交錯する事象 10月27日午後5時
村長が帰宅すると言うので、俺も帰る事にした。役場の休憩室を利用した捜査本部はまだ無人だった。一体何を調べているのだろうか? 一瞬戻って来た富澤刑事の話だと、小野芳夫殺害の犯人は田辺時頼で決まりで、逮捕状の請求をする準備をしているとの事だった。手間取っているのは、時頼に小野を殺す動機がない事なのだという。水崎駐在は二十五年前の事件を話していないのだろうかと思ったが、富澤刑事によれば、捜査主任の立井警部補は無関係と判断しているとの事。できるだけ早くケリをつけて、幕引きをしないと、県警本部から捜一(捜査第一課)の連中が来るからだろう。所轄と本部はソリが合わない事が多いが、立井警部補は本部から左遷のような形で長野原署に来たそうなので、余計にその感情が強いようだ。俺も警視庁時代に経験しているから、よくわかる。
「左京さん、置いてかないでくださいよお」
龍子さんが涙ぐんで追いかけて来た。
「悪いですね、お邪魔虫で」
村長は公用車が車検なので、俺の車に同乗する事になっため、一緒に帰らざるを得ないのだ。
「別に気にしないでください」
俺は苦笑いをしたが、龍子さんは不満そうに後部座席に乗った。そして、俺をひと睨みすると、ぷいと顔を背けた。仕草は可愛いのだが、もうやめた方がいいと思った。
「申し訳ないですね、坂本先生」
村長はルームミラー越しに龍子さんに言った。
「いえ、別に」
龍子さんは顔を背けたままでツンツンしている。困るんだよなあ、そういう態度。ますます誤解されるじゃないか。
「先生はどうお考えなんですか?」
車をスタートさせると、不意に村長が切り出した。
「先生はやめてください」
俺はしつこい村長の「先生攻撃」を嗜めてから、
「どうとは?」
取り敢えずとぼけてみた。すると村長は笑って、
「人が悪いですよ。どうお考えですかと言えば、小野殺しの事に決まっているでしょう?」
俺を見た。俺は安全運転のために前を向いたままで、
「さあ、パズルが少な過ぎて、どうとも言えませんね」
すると村長は腕組みをして、
「そうですか。私には言えないのですね。わかりました。ではもう何も聞きません」
前を見た。え? 何だよ、その言い方は? まさか、お払い箱にするつもりじゃないだろうな?
「何か勘違いをされているようですが、私には何も話す事はありませんよ。むしろ、村長の方がご存じなのではないですか?」
嫌味には嫌味。俺はニヤリとした。
「それはどういう意味ですか? 私が事件に関わっているとでも?」
村長はまた俺を見た。後ろの龍子さんは固唾を呑んで見守っているのがルームミラーに写っている。
「事件に関わっているとは言いませんが、上村京子の一件で、何かまだご存じの事を話してくれていないのではないかと思っているんですよ」
俺の言葉に村長は明らかに動揺した。急に目を背けると、黙り込んだのだ。やっぱり、このタヌキ親父、何か隠しているな?
「左京さん、依頼人の村長さんを問い詰めると、報酬をもらえなくなりますよ」
龍子さんが余計な一言を口にした。それは禁句だよ!
