第80話 石
「…んだこりゃ。石か…?」
家に帰って袋を開けてみると、小瓶に入った薬の他にその奥に小さな石が紛れ込んでいた。しかし手に取って見てみると、それはそこら辺に落ちている小石とは違う。明らかに人の手で細工された跡があった。
「…まあ、いいか」
俺は小石を袋の中にしまい、それごと机の中にしまっておく。小瓶を机の上に置き、一錠手に取りだして飲み込む。わざわざ水を取りに行くのもめんどくさかったので、水魔法で水を作り出してそれで飲んだ。やはり魔法というものは不精者には欠かせないものである。
「失礼するよ、ティアーシャ」
コルク型の小瓶の蓋を閉じていると、数回のノックと共に作業着姿で(といってもいつも作業着なので普段着のようになってしまっているが)現れた。
「ん、どした?」
「ルントの方が少し人手が足りないみたいなんだ。暇なら手伝ってやってくれるかい?」
相変わらずの繁盛店である。まあ、最近の大半の売れ筋は俺の考案したメニューがほとんどだから俺のおかげでもあるわけなのだが。
「ほいよ、着替えてくから十分くらいで行くって言っといてくれ」
「助かるよ。…って、ティアーシャ?どうしたんだい?そのネックレス」
ナーサがおもむろに俺の首元を指さした。
「ネックレス?そんな小洒落たもん俺が身につけるはず…おあ?」
苦笑しながら彼女の指指す首元を手で触れてみる。と、指にコツンと何かが当たる。慌ててそれに目を向けてみると、ナーサの言うように確かに俺はネックレスを身に付けていた。しかもルビーのように赤い宝石がデカデカと取り付けられた高そうなものが。
「ええ…こんなネックレス付けた記憶も無いし持ってた記憶もないんだけど…」
「よく似合ってるからいいじゃないか。客も喜んでくれるさ」
「キャバ嬢なん?」
まあ別に、これくらいなら良いのかもしれない。だけど、俺のものが確証が無いのに付けたままでいいのだろうか?
「まあ、いいっか。あ、人手が足りないのならソウカも呼ぼうか?あいつしばらく暇だって言ってたし」
「そうかい、ならルントも喜ぶはずだよ」
俺は『天道』に手を突っ込んで、その中からスマホを取り出す。そしてその本体の半分を『天道』で覆いソウカが居る向こうの世界と繋げる。
『今、暇か』
と、俺。するとすぐに既読表示がつき。
『私はいつでも暇よ。ちょうど日本一周して退屈してた所』
とソウカ。どうやら、ソウカの目的であった日本巡りを終えたようである。
『ルントが人手足りないらしい。GPSでお前のいる場所に天道繋げるから、入って来てくれ』
『了解』
俺はスマホを切って『天道』の中に放り込む。そして人一人通れるくらいのサイズのものを作り出し、ソウカの元へ繋げる。
「よっと、久しぶり。ティア、それにナーサさん」
「久しぶり」
「久しぶりだね、元気してたかい?」
「ええ、ピンピンしてますよ…。って…ティア…?なのよね?」
『天道』を乗り越えて、俺の前に現れるソウカ。
若干翠色に白色が混じる髪の毛を揺らしながら、俺とナーサに挨拶を交わして来た。と、思えば愕然として俺の顔を見てくる。ああ、そう言えば俺のこの姿を見せるのは初めてだったか。
「ああ、正真正銘の俺だよ。この髪は…今話すと長くなるから後にするよ。少し話しにくいしな」
「…?まああなたがそうするって言うならいいのだけれど。それで?ルントさんの所の手伝いでしょ?」
「ああ、すまないね。お礼にとびっきり美味い飯を食わせてやるよ。ルントがね」
ガハハ、と豪快に笑うナーサ。まあ…ナーサはメシマズだから…。
そしてその日は言わずもがな、大忙し。俺と楓、そしてソウカで手伝っている(エルティナはまだ不慣れなのでやすませている)のだが…。むしろ逆効果なんじゃねえかと思ってる。
