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第76話 降霊

「ふう…やるね…」

「お前こそな。楓」

テニスの一セット先取。それは簡単に言って四ポイント先取のゲームを六ゲーム先に取った方が勝ちというものである。

そして今、ゲームスコアは6-5。俺が6ゲームを取っていて、楓が5ゲームを取っている状況である。ん?俺が6ゲーム取っているから試合終了じゃないかって?いや、実はそうじゃないんだ。

そう、テニスでは2ゲーム以上の差をつけなくては勝てないのだ。だからもし、俺が6ポイント、楓が4ポイントだったら俺の勝ちになっていた、という訳である。そしてもし楓が1ポイント勝ち取り、6-6になってしまうと()()()()()()という、通常とは少し異なるルールになってしまう。

そして今のゲームでのカウントはデュースであり、俺がアドバンテージを取っている。つまり、俺があと1ポイント取れば勝ちの状態にまで追い込んでいるのである。

「ここでタイブレークに持ち込ませるわけにゃ行かねえよなあ?これで決める…っ!!」

そして、サービス権は俺にある。下手に長引かせてしまえば、現役テニス部の実力を発揮されかねない。だから俺はパワーとスピード。吸血鬼としての力が発揮できる戦い方に固める。

「行くぞっっ!楓ぇ!」

地面と垂直になるようにトスを上げ、頭上でボールをインパクトする。

「フォルト!!」

「んっ…くそ…」

しかし、そのボールは微かに上にそれサービスコートを飛び出してしまう。俺は気持ちをリセットするように軽くその場でジャンプし、再びボールを上げる。

「はあっ!!!」

渾身のスライスサーブ。

限界量を超えた回転のかかっているテニスボールは、空気を切るような音を立ててサービスコートの角目掛けて飛んでいく。

「甘いよ!お兄ちゃん!」

「なっ…!?」

しかし、そのスライスサーブを読んでいたかのように楓はコートの角に回り込んでおり、ドライブショットを放ってきた。

スライスボールが後ろ回転なのに対し、ドライブボールは前回転なのだ。つまり、スライスボールはドライブボールで返すとその回転数を保ったままこちらに跳ね返ってくる。

「くっ…うおおおっ」

凄まじい回転のかかったそのボールは重く、少し気を抜けば手が負けてしまいそうなほどだった。

「けどなあ!こちとら長年短剣振ってきてんだ!!その程度のパワーじゃ、負けないぜ!!!」

俺は腕全体の遠心力を使ってボールを返す。ネットギリギリを通ったそのボールは楓の今いる位置から距離がある。

「くうっっ」

辛うじて飛び込むようにしてボールを取る楓。しかしそのボールは俺の遥か彼方上空。どう見てもアウトコースのボールだった。

「…ふっ」

「えっえええっ!?」

しかし、まあ、ここでアウトで終わるってのもなんか味気無いもんだからな。

俺は地面を蹴り、飛び上がり、上空で体を捻ってそのボールを捉える。

「っ…!!!」

そのボールは通常のテニスではありえない角度で楓のコートに突き刺さり、大きくバウンドして後ろのフェンスに当たる。

「ゲ、ゲームセット…」

審判役を買ってくれていた子が唖然としながら試合終了を知らせる。

俺は地面に着地し、ゆっくりとネットの元に寄る。

「全く…お兄ちゃん本気出しすぎじゃない?」

「本気出されずに負ける方が嫌だろ?…それに、楓もめちゃくちゃ強かったし。俺が前の姿だったら負けてただろうな」

「…ありがと。でも!次は負けないからね!!」

「おう、何時でも掛かってこい」

俺達はネットにラケットを立てかけるようにして置き、礼をし、互いに笑って握手した。


---パチパチパチパチ


俺達の試合を見ていた生徒達がコートの外から拍手をして健闘を称えてくれる。

なんだから俺達は恥ずかしくなって、互いに見つめあって頬を赤らめたのだった。




「いや、ティアーシャさん。素晴らしいです」

ひと汗かいてベンチに腰掛けて休んでいると、一人。日本人らしくない顔立ちに金髪と水色の瞳を持つ男が寄ってきた。

