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引っかかる何か 10月27日 午後1時

 何だろうか? 小野の事件は一見明確に犯人を指し示している気がするのだが、それが引っかかる。小野が神社に行くつもりだったのを知っていたのは、田辺時頼だけ。彼は直接小野から言われたそうだ。これもあのお節介な富澤刑事からの情報だ。鬱陶しい気がするが、重宝しているのも事実だ。

「左京さん、何か考え事ですか?」

 ここ数日ですっかり俺との距離を縮めている坂本龍子弁護士が顔を近づけてきた。

「はあ」

 俺は会議テーブルに頬杖を突いていたのだが、咄嗟に身を引いて龍子さんから離れた。

「何ですか、もう! 私って、息が臭いですか?」

 龍子さんがプウッと頬を膨らませる。

「いや、そういうつもりじゃないですよ」

 俺は苦笑いをして応じ、パイプ椅子に座り直した。

「あ、本当だ。朝から歯を磨いてないんだっけ」

 龍子さんは自分の口臭を嗅いで、慌てて会議室(という名の物置)を飛び出して行った。俺も歯を磨いてないなと思った。昔はタバコも酒もその当時恋人だった、今では警視庁捜査一課の主任警部平井蘭が顔をしかめる程口が臭かったのだが、愛妻の樹里に出会って、酒はやめなかったが、タバコは一切吸わなくなった。

「うわ、くっせ」

 自分でも口臭を嗅いで、そのおぞましい臭いに驚いた。歯磨きガムでも噛むか。革ジャンのポケットからタブレットのガムの容器を出し、口に二粒放り込んで噛んだ。

「すみませんでした、すっかり気が緩んでいました」

 顔を赤らめて龍子さんが戻って来た。ハンドバッグに歯磨きセットを入れていたようだ。て事は、はなから泊まるつもりだったのか。いや、いつも歯磨きセットを持ち歩いているのかな? 人と会う事が多い仕事をしているから。

「いえ、俺の方こそ、臭かったみたいです」

 ガムを噛みながら詫びた。

「あ、歯磨きガムですか? 左京さんも、口臭気になる方ですか?」

 龍子さんがニコニコしながら、すぐ隣にパイプ椅子で詰めて来た。この人、どんどん大胆になっていないか?

「龍子さんに言われて、嗅いでみました。ドブみたいな臭いがして、驚きました」

 俺は照れ隠しにそう言った。

「左京さんは臭くないですよ。やっぱり、タバコを吸わないからだと思います」

 龍子さんは更に距離を詰めてきた。何だかいい匂いがするのは、歯磨き粉のせいだろうか?

「タバコを吸わないから、ですか」

 俺はまた苦笑いした。龍子さんは弁護士の修行時代、もうもうと煙るような事務所で、タバコの副流煙と戦っていたそうだ。だから、人一倍タバコの煙に敏感である。幸いと言うべきか、村長も七釜戸さんも喫煙者ではない。役場の職員にも、喫煙者はほとんどいないらしい。龍子さんにとって、山神村役場は居心地がいいところなのである。

「刑事さんはタバコを吸うイメージがあるので、左京さんは意外でした」

 何故か顔を赤らめる龍子さん。まあ、最初に彼女と出会った西多摩警察署の立て篭もり事件の時は、灰皿が山盛りになる程吸っていたけど、探偵になって再会した時は、樹里と結婚していたから、タバコをやめて何年か経ってたんだよな。

「そうですか」

 赤面する龍子さんを見て、何だか気恥ずかしくなった。

「先生、お昼はどうされますか?」

 七釜戸さんが顔を出した。龍子さんがいると、気まずいだろ?

「あ、坂本先生もいらしたんですか? 失礼しました」

 七釜戸さんは別に気まずい風はなく、龍子さんに言った。

「どうも」

 龍子さんも七釜戸さんに対してバツが悪い感じはない。どういう事だ?

「さっき、遅い朝ごはんを食べたばかりなので、まだ大丈夫です」

 俺は笑顔で告げた。

「私も」

 龍子さん微笑んで言った。

「そうですか。では私は、村長と蒲焼を食べに行って来ますので」

 七釜戸さんは爽やかに笑って、会議室のドアを閉じた。おいおい、最初に言えよ、蒲焼を食べに行くって! あの人、案外底意地悪い人なのかな?

「蒲焼って、そんな店、この村にあるのですかね?」

 龍子さんは別に悔しそうではないみたいだ。俺はそれより気になった事があったので、

「あの、役場の職員の人に告白されたって言ってましたけど、どなたなんですか?」

 龍子さんに訊いてみた。すると龍子さんはニヤニヤして、

「あれ? 気になります?」

 嬉しそうだ。しまった、妙な誤解をさせたか?