「うおおおっ!オーダー、配膳、会計、片付けっ!体が!体が追いつかねぇ!!!」
皿を運び一息付けたかと思えば、また客の手が挙がる。その注文を取り、オーダーを伝えてまた一息着けるかと思いきや、今度は会計をしなくてはならない。そろばんにもよく似た会計道具を弾き終え、大きく息をつこうかと思ったら、今度は空いたテーブルの片付けである。
「三名様!ご来店でーす!」
「「「いらっしゃいませーっ!」」」
それでも客に弱った姿を見せるわけにゃいかない。取り繕った笑顔で客を出迎える。
「三番テーブルと六番テーブルの!上がってるよ!」
「おう!」
厨房から繋がる小窓から次々と出来たての湯気を立てる料理が置かれていく。俺はそれを重力魔法で操作して全てを同時に運ぶ。
「はい、お待ちどうさま。こっちも、お待ちどうさん」
「ありがとうー!お姉ちゃん!」
親子連れの家族のテーブルの元に皿を運ぶと、その家族の娘が満面の笑みで俺に礼を言う。
「どういたしまして、ゆっくりしていってな」
俺はそんな少女の頭をぽんぽんと撫で、体を低くして笑みを浮かべ、再び厨房の方へ踵を返す。
「ありがとうございましたー」
俺が配膳を担当しているのに対して、ソウカは空いたテーブルの片付けを行っている。食べ終えられた食器を片付け、テーブルの上をさっと水拭きする。
楓は別席でパチパチとそろばんに近い計算器具を用いて会計を担当している。しかし、この世界のそろばんは銀貨金貨計算の為か上段の五の珠が存在しない。その分珠が十玉ある訳だが…。流石に電卓を持ち込むわけには行かないが、五の珠の文化ぐらいなら伝えてやってもいいんじゃないか?
「あれ…この店…こんなに天国だったっけ…?」
「俺達…天国に到達しちまったみたいだな…。カブトムシカブトムシ…」
「いやぁ~、眼福眼福。視力が回復していくような気がするわ」
「ほんとだ!老眼がなおってる!」
「見る治療薬とはこの事だねぇ」
そして、客達がなんか騒いでる。数年前の俺ならフォークを頬に突き刺し、その頭を皿に叩きつけていたかもしれないが、慣れというのは恐ろしいもので今はもう何も感じなくなっていた。
しかしまだソウカと楓は慣れていないようで、面向かって言われると気恥しそうに目を逸らしていた。ふっ、まだまだだな。
「ほい、お待ちどうさん。ばあちゃんは…ルリカ(鶏肉の香辛焼き)とパンだっか?そっちは娘さん?」
俺は風魔法をコントロールして、丸机を囲むしわくちゃの老女と比較的若めの葡萄色の髪の女性の手元に皿を並べ、二人の間にパンの入ったカゴを置く。
「こっちは孫でさあ。ティアーシャさんもお久しぶり…。ちっとも見違えんで、べっぴんなままで。そのネックレスも綺麗だこと」
「ばあちゃんも昔から変わらずに美人さんだよ。にしても相も変わらず、よく食うねえおばあちゃん」
この老女はずっと昔からの常連客。いつもは一人で来ては、成人男性が食べるようなヘビーな料理をバゲット片手にペロリと食べ尽くしてしまうのだ。その食べっぷりは見ていてとても気持ちがいいし、なにより数年来歳を取っていないんじゃないか、と思うくらいに変わっていないしちゃんとおめかしして来ている。
褐色の肌に、ほんの少し尖った耳。本人から聞いた話ではあるが、彼女は小人族らしい。小人族は比較的短命だと聞くけれど、このおばあちゃんは例外なのだろうか。
「孫です、初めまして」
「私の孫でしな」
「初めまして、ティアーシャです。ゆっくりして行ってくださいね?」
老女に向かって座るその女性に軽く会釈する。
褐色の肌は受け継いでいるが、身長は高く耳の尖りもさほど大きくない。混血なのだろうか。
「はい!ところで、このお店は家族営業ですか?随分と沢山の従業員さんがいらっしゃるようですけど」
