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第88話 短槍使いの長耳族

「そろそろでしょう」

エルティナの物腰柔らかな声に、皆の空気が張り詰める。

街を出た後、一行は最後の先代ティアーシャのパーティメンバーであるヘデラの元へと向かっていた。

「…んん」

「ティアーシャ?どうしたの?」

しかし、そんな中でも一人唸り声を上げ地面を見つめながら歩いている者がいた。

トコルが心配そうな顔で背中を軽くぽんと叩く。

身長差も相まって叩いたのは臀部なのだが。

「いや、よくよく考えてみたら数が合わねえんだよ。ほら」

ティアーシャは懐からじゃらりと集めた宝石を取りだした。

トゥルナから得たルビー色の、光の反射の加減で赤褐色にも見える石、ナーサから受け取った橙色の石、そしてトコルの腰付ポーチにはめ込まれた翠色の石を指さしてティアーシャは続けた。

「ヘデラが持ってるとして、四つ。ほら、俺は五つ集めろって言われたんだ。…なのにどうして…」

「確かに、合わないね。エルティナちゃんも聞いたんでしょ?その言葉」

足を止めて、振り返るのエルティナにトコルが声をかける。

「ええ、聞きました。確かに五つ集めろ、と」

「…まあでも、とりあえずヘデラさんの所に行ってみようよ。何か分かるかもよ?」

「そうだな」「そうね」「うん」「ええ」

楓の提案に全員が首を縦に頷く。

そんな綺麗に賛同を得られると思っていなかったのか、自分の提案が認められたことが嬉しかったのか。

少し楓の顔がキラキラしていたのを見て、ティアーシャが口元を緩める。

「…ティア、顔」

「………はい」

楓とティアーシャの間にソウカが割り込み、ティアーシャが我に返る。

それを見ていたエルティナも、トコルも肩を竦め、楓だけが訳が分からない様子で首を傾げていた。


---


ヘデラ。先代ティアーシャ、もとい今のティアーシャ(ティール)の実の母親の戦友。

緋色の赤い髪の毛を揺らしながら短槍を振るい、魔法による属性付与を得意としている長耳族(エルフ)

口数が少なく、その薄い目は氷のように冷徹にも思われるが、情に厚く、仲間として信用に値する人物だ。

「トゥルナさんから頂いた情報によれば、このあたりのはずなのですが…」

エルティナが脳内のマップと実際の景色を見比べながら首を傾げた。

「…なんにもねえぞ?」

ティアーシャの言う通り、何もなかった。そう、何一つなかったのである。

「しかし、ここら周辺には確かに魔力が…」

長耳族は、潜在的に保有している魔力量が多い。その為、彼らが住まう地にまで行ければ確実に魔力を感知できるはずなのだ。

実際、エルティナは確かに魔力を感知している。

「…警戒しとけよ」

ティアーシャは、目に魔力の膜を覆わせ魔眼を使用する。元は左目に魔力をおわせ、魔眼の役割を担わせていたのだが先の戦いで潰され、右目を変化させるしか無くなってしまった。

