事件勃発 10月27日 午前7時
翌朝、俺は大きな声に飛び起きた。
「何だ?」
誰かが母家の玄関で怒鳴っているようだ。水崎駐在だろうか? 昨日の小野が行方不明になったという情報が脳裡に蘇り、俺はすぐに着替えると、離れを飛び出し、母家へ走った。
「何かあったんですか?」
俺は玄関の前に立っている水崎駐在に声をかけた。水崎駐在は俺を見て、
「ああ、探偵さん。村長は寝ているのかね? 全然、出て来ないんだが」
近づいて来た。
「かも知れません。お手伝いさんは昨日は家に帰ったらしいですから、起こしてくれるん人がいないんですよ」
俺はチラッと村長が寝ているはずの奥の部屋の方を見てから、水崎駐在を見て、
「何があったんですか?」
もう一度尋ねた。しかし、水崎駐在は、
「あんたには関係ないから」
俺を押し退けて、庭を奥へと歩き出した。そして、縁側の雨戸を叩いて、
「村長、起きてくれ。大変な事が起こったんだ!」
大声で叫んだ。東京なら近所迷惑なくらいの大音量だが、村長の家の周りには人家がなく、隣の家に聞こえる心配はない。
「どうしたんですか?」
着替えを終えた龍子さんが、玄関の鍵を開けて顔を出した。
「ああ、弁護士さん、村長を起こしてくれんか? 急用なんだ」
水崎駐在は龍子さんに近づいた。龍子さんはギョッとして後退り、
「村長さんの部屋がわかりません。駐在さんが行ってください」
水崎さんを中へ誘導した。
「わかった。役に立たんな、全く!」
余程急いでいたのか、龍子さんに捨て台詞を吐き、水崎駐在は中へ入って行った。
「何ですか、あのおまわりさんは?」
龍子さんは水崎駐在の言葉にムッとして俺を見た。
「何かあったみたいです。とても嫌な予感がします」
俺は最悪の事態を想像して、鳥肌が立つのを感じた。
「それは本当か?」
村長の大声が聞こえた。
「嘘でこんな事を言えるもんか! 早く支度をして来てくれ。長野原署にはもう連絡したから」
水崎駐在の声も聞こえた。長野原署にもう連絡した? やっぱりそうなのか?
「左京さん……」
龍子さんは震えて俺にしがみついて来た。流石に振り払えない。
「先生、申し訳ないが、役場まで送ってもらえませんか?」
水崎駐在と玄関のやって来た村長は、ネクタイを締めながら言った。
「わかりました」
俺は庭に駐めてある車へ走った。
「左京さん、ひとりにしないで!」
龍子さんが尾いて来た。
「わかったから、乗って!」
俺は村長を助手席、龍子さんを狭い後部座席に乗せると、水崎駐在のスクーターを追いかけた。
「一体何があったんですか? 水崎さんは何も教えてくれないんですよ」
俺は前を向いたままで村長に尋ねた。
「奴も要領を得ないんですよ。小野に何かあったらしいんですが、よくわからないんです」
村長はネクタイを調整し終えて俺を見た。
「役に立たないのはあのおまわりさんも同じじゃないですか!」
役に立たない呼ばわりされた龍子さんが言った。確かにと思ってしまった。
「あの剣幕だと、恐らく小野さんが亡くなったのではないですかね」
俺はハンドルを右に回しながら言った。
「ええっ!?」
村長と龍子さんがほぼ同時に叫んだ。
水崎駐在のスクーターは役場を越えて更に突き進んでいく。明らかに法定速度違反だが、今はそんな事はどうでもいいだろう。俺の勘は当たってしまったのだ。恐らく小野は殺されている。それも、上村京子の関係者に。
「どこまで行くのかな?」
村長が呟いた。
「これは……」
俺は晴美さんと行った山神神社のルートだと気づいた。
「山神神社ですね。嫌な予感がします」
俺は小野がどんな状態で発見されたのか、想像して身震いした。
「やめてくださいよ、左京さん。脅かさないで」
後部座席の龍子さんが声を震わせる。やがて前方に山神神社の折れた鳥居が見えて来た。水崎駐在は鳥居の前でスクーターを停めると、境内に入って行く。俺もスクーターの後ろに車を停め、水崎駐在を追いかけた。
