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閑話 とある神の一日

「…ぬう」

幾何千枚はあろうか、大量の資料と睨めっこをする毎日。少し一息つこうかと思って、片眼鏡を外して椅子の背もたれにもたれかかって大きく背伸びする。

「嗚呼、珈琲を」

パチンと指を鳴らせば、予め机の上に置かれているカップに黒茶色の液体が注がれる。

人間界の飲み物、珈琲。程よい苦味と、香ばしい香り、それらの背後に隠れる仄かな豆の匂い。初めは何故こんなにも苦味のある飲み物を飲むのか、変態なのかと疑問に思ったものだが、慣れてしまえばもはや必需品の様なものになってしまっている。

なにせ飲むだけで集中力が上がり、眠気が覚めるというオマケ付きである。他の奴らもこれ飲めば良いというのに、甘くした茶ばかりしか飲まぬ。

しかも豆の種類を変えるだけで香りや風味まで変わるという。これだけ飲み物で神のココロを弄ぶ物が存在するだろうか。ちなみに今飲んでいる物は『コナ』と言うらしい。酸味も少なく馨しい香り漂う、中々良いな…。

「お疲れ、アダマス。…ってまたその苦汁飲んでるのか…?」

「嗚呼、クノンか。お前も飲むか?」

「いや、俺は良いかな」

世界の風の流れを管理、監督する神、クノン。風と同様にパッと来てはサッと帰ってしまう神出鬼没な

男だ。藍色のボサボサの短髪に、ほんの少しだけ生えた無精髭、片手には長き杖を持ち、肩には一羽の鷹が止まっている。

「どうだ?最近お前が手塩にかけている者は。何か動向は?」

「いや、()()()()()()()()()大きな変化は無い。しかし、世界の方が…ふむ」

再び左目に片眼鏡を着け、じっと宙を見つめる。

「世界のバランスが崩れ掛けている。よもや、二つの世界の存在が驚くほどに近しいものとなっている」

「へえ…、それはあの者達の仕業か?」

「いや。関与はしているが、厳密には関わっていないと言えるだろう」

卓上の煙管に火を着け、吹かす。

「双方の二つの世界の邪の念を、一つ一つ集めている者がいるようだ。この者の処遇を考えなければならないのだが」

「お?お前が手を焼くなんて珍しいな」

クノンは私の片眼鏡をひったくり、自分の目に着ける。

「いやはや、まさかこの私の手に負えないことがあるなんてな。()()が作り出した無の空間には流石の我々も干渉のしようが無いのだよ。まさかそんな所に潜んでいるなんて」

「はああ…そりゃ大変だ。何か手は?」

「無い、我々が直接手を下すことは出来ない。彼女らが気づいて対処してくれることを願うばかりなのだが」

「だが?」

「いかんせん、彼女は日に日に力を失っている。単独で問題を解決できるかどうか、定かではない。最悪の事態が起きた場合、我々が彼女らに手を貸すこととしよう」

「そうか、それに関してはお前の分野だ。任せるよ」

彼は中々面白いことになってるじゃないか、と一言漏らし一筋吹いた風の流れと共にいつの間にか消えてしまっていた。

「まあ、しばらくは大丈夫だろう。私はお前に信頼を置いているのだからな。頼りにしているぞ、ティアーシャ」

珈琲と煙管の苦みが口内に広がる。うん、やはりこれらの品は称賛に値するな。もう少し働いて、下界にでも様子見に顔を出してみるとしようか…。



---



我々神には密かな楽しみがある。

それは人間に扮してそれぞれの世界に降り立ち、その世界を散策するというものだ。

我々には下界を見渡すことのできる『神の目』というものがある。私の場合はこの片眼鏡、クノンの場合であれば肩にとまった鷹の目を通して、その場にいずとも下界の世界を監視することができる。しかし、それを通して見た世界というものはあくまで表面上のものに過ぎない。神々が『神の目』だけを通して下界に手を加えてみろ、世界がどんな方向にねじ曲がっていくなんて考えたくもない。だから、こうして下界に直接足を運び、世の情勢をその場で観察してみるのだ。

まあ、実際のところ神が直接手を下すことなど滅多にないのだが。

存在しえぬ神を作り出し、その名のもとに殺戮を行おうが我々には関係のないことだ。手を下すのは、せいぜい世界が滅びようとしている時、軽く恵みを与えてやる程度に過ぎない。

なら何故、わざわざ下界に降りているのかだって?簡単なことだ。

天界の食事は味気が無いのだよ。

「いらっしゃいませー。一名様でよろしいですか?」

「ああ」

ふらりと、明かりの灯った店の戸を開く。外のしんしんと身を蝕む寒気から、店内の暖気に包まれ体がほぐれていくのを感じる。

「こちらの席にどうぞ―」

若い茶髪の人間に指示されるまま、席に着く。

「こちらメニューです。お決まりでしたら、お声をおかけください」

「ああ、すまない。私は旅行者だから文字が読めないんだ。この店のおすすめの物を頼む。それと酒を、暖かいので」

「わかりました。身分証はお持ちですか?念の為確認させてください」

「ああ、構わない」

「ありがとうございます」

暖かいおしぼりを渡され、それで手を拭いたり、顔に当てたりしてしばしの時を待つ。

季節という概念が無い神は常日頃快適な環境で暮らしているため、寒さに慣れていない。それで死ぬことなどないのだが、それでも寒さというものは身に染みるものだ。この一つの暖かいおしぼりを手渡されるだけで、心までがホッとする。

