表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
91/135

第84話 記憶

※残酷表現有



「真っ黒な…人っ!」

いつか街に現れ、それ以降皆の恵に対しての考えが変わった時のものと同じ姿だ。そして、私の家を囲うようにして配置されたぼんやりとした形をした人型の影。先程から放たれている黒い何か、それはどうやら彼らの放つ弓のようだ。

「大丈夫、致命傷じゃない」

エルティナは背中を掠っているだけだった。掠っていると言っても出血はしているし、相当な痛さなのだろうけど。

腰に取り付けたポーチから薬瓶を取り出し、蓋のコルクを口で取り外す。そして中で揺れる液体を彼女の傷口の上からかける。

ソウカに使った、トゥルナから貰った万能薬だ。体の内までの傷は治せないけど、外傷なら効果はてきめん。この程度の傷であれば、すぐに治るだろう。

「ここで待ってなね、エルティナ」

私は腰から槌を取り出し、立ち上がる。飛んでくる黒色の矢を弾き飛ばしながら、周りの様子を伺う。

黒色の人は一人。そしてぼんやりとした人影が十数体、家の周りを囲っている。

「…一体、何が目的で?」

手袋の手の甲の武器を起こし、ポーチから緋色の玉を取り出しあてがう。魔力の糸を両方の間に作り、引っ張って玉から手を離す。

しかし、黒色の人に向かって弧を描いて飛んで行った緋色の玉は届く前に黒色の矢によって撃ち落とされ、空中で爆発してしまう。

「っ…、遠距離はダメか…」

毎度的確に放たれる矢。小人族の血を引いていることもあって、身長が低いことが幸いしかなり被弾率は下げられているものの、こうなってしまえばやられるのも時間の内だ。

「…ルコっ!」

そして、いくら周りを探しても弟であるルコの姿は見当たらなかった。ティアーシャやソウカ達が連れているのか?だとしたらいいのだけれど…。

「っ…貴女、は…」

背後から、雪を踏みしめる音が聞こえる。慌てて振り返ると、そこに居たのは



---




「くっそ!家から離されちまうぞ!!何とかできねえのかよ!!」

「出来たらとっくにしてるわよ!!」

深々と降り積もる雪の中を、俺達は駆けていた。いや、逃げていたと言った方がいいかもしれない。

「ティア!『天道』は!?」

「作れるけど、こんな状況じゃあ人一人通れるサイズが作れねえ!!今は無理だ!」

『天道』は繋げる場所を明確にイメージする必要がある。簡単に言ってしまえばそれだけ精神力を消耗するのだ。こうも敵に狙われている状況じゃあ、満足な大きさの『天道』を作ることは難しい。

「僕を下ろして!そうすれば幾分かは!」

俺の背中に乗るトコルの弟、ルコが叫んだ。

「アホか!お前を置いて捨てて戻れたとして、それは敗北なんだよ!全員生きてこの場を逃げ切る!それが俺達のやることだ」

ルコを背負っている分、幾分機動力は落ちているが小人族のハーフという点が幸いしたのか。さほど重い訳では無い。ただ、体をよじったり、背面で飛んで攻撃を交わしたりしようものならルコは間違い無くお陀仏だろうけど。

ソウカもこの寒さでは本気を出せない。蛇化しようものなら動けなくなり、ただのでかい的になるだけだ。

「くそっ!ソウカ!楓!俺の後ろから離れんなよ!!」

二人が俺の背中にぴったりくっついたのを確認すると、炎魔法『業火』で前方直線に降り積もる雪を溶かし蒸発させ、さらに全員を包むようにして魔力の防壁を貼る。

「振り落とされるなよっ!?」

その上、体に風魔法の力を付与して地面を蹴りあげる。

速度ゼロからのいきなり最高速度。魔力の盾で攻撃を防ぎつつ、一気に吹き飛ぶようにて前に吹き飛ぶ。

「居た!トコル!!」

積もっている雪の隙間から微かに見える木造の床。その上に三人分の人影が見える。

一つはトコル、一つはエルティナ。…では、あと一つは?

