第91話 黒点
『どうした、ヘデラ。その人間は一体』
「たまたまそこで出会いました。大丈夫、害のある生き物じゃないと思います」
『それはお前の見解であろう……』
大樹は深深とため息を着いた。
「誰と……話してるんです?」
五十嵐 葵は目を丸くして尋ねた。
「……」
ヘデラがバツの悪そうな顔で小さく大樹の事を指さした。
「……どれです?」
ヘデラの指さす先をしげしげと見つめる葵。もちろん、その先には大樹があるのだが、木が喋るなんてへにも思っていない彼からすれば『誰か』を指さしていると捉えてしまうだろう。
『私だ。人間』
「だから何処に……ってえええっ!?ちょ、な、なんだこれえええ!!」
大樹が痺れを切らし、枝を伸ばし葵を絡め取り空中に引っ張りあげる。
『私はこの木だ。人間、主は名前をなんと言う』
「き、木ィ!?木が喋るなんてファンタジーじゃあるまいし」
『名を聞いているのだ。人間』
「揺らすなってえぇぇ!!!葵、五十嵐葵です!!!!」
がっくんがっくんと枝が揺れ、葵の体が上下する。
何故、名を聞かれる度に命の聞きに瀕しているのだろう、などと頭の縁で考えながら己の名を叫ぶ。
『アオイ、と言うのか。分かった、覚えておこう』
「……ふぅ」
枝の揺れが止み、ゆっくりと地面に下ろされる。
『我に名は無い。大樹、とでも呼ぶが良い』
「……は、はあ……。……どこかにスピーカーでも着いてるのか……?」
『何か言ったか?』
「イエ、ナンデモナイデース」
棒読みになりつつ、あからさまに視線を逸らす。
「さ、入りましょう」
「入るって、この中に?ですか?」
「いちいち聞かないで……。答えるのがめんどくさい」
「ええ……」
しょぼくれながらも、渋々とヘデラについて行く葵。
一歩大樹の中に踏み込めば、そこには貧乏ではあるものの生活感のある空間が広がっている。
「わあ……」
思わず感嘆の声を漏らした。十人は入ることが出来るであろう空間。
壁や天井は丸みを帯びていて、木で出来ているから大樹の中に居ることを実感させてくれる。
「……んぅ?……あ、あぁ、ヘデラ。おかえり」
「ごめんなさい、起こしちゃったわね」
ヘデラが壁に槍を立てかけた時、部屋の隅に背を預けて眠りに落ちていたティアーシャが目を覚ました。
「良いよ、気にしなくても。……っふぅーー……。どんぐらい寝てたんだろ……」
若干クセのついた白銀の髪を撫でながら、ティアーシャは目元を擦る。
『小一時間程度だ』
「そんなもんか……。割と寝てたと思ったけど……」
立って伸びをして、ふと見慣れぬ者の姿が目に止まった。
「ん?そいつは?」
「……」
「……おーーーい、聞こえてるかーー」
ヘデラに肘でつつかれ、葵はハッと我に返る。
「へっ、あっ、はい。な、何か言いました?」
「大丈夫か?……ま、ヘデラが連れて来たって事は別に変な奴でも無いんだろうけど。俺はティアーシャ、よろしく」
「あ、五十嵐 葵です。お願いしますっ」
「おう、よろしくー」
小さく手を振って、再び腰を下ろすティアーシャ。
「彼女は私の友達。私は彼女の事をティールって呼んでるけど、愛称みたいな物だと思って」
「わ、分かりました」
「五十嵐葵、その名前って言うことはこっちの世界の人間らしいな」
「そっちの……世界?」
「説明するよ。何があったのか、分かる範囲で。とりあえず座りなよ」
ちょいちょい、と手で指図され近くの地面から隆起した木の根に腰掛ける。
ティアーシャはあぐらを組み、頬杖を着いて葵の事を見上げる。
「説明、してください。何が起きてるんですか?この街に」
「……頭パンクさせんなよ?相当ファンタジーな領域の話だからな」
ティアーシャは、つらつらとこの世界とは別の世界がある事。その双方の世界がぶつかり合い、混ざりあってしまった事などなど。
「と、言う訳だ。分かったか?」
「……いや、全く……」
「でしょうね」
ヘデラは小さく息を零した。
「と言ってもこうしか説明出来ねえからなあ……」
ティアーシャは頭を抱えた。
「……まあ要するに、葵から見た異世界から来たのが俺達。俺達二人と一本と他に四人、この世界に飛ばされた時にはぐれちまったんだ。とりあえず、俺はその四人と合流したいんだ」
「四人…。じゃあその四人も僕からしたら異世界人と?」