魔眼での景色は通常とは遥かに異なる。魔力の流れや、命の流れ。それらを見ることが出来る代わりに、本来の世界を見ることが出来なくなってしまう。

「…、こりゃ変だ」

そんな魔眼を通して見えた先にあるのは、薄いモヤのように辺りに充満した魔力の霧。一度風でも吹けば、四散してしまいそうな程に儚く、柔らかに留まっている。

「私も見ました。しかもこの感じ、魔力の持ち主は端的に言って死傷している様に思えます」

エルティナが魔眼である金色の瞳を輝かせながら振り向いた。

「し、死傷…」

トコルが震える唇を噛み締めながら言った。

「…しかも、時間はそう経っていません。魔力の持ち主が死んでしまったのなら、それはすぐに消えてしまうはずです」

宙に舞った粉塵が、やがて地に落ちるように。空を舞った蒲公英の種が、遥か彼方へと旅立っていくように。

持ち主の死んだ魔力は、時間とともに世界中に散り消滅する。しかし、これらの魔力はまだありありと姿を残しているではないか。

「それって…」

楓が口を開こうとした刹那。

「楓ッ!!!」

悲鳴のような叫び声と共に、ソウカが地を蹴り楓を突き飛ばす。

「きゃっ…」

小さな叫び声と共に、倒れる楓。しかし、誰も、そして彼女自身もその身に目をくれてやっている余裕は無かった。

「っ…!!」

ソウカの眼中には、今まで映っていた景色は存在しなかった。光というものが存在せしえぬ、一面の黒。闇。

あ、と思った時ソウカの体が突き飛んだ。




命の危機に瀕すると、時が止まったように動くと、よく言う。ソウカはそれによく似た者を感じていた。




宙に舞うソウカ。





そして先程まで彼女が立っていた場所に、飛び込む形で静止しているエルティナ。







…エルティナッ!!!







