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第85話 ティール

※番外編1.2.3.4.5を読んでいると、より分かりやすくなると思います。まだ読んでいない方は、番外編を読んでから読むことを推奨します



「…今から、私があなた達に話すのは」

トゥルナの自室。簡易的なベッドに小さな机。まるで小学生が貰ったばかりの自室のように簡素な部屋。

そこへ椅子を三つだし、それぞれが座る。

トゥルナは大きく息を吸い、語り始める。

「ティアーシャ。あなたの過去よ」














「…おめでとう!二人とも!」

「ありがとう、トゥルナ」

時は、遡る。

その出来事から、幾年が経とうとしているのだろうか。十年はとうに過ぎているのだろう。

この広大な世界に、新たな命を授かった家族が一組。いた。

「可愛い…」

「ティアーシャに、よく似てる。分かるよ」

母親の名は、ティアーシャ。父親の名は、ルンティア。

その日、生を受けたその子は、人間と、吸血鬼のハーフ。人間と吸血鬼が交配を行った場合、人間側の遺伝子は劣性遺伝となり、ほとんどの場合吸血鬼の子が産まれる。

その証拠に、うっすらと生えた髪は白銀のように輝いていた。しかし、瞳の色は父親の赤の染色体を受け継いだのか、母親の瑠璃色ではなく、真紅色を帯びていた。

「もう、名前は決めてるの?」

この世界では、名前を役所に届けるという文化はない。それ故、期限というものは存在しないのだが。

「そうだね…。名前は…」

ティール。

その子の名は、その日決められた。





「毎日の健康診断の時間ですよっと」

ティールが産まれてからも、トゥルナはティアーシャの元を訪れていた。ティアーシャの体の様子を診る、という建前で。

「建前はいいから、ほら。トゥルナですよー」

もう既に首の据わった、小さな少女が彼女の腕に抱えられて、真ん丸な瞳でこちらを見据えていた。

「可愛いなあ…。これは美人になること違いないね」

「だといいけど、ね。私と同じ、吸血鬼の血を引いてしまっている以上、平穏な生活は、送れないかもしれないけど」

けど、後悔はしてないよ。ティアーシャは付け足した。

「…。ティアーシャ」

「ん?何?」

ティールの小さな手で、小指を包まれながら、トゥルナは口を開いた。

「無理して、私達の所に戻ってこなくても大丈夫だよ。…今のあなたには、守るものがある。帰る場所がある。…私達のことは、気にしなくていい。今は、この子のことを。一番に考えてあげて」

「…。ありがとう、トゥルナ」

ティアーシャは数秒黙った後に、おもむろに口を開いた。

「しばらくの間は、冒険者引退ね。流石に、こんなに可愛い子ほっぽいてどっかに行くなんて出来ないわ」

「…そうね、」

ティールを抱え直し、娘と手遊びを始めるティアーシャ。

そんな二人の光景を、トゥルナは静かに笑みを浮かべて見守っていた。







「…そういう訳で、ティアーシャはしばらくの間。来れないと思う」

「…そっか」

トゥルナは、トコル、ヘデラにこのことを静かに打ち明けた。ティアーシャに、娘が出来た。だからしばらく、戻れない、と。

「流石に…ナーサには、言えないね」

「…彼女も聞けば納得はするとは思いますが…。心に負う傷は大きいでしょうし、しばらくの間は黙っておきましょう」

ヘデラが淡々と、酒の継がれたグラスに視線を落としながら言った。

「それにティアーシャは……」

「ん?」

「…いや、何でもない」

トゥルナは、口を噤んだ。








それからまた、数年。

ティールは、一人前に歩けるようになっていたし言葉も喋れるようになっていた。



そして、もう一つ。彼女には友人が出来ていた。


『初めまして、トゥルナさん』


ティールの体の傍から、ぼんやりと姿を現している魂を具現化したかのような人影が。

「…え、ええ?」

容姿は、ティールと瓜二つ。強いていえば、髪の色が白銀では無く紫陽花のような淡い紫色だと言うところであろうか。

「驚いたでしょ?…なんでもこの子、ティールの魂を共有して生きる子なんですって」

「ほ、ほええ…」

ティールは、彼女の方へ意識を戻した『彼女』と話をして遊んでいる。

「…しかも、この世の理を知り尽くした、神の使いみたいなものらしいわね…」

「…いきなりスケールがデカくない?」

通りで言葉の覚え方が早いと思ったのだ。会う度に言葉を上達させていて、吸血鬼所以の成長の早さかと思ったら、まさかもう一つ魂があるなんて。

「あの子はいい子だから心配ないわ。名前が無いのもおかしいから、『エル』って名前を付けたの」

「『エル』ね…」

これも何かの縁なのか、それとも神の気まぐれなのか。

…それにしても神の使いって…。

皮肉なものである。世界から恐れられ、迫害を受けてきた吸血鬼の子に、神の気まぐれが与えられるなんて…。

やはりこの世界、謎だらけね。

「…それと…。トゥルナ…、少し良いかしら…」

唐突に、ティアーシャが気恥しそうな声でトゥルナに耳打ちした。

「…うん、まあ別にいいよ」

「ありがとう…乾いちゃって…」

抱きつくように、肩と頭に手を回し、そっとトゥルナの首筋に牙を立てる。

「んっ…うっ…」

「…っ」

種族故の本能行為、『吸血』。

首を流れる血液が、彼女の体内に取り込まれていく感覚がある。

一度に行う吸血行為で得られる血液量はせいぜい500mlから700ml。健康な肉体であれば、人によれば軽い貧血になる程度で済む量だ。

ティアーシャが牙を抜く。ほんの少し血が溢れ、直ぐにその傷が塞がる。蚊が血を吸った後に痒みの伴う成分を注入するように、吸血鬼は、吸血対象に傷を残さぬようにすぐにその噛み傷を癒すことが出来る。