ティアーシャは首を横に振った。
「一人はこっちの世界の人間だ。他は葵から見たら異世界人だな」
「な、なんでこっちの世界の人間が異世界人と一緒にいるんだ?」
「あー…、話せば長くなるけど…。唯一の非異世界人は俺の妹なんだよ」
「……は?」
葵は目を丸くして、顔を引き攣らせた。
「長くなるから詳しくは説明しないけど、俺は元この世界の住人。こっちで死んで他の世界に飛ばされたってわけ。ほんで、元の体の妹が唯一の非異世界人って訳だな。何だかんだあって俺が世界を自由に行き来できるようになったから、妹も一緒に生活してたってわけ。分かった?」
「……まあ、なんとなく……」
まあ、規模が大きすぎて一般人には理解が出来ないだろう。
普通なら『そういう設定に憧れちゃった日本語が流暢な外国人』という認識になるのだろうが、今は外がこういう状況故に信じるしか無かった。
「とりあえず、ティアーシャ、さんはその妹さん含めた四人を見つけたいんだね?」
「そう、それからこの世界と混ざりあった世界を分断させる。元通り、とは行かないかもしれないけれど、きっと……何とかしてみせる。それと、俺の事はティアーシャでいいよ」
「分かった、ティアーシャ。そしてヘデラさん。力になれるか分からないけど、僕で良ければ協力するよ」
葵が立ち上がって色白い手を差し伸ばした。ティアーシャも立ち上がって服に着いた泥を手で軽く払い手を握った。
「よろしく、葵」
「こちらこそ、ティアーシャ」
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ある程度の休息を挟んだ所で、全員は話し合いを始めた。
「俺は一人で。葵とヘデラは二人組で行動してくれ。俺はこの世界への知識があるけど、ヘデラは全くもって無いからな。諸々のカバーをしてやってくれ」
「分かった」
葵は小さく頷いてヘデラの顔を伺った。目尻で彼の視線に気がついたヘデラは、特に首を動かすこと無く淡々と話を聞いていた。
「ただ葵は逆に戦闘面で欠けると思うから、身の危険を感じたらすぐに逃げるんだ。下手に傍に居られるとヘデラも戦いにくいだろうし、己の命を最優先してくれ」
「戦闘時は私の傍に寄らないで。短槍だからと言っても射程はそれなりにあるから。振るった時に周りに居られたら貫きかねない」
「笑えない冗談を……」
実際に刃のついている短槍すら初めて見るというのにも関わらず、自分が血飛沫を上げて地面に散っている様子が何となく想像が着いてしまう。
脳裏に浮かび上がるイメージを首を横に振って払い飛ばす。
『一人でも見つけたら、私の元に戻ってくるがいい。その者も消耗しているだろうし、休息を挟んだ方がいい』
大樹の提案に一同頷く。
「だな。こまめに大樹さんの元に戻ってくるとしよう。それと、夜での行動は極力避けてくれ。俺達の世界から飛んで来ているかもしれないモンスター共は昼は物陰に身を隠しているケースが多いけど、夜に活発になりやすい。特にヘデラは葵を連れている訳だから日が落ちかけてたら戻って来てくれ」
「分かったわ」
ヘデラが小さく頷いた。
「でもどこに全員が居るのなんて分かるものなのかな?もしも他の国にでも飛ばされてたら」
『いや、それは心配しなくてもいい。全員の体に流れる魔力の波動は我が感じている。詳しい場所までは分からないが、そう遠くない。全員この街に居ると考えて問題は無いだろう』
「と、言う事だ。じゃあ、準備が出来次第出発だな」
外していた短剣と鞘の着いたベルトを腰に付け、同様にダガーナイフの仕込まれたベルトを太ももに巻き付ける。
ベルトを付けるため、足を伸ばした所を葵が露骨に目を逸らしたので、ティアーシャは目を細めた。
「ほら、お前の分だよ」
「え、あ、僕の?」
ベルトから一本引き抜いたダガーナイフを、戸惑っていた葵に半ば無理矢理手渡す。
「戦えないと言ったって、多少なりとも護身用の武器は必要だろ。それに何かと役に経つからな」
黒光りしているダガーナイフの柄を持ち、しげしげと眺める葵。
「いてっ」
興味本位で軽く刃に手を触れた刹那、指先に一線の赤が浮かび上がる。
「あー、それ相当鋭いからな?迂闊に触んなよ?」
「それ、渡す時に言ってくださいよ……」
「ほれ、治してやるから指出せ」