「先生、待ってください」
村長がぜいぜい言いながら追いかけてくる。
「左京さん!」
龍子さんは涙ぐんで走っていた。前を見ると、水崎駐在は神社の本殿を回り込み、裏へ駆けて行った。ますます嫌な予感がしてくる。
「山神様の祟りじゃ! この男は祟りを受けたのじゃ!」
そこには山村キネという老婆が仁王立ちしており、大声で叫んでいた。
「バアさん、何て事をしてくれたんだ! 現場を踏み荒らしやがって!」
水崎駐在は拳を振り上げてキネを追い払った。
「お前らも山神様の祟りを受けるぞ! 早々に立ち去れい!」
キネは逃げながら言い放つと、境内から走り去った。
「うわ……」
俺は視線をキネがいた場所に戻して、異様な光景に気づいた。大きな欅の木の五メートル程の高さにある枝にかけられたロープの一端に誰かが吊り下げられている。そして、もう一端は少し離れた杉の木の幹にくくりつけられていた。
「小野か?」
村長が吊り下げられている人物を指を差した。
「いやああ!」
釣られて見てしまった龍子さんが絶叫し、俺に抱きついて来た。流石に振り払えない。というか、俺もそんな事に頭が回らなかった。
「小野芳夫さんだ。顔は随分変わっちまってるが、間違いない」
水崎駐在が吐き捨てるように言った。
「どうして自殺なんか……」
村長が言ったので、
「自殺ではないですよ。あんな高い位置にロープをかけて首を吊る事はできません。誰かがロープを小野さんの首にくくりつけて、引き上げたのでしょう」
俺は小野が吊るされている高さとロープの長さを見て言った。その間、ずっと龍子さんは嗚咽をあげて俺に抱きついていた。
「あんた達はもう帰ってくれと言いたいところだが、足跡を残しているから、鑑識が来るまでここにいてもらおうか」
水崎駐在はムッとした顔で俺を見た。
「わかりました。いいですね、先生?」
俺はようやく泣き止んだ龍子さんを見た。
「はい……」
龍子さんはハンカチで涙を拭いながら頷いた。俺は村長を見て、
「もしかして、この欅、京子さんが首を吊った木ですか?」
村長はその問いかけにギョッとして俺を見た。
「誰だね、それは?」
水崎駐在が口を挟んだ。村長は俺と顔を見合わせてから溜息を吐き、水崎駐在に話した。
「そんな事があったのか。酷いな。で、芳夫さんはその事件の首謀者の一人という事か」
水崎駐在は腕組みをして小野の遺体を見上げた。
「ああ……。昨日、先生にその話をしたところだったんだよ。昨日の今日で、こんな事になるなんて……」
村長は思ったよりショックが大きいようだ。今にも倒れそうな顔色になっている。
「探偵さんが来た途端に事件が起こった。あんた、もしかして上村京子の関係者じゃないのかね?」
水崎駐在が真顔で俺を睨む。
「そんな訳ないでしょう! 左京さんは有名な名探偵なんですよ!」
復活した龍子さんが水崎駐在に食ってかかった。
「名探偵かどうかは知らんが、そんな事は関係ないだろう?」
水崎駐在は疑惑に満ちた目で俺を見ている。
「それに、弁護士さんも、上村京子の娘かも知れんしな」
水崎駐在は龍子さんにまで疑惑の目を向けた。いや、年齢が合いません、とは言えない。龍子さんの方が八歳ほど年上ですとも言えない。
「違います! 私は弁護士ですよ! 身分を偽ってなれる職業ではありません!」
龍子さんは更にヒートアップして水崎駐在に詰め寄った。
「はいはい」
水崎駐在は龍子さんを両手で制して、キネが走り去った方を見た。
「あのバアさんもとっ捕まえて、ゲソ痕を採らないといかんな」
ゲソ痕はキネがすっかり踏み荒らしてしまったから、ほとんど採取できないだろう。
「酷いですよね、あのおまわりさんは! 名誉毀損で訴えましょう」
龍子さんが小声で言った。
「まあまあ」
本当にやりかねないので、俺は苦笑いをして龍子さんを宥めた。それにしても、犯人は大胆不敵だ。どうやって小野を呼び出し、ここまで連れてきたのだろう? 謎は多かった。