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村長の定期検診 10月26日 午後1時

 俺は龍子さんと共に村長の家に戻り、お手伝いさんの作ってくれた昼食を食べた。妙に嬉しそうな龍子さんに引きながら。

「また出かけるんですか?」

 食器を片づけて革ジャンを羽織った俺に龍子さんがまとわりついてきた。お手伝いさんはそそくさと台所へ行ってしまう。変な気の使われ方をされているようで困る。

「村長のところへ行くんですよ」

 俺は龍子さんの腕をやんわりと払いながら応えた。龍子さんは微笑んで、

「私も行きます」

 腕を絡めてきた。妻の樹里は遠方で、村の人達は完全に俺を不倫男と思っているせいで、龍子さんはいつになく大胆だ。全く……。

「勝手にしてください」

 俺はさっきより強めに腕を振り払い、村長の家を出た。

「左京さん!」

 龍子さんは口を尖らせて尾いて来た。どこかに縛り付けたいが、そうもいかないので、放っておくしかない。車を役場の駐車場に停めたままなので、徒歩で向かった。その間何度も、龍子さんに腕を組まれたが、その度に振り払った。


「あら、彼女さんとおいでですか?」

 間が悪い事に、役場の玄関で晴美さんに会ってしまった。晴美さんには別に何の感情もないが、白い目で見られるのは悲しい。

「どうも」

 龍子さんは勝ち誇った顔で会釈した。晴美さんは顔を背けて立ち去った。

「あの人、左京さんに色目を使っているから、気をつけた方がいいですよ」

 龍子さんが言ったが、あんたも同じでしょうとは言えない。言えば面倒臭い事になるからだ。俺は黙ったまま、村長室へ向かった。

「おやおや、お揃いで。仲がよろしいようですな」

 入るなり、村長に嫌な事を言われた。やっぱり、龍子さんをどこかに監禁してくればよかったと思ってしまった。

「昨夜の話で、確認したい事があるんですが」

 俺はソファに腰かけるなり言った。龍子さんはピッタリ寄り添って座ってきた。村長は村長と書かれたプレートのある机から離れて向かいのソファに座り、

「どういった事でしょうか?」

 俺は村長をジッと見て、

「小野芳夫さんの事についてです。彼が上村京子さんをレイプしたのは、確かな事なのですか?」

 龍子さんがギョッとして俺を見た。

「どういう事ですか、左京さん? レイプって……」

 弁護士の彼女にはちょっと衝撃的な単語だろう。村長は龍子さんをチラッと見てから、

「坂本先生がいらしても構わないのですか?」

 俺は大きく頷いて、

「差し支えありません。先生は弁護士です。犯罪に関してはエキスパートですから」

 ちらりと龍子さんを見た。村長は溜息を吐いて、

「わかりました。では話しましょう。小野芳夫は間違いなく上村京子を強姦しています。仲間内で自慢していたそうですからね」

 小野が自慢していたと聞き、龍子さんは目を見開いた。

「それは一体いつの話ですか!?」

 彼女は立ち上がって村長を睨みつけた。

「先生、落ち着いてください。もう二十五年も前です。時効です。それに本人の言葉だけでは罪に問えません。証拠がないんです」

 俺は龍子さんのスーツの袖を引いて言った。龍子さんは今度は俺を睨んで、

「時効が何です! レイプされた京子さんはその時の恐怖と屈辱をずっと抱えているのですよ!」

「京子さんはその日のうちに自殺しています」

 俺は俯いて告げた。龍子さんも言葉が出なくなった。

「そんな……」

 龍子さんはソファに沈み込むように座った。

「京子さんの自殺は移住先での環境に適応できなかった事が原因とされ、警察は捜査を打ち切り、遺体も荼毘にふされたので、レイプされた証拠がないんです」

 俺は龍子さんの肩に右手をかけた。そして、どうしてそうなったのかを話した。

「おかしいですよ! 何なのですか、この村は!?」

 また龍子さんがヒートアップした。まあ、無理もない。俺も、この村の異常さに驚いているのだから。その時、ドアがノックされた。

「どうぞ」

 村長が応じると、晴美さんがドアを開いて、

「村長、武上先生がお見えですよ。今日、定期検診に来ないので、こちらにいらっしゃったそうです」

 村長は晴美さんを見て、

「ああ、そうだった。忘れとった。会議室に通してくれんか。すぐに行く」

「わかりました」

 晴美さんは俺を一瞥すると、ドアを閉じた。まださげすまれているのかと思ったら、龍子さんに腕を組まれていたのだ。

「そういう訳で、すみませんな、先生」

 村長は何度言ってもやめてくれない「先生攻撃」をして、村長室を出て行った。

「先生はやめてください!」

 俺は龍子さんの腕を振り払って、無駄とは思いつつも念を押した。

「この村、無医村かと思ったのですが、お医者様がいたのですね」

 俺はしなだれかかろうとした龍子さんをソファに残して、立ち上がった。