ちょいちょい、と指で催促するティアーシャに葵は目を丸くして小さく噴き出した。
「治すって、絆創膏付けてれば大丈夫ですよ。それに僕は医者ですから」
「つべこべ言わずに出せって。今この世界はお前の常識が通用しないんだ。お前が医者だろうが何だろうが、変な病気にでもなられたら困るし」
「治すってどうやって……」
葵の手を取って、指先から治癒魔法をかける。すると、なぞられた場所から血が滲み出ていた傷口が塞がっていく。
「え、えっ、ええ…っ!?」
「んな?お前の常識は通用しないって」
ティアーシャが嫌味な笑みを浮かべると、葵はバツの悪そうな顔を浮かべて言った。
「これ……医者という職が無くなりそうですね……?」
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その後、三人は二手に別れて皆を探し始めることにした。
大樹によると、この街の北側と南側から強い魔力の反応があるらしい。と、言う訳でティアーシャは北に、ヘデラと葵は南に向かう事にした。街の北側はアパートやビルが建て並ぶ高層地帯。いくら葵が居るとはいえ、流石に初めて見る世界で巨大な構造物の間を縫って移動するのは難儀だろうということで、北側はティアーシャが行くことになった。
「こりゃあすげえ。都市の森林再生プロジェクト完成じゃねえか」
道のあちらこちらに生い茂る低木を掻き分けながらティアーシャは皮肉を込めて独り言を呟いた。
街には、人っ子一人見えない。人類が滅んだ後の世界は、もしかするとこんな風になっているかのかもしれない、などと頭の片っ端で考えながら、先に先にへと進んでいく。
ここに生えている植物は、『ティアーシャ』が産まれた世界の物だ。元々こちらの世界に在世している種では無い。
「っ、……この魔力の感じ……。近いな」
顔のうぶ毛を撫でられるような、魔力の流れを感じる。右目に魔力を送り、魔眼を発動させるとサーモグラフィーのように世界の色が置き換わる。しかし、探知するのは熱では無く、魔力の流れ。
やはり間違えてなかった、と彼女は心の中で口元を綻ばせる。
空気中にありありと見える魔力の流れ。先に行けば行くほど魔力が濃くなっている。
「少し急ぐか」
手がかりを見つけたら、ノロノロと調査している訳は無い。ティアーシャは地を蹴って、生えている木々の幹を蹴り三角飛びのようにして先に先にへと進んで行く。
「っ、これは……」
魔力の流れ以外の何も見えなくなってしまう魔眼を切り、通常の目に戻す。
すると視界に色が戻り、痛いほどの緑に目を細める。
木を伝って地面に降り、草の間に落ちている『何か』にそっと手を伸ばす。
「……ソウカの蛇だ」
全身が真っ白な、アルビノのような蛇。目を赤く染めた彼女の細胞から作り出される蛇の種類の一つ。
ここに来てようやく手がかりが手に入った。胸の内でガッツポーズを取ろうとした時、ふと頭の中に疑問がよぎった。
「……なんで……この蛇死んでるんだ?」
手の中で動かぬ蛇は既に固くなり、目にも光が宿っていない。
もし仮にソウカが蛇を作り出したとて、この蛇一つ一つが彼女の細胞から作られている。そのまま放置するなんて事は無いはずだ。
つまり、彼女が対応できないレベルの敵と出会い、蛇を殺され逃げたのか。それとも……。
「キャアァァァァァァァァァァッッッ!!!!」
「っ!」
思考に頭を巡らせていると、街の中に甲高い女性の悲鳴が響き渡った。
……ソウカの物では無い。しかし、聞いて放置できるほどティアーシャは度肝が据わっている訳でもない。
「ったく、せっかく手がかりを見つけたのに……!」
悪態を着きつつ、蛇の死体をポケットに突っ込み、声のする方向へと駆ける。ポケットに鱗状のツルツルとした物が入っているのに気持ち悪さを感じたが、この際は目を瞑る事にする。
「だ、誰か!!助けて!!」
声が近くなっている。
とりあえず近くの木を駆け登り、その上から辺りの様子を伺う。
先にあるのは、少し木々の開けた小さな草原。その中を一人の少女が泥まみれになりながら、何から走って逃げている。
「っち、ソウカじゃねぇのか」
声の違いで、それは分かっていた事だけれど。少しでも心の端に期待を浮かべた自分が、なんだか焦っているようで情けない。
--ガッ、ガッァァァァァ!!!
