初動捜査始まる 10月27日 午前9時
俺達は朝飯もお預けにされて、山神神社の境内で警察が来るのを待った。水崎駐在の話だと、所轄の長野原署は隣町の中之条町で起こった殺人事件の捜査で管轄の吾妻署に応援に行っている捜査員がいるので、少人数しか割けないと言って来たそうだ。まあ、警察はどこも人手不足なのは俺も知っている。テレビドラマのように大人数で捜査会議などする余裕もないし、人員もいないのが現実だ。
「あ……」
拝殿の階段に座っていて、隣の龍子さんの腹が結構なボリュームで鳴った。俺は素知らぬふりをしたが、
「ああ、坂本先生、腹減りましたか? 困ったな、ここは携帯が繋がらないので、連絡ができないんですよ」
無神経極まりない村長の発言で、
「だ、大丈夫です!」
顔を真っ赤にした龍子さんは立ち上がって村長に詰め寄った。村長は後退りしながら、
「ハハハ、そうでしたか。それは失礼しました」
現場の保存をしている水崎駐在の方へスタスタと歩いて行った。
「まさか、こんなに待たされるとは思いませんでしたね」
俺は溜息混じりに龍子さんを見上げた。龍子さんは俯いてしゃがむと、
「そ、そうですね……」
また顔を赤らめた。これ以上は何も言わない方がいいと思い、俺は口をつぐんだ。その時、遠くの方からサイレンの音が聞こえてきた。
「やっと来たようですね」
俺はゆっくりと立ち上がると、龍子さんに手を差し伸べた。
「大丈夫です!」
何故か龍子さんはムッとした顔で俺を睨むと、顔を背けて立ち上がった。腹ペコで立ち上がれないと思って手を差し伸べたと思われたかな?
「こいつは……」
現れたのは、大型のパトカーだった。事故処理に行く交通課のものだろう。刑事課のパトカーは出払っているという事か。
(あっ!)
俺は違和感の原因に気づいた。しかし、まさか……。俄には信じられない。こんな時に樹里がいてくれたら……。そんな事を考えてしまう程、樹里は推理の天才なのだ。ああ、自分が情けない。
「ご苦労様です!」
水崎駐在が畏まって敬礼した。パトカーから降りて来たのは、強面の三人の私服刑事だった。三人共、所謂ドブネズミ色のスーツを着ている。ネクタイはしていない。
「こちらです」
水崎駐在はへこへこしながら、三人を現場へと案内して行った。村長が三人の刑事のうち、上司と思われる白髪混じりの角刈りの男に声をかけ、ついて行く。
「こちらには見向きもしないのですね」
龍子さんが口を尖らせた。俺はパトカーから続いて降りて来た鑑識係の人達に目を向けた。やはり、刑事達と同様に彼らも俺達がまるで見えていないように無視して、神社の裏手へ歩いて行った。
「もう帰りましょうよ、左京さん。私達、残る必要がなかったんですよ」
龍子さんがますます剥れて俺の革ジャンの袖を引っ張った。何だろう? パトカーが入って来た時、何か違和感を覚えた。それに俺の車で来た時、引っかかった何か。何だ? わからない。
「ああ……」
俺は自分の車を見て違和感に気づいた。昨日パンクさせられた前輪のタイヤを応急処置したのだが、応急処置は応急処置に過ぎず、またパンクしていたのだ。
(あれ? 何かおかしいんだが……)
俺の車が神社に来たのが何か変なのだ。何だろう? 何か違うような気がするんだが。ダメだ、思い出せない。年を取ったせいか?
「ゲソ痕を取らせてください」
しばらくして、鑑識係の一人が近づいて来た。俺と龍子さんは係員の指示に従い、靴跡を取らせた。
「ありがとうございました。お帰りください」
係員は会釈すると、また現場に戻って行った。
「左京さん、どうするんですか?」
パンクに気づいた龍子さんが言った。
「役場にコンプレッサーがあったので、応急処置できたんですが、ここには何もないから、どうしようもありませんね」
俺は苦笑いをして龍子さんを見た。
「ええ!? どうするんですか? ここから歩いて帰るんですか? 嫌ですよ、もうお腹ペコペコなんですから!」
言ってしまってから、自分が強がっていたのを白状した事に気づいた龍子さんはまた赤面した。
「先生、帰りは役場まで乗せてくれるそうですよ」
村長が戻って来て言った。
「え? ホントですか?」
龍子さんが嬉しそうに村長に駆け寄った。
「もちろん本当です。私も歩きは無理ですからね」
村長はニヤニヤしながら俺を見た。また何か嫌な事を考えているのだろうか?
