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第87話 真実



「…ルナ、…ルナ」

「…ぅ」

数時間泳ぎ続けた時のように、全身が重かった。体を揺すられ、重い瞼を持ち上げる。

「…ほ、良かった。トゥルナ…」

「ティ…アーシャ?……なんで」

まだ視界がボヤけている。

しかし、滲んだ世界でもその声は彼女の物だったし、何よりも白銀色が光り輝いていた。

「説明は後で。歩ける?」

「え、ええ。なん、とか」

彼女に肩を貸され、なんとか立ち上がる。しかし、足の力が抜け地面に膝が叩きつけられる。

頭が割れるように痛い。吐き気もする。

恐らくはあの衛兵に後頭部を殴打された事が原因。なんなら自分でも生きているのが不思議なくらいだった。

「…仕方ない。…トゥルナ、これを飲んで」

「…?」

意識が朦朧とする中、ティアーシャから半ば無理矢理口に何かを突っ込まれる。

味や、感触などを感じる余裕は無かった。恐らく回復効果か鎮痛効果のある薬だと思い、無心でそれを飲み込む。

「それで、動けるはず。ティール、トゥルナと一緒に逃げなさい!」

「え、お、お母さんは?」

「…。後で行くから」

「…約束だよ」

「…っ。ええ、約束ね」

ティールの小さな手にひかれ、トゥルナらは階段を上り、再び大通りに出る。

「トゥルナ!!!」

ふと、背後から声を掛けられる。

力無き体をなんとか動かしてそちらを尻目で見れば、三人。よく見なれた『彼女』らがこちらに向かって駆けて来ていた。

「ティール!ティアーシャは!?」

トコルが声を荒らげる。

彼女らは『嫌な予感がする』と言ってトゥルナ達の方へ走り去ってしまったティアーシャの事を追いかけて来たのだ。

そして、その予想も的中した。という訳である。






「お母さん、お母さんはあそこ!」

ティールが指差すは、先程まで彼女達が居た地下への階段。

しかし、既にそこへの入口には騒ぎを聞きつけた衛兵達がわらわらと集まって来ていて、到底助け出せそうに無かった。

「…ちっ、ティアーシャなら何とかするだろう。ヘデラ、あんたはティールをおぶりな!トゥルナは私が持つ!このまま無理矢理駆け抜けるからね!」

トゥルナはナーサの大きな背中に背負われ、ティールはヘデラの小脇に抱えられる。

「…ティアーシャ…」

数多の衛兵が階段に向かって走って行く。ナーサもそれを見て、すぐさま門の方へ走り始める。

ティアーシャが強いのは、この身を持って知っているがあの狭さで、あの人数を相手にしても勝てるのだろうか。

トゥルナはそんな事を考えながら、唇を噛み締めて意識を失わぬ様に前だけを見ていた。





---








「くっ!キリがないね!これは!」

何とか街の門を抜け、森の中に逃げ込んだ一行。しかし、追っ手の数は減らない。むしろ森という、木以外の何の隔たりも無い場所だからこそ、四方から囲まれ全員散り散りになって交戦している。