「ん?あなたは?」

「ああ、自己紹介を忘れていました。私はジュルシーと言いマス。舞原センセから話は聞いています。お上手なですね!」

「こちら、うちのテニス部のコーチをしてもらってます。ジュルシーです。うちの学校の外国語の教師もしているんです」

まるで解説するかのようにさっそうと現れた舞原先生が説明をする。

ジュルシーと名乗った男は一度舞原先生の顔を見てから、俺の方へ手を伸ばした。

「よろしくお願いしマス、ティアーシャさん」

「ええ、よろしくお願いします」

俺が笑顔を作りながらその手を取ろうとした、時。

「っ…?」

俺の手と彼の手が触れそうな寸前で、まるでなにか見えない壁に阻まれるようにしてその手は止まった。俺と彼の間にガラスを置いて阻んだような、そんな感覚。

「どうかしましたか?」

「あ、いえ。すみません」

再び手を伸ばすと、今度はすんなりと彼の手まで辿り着いた。お互いの顔を見ながら握手を交わし、手を離す。

「…?」

なんだろう。何か違和感があるような…。

(解析者。何か変わったことは無いか?)

『いえ…。私は特に何も感じられませんでしたが…』

(そうか…)

なんだか心残りではあるが、解析者がそういうのであれば仕方ない。何も疑う余地は無いだろう。


テニスで張り切りすぎたのか、少し右腕が痺れるような感覚があった。




---





「ふぃぃ〜。良いお湯だったぁ」

「温泉とか久しぶりだよ…。て、お兄ちゃん今日はポニテ?」

「ああ、あちいからな」

暖簾を押し、火照る体にぶわっと冷気が覆う。温泉上がりというのもあり今の俺は浴衣を身にまとい、暑いので髪の毛を結わえてポニーテールにしている。

普段ロングだから分からなかったが、ポニーテールにするだけで大分涼しさが変わる。今度から暑い時はこうしよう。

「…その首筋を顕にしたら死者出るかもしれないなあ」

「ん?なんか言ったか?」

「いや?別に?」

「…?」

なんだかむず痒くなって首筋を手で掻く。

「それよりも、私達夕食は大広間で食べるんだけどお兄ちゃんは?」

「ああ、なんでも俺の分まで用意してくれてるらしいぜ?感謝感謝」

俺と楓の就寝時間の違いによって、中々外食をする機会もなかった。こういう時にしか食べれないんだし、たらふく食わせて頂くとしよう。



「うへえ…こりゃまた美味そうな…」

野菜や魚の天ぷらに、固形燃料で何時でも暖かく食べられる鍋物、刺身もあるれば、ツヤツヤのご飯もある。そして…。

「酒も飲める…っ!!」

目の前でジョッキに注がれた黄金の液体がきめ細やかな泡を立てて俺の事を待っている。その泡が一つ、二つと弾ける度に意図せず喉がなる。

「ビール…それもキンキンに冷えてやがる…」

しかし、俺は大人として先に飲む訳にはいかないのである。今にもジョッキに伸びそうな左手を押さえつけ、何とか耐える。

部長の子が立ち上がる。そして何かを言っている。俺の耳には入ってこない。

「えー、それでは。いただきます」

「「いっただっきまーす」」

そして、時は来た。

「待ちわびたぜっっ…!くぅぅぅぅぅぅー!!!!染み渡るぅぅぅぅ!!」

奪い取るようにしてジョッキを手に取り、その中身を口から胃にへと流し込んでいく。すると、まるで乾いた大地に水を振り撒いた時のように。俺の全身にビールという液体が染み込んでいく。

「はぁぁ…幸せ」

どうしてジョッキに注がれたビールはこんなに美味いんだろう。キンキンに注いだビールを缶で飲むのとジョッキで飲むのとでもかなり違ってくる感じがする。

まああれだな、ペットボトルでのむコーラより瓶で飲むコーラの方が美味く感じるのと同じ理論だな。これは。

「ほんとに大人ってビール美味しそうに飲むよね。美味しいの…?」

「まー、大人でも嫌いな奴は一定数いるからな。昔は俺もさほど美味いとは思ってなかったんだが、いざ大人になってみると美味いもんだよ。…あれだあれ、コーヒーが分かってくるのと同じだな」