「まずい…っ!!トコル!!!エルティナ!!!」

一つの姿が黙認できない。影しか見えない。…従ってそれは、つまり影なのだろう。

「ティ、アーシャ…」

「トコル!!!」

三人を魔力の壁を残し、俺一人その中を飛び出しトコルの元へ向かう。

脇には倒れたエルティナ、そして影の腕がか細いトコルの首を鷲掴みにし、その小さな体は宙を浮いている。

「うっおおおおお!!」

風魔法で体を吹き飛ばし、その勢いに任せて影に向かって蹴りを放つ。

「っうあっ!?」

影と共に吹き飛びそうになるトコルの体を空中で受け止め、更に地面で倒れているエルティナの体を掴んで、方向転換。すぐさま魔力の壁の中に戻る。

「うっ…げほっげほっ!」

「トコル!」「トコルさん!」「お姉ちゃん!」

余程強い力で首を締められていたのか、彼女は大きく咳き込み、立ち上がることが出来なくなっていた。

「エルティナ、大丈夫か?」

「…っ…衝撃で意識を無くしていました。申し訳ありません…」

体に積もった雪を払いながら、冷えきった体を起こしてやる。

それから水魔法と炎魔法を合わせて湯を作り、エルティナとトコルの手足を温めてやる。

「…ほぉ…生き返る…」

二人の肌の色に生気が満ちてくる。本当は全員分こうしてやれればいいんだが、生憎そこまで余裕と時間が無い。

「お姉ちゃん、大丈夫?」

「…うん、大丈夫だよ。…ティアーシャ、ありがとう。ルコを守ってくれて」

トコルに抱きつくルコの頭を撫でながら、トコルは礼を言った。

「礼は最後でいいよ。生き残ってから聞くことにする」

「お堅いねえ…。…こっちのティアーシャは」

「?」

トコルは槌を手に取り、手袋をはめ直す。

「…あの影に殺されかけた時、ティアーシャの顔が見えた気がした。あ、貴女じゃないよ。旧友の方だね。…そして」

「…それで?」

トコルは喉に詰まる石を飲み込むようにして言った。

「その、ティアーシャの顔は。…怒っていた。憎悪に、怒りに満ちていた。…何かを私に言っていたようだけど、聞こえなかった…」

手袋に覆われた彼女の手は、微かに震えていた。

「あんな顔、生きていた時には見えなかった…。でも、あれはティアーシャだった」

「…どういう事だ?エルティナ」

「…。私の知識にも無いものなので、確証はありませんが…。もしかすると、あの『影』、そういう魂なのかも知れません」

エルティナは続ける。

「憎しみや、怒りが募りに募った塊。…いわゆる未練を残した魂の残魂です」

「…残魂」

地縛霊のようなものなのだろうか。

「あくまで予想ですが、これから現れる影。ひょっとするとあなた方にとって近しい存在が表れるかもしれません。…気をつけて下さい」

「……分かった」

近しい存在の影、残魂。それが俺の場合何者になるのだろうか…。

「魔力の壁はそんなに長くもたない。小さくして魔力の消費を抑えるからルコ、その中に…」

「いや、ルコは放っておいて大丈夫」

「は?だってルコは…」

そう思って彼に目をやると、さっきまで持っていなかった薄汚れたボウガンのような物を手に取っていた。

「…」

「発明家の弟だよ?私が開発した武器の大半をあの子は扱える。ルコ、これ」

「ありがと」

トコルが取りだしたのは一丁の回転式拳銃。六発装填の、俺達の世界の物とかなり近しいもの。…あら?なんか世界間違えた?

「この世界の銃を作ったのは私だからね。冒険者してた時は無かったけど、引退してからは武器とかの研究に没頭しててね。世に出回ってる一発装填の銃は私が作ったものだよ。この六発拳銃は試作品」

「…」

開いた口が塞がらない、とはまさにこういうことを言うのだろう。そこまで普及数が多くは無いとはいえ、ちょくちょく見かけていた一発装填の小銃。それの製作にトコルが関わっていたなんて。そりゃこんな雪山で生きていくだけの資金があるわけだ。

