第83話 真っ黒な人影
「次、行くわよ」
「分かりました」
地図を頼りに最も見張りが少ない場所を縫って進んでいく。それと同時に分裂させた蛇で他の二人が居ないかどうかを確かめる。
「…居た。エルティナだ」
「見つかりましたか?どこに!?」
「しっ…。どうやらエルティナは私達が暖を囲んでた家の中にいるみたい」
共有している蛇の視覚を通して、情報を事細やかに伝えていく。
「中に見張りは居ないわね。家の外に二人…主の姿は見えないわ。エルティナは椅子に縛られてぐったりしてる…。他は…っつ!?」
刹那、切りつけられたような焼けるような痛みが入り、蛇との視覚共有が途切れた。
「だ、大丈夫ですか?」
「いっつ…。蛇が殺られた」
額から滴る血を拭いながら、他の蛇との視覚共有も同時に切る。
彼ら小人族は私が蛇女だとは知らないはずだ。だから、例え私の蛇を見つけたとして、それが私と視覚共有をしているとは思うまい。
「とりあえず外に出て、元の家に戻りましょう。エルティナさえ助け出せれば、ティアの居場所は『解析』して貰える」
数十分、気を張りつめて歩き続けていたせいか、カエデの顔に疲れが見える。私も、長時間蛇達の遠隔操作を行っていたせいで魔力の消費が激しい。若干の立ちくらみがする。
「はあっ!」
しかし、そんな流暢な事は言っていられないのだ。道を塞ぐ小人族を切り捨て、先に進む。
「あっ…」
しかし、先に膝が崩れた。まだ体の回復が完全じゃなかったのか、それとも魔力の枯渇か。
敵を目の前にして、地面に手を着いてしまう。
「へ、どうした、よ。今更、命乞い、か?」
そんな私を見て、嘲るような表情を浮かべて迫り来る小人族三人。
「なわけない…でしょ」
どうする?
蛇化には、少し時間がかかる。今やっても、隙がありすぎる。
「行きなさいっ…っあ!?」
皮膚の鱗を蛇に変化させ、小人族に向かわせる。
過度な蛇への形状変化は予想以上に肉体へのダメージが大きい。鱗のあった場所の、血肉ごと抉れ、腕からの出血が止まらない。
「なんだ、あ?こんな蛇、ガキでも倒せる、ぞ?」
「がっ…あっああっ!?」
作り出した蛇四匹の内、三匹が首を落とされる。その度に頭に針を刺し、脳をかき混ぜられているような痛みが走る。
「さ、て。捕虜は大人しく、人形、みたいに、言うことを聞いて、貰おうか」
小人が剣を持ち上げ、勢い良く振り落とす。
為す術はない、と思うのが普通なのかもしれない。けど、私は待っていたのだ。
「…これを待ってたのよ。『閃光』!」
「な、にいっ!?」
小人の目の超至近距離で、光魔法『閃光』を放つ。突然訪れる真っ白な世界。そしてその中を、一人、少女が走る。
「行きなさい!!カエデ!」
「やああああっ!!!!」
彼女は小人の剣を弾き飛ばし、体当たりを決めて地面に突き飛ばした。
「その時間があれば十分よ!カエデ、横に飛びなさい!!」
その隙を着いて体を蛇に変化させる。体力の都合上、そこまで大きくはなれなかったがこの洞窟の中ではそれくらいが丁度いい。
カエデが脇に飛んだのを確認し、三人の兵士を囲うようにしてとぐろを巻く。そしてそのまま、慈悲もなく、体を閉め、圧殺。
「…ここまで、かな」
「ソウカさん!」
人間体に戻ると、全身から力が抜けてしまう。倒れそうになった体をカエデが受け止めてくれる。
「…カエデ、やるじゃない。おかげで命拾いしたわ」
「でも、考えたのはソウカさんですよ」
作り出した蛇は四匹、実はその内敵に向かわせた三匹は囮でもう一匹はカエデの元に向かわせていた。合図で一人の剣を弾いてくれ、と。
半ばダメ元だった。彼女がそこで尻すごみしてしまえば、私もカエデも二人ともお陀仏だっただろう。
「言うよりも行動する方がむずしいのよ…っつ…」
「喋らなくて大丈夫ですから、とりあえず出ましょう」
不幸中の幸いか、地図によると出口に達するまでにいる見張りはこれで最後のはずだ。とりあえず外に出て体制を整えなくては。
カエデの肩を借り、私達は原型を留めていない小人族の屍を越えて足を進めた。
「…君達、そこで何してるんだい?」
「…ちっ…、まだ…いた、の、ね…」
「ソウカさん!」
小人の声が聞こえ、悪態を着いたところで視界が歪み、世界が暗転した。
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「…」
明るい。
まず初めに思ったことはそれだった。
「ソウカさん!」
そして、次にカエデが飛び付いてくる。
「カ、カエデ?…こ、ここは?」
「ここはですね…」
カエデが口を動かそうとした時。
「ここは私の家だよ。囚人達」
カエデの背後から、彼女の肩ほどの身長しかない小人が顔を出した。灰色の髪を揺らす少女なのか少女じゃないのかよく分からない小人。そして更にその脇から同じく灰色の髪の小人の少年が顔を覗かせた。
「随分と満身創痍だったじゃないか。蛇女さん。鱗は剥がれ落ちてるわ、魔力は枯渇してるわ、内出血は酷いわ。私はお医者じゃないからね、古い友人に教わった軽い程度の治療しか出来ないよ」