「そうですか。気になりますかあ」

 龍子さんはテンションが高くなっている。まずいな。でも、気にならないと言えば、また揉めそうだから、言葉を呑み込んだ。

「総務課の課長さんです。奥さんに先立たれて、十年になるそうなんです」

 龍子さんは俺を見たままで言った。七釜戸さんも総務課だが、奥さんに先立たれて十年の人には見えない。恐らく、七釜戸さんの上司だろう。

「私、年上が好きだから、年齢が上なのは全然気にならないんですけどね……」

 龍子さんはまた意味ありげに俺を見た。

「なるほど」

 俺は顔が引きつっているのを感じた。

「後ですね……」

 龍子さんの話はそこで終わらなかった。全部で五人の職員に告白されたそうだ。五人もいたのにはびっくりした。龍子さんは美人で聡明なので、それくらいモテても不思議ではないのだが、山奥の村にありがちな現象なのかとも思った。

「この短期間にすごいですね」

 俺はお世辞でも何でもなく、称賛した。

「そうですか?」

 何故か龍子さんは悲しそうな顔をした。言葉選びをミスったか?

「皆さん、いい方なのはわかるのですが、五人共離婚しているか、死別しているかなんです。それがちょっと……」

 俺の想像とは違った意味で、龍子さんは悲しくなったようだ。ホッとした。初婚の男性と結婚したいのか? でも、それならどうして俺にまとわりつくのだろう? 既婚者の時点で、候補から外れると思うんだが。

「もちろん、例外もありますけどね」

 龍子さんはまた俺を見て微笑んだ。え? それはどういう事? というか、七釜戸さんはまだ告白していないって事か? あの人、まさかバツイチとかじゃないよな? まあ、さっきのやりとりから見て、していないのだろう。

「あ、ここでしたか」

 また富澤刑事がやって来た。彼は全く俺と龍子さんの関係に興味はないみたいだ。

「小野芳夫さんの司法解剖の結果がわかりました。死因は紐状のもので頸部を圧迫した事による窒息死で、明らかに他殺だそうです」

 富澤刑事は手帳を見ながら告げた。

「そうでしょうね」

 俺はあまり有用な情報ではないので、半目で応じた。

「死亡推定時刻は、昨日の午後五時から七時の間と思われます」

 富澤刑事はまたドヤ顔で言った。ちょっと貴重か。午後五時から七時となると、俺達がすれ違ってからあまり時間が経たないうちに殺されたかも知れないという事か。

「で、その時間の田辺時頼のアリバイはありません。家にいたと言っていますが、家族の証言では裏付けにはなりませんからね」

 どうですかという顔で、富澤刑事は俺を見た。

「一人気になる人物がいるのですが」

 俺はドアミラーに写った男を思い出した。

「気になる人物? 誰ですか?」

 富澤刑事は興味津々の顔をした。龍子さんも俺を見た。

「誰なのかはわからないのですが、見た目が特徴的なので」

 俺はその男の人相風態を説明した。すると富澤刑事は、

「ああ、それならわかります。田辺の妻の敏美の弟の石井恭次という男です。一応、事情聴取をしましたが、小野芳夫殺害には関与していないです」

 手帳を捲りながら言った。

「どうしてわかるんですか?」

 俺は断定的な物言いが引っかかって尋ねた。

「アリバイがあるんですよ。死亡推定時刻には、石井は隣の嬬恋村のラーメン屋で食事をしていました。店の者の証言もあるので、間違いないです」

 富澤刑事は手帳を舐めるように見て告げた。

「そうですか」

 それなら、完璧なアリバイだ。嬬恋村のラーメン屋は他県からも客が来る程人気のある店らしいから、わざわざ行くのも不自然ではない。

「しかもですね、石井は車を持っておらず、免許もないので、歩いて行ったそうなんです。どう頑張っても、犯行は不可能ですよ」

「歩いて行ったんですか?」

 それはまたすごいな。ラーメン屋まで、少なく見積もっても、十キロメートルはあるぞ。変人なのか?

「誰かの車で送ってもらったという事はないですか?」

 俺の疑問を龍子さんが訊いてくれた。すると富澤刑事はまた手帳をめくって、

「それもあり得ません。石井は一人暮らしで、近所付き合いもしていないので、乗せてくれる人はいないみたいです」

「そうですか」

 これは確定だ。石井恭次は小野殺しの犯人ではない。俺は富澤刑事に礼を言った。

「いつでも訊いてください」

 富澤刑事はにこやかに会議室を出て行った。

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