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石井恭次という男 10月27日 午後3時

 捜査本部(とは言っても刑事三人と連絡係の水崎駐在がいるだけだが)は空になっていた。皆、聞き込みや何やらで出かけているらしい。

「犯人は確定のような事を言っていた割には、全然捜査が進展していないみたいですね」

 捜査本部を覗き込んで、坂本龍子弁護士が手厳しい事を言った。

「そうは言っても、まだ一日も経っていませんからね。殺人事件の捜査は、そんなすぐに終わるものではないですよ」

 俺は別に他意なく言ったのだが、

「すみません、生意気な事を言ってしまって……。許してください」

 龍子さんは目を潤ませて俺を見上げた。

「いや、そんなに強い事言ってないですから、気にしないでください」

 とにかく女の涙に弱い俺は、龍子さんから離れるべく、その場から歩き出した。

「ああ、左京さん、待ってくださいよ!」

 龍子さんが追いかけて来た。俺は追いつかれないように早足で歩いた。

「おや、捜査には参加していないのですか、迷探偵さん?」

 そこへ仕事が終わったのか、平本幹次が現れた。龍子さんは平本に気づくと、慌てて回れ右をして奥へ歩いて行ってしまった。余程平本が怖いらしい。

「私は私立探偵ですから、捜査には参加できないんですよ」

 俺は精一杯の作り笑顔で応じた。

「ああ、そうでしたか。それは残念ですね」

 平本はニヤリとすると、奥へ歩いて行った。相変わらず、いけ好かない奴だ。捜査本部は奴の事をノーマークなのだろうか? 

「あ、探偵さん、今日は」

 平本を見送っている背中に声をかけた人がいた。この声は?

「どうされたんですか?」

 俺とその声の主である白巻陽子さんは、異口同音に言った。そして、つい笑ってしまった。

「どうぞ」

 俺は笑いながら、陽子さんに先を促した。

「実は、水崎さんに相談があって来たのですが」

 陽子さんは捜査本部のある方を見て言った。

「それはひと足違いでしたね。捜査本部の人達は、皆出払っています」

 俺は捜査本部のドアを見て告げた。

「ああ、そうなんですか」

 陽子さんは俯いた。どこか不安そうな顔なので、

「何かあったのですか?」

 陽子さんは俺を見て言い淀んでいる。何だろうか?

「左京さん!」

 そこへ龍子さんが戻って来た。またややこしくなりそうで困る。

「どうしたのですか?」

 龍子さんが俺と陽子さんの間に立って陽子さんを見た。

「弁護士さんですよね? ちょうどよかったです」

 ところが陽子さんは龍子さんを歓迎した。あれ? 妙な展開だぞ。

「私、ストーカーに尾きまとわれているんです」

「ええ!?」

 今度は俺と龍子さんが異口同音に叫んだ。

「相手は誰ですか?」

 龍子さんは陽子さんの手を引いて廊下の端へ行った。俺は傍観するしかなかった。

「ええと、石井恭次という人です」

 陽子さんは小声で龍子さんに言った。石井? 田辺の妻の敏美の弟か? ボサボサの髪で、薄汚れたベージュの作業服を着て、眼帯をしている男。一度見たら忘れられないくらいインパクトがある風態だ。