確かに鱗が剥がれ落ちて血肉がむき出しになっていた皮膚の上には包帯が巻かれていた。しかもこの感覚、恐らく薬まで塗ってくれている。
「…助かりました。ありがとうございます」
「何、良いんだよ。あの街に囚われてる人間の女の子と、蛇女。少し興味に狩られてね」
とくに蛇女は貴重だからね、鱗のサンプルは貰ったよ。と付け加えた。
「遅れました、ソウカです。…私達はある人を探しにここに来たんですが、吹雪にあってしまって、あの村で一夜明かさせて貰う事になったんです。そしたら皆バラバラになって…一人は見つけたんですけど拘束されていて」
「ふむ…。あの街は言ってしまえばヤベー街だからね。じゃあ君達はその仲間を助けに行こうと?」
「ええ…、なんなら今すぐにでも…いっつ…」
頭痛と剥がれた鱗の焼け付くような痛みが走る。
「まあ焦らなくていいと思うよ?…あそこの小人は恐らく君達の仲間に用があったんだろうさ。すぐに殺しはしない」
「利用価値があるから、殺さない。と?」
「そういうことになるね。利用価値がどれだけのものか、それは分からないけどね」
「…」
だとしたら、もし仮にそうだとしたら。彼らはいつ、どこで私達の違いというのを読み取ったのだろうか。それぞれに異なる使い道があったということだろうか。
「ところで、ある人を探しに来たと言っていたけど、それは誰なんだい?四人で探しに来るような人なのか?」
「ええ、それについてはまた後程説明するつもりでしたが…。私達はとある理由で『トコル』と言う小人族の方を探しに来たんです。ある人の情報ではここら辺に住んでいると聞いたのですが…」
「…。おほっ」
「?」
灰色の髪の彼女は吹き出した。その隣にいる少年も同じようにニヤニヤとしている。
「いや、ごめんごめん。こんな事もあるんだと思ってさ。これも運命なのかね」
「…と、言うと?」
彼女はニヤニヤした顔を押さえつけながら、口を開いた。
「そのトコルっていう小人、私だよ」
「「…へえ…。ええええええええっ!?」」
思わず二度見した。
「いやあ、奇遇だよホントに。偶然って凄いねえ」
「いや、そんなことある…?」
私とカエデは思わず顔を合わせてガックリと肩を落とした。
「いやいや、目的を一個果たしたのにそんなガックリしないでも…」
「ガックリというか、拍子抜けしたというか…」
カエデは苦笑を浮かべた。
「まさかこんな形で会うことになるなんて。…でもティアーシャが居ないと目的は達成出来ないわね。二人を探しに行かないと」
「ん?お姉さんの聞き違いかな?今…ティアーシャって言った?」
「え?ええ、ティアーシャは私達の仲間で…」
「…へ?」
ケラケラと笑っていた彼女、トコルの顔が点になった。
「…いや…え?ティアーシャ…?…生きてた…?いや、でも…」
「…。あ、違うんです。あなたの思ってるティアーシャとは別人…のはずです。期待させてしまったのならすみません」
そういえばそうだった。トコルはナーサさんや先代のティアーシャ達とパーティを組んでいた冒険者の一人。
ティアと名前が同じなのを完全に忘れていたわ。
「あ、あー!そ、そういうことね!なんだびっくりした」
明らかに動揺を隠しきれていない様子だった。なんか申し訳ない気がしてきた。
「ナーサさん、分かりますか?」
「ナーサかあ!あの脳筋ゴリゴリマッチョ破壊生物でしょ?分かる分かる!うわー懐かしいなあ!その名前を聞くのは久しぶりだよ」
ちょっと沈んでいた彼女の表情が一気に花開いた。感情の起伏がかなり激しいようだ。
「そのナーサさんが、洞窟の中で見つけた白銀の吸血鬼の少女に『ティアーシャ』と名付けたんです」
「はは、アイツらしいや。普通だったら思い出さないように別の名前にするだろうに…。きっとアイツも寂しかったんだろうね」
花のように満開だった笑顔が少ししぼんだ。
「まあ、色んな話は二人を助けてからにしようか。色々話が聞けそうだ」
トコルは立ち上がり、うんと伸びをしてからステップを踏むように軽快に歩き出し、部屋の角にあるクローゼットを開けた。
「これを着ける久しぶりだ、ね」
そのクローゼットから手袋と何やら物がパンパンに詰まった腰掛用のポーチを取り出し、それぞれを取り付けた。そして最後に鉄製の槌を手に取って、柄の部分に取り付けられた金具を腰のベルトに引っ掛けた。
「さあ、行こうか。ティアーシャとやらと早く会ってみたいし」
「けど、ソウカさんの傷が…」
カエデが心配そうな目で私の腕を見る。
「大丈夫よ、これくらい。体力は回復したし、ある程度なら戦えるわ」
「ま、包帯取ってみなよ」
私は彼女に言われるがまま、留め具を取り包帯を外す。
「んえっ…これ…」
「元通りでしょ?旧友に貰った薬を使ったんだ。塗って置くだけで傷が回復する優れもんさ」
皮膚の切り傷や、その上をうっすらと覆う鱗は既に元通りに出来上がっていた。
「良いんですか?そんな貴重そうな薬…」
「なに、君の剥がれかけてた鱗は数枚頂戴したからね。それのお礼さ」
「…」
…え、私の鱗ってそんなに価値があるの?