しかし、今回ティアーシャは400ml程しか血を取らなかった。

何故なら。

「トゥルナさん、ほんとに大丈夫?」

ティールの分も私が賄わなければならないから。

『ティアーシャさんが吸血した血液量は約350ml。子供のあなたの推奨摂取量は約200mlなので、体への影響は少ないかと』

横からふよふよと、同じ顔が現れてアドバイスを残してまた消える。

「私は大丈夫。はい、どうぞ」

トゥルナは軽く首を突き出し、ティールは恐る恐るその薄皮に牙を突き立てる。





「…」

「はは、すっかり疲れきってるじゃないか」

「…流石に二人連続はキツかったわ、ね」

一つ階を降りれば、そこはルンティアの営む料理店がある。

ちょうど昼時も過ぎ、客足が減った所を狙ってトゥルナはカウンターテーブルにへと腰を下ろす。

「ほら、血を作るのにいいもん作っといてやったから」

出てきたのは牛の肝臓の炒め物。所々形の崩れたドス黒い肉の塊が皿の上でもうもうと湯気を立てている。

「頂きます…。…うぇ」

若干の抵抗を覚えながら、それを口に運ぶ。店主のルンティアなら大丈夫だと、多少なりとも思ったのかもしれないが案外そうでも無かったのかもしれない。

十分な臭み抜きもされていない、本当に肝臓を炒めただけの料理。吸血鬼にはご馳走なのかもしれないが、人間にとっては少し匂いや食感がキツいものである。

「私は血は飲まないわよ…?」

引き攣る顔でルンティアの顔を見上げるトゥルナ。

それに対して白い歯をむき出しでニカニカと笑うルンティア。

「それ食ったら美味いもん出してやるから。貧血なったらめんどくせえから」

「ええ…」

しかし、これも彼なりの善意だろう。満足な食料の保存設備も無い中、痛みやすい肝臓をわざわざ提供してくれたのだ。食べない訳に行かないだろう。

トゥルナは唾を飲み込み、肝臓をコップに入った水と共に胃の中に流し込む。

「…うっええ…」

「よし、じゃあ腕にヨリをかけて美味いもん作ろうか」

ルンティアは文字通り、調理着の袖を捲りナイフで食材を刻み始めた。

先の肝臓の炒め物は絶望的だったが、ルンティアの料理の腕は街の中でもピカイチだ。事実開業から、この店で閑古鳥が鳴いたことはない。ティアーシャとの出会いも、この美味い料理だったのだろう。