俺は尻目でソウカと楓を見た。
家族営業、というのはあながち間違っていないのかもしれない。店の経営者はルントだし、その家の元で暮しているのは紛れもない俺達だ。血は誰一人として繋がっていない訳だが。
だから、俺は満面の笑みでこう返した。
「ええ、全員家族ですよ」
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「あ゛あ゛…。もう…肩上がんない…」
「指…痺れてる…」
「おいおい…、この程度でへばるなって。普段は俺一人でこれをこなしてるんだからな?」
そして昼休み。と言っても、客足が減るまではばっちり働かなくてはならないのですっかり日が暮れてしまっているのだが。
「とは言いながら、あんたも机に突っ伏してるじゃない!どの口が言ってんだか…」
「完全に魔力切れだあ~」
風魔法で食器を浮かせての配膳は、確かに効率こそ良かったものの燃費は最悪だった。日々、魔力の底上げを行っていた為そうそう切れることは無いと思っていたのだが。完全にオーバーヒート。頭がクラクラする。
「三人とも、お疲れさん。ほら、賄い」
「ま、賄いっ」
椅子に凭れて項垂れていたソウカと、腕を枕にして撃沈していた楓がはね起きた。なんだ、全然疲れてねえじゃん。
厨房から、もうもうと湯気を立てた皿を持ってルントがやってくる。彼は俺達の前にその皿を置いて同じく俺の対面に腰掛けた。
「俺特製の羊の血の肉詰めを炒めたもの、それと魚の酢漬けだな」
「…説明下手くそかよ…」
本当に料理人かと思うほどの下手くそな説明をし、いわゆるドヤ顔をキメるルント。
「羊の…血の肉詰め…」
ほら見た事か、楓が顔面蒼白じゃあないか。
吸血鬼だった俺と現吸血鬼のソウカには聞こえがいいが、楓がたじろぐのも無理はない。代わりに俺が説明するとしよう。
前者はヒンメと呼ばれる料理。山で猟を営む人がよく作ると聞く。血のソーセージに、玉ねぎと芋、そしてリンゴをムースにしたものをかけて食べる、俺達の住んでいた日本じゃお目にかかれない一品だろう。楓のように、血の肉詰めと聞いて少し嫌敬遠するものも多いのだが、味はかなりいい。肉の腸詰めと違って肉汁が溢れたりはしないのだが、案外サッパリとしていて合わせるリンゴのムースとよく合う。
後者はリンヒテと呼ばれる魚料理。小魚の酢漬けにヨーグルトとリンゴを混ぜて芋にかけた料理。これまたリンゴとじゃがいもだが、こちらは先程のよりも更に優しい味でヘルシーである。小魚は酢漬けをしてあるから頭も骨も食べられるから、非常に栄養価も高い。
食べすぎたりした時とか、食欲があまり湧かない時に食べると良いらしい。と、言っても食欲が湧かないなんてこと無いのだけども。
「へえ…。料理屋の賄いならではの料理ね」
「日本人にはほんの少しハードル高いですけどね…」
「大丈夫だよ楓。ルントの料理の味については俺が保証するからさ」
俺と楓はそれぞれ持ち込んだ箸で、ソウカはフォークとナイフで。それぞれを小皿に取る。
「それでは、頂きます」「頂きます」
「…」
箸で掴んだ血のソーセージにかぶりつく。腸詰めの皮が破れ、中から暖かいエキスが迸る。うん、確かに血の風味が強いけど雑味とか嫌味が全くない。血のいい所だけを取って飲んでる感じだ。それに加えて、かかっているリンゴの風味が口の中を洗い流してくれて、さらには食欲を湧かせてくれる。
「ううん、うまい」
「血のソーセージって聞いてちょっと不安だったけど、美味しい!ねえ、お兄ちゃん。吸血鬼の飲む血ってこんなに美味しいの?」
パクパクと口にソーセージやじゃがいもを含み、まるでリスみたいに頬を膨らませた楓がこちらを見た。
「うーん、これは臭みとか抜いてるからな…。もう少しクセがあるぜ?」