「さあ、行こうか。ルコ、留守番頼むよ?知らない人来ても出ちゃダメだよ?」
「まかしときー!」
少年は胸をドンと叩いて白い歯を輝かせて見せた。
「寒いから気をつけてね?ソウカさん」
「次は…冬眠しないようにする」
「人間体でも冬眠するんだね」
元はと言えば、私が雪山で冬眠状態に陥ったのが事の発端なのだ。次同じ過ちをする訳にはいかない。
「さ、行くよ」
トコルが木製の戸を押し開ける。それと同時に大量に流れ込んでくる冷気と雪。
「うぎゃぁぁぁ!?」
「さっっっっっむぅ!!??」
室内の温かさが嘘かと思うくらいの極寒。しかも日が落ちているのも相まって、前の雪山よりも寒さのレベルが上がっている。
すぐさまドアノブを掴んでいるトコルの手を掴んで戸を閉めさせる。
「え?行かないの?」
「その前に凍死するわ…」
「…確かにね」
どうやら何も考えていなかったようである。ナーサさん達とのパーティの一員だったから、賢かったりするのかと思っていたが案外抜けているようである。
「よし、あれを使おう」
彼女は戸の脇に置いてある巨大なバッグの中から三つ、袋を取りだして一つずつ渡した。
「…え?暖かい…」
「もしかして、これカイロ?」
「鉄の粉と炭の粉、お塩と水を混ぜて置くと暖かくなるんだよ。これで温めながら行けば雪は抜けられると思う」
これがあれば、雪山でも頑張れば抜けられそうである。
「ん?この紐は?」
この暖かい袋を縛る紐。しかしそれは袋の口を縛っているのではなく、真ん中より少し上辺りを縛っているのである。そして出来ている二つの袋。片方は暖かいのだが、もう片方は暖かくも何ともない。
「ああああ!!!その紐は触っちゃダメ!!」
紐を手に取っているとトコルに手をはたかれた。
「そっちの粉は爆薬なんだ。使う用途が無くなったら爆弾として使えるようにと思って」
「普通そんな考え方しないわよ!!??」
もしかして、ナーサさん達のパーティの面子は全員この調子なのだろうか…。ヤバい…、ヤバいやつしかいない…。
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「さてさて、まずはあの門番を仕留めるところからだね」
袋のおかげで雪を越え、再び村の入口の近くの茂みに身を隠す私達。
「さっきは二人だったのに、今は四人になってる。警戒されてるようですね」
「ふむふむ…、じゃあこれかな」
トコルは手袋の手の甲を指で弾いた。するとそこから奇妙な装置なような物が跳ね上がる。そして腰に取り付けられたポーチから手探りで薄緑色のガラス玉のようなものを取り出し、手の甲の奇妙な装置にあてがう。
「何んですか?それ」
「まあ見てなって」
彼女が装置を覗き込む。そして玉を引くと、装置との間に黄金色の魔力の糸が出来上がる。
「…パチンコだ…これ」
「ん?」
カエデが何か呟いていたが、小声だったので上手く聞き取れなかった。
「行くよっ」
引き絞った玉を放つ。すると弧を直線でその玉は飛んでいき、門番の体に直撃して破裂した。
「え、なんの効果も…ってええ!?」
一件なんの影響もないかと思いきや、数秒した後に門番の四人がバタバタと倒れていくでは無いか。
「殺したんですか!?」
「いや?強力な睡眠作用のある毒キノコの粉末を入れてあるんだ。数時間は起きないよ」
「へえ…」
カエデの問に淡々と答えるトコル。
睡眠作用のあるキノコ?なんか食べた気がするのは気のせいだろうか。
「さあ、先に進もう」
茂みを出て、眠った門番の上を通り過ぎる。門を潜るや否や、すぐさま家の影に隠れつつ奥に奥にへと進んでいく。
「…トコル、あなたなんで場所が」
「しっ、全て終わってから説明するよ。今は、仲間の救助が優先でしょ?」
「っ…。ぅ…これ、なんだ…?」
顔を見上げれば、そこにあったのは巨大な建物。他の家の粗末さに比べて遥かに発展した創りをしていた。
「こんなもの、見た事ない…」
「トコル…?」
彼女は建物の影からそれを見て、目を丸くして、小刻みに震えていた。
「こんなの、ある訳ないんだ…。ウソ、ウソ…」
「トコル!」
明らかに様子がおかしい。慌てて彼女の肩を掴み、前後に揺する。
「っ…。ごめん、取り乱した」
「…大丈夫ならそれでいいわ」
彼女はハッと我に戻った後、唇を噛み締めて数秒俯いた。
再び彼女が首を持ち上げた時、その苦悶に満ちた表情が嘘だったかのように、彼女の顔にはうっすらとした笑顔が出来ていた。
「ごめんね、時間を食っちゃった。進もう」
「ええ」
巨大な建物の脇を足音を立てぬように進んでいく。走りながらも、彼女はチラチラとその建物の方を見ているようだったが。
本人が終わったら説明する、と言っていたからそれを待つとしよう。今は、エルティナの救助が優先だ。
「ここよ」
「…はは、なんも変わってないや。…行くよ!」
藁を敷いただけの屋根壁を突き破り、私達三人は主の家へと飛び込んでいく。
「エルティナ!」
そこには、手足を縛られ椅子に拘束されているエルティナの姿が。肌が青白く、目は開いているものの、こちらを認識できている様子はない。
「ちっ、殺されては居ないだろうけど、ここまでするなんて!」
トコルは周りを見回し、周囲の人影がないかどうかを確認するとエルティナの元に駆け寄った。私達もそれに続く。
「エルティナ!エルティナ!」
「…っ…ソ、ウカさん?」
「良かった…エルティナ!!」
彼女が目を開け、ゆっくりと口を動かしたのを見て、思わずその体に飛びついた。
「大丈夫!?一体なにが…」
「わか、りません。…覚えていないんです。何か、薬を打たれたのは覚えているのですが…」
「とりあえず、行くわよ」
彼女を拘束しているのはがんじがらめに巻き付けられた鎖。どこか始点かも分からないくらいに、ぐちゃぐちゃに巻き付けられていて到底解くことは出来なさそうだった。
