番外編 その重戦士と吸血鬼は⑤
それから、幾ヶ月の日々が過ぎた。
ナーサ、ティアーシャ、トゥルナ。この三人で始まったパーティは、更に新たに短槍の扱いに卓越した赤髪の長耳族のヘデラ、様々な武器を使いこなし、臨機応変に対応する小人族の灰色の髪の少女トコルを加え、この冒険者パーティは比喩無しで最強となっていた。
それぞれが、別々の場所で、冒険者以外の真っ当な職に着くことも出来るであろうに、彼女達は冒険者として生きていくことを選んだ。そこにあるのは、戦いへの渇望か、己の存在意義の証明の為か、はたまた理由が無いのか。恐らくこの五人が各々自分なりの信念を持って今この場にいるはずなのである。
「さて、今日の依頼は?」
ティアーシャが聞くと、ナーサは一枚の羊皮紙を机に叩きつけるようにして置いた。
「こいつだ。村の周辺に数日異常なまでに発生しているモンスターの駆除・討伐依頼。報酬も、かなり美味い」
それぞれが、その羊皮紙を覗き込む。確かにそこに記載されている依頼料は金貨三十枚とかなり高額。銀貨一枚で、そこそこ良い宿屋に泊まれる値段で、金貨は銀貨の十倍の価値がある。そうして見れば、金貨三十枚の価値が分かるだろう。
「良いんじゃない?流石に三十枚に見合った難易度だとは思うけど、私達ならば問題ないわね」
「確かにそうですね…。けれどこれだけ報酬が豪華な依頼が今の今まで残っていた、というのも考えものですね…」
ヘデラの発言に対して、トゥルナが眉間に皺を寄せて、うーんと唸る。
「ま、そこまで理不尽に危険な依頼は、ギルド側も依頼表に提示はしないからね。…逆に依頼料が高すぎて、皆ビビって受けれなかったんじゃないかねえ」
ギルド側は、依頼を受け確かに依頼を掲示する役割がある。その依頼を申請するのは、依頼者本人でありそのギルドを信用して申請しているのである。つまりどういうことかと言うと、ギルド側が誤った提示をしてしまい依頼の失敗、または冒険者の死亡などのアクシデントに見舞われれば、ギルドとしての評判や世間の評価が落ち、依頼が申請されなくなる。そうなれば、ギルド側も契約上にある依頼料の三十パーセントを受け取ることが出来なくなり、ギルド経営そのものが危うくなりかねない。要するに、ギルド側の嘘や偽装はギルドの運営の存続そのものに関わってくるということである。
「ま、依頼は昼からだし、何か腹に入れてから行こうかね」
「さんせーい」
「腹が減っては戦えないものね」
「お酒は厳禁よ」
「酒くらい良いだろ!!」
「このパーティは酒が入った瞬間に壊滅するんだから、自重しなさいトコル」
「うええ…」
なんやかんや言いつつも皆依頼に賛同し、ギルドハウスの近所の冒険者御用達の飲食店で食事を済ませることにした。
ちなみに彼女達は軽い食事のつもりらしいのだが、その店の食料庫の肉の骨以外全て消滅したそうな。
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「…なるほど。依頼が他の奴らに取られないわけだね…」
「ナーサ…あんた受付で注意貰ってたんじゃなかったの…?」
「いや、大型の植物モンスターが出ますとだけしか聞いてなくてね」
依頼の現場に到着すると、そこに待ち受けていたのはうねうねと大量に動く植物型のモンスターが。個体名、ウツボカブラル。暖かい地域を好むモンスターで、蔓のような触手なようなものを空中に舞わせながら、普通の植物には決してあろうはずがない口のようなものを動かしていた。
百聞は一見にしかず、というが純粋に戦うとして気持ちいいことは無さそう、というかむしろビジュアル面に関しては気持ち悪いまである。
苦笑とため息を混ぜ合わせながら、背中に背負った大剣を手に取るナーサ。