まあ、吸血鬼は本能でそれを飲むわけだからな。日本人が米を食うのと同じだ。
「…」
「どうした?ソウカ、黙っちまって」
無言でフォークとナイフで器用に料理を口に運んでいるソウカに俺は声を掛けた。
「あ、いや。…前々から疑問に思ってたんだけど…。あなた達が食事を取る前に言う頂きますってどういう意味なの?食事の前に行うお祈りみたいなもの?」
「いや、ちょっとだけ意味が違うかな」
「あ、そうそう。それ、俺も気になってんだよ。ティアーシャも楓も、同じことするから」
ルントが興味津々な顔で俺を見てきたので、俺と楓は面を合わせて苦笑した。
「多分、俺達二人の住んでた国だけの考えだとは思うんだけど。他の国では食材を恵んでくれた神に対して祈りを捧げるだろ?」
「ええ、まあそうね」
ソウカが相槌を打つ。
「けど、俺達の国では食材の命を貰うという意味で頂きます、と言うんだよ」
「…というと?」
「魚にも、肉となる動物にも、そして植物にも。全てに生命が宿っている、という考えだ。けれど人間は命を食べなければ生きては行けない。だから命を頂きます。という意味を込めてこう言うんだ」
「へえ…。なかなか面白い考えね。私は好きよ」
「植物にも、命を当てて考えるのか…。凄くいい考えじゃないか」
ソウカとルントが感心したような素振りを見せる。
「まあ、食事の度にそこまで考えてる人も少ないとは思うけどな。完全に風習だよ。思いは無くとも、形だけ残っちまったんだろうな」
それ故に、食材を粗末にすることは許されないのだ。一つ一つの命を、残虐に切り刻んで食べきれいからという理由だけで、廃棄する。
「いいな、俺もやってみよう」
「ナーサにも教えてやってくれよ」
ナーサの場合、食べ物を粗末にするなんてことありえないと思うけどな。前なんて、鳥の骨まで食ってたから。流石人類最終兵器の異名を持つだけあるよ。
「そういえばソウカは、食前の祈りの風習を知ってる割にはやらないんだな」
「まあね、鼻から神なんて当てにしてなかったし…。実際の神に直接会ってるんだからね」
「ごちそうさん」「ごちそうさまでした」
「それも?さっきのと同じ感じなの?」
「そんな感じ。…よいしょっと」
俺は楓とソウカの分の食器を持って、流し場にそれを置く。
「ん?…ティア、そんなネックレスつけてたっけ」
屈んだ弾みで、赤い宝石の付いたネックレスがふうわりと宙を舞った。
「んん、ああ。すっかり忘れた。朝に薬屋に行ったらいつの間にか身に着けてたんだよ。性に合わないから外そうと思ってたんだけど」
「って自分でみにつけたんじゃないんかい!!…はあ、いや似合ってるからてっきり自分で買ったのかと思ってたわ」
ソウカが頭を抱えた。
「ちょっと見せてくれない?私の蛇を使えば持ち主がわかるかもしれない」
俺は子招きするソウカのもとにより、首からネックレスを外してソウカに手渡す。
「へえ、質感も形もいいし結構値が張りそうな代物よ。これ」
彼女は赤い宝石を手に取り、じっと眺めてから一匹、小指を蛇に変換しそれを宝石に巻き付ける。
「ほええ、じゃあ持ち主を探した方が…」
「いや、ちょっと待って」
ソウカが視線を変えずに指をこちらに指した。
「この宝石は、あなたの物よ。少なくとも、今はね」
「今は?」
ソウカがそこを強調して言うので、あえて聞き返した。
「正確に言うのであれば、あなたに所有権が写った。というのが正しいのかもしれないわね。この宝石があなたにその宝石を譲渡する、という意思を持って渡したのね。どんな意味があって、どんな意図があるのかは分からないけれど」
彼女は指を蛇の形から戻して再び俺の手のひらにネックレスを置いた。
「少なくとも、それは肌身離さず持ってなさい。直感だけど何か役に立つのかもしれない」