小さい頃なんてコーヒーみたいな苦いものなんで飲むんだ、と思ってたけどな。やはり舌が成長してくるにつれ、その苦味も美味いと感じ、さらにその奥にあるものも感じ取れるようになってくる。

…ま、俺はコーヒーはマッ缶で克服したタチなんだが。

「いやー、はっはー!ティアーシャさんは良い飲みっぷりですネ!これは私も負けてられませんねネ!」

俺の正面に座るジュルシーも負けじとザバザバと口にビールを注いでいく。対抗してやろうかと思ったが、運転手として買われた身なんだから自重はしないとな。酒は飲んでも飲まれるな。これは酒を飲む上で絶対に気をつけなければならないことである。

「いやぁあ、ティアーシャしゃん、は、ぽにぃーてーふもにあったますねえええ」

と思った矢先、既にベロンベロンになった舞原先生がいた。

「てぃあーーしゃさぁんのかみ、きれえええ」

「…酒に飲まれた人がおったわ…」

酒のせいではない頭痛がして、俺は頭を抱えるのだった。

「ったく仕方ねえなあ…」

俺は正座を組んでその膝の上に先生の頭を置いてやる。すると間もなく彼女は寝息を立て始めた。

「生徒の前で酒飲んで爆睡ねえ…。気楽なもんだ」

気持ちよさそうに眠る彼女の顔を見て、苦笑を浮かべつつ俺はその状態のまま食事を続けた。







「家で揚げもんなんてしねえからなあ。…天ぷらうまっ!…あっ…。」







天ぷら塩、先生の顔にかけちまった。












「おーい、起きろー」

「うゆ…むにゃ…」

「はああ…。ダメだこりゃ」

皆食事を終え、自由時間になりそれぞれ自室に戻ってしまった。今大広間にいるのは俺と寝ている先生とジュルシーだけ。

「部屋まで運んでやるか」

俺は近くの座布団を集め、彼女の頭の下に敷いてやる。

「ジュルシー、先生見といてもらってもいい?女将さんに先生の部屋の鍵貰ってくるから」

「分かりましタ!ここで待っていますネ」

ジュルシーに確認を取り、俺は大広間を後にした。



---




「あー、ええ、すみません」

「いえいえ、お構いなく。一応お手伝いで私も行かせてください」

俺は物腰柔らかそうな女将さんに鍵を貰い、彼女も一緒に大広間に足を向けた。

「…ん?」

「どうかしましたか?」

俺がピタリと足を止めたのを見て、女将さんが不思議そうな面構えでこちらを覗き込んできた。

「いえ…別に…」

嫌な予感が肌の毛を逆立たせた。別に気温も湿度も変わらないのに、ねっとりとした嫌な熱気が体を覆っていた。

(解析者…)

『…特に何も…。あ、いえ。あなたが先程までいたあの場所。大広間に謎の結界が…』

「結界だあ?…くそっ」

「ああ、お客様!?」

俺は床を蹴って走った。走りながら『天道』の中から短剣とダガーを取り出し、短剣を口に咥えながら浴衣の下の腰にダガーのベルトを巻き、短剣の鞘を『天道』に放り投げる。

「んっ、楓!」

「おに…お姉ちゃん!大広間の襖が開かないの!!」

「くそっ…結界ってそう言う…」

大広間の前には楓を含む数人が集まっていた。しかし彼女達がいくら襖を引こうともそれはビクともしない様子だった。

「ちょっとどいてくれ!楓!」

俺は手に魔力を纏わせ、襖と襖の隙間に手を突っ込んだ。

「っく……っがあっ!?」

「ちょっ!大丈夫!?」

恐らく大広間への侵入を防いでいるのはこの結界であろ。協力な魔力で部屋の隙間という隙間が封じられている。

その中を通るために無理矢理突破しようと思ったのだが、案の定弾かれて楓に支えられた。

「こいつあ…面倒くせえな」

舌打ちをしつつ、解決策を頭の中で練る。周りに見ている面々にバレぬよう『天道』を小さく開いて入れないかどうか試して見たのだが、どうにもダメらしい。

『この短時間でこれだけ頑丈な結界を張るなんて…。もし相手が人間なのだとしたら、面倒くさいことになりますよ』

(だな…)