そんなことを考えている合間に、壁に攻撃を防がれる事に痺れを切らしたのか。影達がジリジリと距離を詰め始めた、

「じゃあ、全員戦えるな?目標はこの場からの脱出。無理して殲滅する必要は無い。ある程度の数を減らし、雪山を脱出したらソウカの蛇化に乗じて離脱する。いいな?」

俺の作戦に全員が言葉を発さずに頷く。

「ソウカ、奴らを振り切れるかはお前にかかってる。体力は温存ておけよ?」

「分かったわ。前線に立たず、なるべく後方支援に徹するわ」

ソウカの蛇化のスピードと耐久力に全員の運命が委ねられている。脱出は上手くいったとして、それから振り切れなければなんの意味もないのだ。

「皆、武器がない人は私に言って。この場の全員の武器を賄うくらいなら私のバッグに入ってる」

トコルが巨大な鞄を叩き、中から数本の武器を取り出す。

「じゃあ、全員いいな?壁を解くぞ?三、二、一」

全員が武器を取り出し一瞬動いた瞬間に、合図の指を鳴らし障壁を解除する。

全員がそれぞれの方向に、まるで花の花弁のように広がり駆け出す。

「『土槍・雪』!!!」

右足を軸に左足で円を描くように一回転。それによって宙に跳ね上げられた雪が数箇所に固まり、槍の形状を作り出す。

後方から魔力の塊を生成し、その弾き飛ばし、射出する。

直線を描いて飛ぶそれは、弓を持つ影に直撃。その周囲三メートルを凍結させ、影は氷の中に取り込まれる。

それを見て、一目散に突っ込んできたもう一体の影。今から魔法を展開していたら間に合わない。

短剣を鞘から抜き、すれ違いざまに脇の下から上へと振り上げる。

「っ!」

普通の人間の場合、それで終いなのだがこちらはそうも簡単に行かないようで、切られた事をものともせず、その場で体を捻って足元をすくうように剣のような何かを振るった。

すぐさまその場で地を蹴って数十センチほど宙に舞い、後方に体を捻って宙返りをする形で回避する。五輪選手顔負けの着地で体勢を整え、剣を逆手に持ち替え懐に潜り込んで切り抜ける。

「うっ!?」

本来であれば心臓がある体の中心。それを切った瞬間に、脳内に『イメージ』が叩き込まれる。

酷く歪んだ顔、首から下はない、ありえない速度で変わる表情、憎悪、憎しみ、恨み。

この顔には見覚えがある。

「くっ…楓の父親かよ…」

この肉体になる前に、最初の殺人を犯した相手。楓の実の父親で俺の義理の父親。

「うっえ…、嫌なもん思い出させやがって」

あの世界での殺人は、この世界で犯す殺しとは重みが違った。同じ一つの命のはずなのに、あちらでの殺しは、重く、生々しく、グロテスクなもので、今でも思い出す度に吐き気に見舞われる。

「けど、こんなもんで俺が過去を悔いるとでも思ってんのか!?」

しかし、俺には正当な理由があった。楓を道具のように扱い、あまつさえ手を上げる。親に片目を奪われた少女の気持ちが分かるか。お前は、俺の殺人なんかよりもずっとずっと重い罪を背負ってるんだ。

「ぅ…、戦闘中の精神ダメージは効くな…」

二人の戦いにもう一体の影が乱入する。すかさず『天道』を使い、体を中に放り込み新しく現れた影のうなじに剣を振るう。

「くっ…またかよ…っ」

首を両断すると、またイメージが頭の中に叩き込まれる。多い。幾つ、幾十、幾百の顔が俺を見ている。どれもこれも、全て俺がここに来るまでに奪った命の持ち主。どれもこれも顔が、常人には出来ないようなくらいに歪み、曲がっている。

「ぅくあっ!?」

その中から、両腕が伸びてきて俺の首を握り締める。手、腕、肩、そしてその次に首、頭が顕になり、最終的に全身が鮮明に見えるようになる。

「お、俺……っ!?」

一見、俺のようだった。しかし、目は瑠璃のように青く、その白銀の髪も結んでいない。

目が三日月状に歪み、目とは逆の狂気に満ちた三日月の形に口が割ける。

胸から胴にかけてぽっかりと空いた穴。そしてそこを中心にひび割れている体。足、肩、そして手には大きな鉄の杭が突き刺されている。

『ティアーシャ…ティアーシャ!!!』

「それは、てめえの名だろうがっ!!!」

これは、恐らく先代ティアーシャの残魂。本人の死ぬ時の意識も関係なしに、ほんの少し心に残っていた負の感情が具現化されて俺の脳に入り込んできているのだろう。

「うっぬぅ!?」

三日月の口から垣間見える長く鋭利な犬歯。徐々に徐々に俺の喉笛に押し付けられ、やがて薄皮を破って喉の反対側にまで突き抜ける。

「かあっ…」

これも全てイメージ、実際の肉体に攻撃されている訳では無いのだ。なのにも関わらず、実際に首には締め付けられた痕が現れ、喉と反対側の首からは出血が起きている。

プラシーボ効果。強い思い込みによって起きる肉体現象。両手足を縛られ、真っ赤に熱しられた鉄の棒を見させられた後に目隠しをされ、それとは別の全く熱していないただの鉄の棒を肌に押し付けると、痛み、熱さを感じ、そして実際に肌も焼き爛れるという。そんな思い込みによって体に現れる現象のことである。