「あんたってば、ねえ…」
頭を抱えつつ、腰に刺さった鞘から短剣を引き抜くティアーシャ。
その他の面々も、トゥルナは弓を構えて、ヘデラは長剣を抜き、トコルは片手サイズの槌を引っ張り出してきた。
「行くぞお前ら!」
「「「「任せろっ!!」」」」
重戦士であるナーサを中心に、それぞれが自分の戦いやすい距離を作って武器を振るっていく。
ナーサは最前線で、モンスターの攻撃を捌きつつ隙を作り出しては、その大剣で一刀両断している。
ティアーシャはナーサの一番傍で、彼女が対処しきれないであろうモンスターを次から次へと短剣で切りつけていく。
トゥルナは彼女が最も得意とする弓を主軸に立ち回っている。通常矢を番え、放ち、番え、放ち。一見簡単なようにも見えるが彼女のように敵の弱点に正確に打ち分けられる力は弓使いとしてはトップクラスの腕前だった。
ヘデラは赤い髪を揺らしつつ、しなやかに手に持つ短槍を振るい、ほとんと単独で行動し敵を蹴散らしている。
ロコルは槌をハンマーのように構えて、全員のサポートに徹している。主に近距離戦闘が不得意なトゥルナの傍に着いている印象だった。
「ぬ…、これは通常矢じゃダメそうですね…」
トゥルナが放つ通常矢は、ウツボカブラルの体を突き抜け大したダメージを受けているようには見えなかった。他の面々のように切りつけたりして、部位破壊というダメージを与えられたのなら別の話なのだが、彼女のように局所的にダメージを与えるような戦闘スタイルには相性の悪い相手のようだった。
「じゃあこれならっ、点火!!」
矢尻の着いていない矢を番え、その矢尻があるであろう場所に炎で出来た矢尻が出来る。
「いけっ!」
弦を握っている左手の人差し指と中指を放つ。炎を纏った矢はそれに押され、風を切って敵に命中する。
命中した瞬間、そのウツボカブラルの全身は発火し次々とその身を焦がしていく。やはり植物系のモンスターには火属性の魔法が相性が良いようである。
「このモンスターは火属性に弱いですよ!」
トゥルナが次の矢を番えながら、前線で戦う彼女達に声を張り上げる。
「なるほど?じゃあちょっとばかし実験してみようかしら」
「変なことしでかすんじゃないよ?」
「任せなさいって」
ティアーシャは一度短剣を鞘にしまい、一度大きく深呼吸してそれを引き抜いた。
「点火」
トゥルナが鏃無しの矢に火を纏わせるのと同じ要領で、彼女もその探検に魔法の火を纏わせる。
「はあ…なるほどねえ。トゥルナのやってる事のパクリってことかい」
「言い方が悪いわよ。参考にした、って言いなさい」
ナーサとティアーシャは互いに微笑を浮かべながら、敵に鋭い目を向ける。
「っ!!ティアーシャ、そこだ!」
「分かったわ!」
ナーサが攻撃を弾き、大きく体勢を崩した敵の懐に潜り込み火を纏った剣で切りつける。すると、切りつけた切り口から炎が周りやがてその体を丸々火が飲み込んでしまう。
「あちゃ…、ちょっと火力高すぎたかも…」
バックステップでナーサの脇に戻り、苦笑するティアーシャ。ナーサもこれには苦笑いであった。
一方、単身で前線で短槍を振るう長耳族のヘデラ。
「…
火球」
彼女は短槍を片手に握り、もう片方の手から火球を乱射していた。魔力量に秀でている長耳族だからなせる技であって一般人には到底真似出来ない所業である。
乱射されたように見えて、正確に的に命中したその魔法は、着弾地点を炎で焼き尽くした。
「ふう…、ん。あれ、いいね」
軽く息を着く尻目にティアーシャが短剣を纏わせているのを見て、彼女も短槍の先端に炎を纏わせて次から次へと敵を焼き尽くしていく。
「ふはあ…。皆私の弓の魔法見てから飲み込むまでが早すぎますよ…」