「お送りします」
そこへ三人の中で一番若く見えた刑事が戻って来て告げた。
「申し遅れました、自分は群馬県警長野原署刑事課の富澤と言います」
七三にきっちり分けた髪型の刑事だ。まだ二十代前半だろう。
「私立探偵の杉下左京です」
俺は名刺を差し出した。
「え? 私立探偵? 前橋警察署の副署長さんではないのですか?」
富澤刑事は途方もなく古くさい話を持ち出した。確かに俺は底意地の悪い刑事部長に出向を命じられて、前橋警察の副署長になった事があった。忘れていた事を思い出させやがって。
「違います。それは大昔の話です」
何しろ樹里と結婚する前の話だ。どうしてそんな古い話を知っているんだ?
「ああ、そうでしたね。刑事だった自分の父親が前橋署に勤務していた時、お会いしたそうなんです」
富澤刑事は嬉しそうだ。
「富澤、何してるんだ!?」
もう一人の丸刈りで小太りの刑事が怒鳴った。
「すみません、伊達さん。すぐに出ます」
富澤刑事は慌てて運転席に乗り込むと、エンジンをかけた。
「さあ、乗りましょう」
村長がまず乗り込んだ。続いて腹ペコの龍子さん、俺と続いた。
「出します」
富澤刑事が言い、大型パトカーは動き出した。
「よかった」
隣に座っている龍子さんが呟くのが聞こえたが、敢えて知らないふりをした。
「あれ?」
また違和感だ。何だ?
「どうしたんですか、左京さん?」
潤んだ目で龍子さんが訊いてきた。あくびでもしたのか?
「いや、何でもないです」
俺は作り笑顔で応じた。パトカーは程なく役場に着いた。
「ありがとうございました」
俺達はパトカーを降りた。
「では、失礼します」
富澤刑事はすぐに神社へ戻って行った。
「三人で大丈夫なんですかね? ちょっと心配ですよ」
役場の正面玄関に向かいながら、村長が言った。
「もし、上村京子の関係者が犯人であるならば、田辺時頼さんも危ないという事ですか?」
俺は村長にカマをかけてみた。
「何を言い出すんですか、先生。そんなはずがないでしょう?」
村長はそんな時にも、俺に対する嫌味を忘れず、相変わらずの「先生攻撃」だ。
「小野さんが吊るされていた木が京子さんが首を吊った木と同じなのも、単なる偶然ですか?」
俺は村長の前に回り込んだ。しかし村長は俺をかわして、
「偶然ですよ。枝振りがいいから、あの木を選んだだけでしょう」
歩を早めて玄関に入って行ってしまった。
「左京さんは、まだ事件が続くと考えているんですか?」
龍子さんが俺の左腕に右腕を絡ませてきた。
「さあ。まだ何とも言えませんが、神社を犯行現場に選んだのが気にかかります」
俺は龍子さんの腕を振り解きながら、村長を追いかけた。
「左京さん、待ってください!」
龍子さんがついて来た。
「村長室か?」
玄関に入ったが、村長の姿は見えなかった。あの腹で結構俊敏な動きをする人だな。
「おはようございます」
晴美さんに会ってしまった。相変わらず汚いものを見るような目だ。龍子さんも敵意を剥き出しにしている。
「おはようございます」
俺は顔を引きつらせて挨拶を返した。
「おはようございます」
龍子さんはこれ見よがしにまた腕を組んできた。
「仲がお宜しいことで」
晴美さんはそう言うと、スタスタと玄関の方へ歩いて行ってしまった。
「あの女、絶対に左京さんに邪な考えを持っているんですよ。だから、私に敵意を見せているんです」
龍子さんが言ったが、貴女の方が敵意丸出しですよ、と思ってしまった。