あまりにもこの影達の与えてくるイメージが強すぎて、自分の頭では理解しているのにここまでの現象が起こる。

「くっ…そっ!!馬鹿力かよ…っ!!」

首を握り締められ、喉に牙を突き刺されながら雪の積もる大地に頭を押し付けられる。

何度も言うようだが、これはイメージ。俺がこちらで剣を振るおうと、魔法を使おうと、このイメージを打ち払うことは出来ない。

「なら…、こっちもイメージだ…っ」

ならばどうするのか、そうイメージにはイメージで返せばいい。こんな絶望的なイメージじゃなく、もっと明るくて、柔らかいイメージを思い浮かべる。半ば、やっていることは自己暗示に近いのだが。

ここまで来るのに出会った仲間、友、救ってくれた恩人。彼ら彼女らが浮かべる優しい笑みを思い出すんだ。彼らの思いや感情は、恨みや憎しみとかいう物に負けるほど柔じゃない。

脳裏に浮かんでいた血にまみれ、どす黒いイメージ。それが、徐々に徐々に奥の方から暖かなイメージにへと移り変わっていく。やがて、歪んだ彼らの顔は消えていき、最終的には先代ティアーシャのイメージも崩れるようにして消えていった。

「っ…はぁっ…はあっ…っ!」

何とかしてイメージに打ち勝ち、急ぎ息と体勢を整える。

この俺がここまでキツかったんだ。他の面々では耐えられないものも出てくるかもしれない。

「『拡声』!みんな、聞いてくれ!」

俺は影達から距離を取り、声を魔力で増幅させ吹雪の中を叫んだ。



---




「…っ!なによ、これ…」

剣で影の急所を切る度に、頭の中に毒々しいイメージが流れ込んでくる。

『…どうし、て。助けて、くれなかった?』

「っ…!!こ、これは…幻想…妄想なのよ!!」

しかし、イメージというだけでここまで鮮明に映像や表情が見えるものなのだろうか。

見えているのは、私が蛇女としてこの世界に降り立ってから、ティアーシャと初めて会った時の映像。巨大な蛇の体に押しつぶされ、体中の骨が折れ、助けられなかった。

『ねえ、ソウカ。なんで、あの時、見捨てたんだよ』

「っ…!!」

ティアーシャの、美しく、ほんの少しだけ低く、男っぽい口調の声が耳元、いや脳内で囁かれる。

『ほら、こんな、体になったんだよ。お前が、見捨てるから』

「あ…あ……」

あの時、私が逃げたのは近くに人間が来ていたから。それでいて、無防備で大怪我をしているティアーシャを私は見捨てたのだ。

全身から血を流し、その目に光は無い。体の一部が破損し、肉や骨が垣間見えている。

『お前、俺と一緒にいるからって、許したと思ってんのか?二度も俺を殺そうとしたんだぞ?』

「…ぁ…」

身長の小さい、子供のような容姿のティアーシャの隣にもう一人。今のティアーシャとほとんど変わらない、大人になった彼女がそこにはいた。しかし、全身は同様に大怪我をしていて、腕がありえない方向に曲がって折れている。胸元から折れた肋骨が肉や皮を突き破り表に出てきている。

『一緒に旅してるのは、お前の罪滅ぼしか?…まあ、俺もお前の存在は便利だからな。利用できるだけ利用して、利用価値が無くなったら切り刻んで、アイツと同じように虚無の空間にぶち込んでやるよ』

大人のティアーシャの顔が、酷く歪んだ。笑顔?いや、怒り?それとも…。

「…や、こ、来ないで!…私は!私は!」

イメージ、そうイメージなのだ。イメージ、イメージなのに。

本人から言われることを、心の奥底で恐れていたことを、言われたのだ。

「やっ…いやあっ!!」

自分でも、情けない声を出してしまう。

「ソウカさん!!気を確かに!!」

「来ないで!!」

「うっ」

そんな私の様子を見て、駆けつけてきたカエデを突き飛ばしてしまう。

『ほうら、そうやってまた殺すんだ。俺みたいに、俺の妹を』

「えっ…あっ…違っ…」

弾みで突き飛ばしてしまったカエデ。彼女の倒れる周りの雪は鮮血に染まっている。

突き飛ばした…だけ、なのに。

『罪滅ぼしで付いて来るだけなら、この雪山に置いてくぜ?別に、お前いなくても頼りになる仲間はいるからな?』

「っ…」

『自分だけが特別、そう思ってない?そんなわけは』

「違う!!!!…分かったわ。あなた達は、ティアーシャの意思じゃない。私の心の隅っこにある彼女に対する恐れの念よ。…ティアーシャは、ティアは。ゆく宛てのない私に手を差し伸べてくれた存在。私には分かる。あなたは、そんなこと言わない…!」

