田辺時頼に訊く 10月26日 午後3時
俺は妙に嬉しそうな坂本龍子弁護士を助手席に乗せると、役場の駐車場を出た。
「田辺時頼も、二十五年前の事件に関わっているのですよね?」
龍子さんが顔を近づけてきた。俺はシフトレバーを操作してからそれを押し戻して、
「ええ。小野と田辺のどっちが主導したのか、見極めたいんですよ」
「そうなんですか」
龍子さんは溜息を吐いて前を向いた。車は程なくして田辺家の前に着いた。門は固く閉ざされている。俺は車を道路の端に寄せて停めると、門に備え付けられているインターフォンのボタンを押した。
「はい」
女性の声が応じた。晴美さんはいないから、多分時頼の妻だろう。名前は何て言ったかな? 村長からも聞いていないか。
「突然すみません、村から依頼を受けて、山神神社の鳥居を倒した犯人を調べている私立探偵の杉下左京と言います」
俺はできるだけ丁寧な口調で告げた。
「ああ、そうですか。それで、何でしょうか?」
女性の声はつっけんどんだった。何だ? まあ、堪えよう。
「田辺時頼さんはご在宅でしょうか? お話をお伺いしたいのですが?」
顔が引きつっているのがわかる。優しい言い方は、どうにも性に合わない。
「夫は昼寝しておりますので、また後日にしてください」
女性の声は更につっけんどんをパワーアップしてきた。流石にイラッとしてしまった。
「ああ、そうですか。ついでに神社の裏で首を吊って亡くなった上村京子さんの事もお訊きしたかったのですが、そうですか、お昼寝中ですか。わかりました、出直します」
多分、時頼本人が聞き耳を立てていると思い、わざと大声で言った。恐らく、ツーカーの仲の小野芳夫から何か聞いているはずだ。だからこそ、奥さんも警戒心を強めているのだろう。
「お待ちください、夫を起こしてきます」
白々しい返事があって、玄関から田辺時頼らしき男が出てきた。小野とは対照的で、紺の作業服のボタンがはち切れそうな体格の狸親父然とした胡麻塩頭。晴美さんの父親とは思えない醜悪な顔をしている。ギョロッとした目に幅の広い鼻。唇は分厚く、への字に結ばれている。
「門は鍵をかけてないから、開けて入って来い。忙しいから、手短に頼むぞ」
横柄な物言いで俺を一瞥すると、玄関を入り、大きな音をさせてドアを閉じた。嫌な奴だ。本当に晴美さんの父親だろうか? 俺は門扉を開いて、車の幅を確保すると、運転席に戻って庭に乗り入れた。そして、晴美さんがオフロード車を駐めているであろう駐車スペースにバックで乗り入れた。
「失礼な人ですね。大丈夫ですか?」
龍子さんが降りながら言った。
「問題ありません。被疑者なんてもっと失礼な奴いましたし、事情聴取で大威張りする参考人もいましたから」
俺は元刑事だ。田辺時頼なんて可愛く思えるくらいの輩と渡り合ってきている。
「ああ、そうでしたね」
龍子さんは微笑んだ。俺もつい微笑み返してしまい、しまったと思った。
「初めて左京さんが笑ってくれた」
龍子さんが涙ぐんだのだ。
「そんな大袈裟な。とにかく、行きましょうか」
俺は龍子さんの肩に手を回して歩き出した。
「左京さん……」
龍子さんが潤んだ目で見つめてきて、俺の肩に頭を預けてきた。流石に跳ね除ける事ができず、そのまま田辺家の玄関をくぐった。
「貴方が探偵さんだったの? 役場で見かけたけど、とてもそうは見えなかった」
いきなり失礼な事を言ったのは、時頼の妻だった。後で知ったのだが、敏美という名だ。吊り上がった目にインパクトがある。昔は美人だったのかも知れない。普段から着物を着ているのか、後ろ姿は艶やかに見えた。
「そうですか」
俺は苦笑いをしながら、龍子さんから離れた。
「夫は忙しいですから、早く来てください」
敏美はさっさと廊下を奥へ歩いていく。
「はい」
龍子さんと顔を見合わせてから、それを追いかけた。
通されたのは茶の間だった。冬が長い山神村ではあるが、田辺家はすでに炬燵とファンヒーターを出していた。日中はそうでもないが、朝晩が冷えるのだろう。時頼は炬燵に埋もれるように入っており、顔を見せた俺達をそのギョロ目で睨んできた。