俺は息を飲んで、短剣を取り出した。

「ちょ、お兄ちゃんそれ…」

「時間が無い、後で何とか誤魔化しといてくれ」

「いや…誤魔化すって言っても…」

今度は短剣に魔力を注ぎ込む。手でダメでも、この短剣なら。

「らあっっ!!…ぐぅ…おらぁぁぁ!!!」

こじ開けるように、力任せに。剣に体重を乗せ、無理矢理隙間を作る。

「来た!!この隙間は!逃さねぇぇぇ!!!」

剣を右手に持ち、空いている左手で隙間を広げる。

「楓!あと頼んだ!!」

「何が何だかよくわかんないど!?とりあえずわかった!!!」

俺は楓に尻目を向け、軽く頷くとその隙間の中に飛び込んだ。

「くっ」

まるでサウナに入ったかのように、空気が肌にまとわりついてきた。

「ティアーシャさん!」

「お、おお。無事だったか…ジュルシーも先生も」

そんな部屋の中央で、未だに眠っている先生を庇うようにして立っているジュルシー。俺でさえ立っているのが辛いくらいなのによくそんなピンピンしてられんな。

「ティアーシャさん、これはなんなんですカ?急にこんな風になってしまって」

「いや、俺も分からない…。ただ、あんまり長居しても良いことは無いだろうな。早いこと脱出しよう」

俺は先生の元に駆け寄り、彼女の体を下からすくうようにして持ち上げる。

「…うん?」

しかし、手を伝わって感じられる先生の体は明らかに違和感があった。酒に酔ってぐったりしているのかと思っていたがこれは違う。先生の体はまるで、物体のように()()を感じられなかったのである。

「先生…?」

手を取って脈を測る。しかし、脈拍は正常で得に異常は見られない。呼吸だってしている。

(解析者…)

『はい、舞原先生の体からは魂が抜けています。要するに中身が空っぽなんです』

(魂が?それは泥酔と関係が?)