「…ティール、怪我してない?」

「だ、大丈夫。でも、トゥルナお姉ちゃんは…」

遠距離攻撃に徹するトコルの背後に隠れながら、トゥルナはティールの頬に手を伸ばした。その手は鮮血に塗れ、ティールの青白い肌に血跡が着く。

「トゥルナ!ティールを連れて逃げて!このままじゃ押し切られる!」

トコルがはち切れんばかりの声で叫ぶ。

ナーサ、ヘデラ、そしてトコル。この三人が迫り来る敵に対し、牽制を行っているわけだが、彼女らはどれも峰打ち。つまり、敵を殺せていないのだ。

下手に殺しでもすれば、彼女らが人間として生きていくことが出来なくなる。

もし仮にそれで生き残ったとしても、一生罪人として生きていくことになってしまうから。

「…ティール、よく聞いて」

トゥルナは指を弾いて、ティールの髪の迷彩を解除する。徐々に白銀色に戻る彼女の髪を撫で、トゥルナは重そうに口を開いた。

「…私は、何がなんでもあなたを守る。だから、生き延びて」

「…え」

額に指を当て、魔力を放出する。

まるで弾かれたようにティールの小さな体が仰け反り、再び体が戻ってくる。

「『エル』、任せたわよ」

「任されました」

ティールの体で、しかし無機質なその目は彼女のものでは無かった。

彼女は、その小さな体の動かし方をなんとなくに確認を済ませ、浅く頷いて地を蹴って駆け出した。

これは、賭けだ。ティールが寝ている間に、『エル』に予め伝えておいた最終手段。もし仮に、脱出に失敗した時に何としてでもティールを生き延びらせる方法。






記憶改変。







トゥルナがずっとひた隠し、使う事を封印していた力。もちろん魔力を媒体にするので、魔法という括りになるのだうが。

記憶を書き換え、それが今までそうだったのか、と思う様に思い込ませる魔法。『エル』

にこの魔法を教え、そして彼女なりのアレンジを加えられている。

これが、彼女を守る事に繋がるなら。

本望だ。

トゥルナは色素が薄れていく己の髪に、魔力を注いだ。










エルに体の支配権を握られたティールは可能な限り全力で逃げた。

しかし、如何に吸血鬼といえど、体は子供。体力にも、出せる速度にも限度がある。それに、本人はさほど気にしてはいなかったが外出のリスクの高い吸血鬼の子供は外の世界をほとんど経験していない。

エルにとってもそれは同様で、特に彼女の場合体を持って動くという機会があまりにも少なかった。何度も転び、泥土に塗れながら一つ、洞窟にたどり着いた。

「…っはあ、…本当はやりたくなかったですがね。仕方ない」

口を結び、意を決して洞窟に踏み込むティール、もといエル。

しばらく進んでいると、入口から差し込んでいた陽の光もはたと消え、静寂と暗闇だけが広がっていた。

幸い、吸血鬼は夜行性であり夜目が効く。普段より見えにくいとはいえ、ある程度の物の形や生き物の動きは感知できる。

ここまで来れば追っ手の心配は無いだろう。しかし、今度は新たな脅威が目の前にある。

それは、洞窟内に巣食う生き物達。

闇に塗れ、突如現れては自らの糧にするべく牙を向けてくる、地上の生き物よりも獰猛で力強い生き物達。

「…やるしかないみたいですね」

今、周囲に敵の反応は無い。

エルは自身の能力を使ってそれを確認すると、その場に膝を折って座って息を整えた。

『エル、やるの?』

「っ…。ええ、やむを得ません。ですが、やめろ、というのであれば止めます。あなたの意志を尊重するつもりです」

エルは、トゥルナと話したこの計画をティール本人に話していない。そのため、少し息を飲んでしまった。しかし、よく考えてみれば自分も肉体を持たずともティールの考えを読み取れていたでは無いか、と苦笑を浮かべ自分の額に手を押し当てた。