「っ、あれは……」
片手でティアーシャの背丈はあろうかというサイズの棍棒を振り回し、逆の手には木製の円形の盾を持ち、暴れる生き物。豚の鼻に、全身緑色の体。あれは、緑種豚人族か。
比較的温厚と言われる豚人族の中でも例外で気性が荒く、気が短いとされる種族である。
「一体、か」
「きゃっ」
少女の足が縺れ、前のめりに転倒する。
慌てて体を返し、背後を振り向くとそこには二メートルはゆうに超えているであろう巨体。
「あ……あ……」
少女の体は動かない。されど、無慈悲にもゆっくりと地を鳴らしつつ、近付いてくる緑種豚人。
「……」
ティアーシャは考える。
別に俺は彼女になんの念も無いし、助けに行く義理もない。もし行くんだとしたら、それはただのお節介な訳で。
「たす……けて……」
少女が目をきゅっと瞑った。
ただ、それがお節介だとしても。
「人がミンチにされる所を悠々と見てるほど趣味は悪くねぇんだよな」
気がついたら、体が動いていた。
掴まっていた木の枝を蹴り上げ、腰から短剣を引き抜き、一閃。
「大丈夫か?」
「え……あ、え……?」
強く引き結んだ目をゆっくりと開くと、そこには緑色の歩く豚では無く、白銀の髪を揺らす少女が居た。
背景に血の噴水を添えて。
「どっか怪我してないか?」
「あなた、は……?」
自分は助かったのか?それとも今度はこの少女に襲われるのか?
少女はガクガクと足を震わせ、後ずさりしながら、己にそっと手を差し伸べた白銀の髪の少女に問うた。
「俺はティアーシャ。大丈夫、取って食うなんて事はしないから安心しろ」
「……あの、怪獣、は?」
「……怪獣?」
ん?と頭上にクエスチョンマークを浮かべて、はと理解した。
「あー、こいつなら大丈夫。もう死んでるよ」
ティアーシャは少し体を動かし、己の背後の血の噴水を指さした。
本来首があった場所から、宙に向かって血を撒き散らし、その体の脇には元々頭だった物が転がっている。
「……ヒッ」
それをようやく頭の中で理解した少女は、乾いた悲鳴を上げようとした……ところで、咄嗟にティアーシャに手で口を塞がれる。
「……ん、んんーーっ」
「しっ、静かに。……奴さん、また来てやがる」
足を伝わって、全く持って規律の取れていない乱雑な地響きが鳴り響く。
音の方向は、
全方位。
「くそっ、囲まれた」
思わず悪態を着いた。その頃には既に、周りを囲う木々の隙間から同じ緑種の豚人族が何体も顔を出してきていた。
そして、仲間の死体を見つけて激動したのか。雲が数切れ浮かんでいる世の空に各々が咆哮を上げた。
「おい、動けるか?」
少女の手を引くも、全身が痙攣でもしているかのように震え、目の焦点もまともに合っていない。
……こうなれば、おぶって逃げるのは無理だな。
「動くなよ」
軽く深呼吸をして、その場で息を整える。本当はこんな所で戦って体力を消耗することは避けたいのだが。
「『障壁』」
少女の周りに魔力でシールドを作る。この場合、物理耐性がそこまで高いわけでは無いのだが、無いよりはマシだし気休め程度になるだろう。
「久しぶりの運動だなっと」
良く考えれば、実態のある敵との戦いは久しぶりか。何かと切っても手応えの無い敵ばかりだったし、体が訛っていないか心配ではある。
「『風刃』」
空に魔力の流れを起こし、発射。三日月型の魔力の塊が空を、敵を切り裂く。
「『爆煙』」
手の平の中で魔力を高圧圧縮。それを投げつけ、敵の目先で圧縮を解放。力が解き放たれたそれは爆弾のように破裂し、多大なるダメージを与える。
「『雷絶』」
指先から高圧電流を発射する『雷電』の上位互換。腕全体から電気を纏わせ、鞭のようにして振るう。同時に短剣も振るい、片っ端から粉砕していく。