咄嗟に手を伸ばそうとした時、それは既に遅く、闇の深淵に紫陽花色を揺らす彼女の姿は消えてしまっていた。








「ッ!!!」








まるで鯨が餌を捕食するように、その闇は口を閉じていく。


「させるか…っ!!!」


誰よりも早く体が動いたのはティアーシャだった。闇の中へと手を伸ばし、確かにエルティナの手を掴んだ。

しかし、そんな事お構いなしと言うように闇は閉じ、ティアーシャは後方に吹き飛ばされる。

「うっ…あぐあっ…!」

「…くっ!」

闇が閉じきる寸前、トコルは腰のポーチから小さな球体を取り出し、手の甲の装置を使うことなく直接投げ付けた。

その球体は、爆発もせずただ音も立てずに闇の中へと飲み込まれていくのであった。




「エ、エルティナ…!!エルティナ!!!!!」




ティアーシャは起き上がり、闇のあった場所を手探りで探る。しかし、手は空を切り空ぶってしまう。

「…、そんな…」

唖然。

ほんの数秒の間に、仲間の一人が消えた。

楓も、ソウカも、何が起こったのか分からないという様子で目をまん丸に開けて固まっている。

「エルティナ!!!!!!!!」

ティアーシャは叫んだ。

しかし、無情にもその声は森の木々の間を反射して木霊を起こすだけだった。














「クソ野郎が!!」

ティアーシャが悪態を着きながら、近くの木に拳を叩きつけた。

「ごめん…お兄ちゃん。私のせいだ…」

楓が地面に腰を付けたまま、涙ぐんだ目を手で隠しながら言った。

「…カエデ…」

木を背に寄りかかるソウカも、息を着きながら楓の頭に手を乗せた。

「全員理解してるわよ。あなたのせいじゃない。…それに、エルティナなら何とかするわよ。そうよね?ティア」

「…ふぅ。…そうだな」

落ち着きを取り戻したようで、ティアーシャも木を背に座り込んだ。

エルティナの事をこの中で一番よく知っているのはティアーシャだ。長年の付き合い故、彼女がそう簡単にやられる程のタマじゃないことぐらい容易に想像は出来る。

「皆落ち着いたかな?」

トコルが腰に着いた泥を手で叩きながら立ち上がった。

「朗報だよ。…エルティナは生きてる。ほら」

「え?」

トコルが取り出した透明はビー玉ほどの球体。それに全員の視線が集中する。

『皆さん、聞こえますか?』

「っ…エルティナ!?」

小さなビー玉が薄紫色に変化し、そこからエルティナの声が聞こえる。

『どうやら心配してくれていたようですね。それなら無用です。私は無事ですから、安心してください』

その柔らかな声を聞いて、全員がほっと胸を撫で下ろした。

「でも、どうやって?」

『トコルさんが閉じ側にこのガラス玉のようなものを投げ入れてくださったんです。すぐさま受け取って見たら、トコルさんの声が聞こえてきたので』

「私が作った小型通信機だよ。魔力も何も使わないから便利でしょ?…小さいからすぐ失くす事が欠点なんだけどね」

トコルは高らかにそのビー玉を掲げて見せた。

「エルティナ、あの中に入って何も無いのか?…それとも中に何か…」

『いえ、何もありません』

「じゃ、じゃあ出口とかは…」

『いえ、言葉を誤りました。何も存在していない、の方が正しいですね。この空間は虚無、そのもののようです』

「…虚無」

何も存在せしえぬ、虚無の存在。存在という表現すら怪しいかもしれない。

「そんな場所に居て大丈夫なの!?」

『光魔法のシールドで身を包んでいるので今の所は大丈夫です。ただ…』

「ただ?」

『私の魔力量は言ってしまえば底無しです。しかし流石に虚無に抗うとなると…もって三日でしょう。きちんと計算したので間違いは無いはずです』

安堵に溢れていた全員の表情が強ばる。

「そこに入り込む方法は?」

『…無い、と言いたいところですが一つだけ。それは』「次に穴が開いた時、体をねじ込んで救いに行く…ね」

「っ」

エルティナの声では無い、低く少しハスキーのかかった小さな声。

「ヘデラ…っ!」

皆が声のする方向へ体を向ける。

そこにいたのは、赤髪をなびかせる長耳族のヘデラ。しかし彼女の姿はトコルの見慣れたものではなく、全身から


全身のありとあらゆる場所に傷を負い、そこから流れ出た血が、服を元の色が分からぬほどに深紅色に染め上げてしまっている。

その姿、満身創痍。

支えになっている木が無ければ今すぐにでも地面に横たわってしまうほどに、彼女の体はボロボロだった。

「ヘデラ!」

慌ててトコルが駆け付け、その体を支える。

「…トコル、久しぶり」

「久しぶりだけど!そんなこと言ってる場合じゃないよ!何があったの!?すぐに治療しないと!」

「…ここは、危険。案内するから、連れの子達も着いてきて」

痛みに慣れているのか、それとも単純に感覚が麻痺しているのか。

それほどの怪我をしているのにも関わらず、その赤髪の長耳族は淡々とトコルに道を説明し、ぐったりとその身を預けた。

「皆、着いてこれる?」

「あ、ああ…」

全員、何が何だか分からないと言った様子でとりあえずトコルの後について行く。

身長の低いトコルではヘデラが体を預けるのに不向きだとし、ティアーシャが割って入って見せた。




---




「うっ…」

「ソウカさん?」

「いや…なんか頭痛が」

「ここ、なら。大丈夫」

ヘデラが指差すは、十数人の大の大人が手を繋いで囲っても、囲いきれないほどの大きさの大樹の根元。そこには小さな裂け目があり、中に入れるようになっていた。