『いえ…他の外的要因かと』

俺はすぐさまその場で左目に『魔眼』を発動。それまでなんの変哲も見られなかった大広間の空間に、ありありと魔力の流れが見えるようになる。

「こいつあ…」

とてもこっちの世界じゃありえないくらいの魔力量だ。部屋の隅から隅の至る所に魔力の筋が出来ていて、それはまるで魔法陣を描くように象られていた。

「ティアーシャさん?」

「あ、いや、なんでもない。とりあえず先生を外まで運ぶぞ」

「ハイ」

俺はジュルシーの方を振り返り、そちらの方の魔力の流れも確認する。

「ナニをそんなに見てるんですカ?…。…先生を持つの変わりましょう」

「あ、ありがとう…」

訝しげな表情を浮かべる彼が、こちらに向けて両手を伸ばす。俺は彼に先生を預けようとした。

刹那。

「っ!?」

俺の本能が、生物学の常識を超えたスピードで彼から距離を取った。

「ティアーシャ、さん?」

「ジュルシー…てめえ…」

彼は不気味な笑顔を作り、こちらを見ていた。その顔に生気は無く、今までよりも更に肌は色白に見えた。

そして、何より。

彼の両手にはべっとりと、魔力を大量に放出した痕跡が俺の魔眼にははっきりと見て取れた。

「どうカ、しました、カ?」

ゆっくりと距離を詰めてくるジュルシー。俺は更に数歩下がって畳の上に先生を寝かせ、短剣を手に取った。

「お前、この世界の住人じゃないな?」

「さァ、そレはどうでしョうかっ」

彼が畳を蹴ったと思えば、その姿は俺の目と鼻の先程の距離にまで近づいてきていた。そしてその拳が俺の顔面に向けて迫ってくる。

咄嗟に体を捻って拳を躱し、体が倒れるその勢いを利用して彼の胴体に蹴りを叩き込む。更にそのまま地面に着地し、後ろ蹴りを彼の腹に向かって放つ。

「ガっ…」

その体は大きく吹き飛び、反対側の襖に激突した。

「お前は攻撃をしかけた。だったらお前は敵って事でいいんだよな?」

腰のベルトからダガーを一本引き抜き投げつける。

「えエ、その解釈であっテいますよ」

「っ」

彼の姿が揺れた。と、思えば投げつけたダガーは彼の手に握られており、舐めまわすようにしてそのダガーを見つめていた。

「良イ刃物デすね。これなら…使えそウだ」

「使えそう?」

再び、彼の姿が揺れた。かと思えばその姿は俺の視界から外れていた。

「しまっ…あぐっ」

「遅イでスよ」

背後から気配。と思えば肩に焼けるような痛みが走る。

「くそっ」

すかさず回し蹴りを放つも、その足は空を切った。

(動きが…変わった…!?)

先程とは違う。まるで気配が感じられないのである。まるで手馴れの暗殺者のように存在を悟られないような動きを徹底している。

気配が掴めないせいで反撃のしようがない。奪われたダガーで体のあちこちを切りつけられ、その度に血が畳に滴る。

「ちょこまかとしゃらくせえ!氷結(チリーシア)!!」

こうも攻撃の一点張りをされてはキリが無い。俺は俺の体を囲うようにして氷の刃を発生させる。

「おっト、危ないデすね。…では今度はこれを」

「おわっ!?」

その細身の体躯からは想像できないほどの蹴りが、氷の刃を挟んで放たれた。その蹴りは氷を突き破り、俺の胸元目掛けて飛んでくる。

「がっ」

腕を盾にして胴体へのダメージは防ぐものの、腕にかなりの負担がかかったようでビリビリと電気が走ったかのように痺れてしまっている。

「終わリですか?」

「ごふっ!?…あがぁっ」

今度は真っ直ぐな突きの拳。再び腕でガードを試みるも、その勢いは抑えきれず氷を突き破って襖に叩きつけられる。背中からぶつかった衝撃で肺から空気が漏れる。

「なんだよ、急にスタイルコロコロ変えやがって…」

「っ!!」

再びジュルシーの拳が俺の顔面目掛けて飛んでくる。スピードも、パワーも申し分ない行為力のパンチだ。

けど。

「でも、こんなんじゃあダメだな」

「!?」

大地ノ恵(ザナ・エクスディウム)

その場で少しかがみ、畳に手を着き魔力を注ぎ込む。すると度々切りつけられて、畳に付着していた俺の血を媒体として畳から草が伸び彼の体をがんじがらめに拘束する。

「こ、これ、は!?」

「沢山切りつけてくれてありがとな。流石に死んだ植物を蘇らせるには血をぶっかけでもしないと厳しかったし」

「くっ…!?」

もがけばもがくほど、その締め付けは強くなる。しかもいぐさであるから、より締め付けた時のダメージは大きいだろう。

俺は彼の襟首を捕まえて掌を顔面に押し当てる。

「『水砲』」

「うっぐぼぼぼぅぅっ!?」

超至近距離での、超高水圧発射。目、鼻、口が至近距離で放たれる水に沈んでいく。

「しっかり飲めよー。風呂上がりは脱水症状になりやすいからなー」

吹き飛んで威力を和らげようにも、俺がしっかりと襟首を掴んでいるせいでされるがままに首で水圧を受け止める形になっている。

まあ、いっぱい酒飲んでたし、酔い覚ましには丁度いいだろう。知らんけど。

「…がほっ…」

「…こんなもんか」

その首がガクリと垂れた時、部屋を流れる結界の魔力も薄れやがて重かった部屋の空気も和らいできた。

魔力を流すのを辞めると、それまでがっちりと拘束していた畳のいぐさが元の何の変哲もない畳に戻っていく。

「お兄ちゃん!!」

「お、結界晴れたか」

そして結界の影響で閉じられていた襖から、蹴破るような勢いで楓が入ってきた。恐らく結界を張った主の魔力の供給が切れたから解除されたのだろう。

「ええ…お兄ちゃん何してるの…コーチのこと…」

とその矢先、ガックリと意識を失っているジュルシーの襟首を捕まえている俺の事を見て楓がドン引きしていた。襖の奥からこちらを覗いている面々も恐怖の感情が感じられる表情を浮かべていた。