「…」

彼が調理をしている間、特に何も考えず若干こそばゆい項を掻きつつ時間が過ぎるのを待つ。

「…失礼、そこの『癒し手』の方」

そうしていると、ふと背後から声をかけられる。

「はい?」

他意も無く、特に意識せず振り返る。

彼女は診療の為ここへ訪れていたので、白衣姿という事もあり、医師だということが分かることに対して驚きもないのだが。

「うえっ?」

その声の主は、瞬く間に目と鼻の先程までの距離ほどにまで移動しており、しげしげとトゥルナの顔を観察していた。

「あの…何か?」

見る限りでは、祭司だろうか。教会の修道服らしき衣類に身を包んだ初老の男。

「その首、如何なされた?」

「首って…」

「二つ、小さな傷があるであろう」

「っ、」

その言葉を聞いて、背筋が凍りつくような思いだった。調理を行っていたルンティアも、思わず手を止め顔を青くする。

「あー、多分虫ですかね。良く出るんですよ。掃除とかさっぱりだから」

これではぐらかせるような気もしないが、直接真実を話すよりはマシだろう。

角度的に直接は見ることは出来ないが、おそらくその二つの傷は、吸血行為の際に出来た傷。

吸血鬼としてそれなりの歳を重ねているティアーシャがそのような傷跡を残すとは考えにくい。

と、すると。

トゥルナは、はと思い当たる節があった。

ティール、か。

「虫に噛まれた…にしては腫れもない。そしてこの傷、人の歯型と一致しなくもない」

「…」

やはり、そうか。

子供であるティールは、傷を治すことの回数が多くない。その分、治りも遅ければ傷跡も目立つ。

トゥルナは内心舌打ちをした。それに気がついて、己で傷跡を消していれば、と。

「おそらく、吸血鬼ですな。…まだ生き残りがいたとは…。いや、失礼しました。お嬢さん。…店主、私はこれで」

「あっ…ああ、はあ。ありがとう、ございま、した」

初老の祭司は、袖の内側から幾枚かの貨幣を取り出し、トゥルナの脇のカウンターテーブルに置いた。

「こうしちゃおれん。すぐさま報告しなくては」

蹴飛ばすように扉を開けて、その祭司は店を飛び出して行った。

その背中を、嫌に長く感じる時間の中を二人は青ざめた表情で追っていた。

やがて、その姿が見えなくなるとルンティアは、震える手でトゥルナに皿を差し出した。

「さ、さあ。おあがりよ」

「…あり、がとう」

ここで動揺を顕にすれば、他の客から不審がられる。今は落ち着いて、平然を演じねばならない。

同様に震える手で皿を受け取り、ナイフとフォークで何やら形も分からない焦げの塊のようなものを口に運ぶ。

苦味や、味など何も感じない。

ただあるのは、腹の底から湧き上がってくるような絶望感だけだった。






「ティアーシャ…」

「あ、戻ってきたの?」

何も知らぬ、ぽかんとした顔。ベッドに身を預ける彼女の脇に無垢な顔をしてすうすうと寝息を立てているティールがいた。

…言えない。

吸ったのが吸血に不慣れなティールだから、という言い訳は効かない。それに気が付かなかった医者である私の完全な落ち度だ。

「ティアーシャ、あの…っ」

「ん?」

言おうとした。喉のもうすぐそこまで言葉が上がってきていた。

けれど、娘の絹のような白銀の髪を梳いて撫で、優しい母親の顔を見てしまったら、それ以上言葉は昇ってこなかった。

「…ごめん、何でもない…」

「大丈夫?」

「う、うん」

自分のせいなのに、それを言い出せない自分が愚かで、情けない。

口の中で噛み締めた頬が切れ、口に鉄の味が広がる。

「そうそう、ティールがね?」

普段するような他愛もない会話。なのに、言葉が一切頭の中に入ってこない。

代わりに、別のことが頭の中を渦のように巻いている。

「…トゥルナ…?」

「…ごめん、」

それ以上は、耐えられなかった。足から力が抜け、膝から崩れ落ちる。

「いや、トゥルナが悪い訳じゃない。誰も悪い訳じゃないよ」

「ルンティア…一体どうしたの?」

流石にあの状態じゃ、営業も続けられないとして店を切り上げてきたのか、若干息の上がったルンティアが部屋に入ってくる。

「…それは」

しかし、ルンティアも言葉に詰まる。己の、幸せな生活をぶち壊すことになってしまうから。

「…ティールの噛み傷を見られた。教会の人間に」

「っ、」

だからこそ、ルンティアには言わせたくなかった。彼がその口で言う事は、残酷だし何よりもそれは逃げに過ぎないから。

「傷の治りが遅かったみたい。ごめん、私が気がついていれば…」

「…トゥルナ」

ティアーシャは、ベッドの上から彼女を子招きする。

彼女は体を引きずるようにして、ティアーシャの元に体を運ぶ。

「…トゥルナの責任じゃない。いずれはこうなる運命だったのかもしれないし」

まるで子供をあやす様に、トゥルナの黒色の髪を撫でるティアーシャ。

「まだ見つかったわけじゃない。これから、探しましょ。また楽しく暮らせる方法を」

「…うん」

「なに?子供みたいになっちゃって、ティールと同じよ?」

涙腺が震え、思わずティアーシャの体に顔を押し付けることによってそれを見られるのを回避するトゥルナ。

そんな彼女の様子が、おいたをした子供が親に泣きついているようにしか見えず、思わずティアーシャは吹き出した。

「俺の店の事は気にすんな。いざとなりゃ畳んで、隣の国にでも引っ越そう」

「…ええ、そうね」

赤く腫れた目で見上げたティアーシャの目は、一体何を見ていたのだろう。

遠くの、何か空虚な物を見詰めているようにしか見えなかった。




---





「吸血鬼、出没。情報求む、ねえ」

街の掲示板にデカデカと貼りだされた広告を一瞥し、ナーサは嘲笑する。

「また教会の奴らかい。好きだね、吸血鬼狩り」

「物騒なもんだよ。別に殺しをしてるんじゃないんだし、放っておけばいいのに」

ナーサの身長の半分程の背丈しかないトコルが、不思議そうな顔をしてその貼り紙を眺める。

「ほんとに、ね。それじゃ動物を食べてる、私達はどうなるのかしらね」

ヘデラがおどけてみせる。山々の自然の恵に対しての思いが強い彼女ら長耳族だからこその考えなのだろう。

「トゥルナ?どうした?」

そんな彼女達の一歩後ろで俯いて、顔を青くしているトゥルナがいた。

「まさかあんたが吸血鬼だー!なんて無いよなあ?」

ナーサがガハハと豪快に笑い飛ばす。しかし、トコルもヘデラも笑わずに心配そうな表情でトゥルナの事を見つめているので、流石のナーサも空気を読んで笑いやめた。

「皆」

そして、ついに重々しく閉ざしていた彼女が口を開いた。

「話があるの」


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