「左京さん!」

 龍子さんも石井の話を思い出したのか、俺を見た。

「詳しく教えてください」

 龍子さんは俺に目配せすると、会議室へ陽子さんを連れて行った。石井がストーカーとは、驚いたな。

「何かきっかけはあったのですか?」

 龍子さんは陽子さんにパイプ椅子を勧めて尋ねた。

「はい。そもそもは、石井さんが診察を受けに来たのですが」

 陽子さんは龍子さんを見た。

「診察?」

 俺は会議テーブルを挟んで陽子さんの向かいに座った。龍子さんは陽子さんの隣に座った。

「はい。こんな山奥の医院ですから、武上先生は何でも診るんです。石井さんは、ご存知かと思いますが、右目を患っていて、それを治療に来ていました」

 陽子さんは俺と龍子さんを交互に見ながら言った。

「それで?」

 龍子さんが先を促した。陽子さんは俯いて、

「それからなんです。石井さんが私が医院を出ると、必ず外に立っているんです」

「まあ!」

 龍子さんは目を見開き、俺を見た。石井の奴、やばいな。

「それで、何かされたのですか?」

 龍子さんが訊いた。

「いえ、何も。只、じっと私を見ているだけなんです。だから、余計怖くて」

 陽子さんは身震いしながら龍子さんを見た。

「それで、私が家まで帰るのをずっと尾けて来るんです。これって、ストーカーですよね?」

 陽子さんは龍子さんにすがりついた。龍子さんは陽子さんの手を取り、

「つきまといや待ち伏せはストーカー規制法の第2条第1項の1号に該当しますが、警察が動くのはまだ難しいかも知れません。取り敢えず、私が本人に直接会って注意しましょうか?」

 さすが弁護士という対応をしたが、

「でも、そのせいで石井さんが逆上するという事はないでしょうか?」

 陽子さんは不安そうだ。確かにその可能性はあるだろう。

「そうならないように気をつけて話をします。私はストーカー被害の案件をいくつもこなしていますから、安心してください」

 初めて龍子さんの弁護士らしい姿を見た俺は、感心してしまった。

「なるべく一人で行動しないようにしてください。何かあったら、すぐに私に連絡をください」

 龍子さんは陽子さんと携帯番号を交換した。

「探偵さんも、連絡先を教えてください」

 陽子さんが言ったので、

「え?」

 龍子さんはギョッとした顔をした。どういう事だよ? 俺もストーカーになると思ってるのか?

「わかりました」

 俺は龍子さんの反応を無視して番号を交換した。

「探偵さんがいると、安心です」

 陽子さんは龍子さんの殺気に気づかないのか、そんな事まで言ってくれた。

「ああ、そうですか」

 俺は龍子さんが睨んでいるのに苦笑いをしながら応じた。

「心配だから、送ってあげましょう、左京さん」

 龍子さんはにこやかな顔で言いながら俺に近づくと、陽子さんに見えないように俺の右の二の腕をつねった。

「そうですね」

 俺は痛みにえて言った。

 陽子さんを伴って、役場の正面玄関を出ると、駐車場の隅の垣根の陰に石井が隠れるのが見えた。

「尾けて来ていたんですね」

 龍子さんが言った。俺は頷いて、

「さあ、行きましょう」

 陽子さんを庇うように愛車の方へ歩いた。石井め、執念深そうだな。龍子さんが注意したら、逆恨みして龍子さんを襲うかも知れないぞ。おっと、龍子さんの心配をしているのを本人に気づかれると、また喜ばれるから気をつけよう。

「どうぞ」

 龍子さんを狭い後部座席に座らせて、陽子さんを助手席に座らせると、車をスタートさせた。ドアミラーに石井がずっと見ているのが写った。

「御自宅はどちらですか?」

 役場の敷地を出るところで訊いた。陽子さんは左を見て、

「武上医院に向かってください。午後の診療がありますから」

「あ、そうですか」

 自宅を訊いたのはまずかったかなと思ったのだが、

「帰りも迎えに来ていただけますか?」

 陽子さんは龍子さんを気にしながら、小さな声で言った。龍子さんはスマホで何か調べており、気づいていない。

「ああ、いいですよ」

 俺は前を向いたままで応じた。

 武上医院はこの前もらった名刺で住所はわかっているので、ナビに入力して進んだ。程なく、武上医院に到着した。

「ありがとうございました」

 陽子さんは笑顔で言うと、医院の建物に入って行った。

「左京さん、鼻の下が伸びてますよ」

 龍子さんが半目で言って来た。

「そんな事はないですよ」

 俺はとぼけようとしたが、

「さっき、何か約束していましたよね?」

 龍子さんは後部座席から降り、助手席に座った。

「そうでしたっけ」

 それでも俺はとぼけて車をスタートさせた。

「気が多いんですよ、左京さんは! 樹里さんが可哀想」

 龍子さんはまた目を潤ませた。やめてほしいよ、それは。俺はなるべく龍子さんを見ないようにして役場へと愛車を走らせた。

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