られた顔をしていた。それ程、俺の言説は奇妙なものだったのだ。
「石井が治療を受けていたのを聞き込みしたのは、誰なんですか?」
俺は呆然としている富澤刑事を問い質した。富澤刑事はハッと我に返って、
「ああ、それは水崎さんが聞きました。まあ、聞き込みというよりは、世間話の中で出て来たんですけどね」
苦笑いをした。
「水崎さんが? じゃあ、武上先生は確かに石井を治療したんですね?」
俺が詰め寄って訊いたので、富澤刑事は後退りながら、
「はい、確かです。石井の奴、武上医院の看護師さんに気があるらしくて、頻繁に訪れていたようなのですが、武上先生もそれを承知しているので、石井が来ると看護師さんをそっと裏口から帰らせているそうなんです」
石井め、そこまで陽子さんに執着しているのか。やばい奴だな。だが、石井は時頼を殺してはいない。だとすると、誰が殺したんだ? やはり、最初に思った通り、上村京子の関係者か? 上村京子の夫だった上村松雄はまだ生きているのだろうか? 松雄がこの事件を起こしたのか? わからない事だらけだった。