「トコル、や。また、お前は、そうやって、村の、意思に、背くのか」
「…っ…」
トコルの手がピタリと止まる。
止まり止まりのこの喋り方。その声のする方へ体を向ければ、そこにどこから入ったのか、この家の持ち主である主がいた。
「村の意思?よく言うよ、そんなものはクソ喰らえだって言ってるでしょ」
「…これだから、不浄なる、人の血の、流れるものは」
「…あ?」
トコルがゆっくりと振り返る。腰から槌を抜き、刹那、その槌を主の額に押し当てていた。
「私を、何と迫害しようと構わない。けど、その穢れた考えの犠牲になった父さんと母さんを、穢れた口で言うんじゃない。…次に、口にしたら喉の向こうが見えるようにしてやるから」
トコルの声は、憎悪に満ちていた。そして震えていた。のんびりとした柔らかな口調は消え去り、闇に満ち溢れたドス黒い声。
「…。カエデちゃん、このどうしようもないアホの相手を頼むよ。剣で突いて脅してやればいい。変な動きをしたら、刺して構わない」
「…はい」
トコルが主の傍を離れ、入れ替わるようにカエデがその脇に入る。剣を鞘から引き抜き、刃が当たらぬように脅すカエデ。
「さて、この鎖を切ろうか」
「でもどうやって…」
「少し、痛いかもしれないけど我慢してね」
トコルは懐から先程の暖かい袋を取り出し、ゆっくりとその紐を解いた。そして小さな爆薬の入っているという方の袋をそっと手に取り、鎖に少量振りかけた。すると小さな破裂音とともに、その爆薬が振りかけられた場所の鎖は叩き切られていた。
「さ、これで大丈夫なはずだよ」
彼女は次に足を縛る鎖に同じことをする。私は手を縛る鎖を解き、トコルも足の拘束を取り外す。
「っ…」
「手足は立ちそう?動けそう?」
「…申し訳ありません」
トコルの問いにエルティナは力無く首を振った。それに対して彼女は分かった、とだけ呟いてこちらを見た。
「この子、おぶってあげられる?一旦家に帰ろう」
「けど、ティアーシャは…」
「っ…」
トコルの顔が曇る。
「あの、深紅の、旅人なら既に、贄になった、諦めるが、いい」
「っ!!」
「カエデ!」
カエデが剣で脅しているのにも関わらず、腰から武器を取り出す主。しかも、あれは、一発装填の古い拳銃のようだ。
「トコルよ。栗色の、旅人は、お前が
動けば、死ぬぞ」
カエデの額に突きつけられる拳銃。あれではカエデがどうしようと、良くて相討ち。最悪カエデが死ぬ。
「…その拳銃、懐かしいもの持ってるじゃん」
「さあ、武器を、捨てよ」
「…」
「貴様も、だ!翠色の、旅人!」
主が声を荒げる。ここで下手に動けば、カエデが危険だ。私は腰の短剣を床に置き、トコルは手袋と腰に付けた槌を捨てた。
「皆、この者らを、捕えよ」
そう言うと、家の入口からわらわらと武装をした小人が入ってくる。
それらは私達の背後に立つと、持っている手錠を手首に掛けた。
「穢れた、者共よ」
主は拳銃の引き金に指をかけた。
「なっ、卑怯な!!!!」
「くっ…!!」
私達は動けない。
慌てて鱗を蛇に変換させようとした所で、腕を武装した小人に握り締められ、その行動は防がれる。
「カエデ!!!」
「地獄に、行くが、いい」
引き金が、引かれる。激しい発砲音が家全体に響き渡る。
「……ぇ?」
発砲音の反響が収まった時、真っ先に声を放ったのは、銃を突きつけられていたカエデ本人だった。
カエデは、撃たれていない。
そして、撃たれたはずの拳銃は主の後方へと吹き飛び、小さく煙を立たせていた。
「…地獄から、戻ってきたぜ」
「…っ!!ティア!!」
入口の方から声がした。全員がそちらに目を向ける。そこに立っていたのは、全身を血で塗らし、満身創痍になったティアーシャだった。
「…ティアーシャ!」
トコルもそう叫んだ。
「よくも地下のでっけえバケモンがいる所に放り込んでくれたよなあ?ほんとに」
彼女は血に濡れた短剣を握り締め、ゆっくりと主に近づいていく。
「貴様、!」
「邪魔」
それを見て、我に返った武装した小人は彼女に飛びかかっていく。しかし、次の瞬間にはその姿は地面に横たわっている姿になっていた。
「深紅の、旅人。貴様、何故」
「あの程度で死ぬタマかと思ったかよ」
カエデの肩を掴み、自分の元へ引き寄せる。そして短剣を顔面突きつける。
「しかし、もう、限界の、ようではないか」
「…っ…」
短剣が彼女の手を離れる。膝が崩れ落ち、バタリとその場に横たわってしまう。
「ティア!」
「…くっそ…動かねえ…」
彼女の表情は苦悶に満ちていた。
「死ぬが、いい。旅人、よ」
主がティアの短剣を拾い上げ、彼女の首にそっとあてがう。
「…その時を、待ってた、ぜ」
「なに?」
その時だった。ティアはその瞬間に『天道』を開き、中から何かを取り出し主の喉笛に突き刺した。
「うっ…ぐぅぁっ!?」
「今だ!」
トコルが転げるようにして主の取りこぼした短剣を掴み、その短剣で、首を掻っ切った。
「う、げ…」
主は滝のように首から血を噴き出しながら、仰向きに倒れた。
「ティア!」「お兄ちゃん!」
「…」
私達が駆け寄っても、彼女は小さく息をしているだけで返事はしなかった。
「ティアーシャの治療は、私が、行います。皆さんは、それぞれのことを」
「エルティナ…、あなた大丈夫なの?」
椅子を支えに立ち上がり、倒れているティアーシャの元に膝を折るエルティナ。
「大丈夫、です。とりあえず私の解毒は終わりました。かなり体力と精神面を削られたので、万全では無いですが…。今はティアーシャの治療を優先します」
「はあ…。さっきまで動けもしなかったのに、凄いね。なにか手伝うことは?」
トコルがエルティナに尋ねる。
「そうですね、血を拭きたいので手拭いなどを用意していただけると」
「分かった」
エルティナはそう返すと、満身創痍のティアの服の胸元を開き、そっと肌に触れた。