このティアーシャは、私のイメージに過ぎないのだ。私の心の中の、恐れなのだ。つまり、それさえ克服してしまえば…。

『それは、お前がそう思い込んでるだけに過ぎねえんだよ…!ソウカァ!!!』

「がはっ…!!」

意識の中が、まるで血に塗りたくられた様に真紅色に染まる。その奥から、崩れに崩れた顔や、しゃれこうべがカタカタと震えている。

片方のティアーシャに頭と首を押さえつけられ、もう片方のティアーシャに腹を素手で貫かれ、開かれる。

「ぅっ…ぐあっ…」

イメージのはずなのに、内蔵がやけるように痛い。まるで本当に臓器を撫でられているように、痛みとドロっとした感覚に襲われる。

『ほら、触られてるのわかるか?お前の心臓』

腹から突き進む彼女の手。腸、肝臓、胃、肺を押しのけ、ドクドクと激しく脈打つ心臓を撫でられる。

「…っ」

『お前には吸血鬼の血を混ぜてやってるからな。心臓を握りつぶされた程度じゃ死なねえよ。ただ、痛みとか苦しみとかには変わらねえからな』

彼女の顔が醜く歪む。

狂気。

「…やれば?その位の覚悟はあるわよ?」

痛みのあまり、声が震える。視界だってままならない。

『じゃあ、お言葉に甘えて』

「…っっっ!!!???」

なんの躊躇もなく握りつぶされる心臓。

初めの数秒は、胸の激痛。次に痛みが引いてきたと思えば、徐々に徐々に体の熱がなくなっていく。まるで線が切れるようにして視界が真っ暗になり、何も考えられなくなる。

「……っ!?かはあっ!?」

しかし、それは直ぐに元に戻り、新たな心臓が作り出される。視界も効くし、全身に血が巡っている。

『じゃあ二回目な?』

「…やめっぐぅっ!?」

地獄。

この痛みは、慣れられる物じゃない。慣れた時には、私の心は完全に崩壊しているのだろう。

…死んで、しまいたい。

あと何回、何十回この地獄を味わえばいいと言うのだ。であればいっそ死んでしまった方が…。

『その程度かよ、ソウカ』

「……」

『お前、こんなとこでへばっちまうのか?自分の作り出した【影】に』

「……ティア…」

声も、顔も同じなのに。何故だろう、直感で彼女が『本物』であると分かった。『本物』の私の彼女に対する思い。

『へっ、昔の俺じゃねえか。よくこんなこと思い出しやがったな。…過ぎたことは過去にでも戻れない限りどうしょうもないんだ。いちいち思い出して思い詰めてたらキリが無いぜ?』