『エル』

「なんでしょう」

無愛想、とまではいかずともいつもと変わらぬ様子で淡々と答えるエル。




『この後も、友達で居てくれる?』





「当たり前です。あなたは、私のかけがえの無い大切な友達ですから」






二人は、まるで顔を合わせたかのように笑みを浮かべ、そうして彼女の体は糸が切れたかのようにして崩れ落ちた。

















「…」

ぼんやりと、見慣れない物があった。見ている方向が上なのか下なのか、はたまた正面なのか上なのかもわからない。

「あー、あー、うん、喋れる」

言葉も話せた。ここが日本という確証があるわけでもないが、声を出せるだけでかなり違うのではないだろうか。




『あトは、アナた二。全テを、ユダねマす』





彼女の、機械的な声は。

彼女に届いたのだろうか。













---









「…」

「…」

無言で、相槌も打たず、ただ静かに耳を潜めて聞いていた二人は、話を聞き終えた後も何も言葉を発することが出来なかった。

「…分かったかしら、ティール」

トゥルナは、目を逸らし重々しく口を開いた。

「…分かる?…分かるわけねえだろ、そんなの…」

ティアーシャ、もといティールはわなわなと震える腕を押さえつけて怒りを顕にしていた。

「…その、『エル』というのが私、ですか」

「そうね、その髪の色も声色も彼女と同じね」

「…言われれば、ぼんやりとそんな光景が浮かんで来るような気がします。ティールの記憶をこの手で」

改変した、そう呟こうとした所でティアーシャが顔を顰めたのでエルティナは口を噤んだ。

「どうにも不思議だったのよ。前世の記憶がある、なんて。エル、あなたの仕業だったのね」

「…その時の私は、恐らくティールを生き残らせることに必死だったのでしょう。何がなんでも彼女を生き残らせるには、この方法しか無かったのです」

少しバツの悪そうな表情で、トゥルナの顔を見た。

ティアーシャの顔は、見られなかった。いや、見たくなかった。

「…。なあ、それじゃあティアーシャは本当に…」

「ええ、死んでいるわ。…私を庇ってね」

トゥルナは額に掛かる前髪を持ち上げて見せた。潤いのある滑らかな前髪が退けると、そこには痛々しい古い傷の後があった。

「…そうだ、ルンティアは?ルンティアは生きてるのか?…もし生きてるのなら今すぐにでも…っ」

急いで立ち上がろうとしたところを、エルティナに静かに手を掴まれティアーシャは動くのを止める。

「『生きては』いるわ。ただ、あなたの事はティアーシャ、としか認識していないのだけれど」

「…どういう…」

「…はあ、本当は言いたくないのだけれど。仕方ない。…ルント、彼がルンティアよ。あなたの実の父親」

「…。は?」

一瞬、理解が出来ず目を瞬いてしまった。

話を聞く前だったらら、何をそんな。と軽く流せていただろう。

しかし、後であれば。

背筋が凍るような、嫌な予感がした。

「まさか…」

記憶改変能力。

頭の中にその文字がバラバラになって回っていた。そして、無情にもその予想は的中することになる。

「…記憶を、変えた。彼を守る為に。あくまでナーサの夫として、そしてナーサはルントの妻として。私がね」

絶句。

声が出ない。

「幸い、彼は潜在的に魔力量が多かったようだから髪の色を光の屈折を使って変えさせることは容易かったわ。彼も記憶を改変させた時に無意識下でも髪の色を変化させるようになっている。…そしたら繋がるでしょ?あなたが吸血鬼としての魂を分離されて髪色が赤色になった訳。優性遺伝である吸血鬼の遺伝子が消えて、劣性遺伝であるルンティアの血が濃く出てるのよ。彼も同じ赤髪よ」

「…」

まるで酸素の足りていない金魚のように、パクパクと口を動かすティアーシャ。

「それ、じゃあ…っぅ…」

「ティアーシャ!」

ようやく声が出せると思った矢先、なりよりも先に登ってきたのは吐き気だった。

口と腹を押さえ、必死に吐き気を抑える。

口中に胃酸が広がり、酸味が充満する。

「恨むなら、私を恨んで。ティアーシャ。あなたの意識がこの世界に降り立ってしまったのも、全て私のせいだから」

「…。しばらく、一人にしてくれ」

「ティアーシャ…」

「ごめん、エルティナ。…辛いのは全員辛いのは分かってるんだ、けど。……少し整理させて欲しい」

「…気持ちが落ち着くまで、居ていいから。ベッドも使っていいわ」

「…」

言葉を発さずに、床を見て頷く。

エルティナとトゥルナは静かに席を立ち、エルティナは胸元を押さえつけながら扉を押して部屋を出た。



---エルティナ!…あれ、ティアは?

---しばらく、落ち着かせてあげましょう

---お兄ちゃん、大丈夫?

---少し、パニックになっているだけよ。安心して。



開いた扉の隙間から、そんなやり取りが漏れていた。

けれど、虚ろな目で虚無を見つめる彼女の耳にはそんな言葉は入ってこなかった。






--






今まで、生きてきたのは。



は、と頭に浮かんだのはそんな言葉だった。

初めは、 平和な日々を過ごした。迫害なんて身をもって知らなかったし、周りからも可愛いがってもらっていた。

嗚呼、そんな日々の家族も偽りなんだっけか。

しばらくして、旅に出た。色んな奴と出会った。

『神石』を手に入れて、久しぶりに楓と再会した時は。ほんとに嬉しかった。




でも、俺の存在は。

一家族を巻き込んで、崩壊させた。

一人は死に、一人は記憶を失い。

偽りの記憶で生きてきた。


俺が産まれていなければ。


ティアーシャも、ルンティアも。仲つつまじく暮らしていたのだろうか。

時折トコルや、ヘデラ、ナーサにトゥルナと出会って。何の変哲もない他愛もない会話をして馬鹿騒ぎして。



トゥルナのせいでは無い。俺が、俺の存在その物が、あってはならなかったんだ。




全てを、奪った。

俺に対して彼女、ティアーシャが残したメッセージとは一体何なのだろうか。

彼女が俺を命を捨ててまで守ったというのは分かる。だから、何も恨みのメッセージだったり、憎しみを込めたメッセージでないというのは分かっている。分かってるんだ。


けど。どうしても。


ティアーシャのことを考えると、あの影に嫌という程イメージを叩き付けられた血に濡れ、狂気に歪んだその顔で喉笛を掻っ切ろうとしてくる想像が、表に出てきてしまうのだ。




「母さん」





誰に向かって言ったのだろう。ティアーシャ?それとも、前世の母親?ナーサ?