「回炎」
そう呟くと、エルティナの薄紫色の髪の毛が私より幾分か薄い翠色に染る。そして手から魔力が流れ、ティアの体を癒していく。
「…これは、酷い怪我ですね。全身のあちこちを骨折していますし、良くて打撲や捻挫まみれです。部位の損傷も激しいです。半分小腸がはみ出て…」
「そんなこと説明しなくてもいいからあ!」
ティアの血を拭うトコルが叫んだ。
私はカエデに腕の縄を切ってもらい、倒れている武装した小人をその縄でグルグルに縛り家の隅に置いた。
「…あちゃ、片目を完全に抉られてるね。これは回復魔法でもどうにもならない」
「普段魔眼を行使するのに使っていた目ですね。元々光魔法を受けて見えにくくなっていたので、魔眼用として使っていたのですが…。まあ、視力の低い方の目で幸いだったと言えましょう」
血が拭われると、ティアの左目は何やら爪痕のようなもので抉られていた。その証拠に、額から頬に掛けて大きな生々しい傷跡が残っている。
「…」
そんなティアを見て、楓がそっと自分の左目を摩った。そう言えば…、彼女の白濁した左目も、見えないんだった。
「しばらくすれば慣れることでしょう。これだけ大きい傷があると、あらかじめ眼帯でも作っておいてあげた方がいいかもしれません。…あまりにも生々しいので」
やがてトコルがティアの顔に付着した血液を吹き終えた頃、エルティナの回復魔法も終わったようで、髪の色が薄紫色に戻っていく。
「とりあえず、治療は終えました。しかし、私の回復魔法は細胞の回復能力を増幅させるものに過ぎないので、目など治らないものは治らないです」
「…生きてるだけ、充分、さ」
「ティア!」「お兄ちゃん!」
「いっつつ…」
起き上がろうとしたが、全身を襲う痛みに顔が歪んでいた。
「まだ治療が済んだばかりですから、無理はしないように。絶対安静です」
「そうだね、とりあえず私の家に戻ろう。そこなら安全なはず、だよ。ここの住民はわざわざあそこまで追っては来ないはずだから」
「…そうしましょう。それぞれ何があったのか、気になるし。ティアは私がおぶうわ」
「体が動いたらそんなこと絶対頼みはしないんだけどな…。助かるよ」
ティアが限界ギリギリの笑顔で微笑んだ。
「…あなたに死なれたら困るのよ」
なんだか照れくさくなって、目を逸らした。
---
「で?まずティア、何があったのよ」
ベッドに寝かされながら、ソウカに問い詰められる。
「その前に、この小人は?味方、で良いのか?」
ソウカ達と共に居た灰色の髪の小人の…少女、と言っていいのだろうか?そしてその隣にいる同じく灰色の髪の少年。
「うん、少なくとも敵じゃないから安心して欲しいな。私はトコル、よろしく」
「ティアーシャだ、よろしく………は?トコル?」
「…。おほっ…」
トコル、が堪えていた笑いを抑えきれずに吹き出した。
トコル。俺達が今回の旅で探していた人物の一人。小人|であり、先代ティアーシャとナーサの古きパーティメンバーの一員。
まさか、探し求めていた人物にここで出会うなんて…。
「君のことは聞いてるよ。ティアーシャの名を受け継いだっていうこともね」
「っ…。聞いてるのか」
その事を打ち明けるのは少し心苦しい所があったから、ほんの少し心が軽くなった。
「にしても、短剣まで同じとはね。髪色こそ違うものの、瓜二つだよ」
彼女は俺の深紅色の髪を手に取った。
「いや、つい最近までは白銀だったんだ」
「…。え」
トコルの目が点になった。なんか、感情の起伏が激しいやつだな。
「じゃあ瓜二つどころじゃないよ。生き写しだよ!ほんとにそっくりだ…。ナーサがティアーシャって名付けるのも無理はないね…」
ジロジロと俺と鼻が擦れ合いそうなくらいの距離で、舐めまわすように俺の顔を見てくるトコル。
「まあ、あのティアーシャの話はここまでにしようか。そんなに満身創痍になるまで、何があったの?」
ズキリ、深く抉られた左目が疼いたような気がした。
「ああ、俺は目覚めたら案の定縛られて洞窟の中にいたんだ…」
俺は事の経緯を話し始める…。
---
「っ!があぁぁっ!?」
目を、目をやられた。視界が一瞬真っ赤に染まってから、すぐに何も見えなくなる。
焼けるように、顔の左側が痛い。真っ赤に焼けた鉄棒を押し付けられているかのような熱さと痛みだ。
『やはり、人間は脆い…』
「くっそ…野郎が…」
既に全身の骨は砕け、呼吸もままならなくなって来ている。脳から分泌されているアドレナリンで痛みを緩和して、何とか立てている状態だ。
俺の回復魔法はそこまで秀でていない。ある程度の傷くらいなら治せようが、ここまで重症だと気休め程度にしかならない。
「そろ、そろ…倒さないと…まずいな」
意識が途切れたら、それで終わり。全身バラバラになるまで解体されて、ハンバーグの材料にされるだけだ。
『倒す?…何をほざいている。…貴様は、ここで、死ぬのだ』
「どうかな?」
勝機は、無いわけでない。しかし、成功する確率は限りなく低いし、この体でどこまで上手くいくか分からない。けど、やらずに諦めて死ぬくらいなら。
「やるっきゃねえよなあ!」
痛み、軋む体に鞭を打ち、立ち上がる。
『…さっさと諦めれば、その痛みを感じることもないというのに』
「…それは、こっちのセリフだよ」
『ふっ、強がりは辞めておけ』
強がり、ではない。確信。勝利への圧倒的な確証があるから、言えるのだ。既に手を打ってある。カタが着くまでにさほど時間はかからないだろう。それまでにこっちが失神したらどうしょうもないんだけどな。
『せいぜいここに来たことを後悔して…死ぬが…いい……。んぅ?』
「効いてきたようだな?」
動きがピタリと止まる。動こうとする度に小刻みに震え、行動が制限されている。
『な、なんだこれは。動かんっ』