「…」

彼女は、私の作り出した二人のティアーシャをどこかに蹴飛ばしてしまった。そして私の前に立ち、か細く真っ白なその手を差し出した。

『行こうぜ、相棒』

「…うん」

相変わらず、私って甘い。こうして差し出された手を、掴まずには生きていられないのだから。



---






『みんな、聞いてくれ!』

頭の中に響く、ティアーシャの声。これも影のイメージ?いや、これは本人の声だ。

『影のイメージは、自分のイメージで打ち消すんだ!イメージに直接干渉出来なくとも、同じイメージなら対抗出来る!』

「なるほど、ねえっ!」

絶賛私は『ティアーシャ』の影と格闘していた。イメージの中で。

「イメージ…イメージ」

とはいえ、何をイメージしようか…。うーん

ティアーシャにも勝てるような人物はそうそう居ない…いや、一人居たね。

「行っけ!ナーサ!!」

我らが誇る元超重戦士、ナーサ。屈強な筋肉をビキビキと唸らせ、拳一撃でティアーシャの幻想を吹き飛ばした。

「おおう…流石ナーサだね…」

一緒に旅していた時もそうだったけど、これほんとに人間なの?実はこっそりオークだったり…いや、そんなこと言ったら殺されそう。

私は槌を構え直し、他の影の頭を殴り飛ばす。

再びイメージが頭の中に流れてくるが、そこは最強守護戦士ナーサのイメージが守ってくれている。

『私からも助力を!皆さん、あと少し耐えてください!』

今度はエルティナの声が

それを認識した時、吹雪で封じられた視界の中に一点の北極星のように明るい光が現れる。

するとそれを中心に、薄紫色の波動の様なものが空間を突き抜けて、それを浴びた影が砂のようにして崩れて行った。

『今です!逃げますよ!』

足の先から微かな地面の振動を感じる。すると、吹雪を突き抜けて巨大な蛇が現れる。

「…。聞いてはいたけど、実際にここまでとは、ね」

それを見た時、一瞬思考が停止する。本人から蛇に変化することが出来るとは聞いてはいたが、まさかここまで大きく、精巧な蛇になれるなんて。

「トコルー!お前で最後だ!早く乗れー!」

蛇の体の上から、靡く赤髪を押さえつけたティアーシャが手を振っている。私は急いで地を蹴って、伸ばす彼女の手を掴み、蛇の体の上によじ登る。

ソウカの背中の上には、ティアーシャ、エルティナ、カエデ、ルコの全員が揃っていた。

その中のエルティナが吹雪に負けぬよう声を出す。

「ソウカさん!フルスピードで!ナビは私が行います!」

「任せたわよ!」

エルティナはソウカの頭にしがみつき、指を指して吹雪の中を突き進んでいく。私とルコの遠距離武器を持っている二人は後ろに位置し、追いかけてくる影に対して牽制を行う。

「雪を抜けます!」

エルティナがそう叫ぶと、私の進行方向には真っ暗な空間に差し込む明るい光が輝きを放っていた。




---




「…ふう…」

「お疲れさん、ソウカ」

「ん、ありがとう」

その日、あの雪山からは無事に脱出することが出来た。ギリギリではあったものの、何とか追跡を振り切り少し離れたところの森で野宿である。

パチリ、火にくべている薪が火の粉を散らす。

「で、トコル。お前らはどうすんだ?家無くなっちまって…」

「…」

トコルはバッグの中から取り出した牛乳を一口、口に含み飲み込んで、重そうな口を開いた。

「…確かに」

「…なんも考えてなかったのかよ…」

深刻な顔をしているから、てっきり何か考えているものかと思ったのだが…。ただ単に牛乳が温くなって不味いとのこと。心配した俺の善良な心を返してくれ。

「…ナーサの住む街に一回帰れるかな?…そこで、ルコを置いていく」

「えっ!?…なんで!?」

名の上がったルコ本人が一番驚いた様子を見せる。六発装填のリボルバー拳銃を持って、引け目を取らずに戦えていたルコ。詳しくその様子を見れてはいないが、あの状況で生き残っているということからそれなりに戦うことは出来るのだろう。

また、薪が弾け火の粉が飛ぶ。それを挟んで互いの目を合わせる姉弟。

「これは、私とティアーシャの問題。それにルコを巻き込みたくない」

「なんだよ!そんなの勝手に決めないでよ!僕だって戦え…」

必死に反論するルコに、トコルはそっと近づいて灰色の髪の上に手を乗せる。

「私は、小人族の癖して変なものばっかり作ってたんだよ。ルコも、巻き込んでね。だけど、ルコ。私は色んな世界を見てきた。沢山冒険をして沢山色んなものを知った。そんな中で、私はこの職を選んだんだよ。…ルコ、ルコはまだこの世界を全然知らない。もっともっと自分の世界を見て、何をしたいか考えて?…私の弟なんだ、きっといい職人になると思うけどね?…でも、それは私が決めることじゃない」

「…お姉ちゃん…」

彼は己の手にするリボルバーを見つめ、握りしめた。引き金には手をかけず、ただグリップに力を込めて。

「邪魔なら、邪魔って言ってよ」

「っ…」

そして、溜め込んでいた言の葉を吐き出した。当然目など合わせられるはずもない。トコルも視線がたどたどしくなっている。

「足でまといなんでしょ?僕は…」

「そんな訳じゃ…」

トコルも返す言葉が無くなってしまった。

ルコは俯いて、揺れる火をじっと眺めている。

「…ルコ」

そんな彼らを見かねて、俺はルコの隣に座って頭を撫でてやる。

最初は嫌がる素振りを見せていたものの、徐々にそれは無くなっていった。

「俺達は、お前が足でまといって言ってんじゃねえ。これ以上先に足突っ込んだら、戻れなくなっちまうんだ。戦いでしか、生きる意味を見いだせない。そんな戦闘狂になっちまう」

事実、俺もトコルもソウカも、そうだ。

一度生と死の狭間に立ってしまった者は、それ以上の物を求めることが出来なくなってしまう。戦って、死を待つしか出来なくなってしまう。

「だからな、ルコ。別にお前が冒険者になろうが、鉄の塊をぶん殴ろうと、それがお前の決めたことなら関係ねえ。ただ、俺達に金魚のフンみたいに着いてくるだけはやめろ。しっかりと周りを見て、本当に決心するまでここには来るな。いいな?」

