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同じ顔『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
第一章 吉野倫玖
7/30

二〇一四年 七月二十四日 吉野倫玖

短めに出来たかもしれません。

二〇一四年 七月二十四日 木曜日


 祖父の七回忌の法事を終えて、青梅にやって来た倫玖は、K駅前のデパートのフードコートで勉強する麻那美を見付けた。少し離れた所で、そっと、其の姿を見守ってみる。顔は童顔の(たぐい)なのに、此の迫力は何だろう、と時々倫玖は思う。顔に残る(いとけな)さからすると、無理して大人びた格好をしている様子に見えるのに、全体で見ると、妙に似合っている。

 今日の麻那美は、特に気怠そうで、顔色も少し青く、表情からは、男五人くらいに騙されてでも来たのか、と、問い詰めたくなるような、人生経験から来る深みの様なものが感じられた。年下だよな?と思うと、倫玖は、思わず首を傾げそうになった。今まで、如何(どう)いう人生を歩んで来たのか気になるレベルの貫禄が有るのだ。如何(いか)にも上品な、御嬢さん育ち風の子なのに、此の、滲み出る苦労人の雰囲気は何なのだろう。倫玖には解き明かせない何かが、麻那美には有る。


―確かに美人だ。オフィスカジュアルが堂に入っている。


 しかし、御洒落も何もかもが、倫玖に向けられたものではない、と感じるのである。仕事帰りなのだろうから仕方ないが、倫玖とデートする為に装われた格好、という感じがしないのだ。高校生の彼氏向けではないと言い換えても良いだろう。こういう、目の前の相手が向けて来るものが、自分をすり抜けていく感覚には何と無く覚えが有ったが、社会人だから、持っている服の傾向が会社向けのファッションになるのは致し方ない事で、其の件について口を出す気は、倫玖には毛頭無い。オフィスカジュアルも、綺麗なお姉さん風で嫌いでは無い。ただ、あの、最初に会った日に着ていた白いワンピースは、もう着ないのかな、と思うと、何と無く寂しい気がする倫玖である。

 麻那美が倫玖に気付いて、どうも、と言った。倫玖も、微笑んで麻那美の向かい側に座る。祖父の七回忌の法事が終わったという話から、麻那美がしている勉強の話に話題が移る。

「…ごめんなさい、こんな御話、面白いかしら」

「面白いよ」

 実際のところ、スゲー面白い、と倫玖は思っていた。毎回、今日も勉強になったな、と思うくらいである。倫玖は、不動産業が儲かる仕組みも、元受け企業がどうのこうの、という話も、宅健の資格の願書締め切りが八月で、試験が十月だ、という様な話も、麻那美以外の誰からも聞いた事が無かった。


―面白い。


 遺産相続や遺品整理、実家の改築を経験した後だと、不動産の話は、思ったより身近で、興味が有った。ただ、倫玖が今知りたい事では無いのだ。別に倫玖は、社会勉強に来ているわけではない。今日も、苗の神教の事については収穫が無い。コツコツ積み上げてきて、初対面よりは麻那美と仲良くなれた様な気はするが、如何(どう)しても、苗の神教について、麻那美と会話をする糸口が掴めないのである。

 確かに、行き成り苗の神教の事を知っているか、とか、如何(どう)いう宗教に入っているのか、などとは聞けない。他にも、例えば、坂本治一さんという人について知っているかとか、其の娘さんという人を知っているか、といった内容を、一体、何時(いつ)どの様に切り出して良いか分からない。交際がスタートしてから一週間弱だが、今一つ踏み込めない。本音は、そろそろ、デートに時間を使うより、バイトを入れる日を増やしたい倫玖である。交通費交際費共に自腹なのだ。相手は、なるべく倫玖に御金を使わせないようにしていてくれているのだが。ただただ、情報の収穫が無いというのが痛い。此の関係を、何時(いつ)まで続けて良いのかも、倫玖には分からない。

「あら」

 麻那美が使っている付箋が切れかけているらしい。小さく声を上げて自分の手元の付箋入れを見る麻那美に、咄嗟に、倫玖は、あげるよ、と言って、自分の使っている付箋セットを鞄から出して差し出した。まぁ、と麻那美が驚いた声を出した。

「宜しいのですか?」

「勿論。ボディバッグにペンケース入れておいて良かった」

 倫玖の頭の中で、声がする。今だ。使う時俺の事思い出してね、とか何とか、歯の浮く様な事を言え。行動を印象付ければ、何らかの効果が有るかもしれない、と。

 ところが、結局、倫玖は何も言えなかった。何だか、言いたくなかったのである。麻那美は恐縮そうに、有難うございます、と言った。

「ううん。家にも沢山有るから、それ、使って」

 倫玖が、そう言って微笑むと、麻那美は、遠慮がちにだが、微笑み返してくれた。可愛いな、と倫玖は思ったが、同時に、困ったな、とも思った。自分の中途半端な親切さが、此れまたクズ、という気がしたのである。思惑が有って交際を続けているのだから、此の親切さに裏は無い心算(つもり)ではいても、時々自分の気持ちが自分で分からなくなるのだ。

 麻那美が、付箋に何事か書き込み、貼る。字だけ見ていると何歳か分からないくらい巧い。思い返すにつけ、此の生真面目で(しと)やかな性質の人間が、如何(どう)して初対面の自分との交際を了承してくれたのか倫玖には分からない。


―彼氏は俺の他に居ないなら、結局、アルマーニとは如何(どう)いう関係なの?