ティアーシャはヘデラを床に寝転がすと、懐からナイフを取り出して手際よく彼女の衣服を切り裂いていく。

「お、お兄ちゃん!?」

「治療するだけだよ、他意はないって」

「あ…うん」

下手に服を脱がそうとすれば、傷が擦れ更に悪化する可能性がある。こういう時は、もったいない云々は忘れ潔く切り裂いてしまうのが良い。

「うっ、…こりゃ酷い」

皮は剥がれ、肉は抉れ、腹部においては内蔵がはみ出しかけている。

「俺は大した治癒魔法を使えないからな…。応急処置にはなるだろうけど完全には治せない。荒療治になっちまうけど、仕方ないな」

懐から革製の小さなポーチを取り出し、紐解けば中から数本の針と糸が顔を出す。

「皆、ひとまずこの中から出ていってくれ。警戒は怠るなよ?」

「…分かったわ」

まずソウカが潔く頷き、その後に楓も続く。

「トコル…」

「うん、ごめん」

心配そうに、不安な顔を隠しきれていない彼女も催促して外に出す。ほんとは傍に居させてやりたいのだが、万が一再び襲撃された時に少しでも戦力が多い方がいい。

「…ヘデラ、麻酔は無いけど頑張れるか?」

「…」

彼女は言葉も言わず、静かに頷いた。

俺は自分の手と、針、そして糸を水と炎魔法を合わせた湯で殺菌し軽く傷口を拭いて、息を整える。

手術用の道具では無い。あくまで小さな服の傷を治す為だけの裁縫道具だ。

しかし、彼女の治癒魔法の力だけではこれらの傷を修復するだけの力は無い。ある程度の傷口を繋ぎ止めてから使わねば、効果は発揮出来ないだろう。

「…っ!!」

傷口に、針をあてがい表面を突き刺す。

ヘデラの顔に苦悶が満ち、打ち上げられた魚のように力無く体が跳ねる。

「耐えてくれよ…」

なるべく彼女の顔を見ぬようにして、手元だけに集中して傷口を縫う。







それから、時間は流れるように進み。

正直、傷を縫うなんて事生まれて初めてだったのだが、不格好ではあるもののある程度の傷は縫い付けることが出来た。

しかし。

「こいつは…どうするか」

ティアーシャは項を弄りながら、頭を抱えた。大半の大きな傷は縫い終えた。しかし、彼女の左腕。

半紙に墨を落としたように、じわじわとゆっくりと黒い染みが広がり始めているのだ。

色々試してみたが、治癒魔法は効かないし、光魔法を使えばその場所が消し飛んだ。

「左手、動かせるか?」

「…」

汗まみれの顔を拭ってやって問うと、彼女は首を横に振った。

「まずいな…広がっていってる」

このままじゃ、全身に転移してしまいかねない。

「トコル!入って来てくれ!」

「え、私?」

トコルが入口の影から顔をのぞかせた。

「ああ、手伝ってくれ。一人じゃ、無理だ」

トコルが入って来るのを確認して、ティアーシャは針をしまい、腰の鞘から短剣を抜き、同様に煮沸消毒を行う。

「ティ、ティアーシャ?一体何を…」

「ヘデラの左手を切り落とす。…このままじゃ、この黒い染みが全身に広がっちまう。早くしないと…。トコル、ヘデラの体を抑えててくれ。ヘデラ、こいつを咥えてろ」

トコルがそっとヘデラの体を抑え、ティアーシャはヘデラに捻ったタオルを咥えさせる。

「一息に行くから、一瞬だからな」

染みの侵食は既に肘を通り過ぎ、体の方に向かっている。

肩の関節の隙間に短剣を当て、額の汗を拭ってそっと息を着く。

「っ!!」

「っんっんんっーーー!?っぐぅ!!!んっ!!」

そのまま一息で、腕を切断する。

跳ね上がる彼女の体を、必死にトコルが押さえ付ける。

「大丈夫、ヘデラ!大丈夫だよ!」

「すぐ終わらせるから、」

滝のように血液が溢れ始めた切り口を、すぐさま治癒魔法で治癒し、傷を塞ぐ。

「ほら、もう大丈夫だって」

「…」

「…寝ちゃった」

気が抜けてしまったのか、まるで糸が切れるようにして意識を手放したヘデラ。

「流石に麻酔無しで腕を切られて意識保てるやつなんてザラにいねえよ…。今のうちに治療を急ごう」

全身の細かい傷や先程の縫い傷に治癒魔法を掛けていく。本来なら、トゥルナやエルティナの専売特許なのだろうが、運悪く彼女らはこの場に居ない。

トコルの持っている万能治療薬も合わせて使い、数時間。致命傷となる粗方の傷は治癒できた。

「…終わった」

緊張の糸が解けたようで、二人は木の根に寄りかかる。

「しばらく置いておいて、糸を抜けば問題無い。だから心配すんな」

「…ティアーシャ?誰に…」

トコルに面を向かって言う訳ではなく、木の根を軽く手で叩きながら大樹の中を見て彼女は呟いていた。

『…気がついていたのか』

「そりゃあなあ。治療中に体の中に魔力が作られていくなんておかしなこと起こるわけねえ。心配なのは分かったけど、何か一言言えよな」

深く、低音な響のある声。トコルがビクンと背を震わせ、辺りを見回す。

「ティ、ティアーシャ?一体誰と…」

「ん?あー、これだよ」

再び地面から突き出る根を叩く。

「この辺りは神聖力に包まれてる。長耳族の街は崩壊しているのにヘデラだけが生き残ってるのが不思議だったんだ。…あらかた、この周囲はあの闇の空間も干渉出来ないんだろうさ…。吸血鬼の血を分けたソウカが体調悪そうにしてたのも、そういうこったろうさ」

「はあ…なるほどねえ」

『いかにも。あの禍々しい魔の空間が街を襲った時、血に濡れながらも何とかこの子はここまで逃げてきたのだ。…しかし私には手があらぬ故、神聖力を分けて鎮痛してやる事しか出来なくてな…。感謝するぞ、旅の者よ』