料理が運ばれてくるまでの待ち時間で、店内を観察してみる。

木造の建築物故に、所々に木の柱が露出している。店の造りは大きくはなく、こじんまりとしていてカウンターテーブルが五つ。四人分の椅子がある席が二つ。お世辞にもきらびやかで豪華な店とは言えなかったが、どこかほっとさせてくれる温かさがる。とは言え、私以外に客が居ないせいかほんの少し物寂しい気もする。

カウンターテーブルに腰掛ける私は、調理を行う店主と面向かっている状態にある。少し背伸びして覗いてみれば、皺だらけになった手が包丁を持って、繊細に食材を切り分けている手があった。

「はい、まず前菜ね」

「お酒も、どうぞ」

店主が盛りつけを終え、小鉢を私の手元に置く。店員の女は何やら湯気の立つ白磁の容器を音をたてぬよう、その隣に置いた。

小鉢の中を覗き込むと、細切れにされた白と黒のブヨブヨとしたものの上に橙色に染まった大根おろしに、さらにその上に小口切りにされた青葱が乗っている。

「これは?」

「ふぐ皮です。その名前の通り、ふぐの皮を引いたものです。かかっているもみじおろしとポン酢で召し上がってください」

目の前の店主に問うと、彼は手を止めて丁寧に説明をしてくれた。

私は一膳の箸を手に取り、小鉢にそれを伸ばす…前に手を合わせておく。()()曰く、これがこの国で食べ物を食べるルールだとかいうらしい。

不慣れな箸で、小鉢の中の一切れを摘みそっと口に運ぶ。小ささの割に、もっちりとした歯ごたえがあり、かと言って歯を立てれば簡単に切れてしまう不思議な食感。そして同時に溢れ出てくる魚の旨みを、ポン酢と言う柑橘系の酸味のある調味料が引き立てている。そして、飲み込んだ後のほんの少し残る生臭さを、橙色のもみじおろしという、軽い辛みのあるものが洗い流してくれる。

更に、白磁の縦長の容器に注がれた酒を、一回り小さな、白磁の小さな容器に注ぎ、微量を口に含む。

初めにツンと辛味と苦味に近いものが口いっぱいに広がり、直ぐに仄かな甘みに移り変わる。体の中に酒が落ちていき、内から熱が湧きたがってくる。どれもしつこさは無く、サラリと消えてしまうものだから後を引く。

「これは中々」

「お、良かった良かった。口に合うかどうか心配だったんだ。…こいつの良さが分かるたあ、結構な日本食通だね?お嬢さん」

「食べるのは好きだからな。ただ、この酒とこの小鉢はよく合う。この酒は何出てきているんだ?葡萄か何かか?」

しかし、果物のような甘さではない。果物にしては柔らかすぎる甘さだ。

「これは米さ。米から出来た酒だよ」

「こ、米から?」

「へえ、やっぱり驚かれるんだな…」

店主は不思議そうな顔をしているが、彼らはその凄さに気がついていないのだろうか?

今まで色んな世界を管理し、降りたって来た。麦やらで作った穀物酒は稀に見る機会はあれど米を酒にしてしまう世界など見たことが無い。酒にしてこれほど上品な味を持つ米は、そのまま食べたらどれだけ美味いのだろうか。

「すまない、ご飯を貰えるだろうか。この国の米がどれだけ美味いのか、試してみたくなった」

「はいよ、凛ちゃん。ご飯お願いね」

「はーい」

女性の店員は厨房に入り、湯気をもうもうと立てる白い米が並々と積まれた茶碗を差し出した。

「ありがとう」

まずは、そのまま食べてみるとしようか。

箸ですくって、そのまま口に運ぶ。

な、なんだこの米は。甘い。柔らかくて芯が無くて、何せ香りがいい。口内で咀嚼を繰り返せば繰り返すほど甘みが増していく。

なるほど、この甘味は澱粉由来のものか。どうりで柔らかな甘さが出るわけだ。

「はい、二品目ね」

「お、これは知っているぞ。寿司というやつだろう?」

次に出されたのはこの国の名物だと名高い寿司だった。上に乗っているのは、魚は一体なんなのだろうか?

