捜査本部の動向 10月28日 午後3時
田辺時頼が殺害された。俺はまず第一に娘である晴美さんの事を思った。彼女が美人だからではない。肉親を喪うつらさはよくわかるからだ。子供の時に両親を亡くした俺は人一倍そういう事に敏感だ。だが、晴美さんはいつの間にか役場から姿を消していた。家に戻ったようだ。
「誰を探しているんですか、左京さん?」
龍子さんが冷たい目で俺を見ていた。
「いや、別に」
嫌な汗を掻いたので、何とか誤魔化そうとしたが、
「見え見えですよ。あの人を探していたんでしょ? 嫌らしいんだから」
龍子さんの目が軽蔑の目に変わったのがわかる。
「嫌らしいってどういう事ですか?」
俺は顔が引きつるのを感じながら、形式だけの抗議をした。
「お父さんが亡くなったのをいい事に、口説こうとしているんでしょ? 充分嫌らしいです」
龍子さんは口を尖らせて俺を睨んできた。これはどう言っても言い負かされそうだ。
「何を言ってるんですか。そんなはずがないでしょう? 俺は妻帯者ですよ」
それでも言い返さずにはいられず、龍子さんに詰め寄った。
「左京さん、公共の場ですよ」
龍子さんが顔を赤らめた。はっと我に返ると、龍子さんの顔が間近にあり、そこが役場の通路の真ん中だという事に気づいた。
「先生、見せつけないでください」
七釜戸さん始め幾人かの役場の職員達が俺を見ていた。俺は作り笑顔で龍子さんを伴い、会議室へと逃げ込んだ。
「左京さんたら、強引」
何故か龍子さんは嬉しそうだ。しまった、つい彼女の腕を掴んで引っ張って来たのだ。
「失礼しました」
俺は素早く龍子さんから離れて、パイプ椅子に座った。時頼殺害の一報以来、あの鬱陶しいくらい懐いて来ている富澤刑事ですら、上を下への大騒ぎ状態で、呼び止める事ができない。だから、時頼がどんな状態で殺害されたのか、検死の結果はどうなったのかもわからないのだ。
「左京さん?」
龍子さんが顔を覗き込んできた。
「ああ、何ですか?」
ぼんやりしていたので、龍子さんが何か言ったのかと思って訊いた。
「何ですかじゃないですよ。いきなり会議室に入ったかと思ったら、ずっとしかめっ面をして黙り込んで。何が気になるんですか?」
龍子さんはすぐ隣のパイプ椅子に腰を下ろした。
「小野さんの事件だけでは、確証がなかったのですが、田辺さんも殺されたとなると、やはりこの事件は二十五年前の上村京子の事件に関係があるのではないかと思って……」
俺は龍子さんを見て告げた。
「でも、そんな昔の事件の事で、関係する人が事件を起こすものですかね? もちろん、遺族の悲しみは何年経とうが癒されないかも知れませんけど」
龍子さんの意見は正論だ。上村京子の事件は四半世紀も前。可能性としてはあり得なくもないが、それは限りなくゼロに近いものだ。何か、復讐に駆り立てるきっかけがなければ、起こり得ないのだ。
「私は、どちらかというと、平本幹次が事件に関係していると思います」
龍子さんは身震いして言った。彼女は平本に強い偏見を抱いている。理由はよくわからない。だが、平本が犯人の可能性も限りなくゼロに近いと思う。
「田辺さんの事件は詳細がわかりませんが、小野さんの事件では、上村京子が首を吊っていた欅に小野さんが吊るされていたんですよ。その事は、当時を知る人間にしかできない事なんです。それだけでそうだとは言い切れませんが、平本犯人説より可能性があると思います」
俺が言うと、龍子さんは俯いて、
「わかりましたよ。平本に偏見を抱いている私がおかしいのでしょう?」
口を尖らせた。何だ、自覚してたのか。この際、はっきりさせておこう。
「何故、龍子さんは平本が怪しいと思うのですか?」
龍子さんは俺を見て、
「平本がこの村に来て間もなく、神社の鳥居が壊されて、小野さんが殺されて、田辺さんが殺された。あの猟奇的な事件を起こした人間が、二十年くらいで変われるとは思えないからです」
「なるほど」
龍子さんの考えはとても納得がいくものではないが、一つの仮説ではある。だが、もし平本がその猟奇性を持ち続けているのだとしたら、もっと早く別の場所で事件を起こしていても不思議ではない。何故二十年も経ってから、この縁もゆかりもない山神村で事件を起こしたのかは説明がつかないだろう。
「左京さんは平本が怪しいとは思っていないんですか?」
龍子さんが尋ねてきた。俺はどうしようか迷ったのだが、
「平本は更生していると思いますよ。あくまで俺の見解ですが。少なくとも、この二十年、奴は何も事件を起こさなかった。それが、今になって突然殺人を犯すとは思えないんですよ」
「そうですよね。左京さんが正しいと思います」
龍子さんはまた俯いた。
「龍子さん、答えたくなかったらいいのですが、平本にこだわるのは、何か理由があるのですか?」
しばらく間があった。俺はもういいですよと言おうと口を開きかけた。その時、
「左京さんは、警察立てこもり事件を覚えていますよね?」
龍子さんが不意に顔を上げた。
「もちろん。あれは自分の警察官人生を変えた事件ですから」
警視庁西多摩署で起こったその事件で、俺は捜査一課から特捜班に異動になったのだから、忘れようがない。
「私、あの時左京さんに助けられて、自分の進む道が決まりました」
龍子さんの目が何かを訴えているようなものになったが、俺は気づかないふりをして、
「そうでしたね」
飽くまで素気なく応じた。
「そして、弁護士になって何件か刑事事件の被告人の弁護を引き受けました」
うん? 話の方向性、合ってるか?