「礼には及ばねえさ」

片手間にヘデラの体の汗を拭いてやりながら、ティアーシャはぶっきらぼうに返答した。

「大樹さん、あなたはヘデラとどんな関係なのですか?」

トコルが問う。

『…この子は孤児だ。長耳族の罪人の子でな。年端の行かぬ子を一人にはしてやれんだろう。私の体の穴に細々と暮らし始めたものだから、時折木の実などを落としたものだ』

「保護者代わり、ですか。…なるほど、どうりでヘデラが肉嫌いな訳だね」

『物心付いた時から、この子は短槍を振り始めてな。何でも、街を出て外を見たい。とかなんだか言ってな。…言葉通りに街を出てから、十数年間。ずっと帰ってこなんだ。なるほど、小さき子よ。お前がこの子と旅を…』

「まだ何も言ってないんだけどなあ」

トコルが小さく肩を竦めた。

「そうです。でも、ある時を境にヘデラはここに戻って来た。そうでしょう?」

『嗚呼、その通りだ。友人の血を、見るのは苦手だ。と言ってっきり、一切短槍を持たなくなってな。私の中で静かに暮らしていたのだ。けれどある日を境に、再び短槍を振り始めてな。…どうやら本人も予感はしていたらしいが…。こうまでなるとは』