各々がトゥルナの戦法をインスパイアし、己の物に仕立てあげている。魔法が浸透していないこの世界で、魔法を使えるということ自体が相当珍しいのにも関わらず、見ただけで真似してしまうのだから彼女達の才能やセンスがどれだけのものなのかは一目瞭然である。
「トゥルナっ!よそ見すんなっ!」
「うえっ!?」
各々の戦いに目を向けていたトゥルナの視界の外から、ウツボカブラルのツタが勢い良く飛びかかってきた。トコルの声で気がついたものの完全に反応が遅れ、腰に刺したナイフを抜く暇すらなかった。
が。
「戦ってるんだから、よそ見したらダメだよ。気をつけてね?」
「あ、ありがとう」
そのツタは横から飛び込んできたトコルの槌によって弾かれ、ちぎれて横に飛んで行った。
「仲間だもん。助けて当たり前でしょ」
トコルは指のグローブに取り付けられた倒れた仕掛けを起こし、腰に取り付けたポーチから赤いガラス玉のようなものを取り出し、パチンコのような要領でその赤玉を打ち出した。
「新開発の炸裂弾!とくと味わえい!」
その赤玉はツタを伸ばして攻撃した本体に命中すると、中身が膨張し連鎖的な爆発を発生させてその体をボロボロにしていった。
「ふむ…少し火力が出ないなあ。改良改良と」
彼女はボロボロのズボンのポケットから一冊のメモ帳にサラサラと書き込んでいく。トゥルナがそのメモ帳を覗き込むと小人族の癖の強い文字で、兵器や武器の設計やその改善点がびっしりと書き込まれていた。
「相変わらず凄い発明品ですね」
トゥルナは彼女の手の甲に着いた装置を長めがら独り言のようにこぼした。
「そりゃあ、ねえ。力の面ではあの化け物達に勝てないし、そしたら色んな武器を作ってその火力を補うしか無いよねって」
トコルはその小さな顔でケラケラと笑った。
「さ、トゥルナちゃん。さっさと終わらせてご飯にしよう。私お腹空いてきちゃった」
「…ふっ。そうですね。ばっぱと仕上げちゃいましょうか」
トゥルナは鏃の無い矢を。トコルは赤色の炸裂弾の他に、橙色の焼夷弾、水色の冷却弾を取り出し、まるで実験でもするかのように目を輝かせて戦っていた。
トゥルナも負けじと、弓を番えては放ちを繰り返していた。
そうして時間が経ち、すっかり日もくれた頃に全てのウツボカブラルを処分し終えたのであった。
「…うあああ、疲れたあ」
昼過ぎから始まって、日の暮れるまで戦っていたのだから当然彼女達の疲労は相当なまでに蓄積してしまっていた。
さすがに疲れが溜まってしまっていた為、街に帰るのはお預けということになり、テントを張って一晩明かすことになった。
ナーサは剣を抱えるようにして横になり、ティアーシャは彼女の腹を枕にするようにして目を瞑っていた。
ヘデラは短槍の手入れをしながら、うつらうつらと頭を項垂れていた。
そんな中、テントの外でトコルはちょこんとあぐらをかいて座り、火にかけている鍋をチラチラと確認しながらメモ帳に何かを書き込んでいた。
鍋の中の湯立てるコトコトという音、数人の寝息、乾いた紙が擦れる音がその空間に響いていた時。
「お待たせしましたあ…」
「お、おかえり。トゥルナちゃん」
一人、魔法を光源にして何かを引きずって帰ってきたトゥルナ。彼女が紐で縛って引きずっているものは、今さっきまで生きていたであろう、人一人位の大きさなある鹿だった。
「血抜きはしてありますよ。解体手伝って貰ってもいいですか?」
「ほいよー、任せて」
二人は鹿の毛皮を剥ぎ、順々に部位ごとに切り分けていった。
彼女らが最終的に手に取ったのは、背中の部分に当たるロース肉。トコルは大きめの皿と並々と注がれた牛乳の瓶を彼女の大きなバッグから取り出し、その肉を牛乳に浸した。
「ほええ…牛乳ですか」