「…はい」

しぶしぶながらも、ルコは首を縦に振った。それを見てもう一度頭を撫でてから、今度は楓の方を見た。

「…楓も、引き返すなら今のうちだぞ?」

「…。大丈夫。残るよ。私は」

「そっか」

それ以上、返答はしない。グダグダ言葉を並べてしまえば、それは彼女の決心を踏みにじることになってしまうから。

「なら、決まりだな。一度街に戻ってルコを預ける。その後、長耳族のヘデラに会いに行く。それね良いな?」

「OK」「うん」「はい」「それで」

「なら、早めに寝るとしようか。二時間ごとに見張り交代な。何か少しでも違和感を感じたら叩き起すように」



倒れた丸太の上に、剥いだ木の皮を乗せ、更にその上から針葉樹の枝葉をかける。寝床には俺が『天道』から引き出してきたブルーシートと簡易的なマットを敷き、上から毛布をかけて寝ることにする。とても寝心地の良いものでは無いが、急ごしらえだった為そこは妥協してもらおう。

「じゃあ、トコル。二時間後に交代な」

「うん、おやすみ」

「おやすみ」





チリチリと、ほのかに火の気の残る薪の傍で夜目を効かせ辺りに気を配る。時折木の上に登ったりしながら、周囲の警戒を行う。

影の追跡は振り切ることが出来たが、野生動物が何をして来るのか分かったものじゃない。狼だとか、群れで襲ってこられたものならば俺一人じゃ対処は厳しいかもしれない。

「…」

木々の隙間から垣間見える星々。今日は月のようなドーナッツ型の星は出ていないようである。

雪山は抜けたとは言え、そこまで距離が離れていないというのもあり、若干体が冷える。『天道』からインスタントのコーヒーを取りだし、火魔法と水魔法で湯を作り、自前のカップに注ぐ。

立ち上る薄灰色に見えるコーヒーの湯気。大自然の中に、香ばしい香りが染み込んでいく。

口先で一口、啜るようにして飲む。無論インスタントコーヒーなので美味い不味いという感想は特に出てこないのだが。胃に落とし込まれたそれが、体の熱を上げてくれていることは実感できた。