「あー、まあこいつが諸悪の根源だ。先生に色々ちょっかいかけてやがってな」

視界の端っこでは仰向けに寝ていた先生がゆっくりと起き上がり、きょとんとした顔で辺りを見回している。

「ちょっかいって?」

「まあ言ってもわからんだろうが、先生の魂を盗みやがった」

「うんわかんない」

あっさり返されたので、だろうな、とだけ言って俺は手で掴んでいる男に向き直った。

(解析者、解析を)

『…んん、先程から試みていますがなんだか上手く解析が出来ません。魂が遮断されているようです』

(なるほど?じゃあこうすればいい)

「楓、襖を閉めてみんなと十分間だけ外にいてくれ。もちろん先生も一緒に」

「うん、分かった」

流石俺の妹。物分りが早くて助かる。彼女は頷いて先生の手を引いてピシャリと襖を閉めた。

よし、これで()()に取り掛れる。

「はむっ…んんっ」

襖が閉まったのを確認してから、俺はジュるシーの首筋にそっと犬歯を突き立て、刺した。

鋭く尖った吸血鬼特有の犬歯が首の皮をうきやぶり、そこを起点としてトロリとした液体が口内に流れ込んでくる。

「うっ…くぅ…。…ふう」

久しぶりの吸血行為ということもあり、飲みすぎないように注意をして口を首から離す。

『【魂魄操術】を獲得しました…が、これは?』

「こいつの力だよ」

こいつと戦っていて、酷く違和感を覚えたのが戦闘スタイルの激しい変化である。まるでスカイタイプとパワータイプと言わんばかりにその力の使い方を変化させていた。()()()()()()()()()。ということで魔眼で覗いて見たところ、ビンゴ。彼はその身に、常世をさまよっている肉体無き魂を宿して戦っていたのだ。スピードを高めるときにはそれ用の魂を身に宿し、パワーを高めるときには別の魂をその身に宿して。常世をさまよっている魂なもんだから形は崩れてしまっていてはっきりと形はわからなかったが、それから発せられてている微弱な魔力からは確かに双方異なった魔力が感じられた。