「早く座れ」
時頼がまた横柄な口調で言い放った。俺は名刺を取り出して、
「改めまして、私立探偵の杉下左京です」
「弁護士の坂本龍子です」
龍子さんも名刺入れから名刺を取り出して時頼の眼前に突き出した。
「弁護士? 探偵の助手じゃなくて?」
時頼は右の眉を吊り上げて龍子さんと名刺を交互に見た。龍子さんは時頼が昔何をしたのか知っているので、身震いして後退り、
「そうです。何かご不満でも?」
ムッとした顔で言い返した。
「いや、別に。探偵の愛人かと思ったのさ」
時頼は嫌味を言ったつもりなのだろうが、
「そう見えます?」
龍子さんが嬉しそうに言ったので、
「どうなんだよ?」
俺を見てきた。
「違いますよ」
俺は真顔で時頼を見て、炬燵に入った。龍子さんは口を尖らせて俺の隣に強引に座った。
「早くしろ。俺は忙しいんだ」
時頼が言ったので、
「すみませんね、お昼寝の邪魔をして」
俺は嫌味を言い返した。時頼はムッとしたが何も言わなかった。
「神社の鳥居の件で、何かご存知の事はありますか?」
俺は時頼の隣に座った敏美をチラッと見てから時頼を見た。
「何も知らねえよ。いや、知ってても、余所もんに話す事はねえ」
時頼はまた口をへの字にした。俺は頷いて、
「なるほど。わかりました。では、昔神社の裏で、首を吊った上村京子さんの事は何かご存知ですか?」
時頼の顔が険しくなった。聞かれたくないのがはっきりわかる。
「昔、神社の裏で、誰かが首を吊ったのは知ってるが、名前までは知らねえよ」
時頼は俺を目で殺そうとしているような表情で言った。俺はまた敏美をチラッと見た。彼女は少し動揺して見えた。
「そうですか。村の噂では、貴方のお父さんと小野芳夫さんのお父さんが事件をもみ消したと聞きましたよ」
俺は時頼が怒り出すのを見越して言った。しかし、
「あくまで噂だろう? 俺はそんな事知らねえよ」
時頼は平然としている。それに反して、敏美は微かに震えていた。それにしても、どちらも晴美さんに似ていない。敏美には晴美さんの爽やかさが微塵もない。まあ、全然似ていない親子もいるからな。俺も小さい頃は拾われた子だと言われた事があったし。
「あ」
そこへフラッと若い男が入ってきた。誰だ? 長身で髪をセンター分けした都会にいても不思議ではない垢抜けた風貌だ。まさかとは思うが……?
「時生、来客中だよ! 向こうへ行ってな!」
敏美が大声で言った。どうやら、晴美さんの兄のようだ。これもまた全然晴美さんと似ていない。目が大きいのは父親譲りで、若干吊り目なのは、母親譲りか。
「わかったよ。怒鳴らなくてもいいだろ」
時生は舌打ちをして茶の間から出ていった。性格は爽やかではないのが一瞬でわかった。
「ありがとうございました。失礼します」
俺は明らかに苛立っている時頼を尻目に客間を出た。
「左京さん、待ってくださいよ」
龍子さんが慌てて追いかけてきた。
「見送らんでいい!」
敏美が客間を出ようとした時、時頼が怒鳴った。こっちも見送られたくはないので、ちょうどいいと思った。
「収穫ゼロでしたね」
車で役場へ戻る途中、龍子さんがボソリと言った。
「それはまだわかりませんよ。何でもない会話から、ヒントが得られる事もあるのですから」
俺は全然そんなふうに思っていなかったが、陽気に言ってのけた。
「そうですか?」
龍子さんは首を傾げていた。
「何にしても、田辺時頼と小野芳夫が何かを隠しているのは間違いなさそうです。だんだん、面白くなってきましたよ」
俺はハンドルを切りながら告げた。
「面白くなってきたって……。不謹慎ですよ、左京さん。上村京子さんが亡くなっているのに」
突然龍子さんに嗜められ、
「すみません」
俺は謝るしかなかった。
「む?」
その時、サイドミラーの端に男が映った。ボサボサの髪で、薄汚れたベージュの作業服を着た、右目を患っているのか、眼帯を当てていた。誰だろうと思って振り返ったが、もうそこにはいなかった。
(何者だ?)
長年養ってきた刑事の勘だろうか? 妙に気になってしまった。