「そのようですね」

 タケガミ先生という存在が気になった俺は村長室を出た。

「ああ、待ってください、左京さん!」

 龍子さんは懲りずに追いかけてきた。


 会議室ならわかっているので、ズンズンと進み、ドアの前に来た。ドアは半開きになっていて、パイプ椅子に座った村長が、大きな腹を出して診察を受けているのが見えた。

「あっ」

 龍子さんは村長が腹を出しているのが見えたので、廊下で立ち止まって背を向けた。俺はその動作にちょっとだけ可愛さを感じてしまった。すまん、樹里。

「失礼します」

 俺は躊躇なく中へ足を踏み入れた。

「診察中です、入らないでください」

 すると村長の後ろでワイシャツを捲り上げていた看護師の女性が俺を見て警告した。

「ああ、陽子ちゃん、構わんよ、その人は。私が呼んだ探偵の杉下左京先生だから」

 村長が背を向けたままで言った。

「そうですか」

 ヨウコと呼ばれた看護師さんは俺に会釈をして前を向いた。ヨウコさんは空色の看護服を着ている、晴美さんと同年代くらいの痩身の女性だ。髪は後ろでまとめてお団子にしている。顔はキリッとした理知的な雰囲気で、樹里や晴美さんとは違った美形だ。おっと、あまり観察していると、セクハラだと言われるかな。俺は村長に聴診器を当てているタケガミ先生を見た。年の頃は五十代前半。白髪まじりの髪を七三にきっちり分けている、村長程ではないが、福々しい体型の人だ。

「どうだい、武さん。どこも悪くないだろう?」

 診察を終えると、村長が嬉しそうに言った。するとタケガミ先生は書類に何かを書きながら、

「そうですね。至って健康です。驚くべき事にね」

 肩をすくめてみせた。そして、

「と言いたいところですが、血圧は高いし、酸素飽和度は低いし、血糖値も高い。尿検査もした方がいいと思われます」

 村長を睨みつけた。村長は苦笑いをして、

「嘘だろ? 元気はつらつだぞ」

 腹をしまいながら、両腕の力こぶを出そうとした。しかし、ぷよぷよな二の腕は全く筋肉を見せていない。

「お酒は控えてくださいと言いましたよね? でも、お酒臭いですよ」

 タケガミ先生は顔をしかめた。ええ? 酒を控えろと言われている人間が飲む量じゃなかったぞ、昨日の夜は。

「あはは、面目ない。昨夜はこの探偵先生に強制されて、仕方なく飲んだんだよ」

 村長がとんでもない事を言い出した。

「本当ですか?」

 ヨウコさんとタケガミ先生がほぼ同時に俺を見て言った。

「嘘ですよ。村長が一人でガブ飲みしていたんです」

 俺は慌てて弁解した。

「だと思った。村長さん、本当に長生きしたかったら、お酒を控えてください」

 ヨウコさんがワイシャツの襟を直して告げた。

「わかったよ、ヨウコちゃん。控えます」

 全然そんなつもりはないとわかる顔で言ってのける村長をヨウコさんは半目で見ていた。

「では、私達はこれで。尿検査をするので、明日は必ずウチに来てくださいね、村長さん」

 ヨウコさんが言い添えて、タケガミ先生と出て行く。先生は俺に会釈をして会議室を出た。ヨウコさんは微笑んでお辞儀をし、会議室を出て行った。

「先生、まだ何か?」

 村長はスーツを着直して俺を見た。

「はい。途中で逃げられましたからね。小野さんの事、もっと詳しく教えてください」

 俺はタケガミ先生が座っていたまだ温かいパイプ椅子に腰を下ろした。龍子さんが村長が腹をしまったのを見て、入って来た。

「村長、吊り橋の改修工事の事で、長野原の業者が来ています」

 そこへ七釜戸さんが顔を出した。

「ああ、そうだった、そうだった。すみませんね、先生。また後で」

 村長は逃げるように会議室を出て行ってしまった。小野の事を話したくないのだろうか? 村には小野の事を聞ける人が他にいない。晴美さんは昔の事を知っているとは思えないし、他に話をできそうなのは、村長の家のお手伝いさんくらいだが、あの人は元々村の人間ではないらしいので、やはり知らないだろう。

「どうしたんですか、左京さん?」

 俺が考え込んでいたので、龍子さんが早速すり寄ってきた。

「おっと、そうだ」

 俺は龍子さんをかわして、会議室を出た。

「左京さん!」

 龍子さんはそれでも追いかけて来た。俺は村長室に業者の人間らしき人が二人村長と入って行くのを見た。晴美さんも書類を抱えてそれに続いた。よし、今だ! 田辺家に行って、田辺時頼に会おう。俺は駐車場に駐めてある愛車へと歩を進めた。

「左京さん、どこへ行くんですか?」

 龍子さんがまだ尾いて来る。

「田辺時頼さんに会いに行きます。一緒に行きますか?」

 弁護士の先生を同席させた方がいいかも知れないと思い、誘った。

「はい!」

 龍子さんは嬉しそうに大きく頷いた。

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