「おめえデカブツだから毒の回りがおせえんだよ。…さっき懐に潜り込んだ時、その柔けえ腹に神経毒をぶち込んでおいたのさ」
『天道』から取り出した一本の黒色の針。海で採ったガンガゼの毒を主軸にその針を魔力で硬化させ、毒素を更に強めた武器だ。
懐に潜り込んで蹴りを放った時に、腹に突き刺しておいた。硬度はあるが、元の性質通り物凄く折れやすい。突き刺さって折れ、体内に毒を持つ針が残る、という訳だ。
「動けねえだろ?」
『ぬ、ぐう…っ!?』
「楽に殺してやろうと思ったけど、貴重な片目を抉りとってくれた礼だ。残酷に手早く殺してやろう」
ゆっくりと近寄り、巨大な『天道』を作り出し岩獣の頭から胴体までをすっぽりと覆う。
『な、何を!?』
その出口は俺のすぐ後ろ。俺の目の前には胴から下半身にかけての体が。そして俺の背後には胴から上の部分が『天道』で繋がっているわけだ。
「さて、この状態で『天道』を閉じたらどうなると思う?」
『ま、まさか…』
「俺が慈悲深い生き物じゃなくて悪かったな。…もう、元には戻れねえんだよ」
開いていた手を閉じ、『天道』を閉める。
『っ!!!!』
胴体を繋げていた『天道』が無くなったことにより、岩獣の体は真っ二つに両断される。音もなく、悲鳴も声もあげる間もなく。
「っ…はあっ…」
ようやく、息を付ける。
両断されたその死体を尻目に、俺は先に進む。
ああ、風の音がする。出口だ。
けど、俺がこんな目にあったんだ。アイツらもタダじゃ済んでいないだろう。
この体で、どこまで行けるかは分からないが行くしかないだろう。いや、行かなければならないのだ。
---
「っていう訳だな」
「話の規模がデカすぎる…」
事の経緯を話し終えた頃には、ソウカは頭を抱えていたし楓は顔を引き攣らせていた。
「その岩の生き物、殺しちゃったんだよね?」
トコルが顔を真っ青にして言う。
「ああ…、俺が殺されかけたからな…?」
何か…やってはいけないことをしたのか…?俺は。
「いや、君を責めるわけじゃないんだよ。ただ、あの街の目的が、分かったような気がする」
「目的…?」
「うん、その岩の生き物の名前は『リグラフ』。岩神なんだ」
「…え」
神、だったの…かよ。ちょ、ちょいまて。俺そしたら神を殺しちまったことになるのか?…アダマスになんて言われるんだ…。
「いや、元々神だった。の方がいいかな。本来『大地の恵を司る』神だったんだ。けれど、あの神はあまりに傲慢だった。訪れ、その地に住み着く生き物を虐殺した。己の地が汚れるからという理由で神の任を降ろされた、と聞いているんだけど」
「…じゃあ特に問題はない、と?」
トコルは首を振った。
「それが大問題なんだよ。あのリグラフは存在その物が大地の恵を司る要因に繋がっているんだよ。要するに、ここら辺の木々が枯れ、枯葉が地に積もり、肥えた土に還るのはリグラフの力が漏れていたからなんだ」
じゃあ、あの溢れかえっていた魔力の流れ。あれがこの地域の地の恵に関係していた、と?
「そしてあの街の小人族が地面を掘って汲み上げている大地の恵、あれは大地に凝り固まったリグラフの魔力そのものなんだ。大地を生かすリグラフの力が地面から失われれば、当然その地は枯れる。初め、私達もそんなことは知っていたから、汲み上げたりなんかしなかった。…けど、『真っ暗な人』が現れて、全部変わった」
「真っ黒な、人?」
トコルは続ける。
「大地の恩恵を何よりも大切にしていた一族は、ある日を境にぱったりとその事に興味を無くした。そして、水を啜るかのようにして大地の恵を汲み上げ始めたんだ。そしてここらの恵を吸いきった結果、この家の周りは大雪に見舞われ、生物が生きられるような環境ではなくなったんだ」
「じゃあ、トコルさんがここに住んでるのって」
楓の言葉に、ほんの少し尖ったトコルの耳が微かに動いた。
「そう、私、いや私達姉兄は元々ここに住んでいたあの街の住人だったんだ。けれど、環境が破壊され、私達は彼らと意見を違えた。そして半小人であることも棚に上げ、この地に残らされ続けてるんだよ」
「…」
「…話を戻そうか。今この元々街があった場所から彼らは住居を変えた。そしてあるのがあの街なんだ」
「石油…大地の恵を取る事に、リグラフは怒らなかったの?だって自分の守る地が汚されるという理由で生き物を殺したんでしょ?」
ソウカが問う。確かに、その点では矛盾している。
「そう、だから彼らは何らかの技術を使ってリグラフを閉じ込めたんだ。そして、魔力を作るための『贄』として魔力の多い生き物をそこに送っていたんだ。リグラフは魔力で恵を産み、小人はその恵を得るために贄を下す。そうして生きてきたんだ。けど、見ただろう?あの集落には、もう魔力の多い者はいないんだ。だからティアーシャ、君がそこに放り込まれた」
「…あの時、魔法を使った時の変な笑いはそういう事だったのか…」
なら自分で良かったのかもしれない。エルティナや楓だったら、生き残るのは厳しかったかもしれない。
「でもティアーシャがリグラフを殺したのなら、その恵は…」
エルティナの言葉にトコルは頷く。
「そう、恵は今地に眠る分しかない。だからあの地はじきにここと同じようになる」
「そんな…っ…」
「…良いんだよ。気にしないで。行き過ぎた発展は、滅びの道を辿る。物を作る私だからわかってるんだ。…そのまま、そのまま滅んでいけばいい」
トコルは苦虫を噛み締めるような表情を浮かべる。そりゃ自分の産まれた故郷が滅んでいくのだ。苦渋の決断なのは仕方がない。
「それに、私は主をこの手で殺したんだ。あの街を救っても、帰る家は無いんだよ。…あ、変な気を起こして勝手に助けに行くとかやめてよ?これは、私なりの復讐だし、なにより今の生活に不自由は感じていないんだ」
一人だったら寂しかったかもしれないけどね、と付け加えた。
「さ、そんなしんみりさた雰囲気になっても嫌だし。ご飯にしよっか!あそこのご飯はまずかったでしょ?」