「へえ…。まあ、別に害にはならんだろ」
俺はネックレスを再び首に掛け、今度は服の中にしまい込んでおく。
「さ、少し休んだらまた再開して…うっ!?」
その刹那だった。何かドデカい重石でも落としたんじゃないかと思うくらいの揺れが、地面を伝わって来た。
「じ、地震!?」
「な、なんだこれ!?」
横揺れではない、圧倒的な縦揺れ。揺れの強さのあまり、体が跳ね床に叩きつけられる。
「いっつ…っ!お前ら、ちょっとじっとしてろ!」
すぐさま楓、ルントを重力魔法で浮かせ揺れの影響を受けないようにする。ソウカは既に蛇になって壁に張り付いていた。
俺は自分自身を同様に重力魔法で浮かし、階段を上がって二階に上がる。
「エルティナ!大丈夫か!?」
「ええ、私は大丈夫ですっ!」
彼女はチョココロネのように布団にくるまって頭だけ出してこちらを見た。
「室内に居るのは危険だ…っ!全員外に運び出すぞ!」
本来であれば、地震の際は慌てて外に出るのは厳禁なのだ。ただ、こうも揺れちゃあ机の下になんか隠れてたって意味ないからな。
エルティナを浮かせ、楓とルントと共に外にほおり出す。ソウカは中に残っていた従業員達を蛇の背中に乗せて運び出してきた。
「かいせ…エルティナ。この揺れは?」
「…少し待ってください。解析しています。…解析完了しました。どうやら地場のズレが関係しているようです。…しかし、普通の地震とはどこか違う…」
エルティナはブツブツと何かを呟きながら、地面に手を当てて考え込んでいた。
「…ズレ…。このズレはどこかで…。っ!分かった。ティアーシャ!誰かが世界を超えてこちらの世界にっ!」
「は、はあ!?」
エルティナがあまりにも突拍子に言うもんだから、俺は素っ頓狂な声を出してしまった。
「このズレ、あなたが楓さんの世界とこちらの世界を繋げた時に起きたズレの補正とよく似ているんです。あの時は、ティアーシャが記憶と姿を失った。…けど、今度は…」
その時だった。どこか聞こ覚えのある、しかしどこか違う不快感を覚える音が背後から発せられ、全員がこちらを振り向いた。
「これはっ…!?」
俺達から数メートル離れた所にあったもの。それは。
「『天道 』…!」
俺が時空を超えるのに神アダマスから授かった力。『天道』に良く似た禍々しい闇の形相をした空間の穴だった。
「っ!まずいっ!!ソウカ!皆を守れ!!」
「わ、わかった!」
その『穴』が不気味な輝きを放った時、悪寒が走った。ソウカに指示を出し、バックステップで蛇の体でとぐろを巻いて皆を守る彼女に身を預ける。
「衝撃に備えろっ!!」
魔力を込めた手を大きく開いて障壁を作らり出す。その瞬間、『穴』から大量の漆黒の矢が放たれ障壁と激突する。
「うっぐうっ!?」
障壁にその矢が衝突する度にそれは消滅しているが、そのつど手に強い痛みが走る。
「ティア!あなたも私の中にっ」
「馬鹿野郎!!いくら硬いお前でもこの得体の知れない攻撃をモロに食らったら持たない!!時間を稼ぐから、このまま遮蔽物に隠れろ!!」
「わかった!」
ソウカはとぐろの形を崩さないように器用に移動を始める。
「でも、あんたは置いていけない!!」
彼女は俺の服の襟をその鋭利な牙で突き刺し、盾のように咥えながらゆっくりと下がっていく。
「おっらあっ!!」
ソウカの体ごと覆うようにして障壁を展開。
「ティア、あなた魔力がっ!」
「んなこと言ってられっか!魔力の回復薬はいくつか持ってる!とりあえず今は逃げるぞ!」
こちらの『天道』に手を突っ込み、中から五センチほどの小瓶を取り出し蓋を歯で抜いて中の液体を喉に流し込む。体の底から魔力が湧き上がり、だるけも吹き飛ぶ。
「これならっ!ソウカ、俺を離せ!」