そんなこの力、それは魂を操作する。解析者の言う【魂魄操術】である。魂の行く末を自由に操ることのできる変幻自在の使い方によっては大きく化ける能力だ。

「んでもって…。この能力、というかこいつが先生の魂を盗もうとした訳はわからないが少なくともジュルシーの意思ではこの一件は起こしてないみたいだな」

『何か別の魂を感じますね…』

「ああ、この能力を手に入れたからはっきりわかる。ジュルシーの体には別の魂が混在している」

恐らくそれが今回の戦いの原因だろう。

「よし、時間も無いしさっさとやるぞ。解析者、サポートを頼む」

『分かりました』

「『魂魄操作』」

俺は横たわる彼の胸元に手を当てて、自分の意識を流し込んでいくかのように集中する。

「…来たぞ…やっこさん」

するとそれを待っていましたと言わんばかりに、彼の胸元から紫色の蜘蛛の糸のようなものが俺の胸元向かって伸びてくる。

「うっ…ぐっ」

それは俺の胸元を貫通し、体の中にある()に絡みついた。

意識が引っ張られるような感覚で、少し気を抜いてしまえばこちらが先のジュルシーの二の舞になりかねない。

「まだだ…まだ…。今だ!!」

「ええ、分かっています」

俺が叫ぶと、既に素の魂として表に出てきていた解析者が俺とジュルシーの魂を繋ぐ紫色の糸を手で絡めとるようにして引き剥がし始めた。

「うっ…」

やがて俺と彼の魂にへばりついていた()()は、二人の魂から離れ解析者の手の内に毛鞠のような形になってすっぽりと収まった。

「よし、『浄化(ルナ・リプエクス)』」

その瞬間に、解析者の手元に向かって浄化魔法を放つ。

「くっ」

種族的な相性の悪さの為、指先が二本丸焦げになり灰となって消えていった。

しかし、効果はあったようで解析者の手の上に乗っていた紫色の毛鞠のようなものは蒸発するようにして消えていった。

「ふう…一件落着、ですね。私は戻ります」

「ん、ありがと。解析者」

「お易い御用です」

解析者は立ち上がり、一礼すると淡い紫色の光となって俺の体の中に入っていった。

解析者が物に干渉できるように、素の魂として表に出ていられるのはせいぜい三十秒から一分間。やはり肉体を持たぬ魂として表に出るのは相当な体力を消費するようで、しばらくの間解析者は裏で睡眠を取る--実際にベッドを出して寝ている--。こうなってしまうと丸一日ほど、解析者のサポートは受けられないので注意が必要だ。

「ふぅぅぅ…。おっと…」

額に浮かんだ汗を拭い、立ち上がろうとした時足元がよろけて地面にぶっ倒れる。

「流石に、自分の魂を餌にした代償はデカい、か」

正直、自分以外の生物に己の魂を触られることにかなり恐怖を感じていた。まるで心臓を握りしめられているような、命をさらけ出しているような感覚だったのだ。

それにやはりそれなりの影響はあったようで、体が震え四肢に上手く力が入らない。

「んまあ、浄化は出来たし一件落着だろう」

ふと右手を見ると、浄化によって消滅した二本指がじわじわと再生し始めていた。浄化の影響か少しばかり再生が遅いような気もするが。

「お兄ちゃん…終わった…?」

襖越しに小さな声で楓が囁く。

「おう、良いぞ。入ってきて」

俺が言うとゆっくりと襖が開き、その隙間から楓の顔が覗いた。

「お、お兄ちゃん!?大丈夫!?」

「…あー、大丈夫。多分。取り敢えずジュルシーはもう大丈夫だ。自室に運んで寝かしてやってくれ。…で

、俺なんだけど…」

腕を支えにして立ち上がろうと試みるものの、ガクンと腕が折れ再び顔面から畳に直撃する。

「…お兄ちゃんは私が運ぶよ」

「ああ、…頼む」

ティアーシャとして生きてきた歳も含め、二十代後半の荒幡ススム。十代の妹にお姫様抱っこで運ばれる。

「お兄ちゃん、目抑えてるけど目痛いの?」

「いや…どちらかと言うと心が痛い」

楓の前ではかっこいい兄貴で居たかったのに…。このザマじゃあなあ。

ん?そもそも兄貴じゃなくなってるか。…んなあことはどうでもいいんだよ!!!!

「はい、着いたよ」

「はい、どうも」

楓がそっと俺を地面に置き、たたまれ積まれていた布団を敷いてから俺をその上に寝かせてくれる。

「で、何があったの?」

「…言っても分からんだろうが」

「言って」

「っ」

既に日は落ち、月が昇っている。部屋の明かりは付けていないから、窓から差し込む月光が楓の顔を照らしている。

そんな彼女の顔は色んな感情が入り交じっていたが、前面的に押し出ているのは『怒り』。

「私は、お兄ちゃんの妹なんだよ?私には、お兄ちゃんみたいに魔法を使ったり、空を飛んだりできないし、戦えない。でも、そんな守られているだけのか弱い妹にはなりたくない。お兄ちゃんを、お兄ちゃんの隣で守っていられる。そんな妹になりたいの。だから、教えて。何があったのか」

「…。流石、楓。俺よりも何倍も強えや」

「…え」

「いや、なんでもない。…うん、そうだな。さっき何があったのか、全部言うよ」

俺は横向きに布団の上に寝ながら、楓の目を見て洗いざらい今回の事を話した。結界のこと、ジュルシーのこと、彼の魂に住み着いていた謎の生き物について。

「ジュルシーコーチがそんなことを…?そんな人には見えなかったけど…」

「いや、恐らく彼の『魂魄操作』能力。所謂降霊能力に関係しているだろうな。あいつはその身に備わった降霊能力を使う際、己に別の魂を宿している。まあ要するに水がジュルシーの魂だとすると、そこに注がれた油が降霊能力によって憑依させた魂って感じだな」