「…」
「カエデ、お腹鳴ってる」
「ちょっと!言わないでくださいよ!」
重くなっていた空気が一気に吹き飛ぶ。一番心に重りをぶら下げているであろうトコルが、気丈にそして明るく振舞っている。きっと心の中はズタズタなのだろうけど。
「そうだな、確かに味無しの肉と鍋は流石にキツかったな」
だからこそ、その気持ちを汲んでやらねばならない。
「考え方の違いだけどね。恵に手を加えていらいなぶってはならないっていう。でも不味いもの食べても仕方ないじゃんってね。私はこう見えてもナーサ達と組んでた時料理担当だったからね!その面については保証するよ」
「なら楽しみにしておくよ」
その晩は、皆で食卓を囲った。丁寧に調理された鹿肉のステーキと、穀物を煮たお粥のようなもの、野菜は生で、綺麗に切られ甘酸っぱいドレッシングがかけられている。汁物はすまし汁のように上品な、ほんのり出汁香る逸品。
「はあ…あそこの飯、相当まずかったんだな…」
「オマケに毒まで入れられてたんだからね」
「違いねえ」
皆苦笑を浮かべる。
「懐かしいな、こうして大人数で食卓を囲うのは」
そんな中、トコルはそっと零した。
「ナーサのパーティのことか?」
「うん私、ナーサ、ティアーシャ、トゥルナ、ヘデラ。ヘデラはメシマズだし、ティアーシャは肉の血抜きはろくにしないし、ナーサはそもそも調理なんて言葉知らないくらいだったし。懐かしいなあ」
「ヘデラって言うのは長耳族の?」
「そう、あの子は偏食が凄くてさ。食べさせるのには苦労したよ」
まるで母親のような優しい微笑を浮かべるトコル。
「ん、そう言えばなんで私のことを探してたの?探してここに来たって聞いたけど、理由までは聞いてなかったよね?」
「あー、そうだったな」
俺は食器を置き、ボロボロになった服の下から首にかけた赤色の宝石の着いたネックレスと、懐にしまった淡い橙色の宝石を取り出した。
「あ、それ」
トコルがなにか言おうとしたのを、遮るようにして俺は口を動かす。
「橙色の宝石はナーサの。赤色のは…多分トゥルナがくれたものだと思う。この宝石を集めてるんだ」
「…それ、私も貰ったよ。ティアーシャが死んだ後、静かにここに暮らしてたら、どうやったのかいきなり送られてきたんだ。ほら」
トコルは腰に付けたポーチを取り外し、中を開いて見せた。するとポーチの蓋の部分に埋め込まれた淡い藍色の宝石があった。
「形見代わりだと思って取っておいたんだよ。…でもどうしてこんなもの?」
「俺がこれに触ったら、何かが見えたんだ。他の誰かには見えない、俺だけに見えるんだ。確証は無いけど、全て見ないといけないような気がしたんだ。宝石を手にした時、言われた気がしたんだ。五つ全部集めろって」
「…ふうん?じゃあ触ってみる?ほれ」
トコルが差し出したそのポーチを受け取り、蓋に埋め込まれた宝石にそっと手を触れる。
--…た。…て!…やく!
--「…こに!?…もいっ…ょに!!」
--……しは、残る。…とは、頼んだわよ。
--『…かりました。…きましょう』
--「でもっ…!」
--『あなたを、守…ことが、私の使命ですから』
「…」
「どう?」
気がついた時にはトコルは俺の顔を覗き込んでいた。
「…また、見えた。…でも、映像は見えない。声だけだ」
「誰のですか?」
「…いや、よく聞きなれた声なんだ。誰の声だろう…?」
聞き覚えのある、なんならいつも聞いているような気のする声。凄く親近感の湧く声なのだが、誰なのかは分からない。
「…。今日は泊まっていくよね?」
俺が考えていくと、トコルがいきなり言った。
「…あ、良いんですか?」
「流石にこの夜の吹雪の中、出ていけ、とは言えないよ。むしろ大歓迎だよ」
なんだか、それから食べる飯の味はあまり感じなかった。
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『ティアーシャ』
布団に入って、寝付けない夜を過ごしていると、ふと頭の中に聞きなれた声が流れ込んできた。
(…なんだ、かいせ…エルティナか。こんなこと出来たんだな)
てっきり、魂が分離してしまってから心の中での会話はできないものだと思っていたのだけれど。
『トコルさんとの会話を思い出していたんです。温厚で恵を大切にする彼らが【真っ黒な人】か来てから変わった、と』
そう言えばそんなこと言ってたな。特にその時には気にしていなかったけれど。
(それがどうかしたか?)
『【来た】という表現な以上、私達と同じ外来人であることは間違いないでしょう。しかし…』
(しかし…?)
エルティナは何か意味ありげな、沈黙の後再び話し始める。
『だとしたら普通種族名を言うと思うのです。【長耳族】や【小人族】という種族があるように』
(…だとしたら、種族が分からなかったんじゃないのか?)
『その【真っ黒な人】が来てから、彼らは石油を掘り始めたことになります。つまり、技術の伝承。しかし、この世界では石油を掘り燃料として使うという文化を持つ生き物はいないのです』
(何が言いたい?)
『まだあります。…私は、あの街で拘束を受けていた時、腕に注射を打ち込まれました。…この世界の技術では到底作れるとは思えないほど、精巧な作りをした注射器で』
(…その『真っ黒な人』というのは、この世界の人間じゃない?)
しかし、それはおかしい。この世界と別の世界を繋ぐことが出来るのは俺だけ…
(黒色の…『天道』…)
『ええ。貴女が楓さんの合宿に同伴した時も不可解なことが起こりました』
確かに、あっちの世界では現れない生物が大量に一箇所に出現したりしていた。それに…。
『それに、私達は【黒い天道】の襲撃にあっています』
「っ…」
繋がる。それらの事実を繋げれば、確かに辻褄が合う。
(誰かが、『天道』の力を使えている?)