ソウカが牙を俺の服から外し、俺は地面に着地する。そしてすぐさま地面を蹴り、土魔法で大地を大きく隆起させる。
「うっ…くぅ…っ」
全員を土の壁の裏に隠れるように促し、壁に手をついて息を吐く。流石に来るな、魔力がオーバーヒート仕掛けている。
「うぐっ…うっ」
魔力回復薬を二本取り出し、コルクを乱暴に抜いて一気に流し込む。これでしばらくは持つはずだ。
「ソウカ!行けるか!?」
「ええ、任せなさい!」
俺は『天道』から短剣を取り出し、大蛇と化したソウカに馬乗りになる。ツルツルと滑る鱗の上で、バランスを取るのが難しかったがしがみつくようにして体勢を整える。
「行くぜっ!!」
剣を右手に逆手に持ち、左手に障壁を展開する。ソウカにルートを指差して、行く方向を指示して土の壁からの飛び出す。
「うっくうおおぉっ!?」
ソウカの顔を守るように障壁を張り、闇の『穴』に向かって突撃する。障壁で攻撃を防ぎつつ、その障壁を作っている左手に魔力を充填させる。
「今だ!!ソウカ!!」
そして、合図を出すと今まで直進のみを行っていたソウカが目にも止まらぬ速さで九十度ターンを行う。そのタイミングで障壁を解き、彼女の背を蹴って大きく空に舞う。
「行くぜぇぇっ!!『業火』っ!!」
上空で手に溜め込んでおいた魔力を一気に放出。本来その場に火柱を燃え上がらせる為の魔法なのだが、今回はそれを自分の腕を軸として、狙った方向に炎の渦を飛ばす魔法もなっている。
渦を巻きながら飛んでいく炎は『穴』に直撃する。それと同時に縦横無尽に撃ち放たれていた闇の矢の猛攻は止まり、辺りに静寂が訪れる。
「終わった…?」
ソウカが俺の隣で蛇化を解除する。
「いや…。まだまだこれからみたいだぜ…?」
短剣の鞘を抜き、ソウカにも長剣を一本手渡す。
魔眼で見るその『穴』の先には、おぞましい数の魔力の気配があった。怨念、邪念、憎悪。そんな負の感情を詰め込むだけ詰め込んだようなドロっとした生ぬるい感覚。
「来るぜっ!」
その声にソウカは唇を引き締め、『穴』に立ち向かう。
一歩。『穴』から足が踏み出される。また一歩。そうしてまた一歩。さらに一歩。
「な、なんだこりゃあ…」
その光景に、俺は唖然として剣を下ろしてしまった。『穴』から現れたのは、影。ぞわぞわとその形はハッキリしないものの、人型だというのはそのシルエットからなんとなく理解することが出来た。しかも一体や二体どころではない。十数体、いや数十体だろうか。
剣や槍。弓や魔道具すらまで手に持っているその影は、穴から姿を現すとやがてそれぞれが異なる構えを取った。
「嘘だろ…」
俺は下唇を噛み締めながら、姿勢を低く前傾姿勢で構えを取る。隣ではソウカが体から蛇を作り出し、地面に這わせている。
弓を持った影が矢を番える。手が弦を引き、弦が張り切った瞬間、一気に駆け出す。
「う、くうおおおおっ!!!!」
低姿勢からの超加速ダッシュ。最前線で槍を構える影の懐に潜り込み、その腹部を短剣で切りつける。そのまま次の敵へ、振り下ろされた長剣を弾き飛ばし、ガラ空きになった胴目掛けて蹴りを放つ。大きく体勢を崩したその隙に軽く跳ねて首を足で締め付け、頭を剣で貫く。
「っつ」
背後から放たれた矢が肩を掠め、微かな痛みに顔をしかめる。すぐさま腿に巻いてあるベルトからダガーナイフを取り出し、弓を持つ影の脳天に直撃させる。
影の頭に刺さった短剣を引き抜き、その体を台として宙に舞い、別の影から影へと後頭部を貫いていく。
「『水砲』っ!」
空中で『水砲』を放ち、その水圧で軌道を変え放たれる矢を回避する。
「っち、矢に限りはねぇのかよ!」
どうやら彼らが背負う矢筒には、矢数の制限は無いようで撃ち辞めることをしない。
「ソウカ!弓兵の処理を頼む!」