「ご名答です。お凌ぎのお寿司です。少し旬はズレますが、新鮮なアジが手に入ったので握ってみました。味は着いてますから、そのまま食べてください」

米の上に乗った鯵の上には、細く切った生姜と葱が添えてある。口に含むと、フワッとした米の食感に、魚の旨みが溢れてくる。米に優しい酸味があり、生姜と合わさって魚特有の匂いを消してくれている。

「この寿司は、手で握っているのか?」

「ええ、寿司は手で握らないと寿司じゃなくなりますから。その日毎に変わる魚の味と合わせて酢飯の酢の量を変え、魚の大きさによってシャリの量を変える。機械にゃ任せられん仕事ですよ」

「主人の料理に対する思いを具現化したような料理だな。やはり人の手で作った飯は美味い」

「ありがとうございます」

天界で食事にありつこうものなら、料理をする必要は無い。その料理を物質中から作り出せば良いのだから。しかし、そこに味はあれど思いも愛情も何も無い。それに引替え、この寿司には彼の客に対する思いや熱情がありありと注がれているのがよく分かる。

「さ、次の物はなんだ?」

「はい、次はですね…」


椀や、焼き物が出されていく中で、冷え固まっていた神としての心が解されていくような心持ちがした。彼ら人の子の温かみに触れ、私は久しく団欒の時を過ごしたのだった。

終いに出された甘味を食べ終え、得体の知れない満足感が身を支配していた。

「堪能した。ありがとう」

「いえ、こちらこそ。丁寧に食べていただいて、食材も感謝しているでしょう。どうですか?お腹の具合は」

「満腹でも無く、かと言って物足りない訳でもない。素晴らしい腹具合だ。この調整も、店主の定めなのだな?さて、勘定を頼もうか」

私は天界で発行してきたこの国の貨幣と紙幣を取り出す。

「あ、いえ。今日のお代は結構です」

「な…。流石に私もそこまで落ちてはいない。これだけの価値ある料理を食べておいて、金を払わずに帰るというのはおかしいだろう」

店主は暗い顔を持ち上げて言った。

「実は、今日いっぱいで店を閉めようと思っていたんです」

「な。それはなぜ故に?」

「時代の流れなのでしょうね。真心を込めて作った料理よりも、安く、そして手早く食べられる食事の方がこの世には求められているようで…。客足も日に日に減り、今日で閉じる予定だったのです。…最後に美味しそうに、そして丁寧に綺麗に料理を楽しんでいた事が、私達にとっての最大の報酬です。ですので、お金は受け取れません」

女の店員もぎゅっと口を噤んでいた。

「それでは、今日でこの店は無くなってしまうというのか?」

「ええ、今日限りで。お客様には申し訳ありませんが…」

「それは惜しいな。私を満足させたこの店がなくなってしまうのは。店主、私からの金は受け取らなくてもいい。しかし、送りたいものがある」

「…は?それは一体…」

「神の舌を満足させたこの店には、価値がある。もしこの店をまだ続けたいという思いがあるのなら、叶えよう」

「…か、神?」

「私はアダマス。生命監督機関のアダマスだ。…人の子の姿では格好がつかないな」

指を鳴らせば、瞬く間に服が変わる。いつも着ている服に世界を見渡す片眼鏡を掛けた姿だ。

「一週間、店をたたまずにいろ。さすれば、意味が分かるはずだ」

「一週間、ですか…」

「店長…」

店員の娘と店主が顔を見合わせて、困惑したような表情を浮かべている。

「店長、もう一週間。もう一週間様子を見ましょう。店長の料理がこの街から消えるなんて、ダメですよ!」

女は厨房に踏み入り、店主の肩を掴んだ。

「しかし…」

「嗚呼、それに関しては勝手にしてくれ構わない。ただ、その一週間、誠実に働けばきっと神も答えてくれるさ。さ、そろそろ時間だ。私は上に帰ることにするよ。また一週間後に、ここの飯が食えることを楽しみにしてるよ。ではな」

二度指を鳴らせば、既にそこは私の仕事部屋。円柱状の部屋で囲うようにぎっしりと本棚が詰め込まれている、いつもの部屋。

「次には何を食わしてくれるのだろうか、な」

机の上の、すっかり冷めきった珈琲を飲み干しペンを取って大量の仕事の山に向かった。



---



「一週間の時が立った訳だが、どうだ?」

「アダマスさんの言われた通りです。この一週間、とたんに客足が増えました。ほんとに…ほんとに感謝しかありません…ありがとう、ありがとうございます」

「やめてくれ、お前は店主で私らは客だ。店主は美味い飯を我々に提供する。我々はそれを堪能する。それでいいんだ」

店主と向かい合うカウンター椅子に座りながら、目線を逸らして背後を見た。一週間前までは人の子一人座っていなかった四人がけのテーブルが二つ。綺麗に埋まっているのだ。

「神のきまぐれ、というやつさ。美味い飯を食わせてくれるお礼だ。これからも()厄介になるだろうさ」

ここにいる客のほとんどが、私が声を掛け、それから毎日足を運んでいるという神達である。思いの込められた食事をろくに取っていない神にとって、この店は大当たりだったようで連日大賑わいだそうだ。

「よおお、アダマス。飲んでるかあ?」

そう言っていれば、四人がけのテーブルから、千鳥足で肩に腕を組んでくる神が一人。風の神、クノンである。

「今来たばかりだ。飲めるわけないだろう」

彼がこの店の噂話を風に乗せて伝達してくれたおかげで、人の子の客もそれなりに足を運んでいるという。

「それにしても、堅物で名の知れたお前がこうも情をかけるとはな。何があったんだよ」

「何も無いさ。ただ酒と飯が美味くて、店主の人柄が好きになったんだ」


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