「はっ!」
一体と正面と対峙した刹那、空に飛び空中で体を捻ってうなじ目掛けて短剣を振るう。
「っ」
しかし、そう簡単に切らせては貰えないようで、短剣を木製の棍棒で弾かれる。
けれど、左手で腿のベルトから引き抜いたダガーナイフを逆手で首筋に突き刺し、切り抜ける。
「『雷光』!」
空中で手の中に魔力を圧縮し、地面に投げ付ける。ボールのようにバウンドしたそれはティアーシャより上方で爆発。猛烈な光が周りを囲っていた豚人族らの目を眩ませる。
「一気に行くぜ!『業火』!」
その隙に着地し、地面から火柱を燃え上がらせる。
円柱状に燃え上がる火が消えた時、そこにあるのはティアーシャの影一つだけだった。
「っ……」
短剣を鞘に戻そうとした所で、短剣の切っ先が小さいが欠けていることに気がついた。
「最近やたらと戦いっぱなしだったからな……。仕方ないか」
毎日続く戦闘故に満足のいく手入れが出来ていない。とはいえ、ここまでよく持ったというか。
「使い勝手は悪くなりそうだが……まあ大丈夫か」
とはいえ、切っ先が欠けてしまっているので刺し殺す能力は下がってしまっているだろう。だからといってダガーはあくまでサブ。
メインで使う程の性能は有していない。
「よ、大丈夫か?」
人形のようにパッと顔を切り替え、ティアーシャは腰が抜けている少女の傍で腰を下ろす。
十歳前後だろうか。まだ小学生くらいであろう年齢の、黒髪黒目の少女が目を点にして金魚鉢の金魚のように口をパクパクさせていた
。
「……今の、え?な、なに?」
ティアーシャは少し考えて言った。
「魔法だよ」
「魔法なの!?」
「ああ」
花咲いた少女の顔を見てティアーシャははにかんだ。
「じゃ、じゃあお空飛んだりも出来るの?」
「もちろん」
「私にも使える!?」
「練習すればきっとな」
「やったー!!」
先程までの恐怖に飲み込まれていた顔はどこへ行ってしまったのか。すっかりニコニコである。
そんな中、少女はハッと何かを思い出したかのように空を仰ぎ、ティアーシャの方へ顔を向けた。
「どうした?」
「魔法使いのお姉ちゃんなら、怪我、治せる?」
---
「ここを真っ直ぐだよ!」
「あいよ!」
少女を背におぶりながら、木々に埋め尽くされた元々大通りであったであろう場所を駆ける。
「その怪我してるお姉さんっていうのは本当に髪が紫色なのか?」
少女が怪我をした人がいる、と言う。それだけだったら気は動かなかったかもしれないが、その人というのが薄紫色の髪の毛の人というのである。薄紫色の髪、人違いじゃなければエルティナの可能性が高い。
「うん、それにね。今分かったけど、凄くお姉ちゃんに似てるの。妹なの?」
「……かもな。……っ」
視界の端に何か白い物が写る。何となく気になって視線で追ってみると、それは……。
「ここだよ!」
「うおっ、……っと」
少女の一言にティアーシャが体に急ブレーキを掛ける。
立ち止まったのは、街中にある小学校。案の定木々に覆われているが、その四角い構造物や特徴的な半円の屋根を持つ体育館などからそこが学校である事は一目瞭然であった。
「体育館か?」
「そう!」
正門の草が踏み均されている。何人もここを通っている、ということだろう。
正門付近の噴水には、数多の草が繁茂していて、こっちの世界では見たこともないほどカラフルな魚が数匹水面を飛んで波紋を立てた。
踏み均されている道を通って、体育館の入口で立ち止まる。
「っ」
スライド式の扉に手をかけるも、それは内側からロックがかかっていた。
「……人か?」
「ああ」
「……」
何も返答は無く、静かにロックが外される音が鳴った。
扉の取っ手を掴み、横に押せばそこには一人の男が立っていた。