「わかった!」
ソウカも軽快に身をこなしながら蛇を操り、着実に影たちを倒していっている。しかし、彼女と感覚を共有している蛇がやられる度にそれ相応のダメージを受けているのでそう長くは続かなそうだ。
「『ザナ・エクスディウム』っ!」
地面に降り立ち、大地に手を触れる。すると魔力に寄って急成長を遂げた草々が蔓や根を跳ね起こし、影達を攻撃し始める。
「一気に行くぜっ!」
足に魔力を充填させ、超加速で影を片っ端から切り裂く。剣で真っ二つにした影たちは、切り口を機としてバラバラと崩れるようにして消滅していった。
「くぅっ!?」
刹那、背後で苦悶に満ちた声が上げられる。そこでは長剣を跳ね上げられ、大きく体勢を崩しているソウカの姿があった。
「ちっ、ソウカっ」
魔力でブーストのかかった足で、地を蹴り彼女を脇に抱えて倒れ込む。地面で手足を擦り、数カ所から血が滲む。
「ご、ごめん。ティア」
「大丈夫、ここは任せろ。体勢を整えて」
「わかった、ありがとう」
ソウカは大きくバックステップをして息を整える。その間、俺は再び最前線に戻り影を切り倒していく。
が。
「クソッタレが。キリがねぇぞ!こんなの!」
確かに数を減らすことは可能だ。しかし、『穴』から続々と現れる影たちは俺達が影を倒すスピードを遥かに凌駕していた。
「休んでる暇がねぇっ!っと!」
一度息を整えようと足を止めようものなら、情けを知らぬ斬撃が振り下される。地面を蹴って体を捻り、低い所の斬撃を躱し回転の勢いで周囲三体の影を葬り去る。
「うっ、まずっ」
しかし、体に蓄積した疲労が故か。武器を持たぬ影二人に両腕を拘束され身動きが取れなくなる。
「ティアっ!!今私がっ!!」
ソウカが慌ててこちらに向かおうとするも、その進行ルートはすぐさま敵に阻まれる。
「離せっ!馬鹿野郎!!」
がっちりと腕を締められてしまっている為に、上手く拘束を解くことができない。
そんな抵抗をしている内に、正面にいる弓を構える影がそれに矢を番える。
「くそっ!躱さねえっと!!」
これだけ腕を掴まれてしまっていたら、肩の間接を外して脱出云々の問題では無くなってしまう。
何か、何か方法は無いか?
「ねえ…」
番えられた矢が、弦のしなりを受けて放たれた。狙いは、真っ直ぐ俺の胸に向かって。
一瞬、時が止まったかのような錯覚に陥った。
襲い来るであろう痛みを覚悟するも、いつまで経ってもその痛みはやってこない。
それどころか、放たれた矢は空中で止まっているかのようにさえ見えた。
「…っ、宝石が…」
その状況に唖然としていると、服の中にしまい込んでいた赤い宝石のはめ込まれたネックレスが重力に反して浮かび上がる。そして俺の目の前にそれが静止した瞬間。紅色の波動が放たれ、周囲の影たちはまるで塵のようになって崩れ去っていった。
「うっ…くっ…な、なんだ。こりゃ…」
時が止まったかのような錯覚が終わると、俺は元の場所に戻って来ていた。隣に不思議そうな顔をして俺を見つめているソウカを置いて。
「見て!『穴』が、『穴』が縮んでる!」
「…ほんとだ…。こりゃ一体…」
消えた影たちの通行口となっていた『穴』は何事も無かったのようにじわじわと消え、静寂だけが残った。
「…この宝石の…力なのか?」
俺は、ただ首から垂れるそのネックレスの宝石を眺め見ることしか出来なかった。コツコツと叩いてみても、もう何も怒らない、その宝石を。
ただ、気のせいなのかもしれないが、その宝石の奥底から何か光がこぼれたような気がした。
「一体…何が起きてんだ…」
石のことでは無い。あの得体のしれない影の正体は一体全体なんなのだろうか。ただ、ずっと戦い漬けであった俺の勘は言っている。これは、始まりに過ぎないのだ、と。