寡黙で、一見冷酷なヘデラだが、ティアーシャの死を誰よりも悔い悲しんでいたのだ。

「…でも、旧友に会えたのだから。私は、嬉しい」

「ヘデラ!」

顔を顰めながらも、ゆっくりと震える腕で体を起こそうとするヘデラに、すかさずトコルが支えに入る。

「どこか痛む?気分は?」

「…。大丈夫」

微笑を浮かべ、小さく首を振るヘデラ。

トコルはそっと胸を撫で下ろした。

「ティール」

「っ、」

「………あなたティール、でしょ?」

「なんで、」

「見れば、分かる。似すぎてる。…そして………ありがとう」

「……どういたしまして」

喉の奥に突っかかりを覚えたまま、呟くようにして口を動かした。







『外の者よ、ご苦労。この周囲は聖域のようなものだ。奴らは入っては来れない。…中に入ってきなさい』

「うわあ木が喋った!!」

外に居る楓の叫び声が聞こえる。

倦怠感に溢れる体に鞭を打ち、木の穴の入口まで体を引っ張る。

「大丈夫、俺達の仲間だ。二人とも警戒ありがとな」

「礼には及ばないわ。……けれど、私は外に居ようかしら……」

ソウカが短剣をしまい、顔を薄らと青く染めてその場に座り込んだ。

「ソウカさん、大丈夫ですか?」

「ええ、ここなら問題無いわ。馬車で酔った時の方が気分悪かったし。……あなたは中入りなさい?私はそこの美人さんのお陰で中に入れないのよ」

微笑を浮かべながらソウカがそっぽを向く。

「悪かったって……。あの時は……」

「なんてね、冗談よ。そんな事私が言うとでも思ったの?」

「……デスヨネ」

下手に胸が締め付けられたような感覚をして損をした。

安堵に喉に詰まった息を吐き、楓の背中を押して木の中に入れてやる。

「お兄ちゃんは?」

「ソウカを外には置いておけないだろ。……一緒に話でもしながら夜明けを待ってるさ」

空を見上げれば、もうすっかり空は闇夜の深淵に包まれていた。

チラチラとその存在をこちらに訴えかけているように、星明かりが眩い。……あっちの世界ではそうそうお目にかかれない絶景だ。

「……綺麗ね」

「……だな。あっちの世界とは、あまりにも違い過ぎる」

ソウカには、この満天の星空はどう写っているのだろうか。

アダマス曰く、ソウカは転生者だ。しかし、俺のように途中で記憶を復元されることも無く、その記憶は閉ざされたままで今の今まで生きて来ている。

もし仮に、俺と同様に強引に記憶を戻せば、これまでの記憶は魂の奥の奥へとしまわれてしまう訳だし、第一ソウカがそれを望んでいない。

以前この話をした時。ソウカは、ソウカ。この世界に生まれた、一人の蛇女よ。とだけ言って、無言のままこんな風に天を仰いでたっけ。

「……ねえティア」

「……ん?」

ソウカの細く冷たい指先が、そっと触れる。

「……私、やっぱりあなたが…」

「ティアーシャ!ヘデラ起きたよ!」

「お、ちょっと待っててくれ。様子だけ確認してすぐ戻るから」

何かソウカが言わんとしていたようだが、トコルの声にかき消される。

立ち上がって、木の中に入っていくティアーシャの背中を見ながら、苦笑と共に小さく手を振り、彼女は小さく息を吐いた。





「……ダメ、ね」





---







「おはよう、ヘデラ」

「おはよう、ティール。……色々、迷惑かけたわね」

「……お前に会いにここに来たんだ。死なれちゃ困る」

「……ふっ、あんなに小さかった子が……。こんなに大きくなっているとはね。……時の流れというのは早い物ね」

目を薄め、柔らかな笑みを浮かべるヘデラ。

「腕、痛まないか?」

ヘデラは小さく首を振った。

「問題無いわ。違和感ならあるけれど。……長槍なら厳しかったけれど、私は短槍だから。……不自由ではあるけれど、最悪何とかなる」

「……まだ戦うつもりなのかよ……」

思わず苦笑が滲み出た。

お淑やかな顔付きをして、案外戦闘狂なのかもしれない。というか、あのパーティにいた奴でマトモなのなんて誰も居ないんじゃないのだろうか。

「それで、私の事はひとまず置いておいて。……どうするの?あなたの仲間、囚われたままでしょう?」

「……そう。……助け出すには、もう一度あの空間を呼び出して無理矢理引き抜くしかない。……けど、それは確実性が無いんだよ……」

ティアーシャは頭を抱えた。

それもそのはず、相手は『虚無』。力押しでどうにかなる話でも無いし、かと言ってこれといった策略も思い浮かばない。

「『神聖力』」

「…?」

「言ったでしょ。この木には、莫大な量の神聖力が宿っている。……神聖力はあの虚無の空間を弾く、力がある。だから、神聖力を身にまとって彼女を探しに行けば、ある程度の確率は上がる」

確かに、神聖力には虚無を弾く力がある。それはこの大樹が虚無に飲まれていないことや、エルティナが神聖力を持ってして全身を覆い身を護っていることからも立証される。

つまり、神聖力を用いエルティナを助けに行けばいい。そういう話になる。

「……けれど、俺は神聖力が……」

否、問題はそこである。元々吸血鬼であるティアーシャは神聖力を身に付けていない。

虚無に入り、『天道』にて脱出が可能と思われる、この中で最も確実性の高い彼女だが、肝心の神聖力を身に付けていないのだ。

「……期間は?」

「持って三日だそうだ。ただ、もう半日は立ってるから、実際二日半」

「……あなたに覚悟があるのなら。その身に神聖力を宿す事は可能よ」

「……え?」

思わずティアーシャは首を傾げた。

神聖力なぞ、そうそう簡単に身につくものでは無い。吸血鬼であった彼女にとっては、その才能すら皆無であろう。そんな彼女に、二日半。少なく見積って二日で神聖力を習得するなぞ、広大な砂漠に落ちた金塊一粒を掴むほどの難度だろう。

「……出来るのか?二日で」

「……それ相応の覚悟と、命を捨てる程の気力が無くては無理ね。……それでもやると言うのなら」

「やる」

「……そう」

即答だった。

「待ってよ!……二日で神聖力を身に付けるなんて無茶だよ!……そんな無理に魔力回路を捻じ曲げたら、体が…っ!」

トコルが身を乗り出し、声を荒らげる。

神聖力を持たぬ物がそれを身につけようするのなら、それは魔力の性質を根本から変える必要がある。

それが意味するのは、圧倒的なリスク。命の根源とも言われる魔力の流れを、外部から無理矢理変えるのだ。下手をすれば死ぬし、ほんの少しのミスでも精神諸共壊れてしまう可能性だってある。