「っ、外国人か。それにその子は……っ」
「しょーいちおじさん、帰ったよ」
「っ、彩乃ちゃんじゃないか!!」
はっ、としょーいちと呼ばれた男は息を飲んで声を張り上げた。
「どこ行ってたんだ!!皆心配してて……!!……ん?その人は?」
ティアーシャの事を指差して少女、彩乃に問う。
「この人は助けてくれたの!名前は……」
「ティアーシャだ。ちょいとばかしこの避難所に用があってな」
「あ、彩乃ちゃんを助けてくれたのか?」
「襲われてたからな」
「っ、ありがとう。俺はこの子の親じゃないが代わりに礼を言わせてくれ」
一瞬男の喉元が震えたが、彼はそれを隠すようにして頭を下げた。
「俺は祥一。改めてありがとう」
「礼なんて別にいいよ。そんな事よりも中に入れてもらっても良いか?俺の知り合いがいるかもしれない」
「あ、ああ。構わない」
祥一が横にどき、その脇を通って体育館の中に踏み込む。
また一度扉を開けば、そこには既にダンボールで仕切られたスペースが出来ていて何人もの人がその空間で身を寄せあって生活しているようだった。
「っ……」
きり、と下唇を噛み締めた。
意図的では無いにしろ、この惨状を引き起こしてしまったのは自分なのだから。
「お姉ちゃん?」
「っ、いや。んでもない」
その純粋無垢な顔を見ることは出来なかった。例え彼女を救ったという事実があれど、そもそもこんな事にさえならなければ、この少女は襲われることすらなかったのだから。
「で、怪我したお姉さんってのは何処に?」
「あそこだよ」
彩乃が指さす方向に目をやれば、確かに他の場所よりも人が集まっている区画がある。
走りたくなる気持ちを押さえつけ、ゆっくりと歩いてその方向へと進む。
「……やっぱり、か」
「……ティア、シャ」
その人だかりを掻き分けて進めば、そこには自分と瓜二つの人間が血の滲んだ包帯を腹部と頭部に巻き付け横たわっているではないか。
「ん、んん?同じ人が二人!?」
ティアーシャと、エルティナの姿を見て周りの人間がざわめき出す。
「しっ、ただの双子だよ」
そんな適当な文句を付け、ティアーシャはエルティナの横に腰を下ろした。
「……何があった?」
「……」
耳元で小さく囁くも、エルティナは口を噤んだまま何も言わない。
「……何故回復魔法を使わない?」
「……使うには使いました……。しかし……」
エルティナは自分の腹部に巻き付けられた包帯をほんの少し捲って見せた。
「っ……」
そこにあったのは、黒い染み。一瞬ホクロのようにも見えたが、それはうねうねとまるで自我を持つかのようにして動いていた。
「な、なあ。そっくりさんの姉ちゃんよお。初めはなんかの虫が皮ん中さ入っちまったもんかと思ったんだけどよお。皮の下にいる訳でもねえみたいなんだ……」
「血は止まったのよ。けど、それだけは消えないし、その子がずっと苦しそうで……」
「……治療してくれたんだな。ありがとう」
逆に言えばこの黒い染み以外は治療が行われていた。
「この染み……。ヘデラの腕にあったのと同じだ」
動いていること。それに触れられないこと。
もし本当にこれがそうだとするのなら、徐々に徐々に侵食が行われている事になる。
それにヘデラにこの染みが現れたのは、あの『闇』の襲撃を受けた後だ。だとするとエルティナは……。
「お前は」
「……いえ、あなたの考えている相手では無いのです。ティアーシャ」
「……え?」
口を動かした所で、エルティナに遮られた。
「……あなたが、傷つかないのであれば。私はその名を口にしましょう」
「……心読んで分かってんだろ。言ってくれ」
エルティナは一瞬声を詰まらせ、大きく息を吸って口を開いた。
「楓さんと、トコルさんです」