「泣きながら猛省する被告人を見て、何とか量刑を軽くする方法はないかと寸暇を惜しんで調べたりしました。そして検察の求刑より軽い判決を得た事が何度もありました」
おいおい、自慢話か?
「でも、そのうちの何人かは、出所後すぐに同じ罪を犯して、刑務所に逆戻りしていました。あの時の涙と反省の弁は何だったのと思わされました」
ああ、そういう事か。それが平本を怪しむ理由に繋がるのか。
「人は簡単には変われない。前科者が世間に白い目で見られるのは、本人のせいなのだと思ってしまうんです。でも、違うんですよね?」
うわ、また涙目で俺を見ないでくれ。直視できない。
「全部が全部そうとは限らないですよね? 更生した者もいたでしょう? 私も警察官の時、わざわざ出所した時にお礼を言いに来た人もいましたよ」
俺は苦笑いをして言ってみた。
「はい。そうですね。私もその経験があります。あまりにも感謝されて、恥ずかしくなった事もあります」
龍子さんは涙ぐんだままで微笑んだ。可愛いと思ってしまった。樹里、すまない。
「だから、私が平本幹次をそんな思いで見てしまうのは、いけない事だとは思っているんです」
龍子さんは涙を拭いながら言った。
「まあ、そこまで思い詰めなくてもいいと思いますよ。只、個人の考えは個人の考えとして、弁護士である以上、仕事にその考えは持ち込まない方がいいとは思います」
俺は龍子さんを宥めるために言ってみた。
「はい。ありがとうございます、左京さん」
龍子さんがいきなり俺の右手を両手で掴んできた。
「あ、お邪魔でしたか?」
その時、七釜戸さんが富澤刑事と一緒に会議室に入って来た。
「お二人はそういうご関係だったんですか?」
とうとう富澤刑事にまで誤解をされてしまった。
「いや、そうではありません。何でしょうか?」
俺と龍子さんはサッと離れた。そのリアクションは余計誤解を与えそうだ。
「ようやく現場検証と聞き込みに一段落ついたので、報告に来たんです」
富澤記事は七釜戸さんに礼を言って俺達に近づいた。七釜戸さんは会釈して会議室を出て行った。
「そうですか。それで?」
俺は富澤刑事にパイプ椅子を勧めて先を促した。富澤刑事は椅子に腰を下ろして、
「まず、田辺時頼の死因は鈍器のようなもので後頭部を殴られた事による脳挫傷です。頭の後ろの骨が大きく凹んでいました」
「そうですか。死亡推定時刻は?」
更に先を促した。富澤刑事は手帳を出して、
「発見時からおよそ二、三時間前のようです。要するに殺されてまもなく見つかった訳です」
田辺は家からいなくなってすぐに犯人に殺された訳か。しかし、どうして山神神社なんかに? 自分が狙われているとは思っていなかったのだろうか?
「犯人の目星は?」
俺は無駄とは思ったが、訊いてみた。すると富澤刑事はまた得意顔になって、
「被疑者は捕まえました。石井恭次です」
「ええ!?」
俺は思わず龍子さんと顔を見合わせてから、富澤刑事を見た。
「犯行現場付近をうろついていたので、確保しました」
富澤刑事は鼻の穴を膨らませた。