「……やるよ。……エルティナは、家族だから」

「……でもっ!」

「家族を……死なせるのはもうゴメンだ」

「……」

トコルがはっ、と口を噤んだ。

前世で自らの命を絶たれ、実母も殺され、そしてこの肉体の母親であるティアーシャも処刑され、父親のルンティアは己の娘の事すら覚えていない。

そんなティアーシャ、もといティールにも家族が出来た。楓、ソウカ、ナーサ、ルント、エルティナ。

何人も、失ってきたのだ。ここで、また一人。失うわけには行かない。

「……なら決まりね。明日の朝からやるわよ。……だからしっかりと寝なさい。寝不足だと死ぬわよ」

「……ああ、ありがとう」

寝返りをうって反対側を向いたヘデラに、ティアーシャは感謝を述べ木の部屋を出ていった。

「……ねえ、大樹さん」

『ぬ?…我の事か?』

ティアーシャが出ていったのを見届け、楓は天井を仰ぎおもむろに口を開いた。


「私に」


---




その晩、久しぶりに熟睡することができた。おそらくそれは、他三人も同じことだろう。これまで交代で見張り番を変えて、数時間おきに眠っていたわけだから深い眠りにつこうにも着けなかったのである。

しかし、神聖力に満ち溢れたこの大樹の中であれば敵襲の心配はない。もし仮に何か異変があっても、自我を持つこの大樹がそれを知らせてくれる。

若干の罪悪感にも駆られながらも、疲れに飲まれ朝まで起きることなく夢のさらに奥に落ちていたのであった。



「あら、随分と早いのね」

「朝露が顔にかかってきてね。目が覚めちった」

目元を擦りながら朝日を浴びるヘデラは既に外に出て、火を起こしていたティアーシャに声を掛けた。

「そんなに意地を張らなくても、心配で起きちゃったって言えばいいのよ。……全く、親子共々素直じゃないんだから」

「うっせ」

軽く突き放したティアーシャに対して、肩をすくめる。

「で?それは……何?」

「何って、こんな朝っぱらから火を起こしてやることなんて一つだろ。朝飯の準備だよ」

「朝、ご飯」

うっ、とヘデラは小さく目を逸らした。ただでさえ元々食の細いヘデラは、朝食を食べるという習慣があまりなかった。

にも関わらず、昼食も基本的に野生に自生している木の実や、野菜しか食べない。主食となる炭水化物や、肉類などのタンパク質を摂取していないのに、光合成でもしているのかと思うくらいにはエネルギーの燃費が良すぎるのだ。

「トコルから聞いてるよ。小食で肉とか魚が苦手なんだろ?安心しろよ、合わせて作ってやっから」

と、言われても正直ヘデラは内心不安だった。なぜなら、ティールの母親であるティアーシャは所謂メシマズであったからである。

「それは……魚?」

「俺が育った場所の特産だよ」

せっせと魚の口から背に向けて木串を通し、塩を尾びれに多めに振り付け串を地面に突き刺してその場に腰を落とした。

「ねえ、ティール」

「ん?」

ティアーシャはヘデラの方に見向きもせずに口だけで答えた。

「あなたが……、あの後。何が起きたのか。……教えてくれない?」

「……ことわっときゃなんないけど」

そこで初めて、ティアーシャはヘデラと目を合わせた。

「俺は、あんたの言うティールの皮を被った偽モンだ。……体はそうでも、精神そのものは違う」

「……で?」

「……え……。だから、俺はティールじゃ…っ」

ぐい、と頬を片手で摘まれ顔を近づけさせられる。

「……誰がなんと言おうと、例えそうなのであっても。あなたがティールであり、ティアーシャの娘であることには、変わりないわ。……彼女が、命を賭してまで守ったその命を、否定しないで……」

「……んぐ」

喉に、突っかかりを覚えた。返す言葉が見つからないというかなんと言うか。

「けれど、……彼女の後を追っているところ。その自覚はちゃんとある見たいね。……ほら、これを探してるんでしょ?」

半ば無理矢理に手の中に捩じ込まれた何か。

そっと隙間からその何かを覗き込んでみれば、そこにあったのは…。

「……石」

藍色に、深く輝く小さな石。




「……追ってきなさい。受け入れなさい。真実を。自分の、運命を」





滝の上から下に落とされた様に。

天から地へと下るように。







視界が、ブラックアウトした。












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