「…つまり、完全に分離してるって言うこと?」

「そういうこと。別々の魂として使い分けることが出来ていたんだ。普通はそう、しかし中には例外の魂もある。魂という水に害のある魂という食紅をぶち込んでしまったんだ。そうすると、元の魂はその食紅によって変えられてしまう。変な例えをしたけど、要するに悪い魂に寄生されてたって事だ」

「魂に寄生…。考えるだけで気持ち悪いね、それ」

「だから俺はその寄生してた魂。仮に…寄生魂(きせいこん)とでも呼ぼうか。が、あいつの魂にべっとりと絡みついてしまっていた。無理にでも剥がせばあいつの魂が壊れてしまう。…だから俺は自分の魂を餌にして、あいつの魂から寄生魂を引き剥がして、そこを解析者が捕まえる。って寸法を取ったわけだ。俺は魂に触れることは出来ないが、魂として表に出てこられる解析者なら直接干渉出来るからな」

魂を餌にするなんて無茶したせいで、今こうして立てなくなっちまったんだけどな。それでもこれしか方法が無かったのだから仕方ないか。

「本当に危ない事をしたんだろうけど、現に成功してるし、それしか方法が無かったんだろうから仕方無いね」

「うん…そうだな」

「それに…、そうだ。舞原先生とジュルシーコーチ。二人とも助けてくれてありがとう」

楓はそっと微笑んで俺の手に手を重ねた。

「おう」

俺は空いている方の手で楓の頭を撫でようとした。が、腕は上がらずその場でポトンと布団の上に落ちてしまう。歯痒い思いをしつつも、楓にはバレていないようなので誤魔化して微笑を浮かべた。



---



しかしまあ、数人とは言え俺の魔法やらを目撃してしまった人物がいるのは問題になりかねない。と、言うわけで楓に「明日説明する」と皆に伝えてもらって、皆が寝静まった後、俺がソウカの能力を使って数匹の蛇を作り出し『魅力』を応用した記憶改変の毒をその牙に忍ばせ傷にならぬようにして噛んで回った。記憶改変後のシナリオは「酒に酔って舞原先生が暴れ、ジュルシーが止めに入るが虚しくも打撃技を喰らい意識を失い、俺が先生を抑えて介抱した」というシナリオだ。…そもそもは泥酔した先生が悪いのだ。



『…んん…』

「お、おはよう解析者」

『おはよう、ございます。あなたも今起きたところですか?』

「ああ、丁度な」

翌日の夜、眠そうな声を出して解析者が目覚めた。今日の俺は筋肉痛を偽って一日中ずっと寝ていた。そのおかげか、手足の痺れはだいぶ取れ体を動かせる程度には回復した。

『あれからどうなりましたか?』

「ああ、ジュルシーと楓を残して目撃者全員の記憶を改変させてもらったよ。流石に広められたら肩身の狭い思いを送ることになりかねないからな」

『それもそうですね。ジュルシーさんの様子は?』

「ハッキリとは知らないけど、ピンピンしてるみたいだよ。楓に聞いたらお礼が言いたいだとか」

こちらからすれば礼よりも謝罪が欲しいのだが。本人が意図して起こしたことじゃないから仕方もないがな。

『…んん、魂に多くは無いですが傷が着いていますね。真っ当な生活をしていたら傷つくことは無いとは思いますが、あなたの事ですからしばらく安静にしていることを提案します。特に【魂魄操作】の能力は数日は使わないでおいてください。魂にどんな影響を及ぼすか分かりません』

「りょーかい」

『で、今日の晩御飯はまだですか?一日寝ていたものですから、お腹空きました』

「解析者…物食わねえだろ…」

『感覚を共有出来るようになりましたから。味覚はおろか、満腹感もあなたの感じているものを感じられるようになりましたよ』

「めちゃめちゃパッチ入ってんじゃんか、解析者ver2.11くらいになったんじゃねえの?」

冗談混じりにおちょくってみると。

『あ、いえ。私は今ver2:4.132ですよ?』

「はは…」

なんて冗談を返してきた。

本当に初めて出会った時の機械のような口調が嘘のようである。

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