「そうですよ、私は依頼人ですからね。もう少し、尊重してください」
村長は上手い事を言っただろうという顔で俺を見たが、全然上手い事を言ってはいない。龍子さんも村長の低レベルの駄洒落に引いているようだ。村長も変な空気になったのを理解したらしく、咳払いをして黙り込んだ。
そんな不毛な会話をしているうちに村長の家に着いた。
「用事があるので、出ます」
俺は龍子さんが慌ててトイレに走ったのをいいきっかけにして、村長を玄関に押し込むように入れると、車に乗って逃げるように走り去った。後で龍子さんにネチネチ言われるだろうが、まあ、我慢だ。
(間に合うかな? いや、陽子さんは俺が着くまで武上医院を出ないだろう)
俺は自分に言い聞かせて、ハンドルを切った。
「あ」
武上医院の前に陽子さんが立っていた。ネイビーブルーのパーカーに淡い青のジーパンを履いている。
「遅れてすみません」
俺は周囲に石井がいないのを確認してから、ゆっくりと車を停止した。
「大丈夫です。先生が視ていてくれましたから」
陽子さんはにっこりして言ってくれた。
「失礼します」
陽子さんは助手席に乗り込んで来た。私服の彼女も素敵だなと思ってしまった。すまん、樹里。
「どうしたんですか? 変です?」
陽子さんは俺がじっと見ているのに気づいたのか、訊いて来た。
「あ、いや、看護師の制服を着ていないと、随分印象が違うのですね」
俺は気まずくなって前を向いた。
「ああ、そうなんですか。よく言われます」
陽子さんは微笑んだ。ああ、そうか。看護服を着ている時は、髪をお団子にしていたんだっけ。今は髪を下ろしているから、大分印象が違うんだな。結構長めの髪だ。龍子さんより長いかも知れない。
「じゃあ、お宅の場所を教えてください」
俺は車をスタートさせて言った。
「では、取り敢えず、Uターンしてください」
陽子さんに苦笑いをされた。
「ああ、すみません」
俺は武上医院の駐車場に車を入れ、バックして方向転換した。
「この先を真っ直ぐ進んで、二番目の交差点を左折してください。そこからはまっすぐで、左手にあります」
陽子さんは爽やかな笑顔で教えてくれた。
「わかりました」
俺は言われた通りに車を走らせ、陽子さんの家に向かった。道中、石井の姿は見られなかった。
「車だと早いですね。助かりました」
陽子さんは車を降りながら言った。彼女の住まいは、元々空き家を改装したもので、女性の一人暮らしには大き過ぎる感じがした。
「あれ?」
家の中の明かりが点いた。まさか、男がいるのか? ちょっとだけショックを受けた自分が情けない。
「スマホで点けられるんです。便利ですよ」
陽子さんが言った。何だか心の中を見透かされたようで、恥ずかしくなった。俺はその時、ドアミラーの隅に石井の姿を確認して、運転席から降りた。
「探偵さん?」
俺が急にそばに来たので、陽子さんはびっくりしていた。
「奴がいます。早く中に入って、しっかり戸締まりしてください」
「え?」
陽子さんは動揺したようだ。周囲を見渡し、石井を見つけてしまった。石井はそれに気づいたのか、走り去った。
「探偵さん、怖いので、寄っていただけませんか?」
陽子さんは震える手で俺の革ジャンにしがみついて来た。
「わかりました」
俺は陽子さんを支えて、玄関に近づいた。陽子さんがスマホを操作すると、玄関のロックが解錠される音がした。確かに便利だ。
「どうぞ」
陽子さんがドアを引いて開け、俺を見た。
「いや、陽子さんが先に入ってください」
俺は周囲を警戒しながら言い、陽子さんを入らせてから玄関に入った。陽子さんはドアが閉じるのを見て、スマホを操作してロックをした。
「ありがとうございます。コーヒーでもどうですか?」
陽子さんはホッとしたのか、また笑顔になった。
「ああ、ありがとうございます」
俺は出されたスリッパを履いて陽子さんについて行った。家の外観は古く見えたが、内装はすっかりリフォームされているのか、新築のような木の香りがする。
「お座りください」
玄関からすぐの部屋はリヴィングダイニングになっており、二人掛けのソファが向かい合って置かれていて、間にガラスのテーブルがある。ミニマリストなのだろうか、物が少ない。
「失礼します」
俺は玄関に近いソファに腰を下ろした。ここからなら、窓の外も見えるし、陽子さんも見える。変な意味ではない。パーコレーターから、コーヒーのいい香りがして来た。本格的だ。缶コーヒーで満足する俺にはもったいない。
「本当に助かりました。ありがとうございました」
陽子さんはカップに注いだコーヒーを俺の前に置いて言った。
「いえ。困った時はお互い様です」
俺は会釈して応じた。
「冷めないうちにどうぞ」
そう言われて、俺はカップを持つと、一口飲んだ。
「美味い! 今まで飲んだ中で、一番美味しいです」
お世辞ではない。基本的にコーヒーを飲まない樹里は、家にコーヒーを置いていない。それがわかって、俺も家ではコーヒーを飲まないようにしているので、必然的に缶コーヒーに頼らざるを得ないのだ。
「お」
俺はポケットの中で振動するスマホに気づいた。龍子さんだ。一人で出かけたので、着信音が怒っているように聞こえる。陽子さんにすみませんと小声で言い、スマホを取り出すと、案の定龍子さんだった。
「はい、左京です」
俺はごく冷静に言った。
「左京さん、どこをほっつき歩いているんですか!? 早く帰って来てください!」
龍子さんの声は、陽子さんに聞こえるくらい大きかった。
「わかりました。すぐに戻ります」
俺は返事を待たずにスマホを切った。
「彼女さんですか?」
事情を知らない陽子さんが訊いて来た。
「いえ、ビジネスパートナーです」
俺は苦笑いをして答えた。