『あくまで可能性です。しかし、それはおそらく楓さんの世界。あちらの世界の人物であると考えられます。それが【真っ黒な人】の正体かと』
(っ…)
アダマスや他の神が、他の誰かに『天道』を授けた?しかし、あれは俺の願いをアダマスが具現化して作った力に過ぎないのだ。だとしたら、同じ能力を他の他人に授けるとは考えにくい。
『この旅は、思っていたよりもかなり危険な旅になるかもしれませんね』
(旅に危険は付き物さ)
『…そうでしたね。とりあえず今は体を休めましょう。明日に備えて』
隣から布団の擦れる音が聞こえる。
(…そうだな。おやすみ、エルティナ)
『おやすみなさい、ティアーシャ』
瞼を下ろせば、眠気が少なくとも案外眠れてしまうもので。そのエルティナとの会話を境に、俺は夢の世界にいつの間にか落ちていた。
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「さて、そろそろかな」
皆の寝息が聞こえ始めた頃、私は立ち上がって音をたてぬように寝室を出る。そして家の角にある小さな作業机に向かうようにして座り、ほっと息を吐く。
「『魂離』」
瞳を閉じ、全身の力を抜く。体が風船か何かになるような、気体になるイメージを描く。
数秒もすれば、魂そのものが形となって体から飛び出す。
『…よし、久しぶりにやったけど上手くいったね』
『魂離』。己の魂を体から放ち、自由に見たり聞いたりすることが出来る力。本来空になった体に別の魂が入り込まないように結界などを作る必要があるのだけれど、簡易的に作った装置があるから、数時間であれば大丈夫だろう。
『気になることは放って置けないタチでねー』
壁をすり抜け、家の外に出る。魂なのでその姿は変幻自在。体を鳥に変化させて、翼を羽ばたかせて雪の降る闇夜を飛ぶ。
数十分もすれば、とある街に着く。夜中だと言うのに笑い声が絶えず、家々の灯りがポツポツと輝いている街。この街の外れに、『彼女』は住んでいる。
『お、いたいた』
既に消灯されている小さな木造の家。私はその中に入り込む。
奇妙な形をした時計やらお面やらがぐちゃぐちゃに壁に置き敷き詰められた奇妙な家。丁寧にテーブルクロスが敷かれた四人がけのテーブルが二つあり、カウンター席が五つ。カウンターテーブルには色々な瓶が並べられている。初めて見た人ならば、不思議な雰囲気のカフェだと勘違いしそうである。
その中を更に進むと、質素な生活空間がある。私の頭程までしかない本棚、きちんと畳まれた洗濯物、そこまで高くないベッド。そしてそこで静かに寝息を立てている女性がいる。
「…ん」
『ごめんね、夜遅くに』
「…んあ。トコル?」
どうやら魂の気配を感じ取ったようで、声をかける前に目を覚ましてしまったようだ。
黒色のしなやかで長い髪を揺らし、起き上がる女性。彼女が私の、私達の旧友トゥルナ。
パーティが別れた後も、時折こうして交流している。
『ああ、起きなくても大丈夫だよ。寝てて大丈夫』
私は姿を元の自分の姿に戻し、トゥルナの隣に置いてある椅子に腰掛ける。
「…いや、トコルがこんな夜中に来るなんて珍しいし。何かあったんでしょ?」
『うん…、まあね』
私は私の元にティアーシャと名乗る者が来ていること、そして今回の一件の事を話した。
「うん、そのティアーシャはあなたが思っている通りのティアーシャ。本人はそんなことこれっぽっちも知るよしがないけどね」
『あんまりにもそっくりだから、まさかな、とは思ってたけどね。やっぱりそうなんだ?じゃああの赤い髪の色も?』
トゥルナは頷いた。
「そうでしょうね。劣勢遺伝子である人間の血が、魂の不具合によって表に出てきてしまったようね」
『そっか…あの子が』
「数回、言おうかなとは思ったのだけど。言ってしまったら、彼女の生活を壊してしまいかねない。ナーサ達との関係を。だから、私には言う勇気が無かった…」
『そうだね…』
俯いたトゥルナの肩にそっと手を乗せる。
…魂だったからすり抜けてった。
『私が、伝えようか?事実を』
「…。その方が楽だし、早いのだけど。…やはり私が、この口で伝えたい。ティアーシャが始めて、私が引き継いだこと。私が消してしまった思いや記憶は、この手でけりを付けたい」
『…うん、そうだね。私はその気持ちを尊重することにするよ。この事は私の心の中に秘めておくことにするよ』
それを聞いてトゥルナは微笑んだ。なんだ、そんな顔もまだ出来るじゃん。
『…それにしても相変わらず華奢だねえ。ちゃんと食べてるの?』
「…そっちこそ相変わらず親みたいね。食べてるわよ、ルンティ…ルントの店にはちょくちょく顔を出してる」
ナーサのいない時間を狙ってね、と付け加えて苦笑を浮かべるトゥルナに吊られて私も笑ってしまう。
『…それじゃ、元気でね。トゥルナ』
「ええ、貴女も。トコル」
私は『魂離』を解除する。海の底から引き上げられるような感覚とともに、魂が元来た道を引き返し始める。
「っ…時間ギリギリだったね」
軽い衝撃と共に、意識が体を介した状態に戻る。どうやら簡易型の結界の時間ギリギリだったようである。あと少し長いしていたら魂の無い体を奪われていたかも知れない。
「…うっ、寒っ」
長い間防寒具も身につけずに体を置きっぱなしにしていたからだろうか。嫌に体が冷えている。早く暖かい布団の中に入って休もう。
「…え?」
しかし、そこに住み慣れた木造の家の姿は無かった。今立っているのは、雪に埋もれかけた家の床。
「トコルさん!伏せて!」
「うえっ!?」
背中から衝撃。そして次の瞬間には、振り積もった雪に顔面からダイブしていた。
「…うぶえっ!な、なに!?」
「敵襲です!交戦の準備を!」
どうやら私を押したのはエルティナのようであった。軽く体を起こすと、頭の上を何かが掠める。
「顔を上げないで!」
「うわばっ!?」
再びエルティナに押し倒される。よく見ると彼女の背中スレスレに黒色の何かが吹雪に混じって飛び交っている。
「エ、エルティナ!?一体何が…」
「敵襲と言っています!顔上げたら死にますっ!!…うぐっ!」
「エルティナ!!」
エルティナが力なく私に覆い被さる。
「エルティナ!エルティナ!」
肩を揺するも、彼女は気を失っているようで力なく揺れるだけだった。
「…っ!」
なるべく体の高さを上げないように、周りの様子を見てみる。
すると吹雪の雪と雪の隙間に一瞬垣間見える人影が。
「……真っ黒な…人」