「!」

ほんの少しだけ気を抜いて惚けていると、地面の方で落ち葉を踏みしめる音が静寂な空気を伝わって響く。

コーヒーのカップを比較的安定している木の枝に置き、腰から短剣を引き抜く。

夜に慣れた目は、闇夜の中を見渡すことくらいどうってこと無い。足を枝に絡ませ、蝙蝠のようにしてぶら下がり、音のした方向に視線を向ける。

「…何やってるの?ティアーシャ」

「トコルか…。流石にビビったぞ…」

音の正体は目元を擦って、大きく欠伸をしていたトコルだった。

ほっと胸を撫で下ろし、枝に掛けた足を解いて一回転して着地する。

「おうおう、随分とダイナミックな」

「まだ交代三十分前だぞ?起こしてやるからもう少し寝たらどうだ?」

剣を鞘にしまいながら、火の納まった薪に細めの木の枝を加える。

「いや、大丈夫だよ。なんか上手く寝れなくってさ」

「そか」

薪に軽く息を吹き込んで火を強くしてやる。「コーヒー飲むか?」

「あー、うん。お願いしようかな」

薪の前に腰を下ろしたトコルに、先程やったのと同じ工程で淹れたコーヒーを手渡す。

「ありがと…。…苦」

「無理して飲むなよ。牛乳でも入れたら?」

「あー、その手があったか」

彼女はおもむろにバッグの中を漁り、並々に牛乳の入った巨大な瓶を取り出し、コーヒーのカップに注いだ。

コーヒーのミルク、ではなく完全にコーヒー牛乳と化しているのだが…。まあ、そこに関しては触れないでおこう。

「眠れないって、ルコの事か?」

「…なのかな」

彼女はカップを置いて、座り込んだ。

「ティアーシャはああ言ってくれたけど、良いのかなって。唯一の身寄りの私が、傍にいてあげなくていいのかなって思ってさ」

薪にくべた細木が音を立てて弾ける。

「あ、ごめんね?私の問題なのに巻き込んじゃって」

「構いやしねえよ。他人がなんだろうが、俺達は一の仲間なんだから。何でも言ってくれ」

「…。そっか、優しいね。ティアーシャは」

「?。まあ、ルコの事だけど連れていかないのは正解だとは思うよ。俺だって、妹連れてくのは怖ぇもん」

思わず苦笑が滲み出る。本当だったら、楓は連れて来たくない。血で汚したくないのだ。けど。

「まあ、そこまで離れるわけじゃ無いんだし。いいんじゃねえの?預けるのトゥルナんとこだろ?あいつも会う度に口数減ってきてるし、良い話し相手になるんじゃねえの?」

「…そう、だね」

トコルは苦笑、というより苦い顔を浮かべた。決してコーヒーの苦味からのものでは無い。

「ま、決めたことにあーだこーだ言っても仕方ねえだろ。それより、トコル。お前の知ってる先代のティアーシャって、どんな奴なんだ?」

これ以上話しても意味が無いと踏んで、話をねじ曲げる。事実、気になっていた事だしなんならナーサの一方的主観でしか彼女の印象を知らない。

「うーん、そうだね。そう言われると難しいな」

寝癖で若干ボサついた項の髪の毛を弄びながら、彼女は話し始めた。

「似てるよ、君に」

「…は?俺?」

「いや、話し方はちゃんと女の子だったし、『俺』なんて使わないよ?だけど、サバついた所とか、ちゃんと仲間のこと考えてるところとか、なんだかんだ優しい所とか…。似てるよ、ほんとに」

懐かしそうに、星空を見上げて、そして続けた。

「…ティアーシャは吸血鬼であることをどう思った?」

「俺は…別に何とも」

「そっか、ならそこは違うね。彼女は吸血鬼であることを、『呪い』みたく考えてた。だから娘ができた時には…あ」

「ティアーシャに、娘居んのか?」

「ああー!ええとぉ…結び!!髪の毛を結んだ時にねー!?」

「おい、」

流石の俺も聞き逃さなかったぞ。そのワードは。

トコルは視線を右往左往して何とかしてはぐらかそうとしている。

「…はあ、分かったよ。でも、今は言わない。トゥルナの所に行くでしょ?その時にその口から聞いてやってよ」

「…なんでトゥルナに…。まあいいんだけど」

それから、トコルの顔色は冴えず、口数も大きく減った。

これ以上追求してもなんの意味もない事は分かっているので、互いに周囲に気を配りながら、長い長い三十分が過ぎ、なんだかやり切れない気持ちを抱えながら、寝床に潜り込んだのだった。



---




それから、朝目覚めるまで襲撃という襲撃は無く、一行は再び街に戻って来ていた。

「トゥルナ、久しぶり」

「トコル…。こうして会うのは何年ぶりかしらね」

街外れにあるこじんまりとした小さな病院。

トゥルナの店である。

壁には奇妙な顔付きをした仮面や、珍妙な時計が秒針を刻んでおり、カウンターテーブルの上には色とりどりの瓶に詰められた薬品が無造作に並べられていた。

「弟を、しばらく預かって貰えないかな?私よりちゃんとしてるし、仕事に迷惑はかけないと思うけど…」

トコルは少し言葉を詰まらせながら言った。

「ええ、旧友の頼みなら構わないわ。どうせ客来なくて暇してた所だし、色んな薬品の知識でも叩き込んで遊んでようかな」

トコルとトゥルナが笑顔で談笑するなか、ティアーシャとエルティナの背後にいたルコが小さく震えた。

「…で、トコル。今日彼女を連れてきたのは…」

「…うん。早いうちに、話してしまおう?あれ、を」

他の者に聞かれぬよう、小さな声で話す二人。やがて二人は少し距離を取り、トゥルナは大きく深呼吸して己の緊張を整えた。

「ティアーシャ」

ほんの少し、震える唇を動かしてトゥルナはその名を呼んだ。

「…なんだ?」

昨晩の事もあり、何の用かの予想は大体着いていた。

「エルティナ、あなたも。少し話があるの、来なさい」

カウンターテーブルの横を周り、彼女は手招きする。二人は顔を合わせ、頷きあってからトゥルナに付いて行く。

「…ティア…」

ソウカも心のどこかに感じる物があるようで、不安そうに三人の背中を見つめている。楓も、不思議そうな表情を浮かべその場に立ち尽くしていた。

「…私達は、出てよっか」

トコルに手を引かれ、ルコを含む三人はドアの方へ誘導される。

「いや、私は…」

しかし、ソウカは、その手を振りほどき院内の椅子に腰を下ろした。

「私は、ここに残るわ。…何かあったら、支えてあげないと」

「それじゃあ、私も」

それに続いて楓も、同様に椅子に腰掛ける。二人も、とんだお節介だということは甚だ気がついている。

しかし、友人として、妹として、彼女に何かがあった時、私達がこの場にいなくてはならない。そんな直感を感じていたのだ。

「…はあ、しょうがないねえ。じゃ、私達も残ろうか、ルコ」

「…うん、」

結局、四人とも院の中に残った。

トコルはバッグの中から、作り途中の部品やらをテーブルにこれでもかと広げ、カチャカチャと組み立て始めた。

「お兄ちゃん…」

ソウカと楓は、動けなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