 しかし、『アルマーニ』とは倫玖が勝手に呼んでいるだけの名前だから、本名は()だ知らない。麻那美に関係を尋ねる事も出来ない。倫玖と似た顔の知り合いが居ないか、とも聞けない。知り合いに似た顔の人間と交際する気になったのは、如何(どう)してなのか、とも。

知り合いと同じ顔の人間と交際する理由。其れを、深く考えようとすると、倫玖は、途中で、浮遊感を感じていた胸の辺りに、寂しさが充満してくるような気がして、考えるのを途中で止めてしまう。

 最初に共通の話題だった祖父の絵画についても、倫玖は麻那美程詳しくない。そうかと言って、祖父の絵の他には、其れ程共通の話題も無いし、相手こそ、倫玖と居るのが楽しいのか如何(どう)か分からない。ハニートラップという言葉が馬鹿馬鹿しく思えてくる倫玖である。一応の肩書は彼氏だが、自分が麻那美に対してハニーなトラップになっているのか如何(どう)かさえ、倫玖には、よく分からないのだ。だが、絵やクラッシック音楽や花について、今から詳しくなるのは、何かが違う気がする。自分が興味を持ち(にく)い物でも、態々(わざわざ)ハマった振りをして調べて、女の子と話を合わせる程度の事は、以前なら絶対遣っていた。しかし、何故か、其れを今遣ると不誠実な気がするのだ。自分が、其の事について大した興味が無い事まで偽りたくない。麻那美が話している内容に本当に興味が有るのに、何にでも興味が有る振りをして話を合わせていたら、其れさえも嘘になりそうな気がするからである。交際のスタートから嘘なのに、今更、嘘をつきたくないも何も無いものだが。

 そろそろ、此の辺で切り上げてしまおうか、と倫玖は悩んだ。嘘をつきたくない、などという矛盾を抱えるようでは他人を騙し続けられない。相手は倫玖のLINEのIDしか知らないのだ。本当の住所も知らない。自然消滅も充分狙える。だが、嘘をついてまで此処まで約一週間付き合ってきた努力、今年の三月から今日までかけてきた時間と金は勿体無い、という気もする。

「優しいですね」

 突然、麻那美から掛けられた言葉は、倫玖を驚かせた。如何(いか)にも自然に出た感謝の言葉、という気がして、倫玖は一瞬、罪悪感で胸が締め上げられるような気がした。


―優しくはない。俺は君を騙してる。君に近付いたのには思惑が有る。


 其処まで考えて、嫌だな、と倫玖は思った。


―使い掛けの付箋を貰ったぐらいで、良い人だなんて。此の世間知らず。


 罪悪感を抱きながら相手の方を見ると、麻那美は、微かに微笑んでいる。倫玖は、此の顔に、もう一度、潰れた虫を見るような目を向けられるところを想像して、また、罪悪感を抱いた。


―…撤退するにしても、今じゃないのかな。()だ付き合い始めてから一週間経ってないし。もう少し、関係を続ける努力をした方が良いのかな。


「そうだ、今度、ハリポタのDVD貸すよ。古いのだけど」

「え?」

 思わず口を突いた言葉だったが、藪から棒だったか、と少し反省して、倫玖は笑った。共通の話題が無いなら、作る努力をしてみよう、と考えたのである。


―もう少し粘ってみよう。共通の話題は作れる。共通の興味も、多分。


 麻那美の興味を、倫玖が興味を持てる事に寄せる事だって、出来るかも知れないのだ。伝えようと、努力して話しさえすれば。そして、其れを相手に聞いてもらえさえすれば。

「ジブリは姉ちゃんのDVDだから貸してあげられないけどさ。其れか、何か、一緒に映画見に行ったっていいし。ね、何か見たい映画有ったら教えてよ」

 倫玖の提案に、麻那美が、キョトンとした顔で、はぁ、と言った。あ、言っちゃった、と倫玖は思った。映画代が交際費にプラスされた。金の掛かる女である。


『まなみ@n0a8no7ka 七月二十四日 昼は、あんまり暑くてビックリしたのに、夜からは凄い雨で窓が開けられないくらい。降る前に帰って来られて良かった。二十二時くらいに練馬で洪水警報。眠れないからネイルを塗る』

『吉野@link1010tom 七月二十四日 今日はじいちゃんの七回忌だった。いまだに沢山の人が御花をくれる。何とか忌っていうらしい 水森@shin_mizumori0516さんがコメント 七月二十四日 いや、山龍忌だろ、そこは覚えろよ 吉野@link1010tomさんがコメント 七月二十四日 そうだ、水森のとこの伯父さんも御花くれたよ。有難う』

『まなみ@n0a8no7ka 七月二十五日 今日も35℃くらいらしい さおりん@0807snktさんがコメント 七月二十五日 暑いね!彼氏さん元気? まなみ@n0a8no7kaさんがコメント 七月二十五日 昨日会った時は壮健でしたよ』

『吉野@link1010tom 七月二十五日 壮健の意味がイマイチ分からなくて調べた。いつ使うの?彼氏さんは御壮健でいらっしゃいますか?みたいな使い方するの?…いぶし銀っていうか、武士かな? 水森@shin_mizumori0516さんがコメント 七月二十五日 何か夏休みもちゃんと国語の勉強して偉いなお前』

 気象情報も当時のものですが、2014年って随分涼しかったんだな…と思い、書いていて怖くなる事が有ります。

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