「ごめん」






自分が何かをした訳では無い。そんな理解はとうに出来てる。

罪滅ぼしだとか、偽善の意味の言葉ではない。


ただ、自然と口から零れていた。







---






それから、何時間。いや、何日が経過したのだろう。

ひたすらに嘔吐し続け、子供のように泣きわめき、家具に体を打ち付けたり。

トゥルナ達は気を使ってくれているようで、この家を空けてくれている。

気を使わなくてもいい、本当ならそう言いたい所だったのだが。今の彼女にはそんな余裕は無かった。









洗面台に立ち、鏡を見やればそこには嫌に痩せ細れた赤髪に多くの白髪が混じる少女が、目の元の隈をこさえながら、自分を見つめていた。






「はっ」







思わず失笑した。なんでしてまでこんな情けねえ顔してんのかな、と。


鏡に写るしょぼくれた自分を見て、なんだか腹が立ってきたので思いっきり口角を持ち上げてみて笑ってみせる。


「っ」


引きつった顔にはなったが、心の奥がそっとザワつ

く。


「…そりゃ、なあ」


自分で言うのもなんだが、こんなに可愛い娘が居たら、命を捨ててまで護りたくもなるわな。

口に出さずとも、吐き出すように心の中で思った。


多分、同じ感情だったのだろう。俺も、ティアーシャも。

俺は楓を、彼女は俺を。自分の本当に守りたいものを、命をとしてまで守り抜いた。

「魂そのものは違えど、ちゃんと受け継いでるってことなんだな」

ぽ、と胸の中に柔らかな火が灯ったような気がした。















少しだけ落ち着いてきたのか、吐き気はかなり収まった。

けれど、代わりに。

胸の内がぽっかりと穴が空いてしまったかのように、満たされない感じがした。

ひたすらに胃に物を流し込むようにして食べてみても、寝てみようとも、満たされなかった。

湧き上がってくるこの気持ちは、薬では抑えられない。

さて、どうしようか。

こういう時は、自分の体と相談してみるべきである。









そして。










………やっちまった。

………これだけはしねえって心から決めてたのに………。








そして翌朝、日が昇る頃にまで没頭し続け、彼女は後悔する事となっのだった。







何をしていたのか。……それは彼女のみぞ知る。









---






「トゥルナ」

「…あら、案外早かったわね。一ヶ月はかかるかと思ってた。…もういいの?」

「…まあ、うん。色々と大切なモノは捨てたような気はするけど…」

何、とは言わなかったが頬を赤らめ俯いたその様子を見てトゥルナは察したようでニタニタと笑みを浮かべた。

「ははあ、女の子になっちゃったか。皆を宿に泊めて戻ってきた時、可愛らしい声が聞こえたからまさかなあって思ったのよ。ははあ…」

「それを言わねえようにしてんだよこっちは!!」

思わず声を荒らげるも、真夜中ということもありハッと口を噤んだ。

「良いのよ、女の子に取っては当たり前なんだから。母親になる身としては当然よ」

トゥルナは暗黒微笑を浮かべ、テーブルに頬杖を着いた。

「…はあ、まあ気持ちの整理は着いたよ。だから、頼みがある」

「…何?」

轟々と流れる水道をキュッと閉めたかのように、トゥルナの顔は真剣になった。





---





「おはよう、皆」

翌日の朝。ティアーシャは皆の前に姿を表した。

「ティア!心配した…って、その髪…」

「ティアーシャ…」

そして、三人とも目を丸くした。

「…俺なりの、戒めだよ。…待たせてごめん」

腰に短剣を携えて、口をキリリと結んで彼女は仲間の元へと足を進めた。

その顔は若干やつれてはいるものの、それでもなお生気がありありと宿っていた。

「…ティアーシャ、彼女はやっぱりあなたの娘ね」

誰にも聞こえない声量で、トゥルナが呟いた。しかしながら、エルティナには聞こえたようで彼女が振り返るのを見ると、小さく舌を出しながらウインクして見せた。

「…行こうか」

銀の髪が揺れる。

戸を開けると吹き乱れる朝の風。

振り返らずに旅立っていく彼女の背中を、煙管を咥えつつ眺める彼女の瞳は窓ガラスから射し込む陽の光を反射して淡い色に澄んでいた。

トコルが振り返り、小さく手を振る。

トゥルナは、煙管を咥えて小さく振り返した。

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