「そうそう、私が飲む為のものだったけどね。牛乳にお肉を漬けておくと柔らかくなって食べやすくなるみたいなんだよ。別にナーサとかは固くても気にしないとは思うけど、ヘデラはあんまりお肉食べないからね。少しでも食べやすくしてあげようと思ってさ」
彼女は肉を柔らかくしている間に、鍋の方に取り掛かる。こちらには出汁を取ったスープと幾らかの野菜、そしてそこにさっきの物とは別の細かく叩いて丸めた鹿肉の肉団子を放り込んでいく。しまいに軽く香草をぶち込んで鍋には蓋をして、弱火で火を通していく。
「しばらく時間かかるし、トゥルナちゃんも休んできたら?狩りまでしてくれて、疲れてるでしょ」
「うーん、別に大丈夫ですよ。こうしてトコルさんが料理してるのを眺めてるのも楽しいですし」
トコルはこのパーティの頼もしい調理担当であった。ナーサは純粋にメシマズというか、料理するくらいなら生かじりすればいい思考の持ち主なので論外となり、そこそこの料理の腕を持つティアーシャは魚の血抜きや肉の血抜きがほとんどされておらず、彼女の料理は基本的に血なまぐさい物に変貌してしまう。そしてヘデラだが、一見料理の腕が高そうに見える彼女は…。まあ…ナーサから二度と包丁を握るなと言われるくらいには酷い始末である。
そんな訳で消去法的に調理担当になるのはトコルとトゥルナの二人なのであった。しかし消去法という割にはトコルの料理の腕はずば抜けていて、屋外での料理は特に絶品だった。それに加えて彼女のバッグには保冷機能が内蔵されており、長期による活動で中の食材等が傷まないようになっている。彼女の常飲している牛乳が、常にバッグの中にある理由もそれで納得出来るだろう。
「なら良いけどね」
そう言って、トコルはその場で瞼を閉じた。
たまには機械や道具に触れずに、こうして自然の一部になって意識を放ること良い。ずっと鉄を打って暮らしてきた小人族が自然と一体になる、というのも少しおかしな話だが。
そうやって心の内を無にしていると、時の流れは早く感じるもので鍋の湯の音が変わったと同時にトコルはパッチリと目を開きその場で体をうーんと伸ばした。
「なんだ。結局寝てるんだ」
弓の手入れでもしようとしたのだろうか。まるで弦楽器を引くかのように弓の弦を指先で弾きながら、彼女は夢に落ちていた。トコルは優しい笑顔を浮かべ、いそいそとバッグの中から一枚の毛布を取り出して彼女の背中にそっとかけてやる。
「さて、仕上げにかかろうかな」
テキパキと最後の仕上げをこなし、彼女はテントの中に顔を突っ込んで
「ご飯できたよー」
と言うと。
「よし来た」
「もうお腹ペコペコよ…」
「食べましょ」
と、今の今まで眠っていたとは思えないほどの勢いでテントを飛び出してきた。
「なんだ、トゥルナ寝てるのかい」
「一人で狩りに行ってもらっちゃったからね。休ませてあげよう」
毛布を肩にかけられ、すうすうと寝息を立てるトゥルナを尻目に、各々が鍋の中を覗き込む。
「へえ、今日は鍋かい」
「そうだよー、それに鹿のステーキもある」
火に金網を乗せ、その上に鹿肉を置く。じゅうじゅうと肉の表面からうっすらと脂が浮き、肉を伝って火に落ち、火力がわっと上がる。
「それじゃあ、頂くとしようか」
ナーサがあぐらをかいて座り、ティアーシャが手を合わせ、各々が料理に手を出し始めた。
「お肉…」
あまり肉を好まないヘデラはどれに手をつけるか迷っているようだった。
「ヘデラが食べやすいようにお肉は柔らかくしてあるよ。お鍋の中の肉も赤身をなるべく使うようにしてるからそんなに油っこくないと思う」
「ほんと…?わざわざありがとう…」
彼女は恐る恐るも肉を口に運ぶも、数秒後、数回咀嚼するとその顔は幸せそうな笑顔にへと変化した。
「…おいしい、ありがとう。ヘデラ」
「どういたしまして」
ヘデラは片手間に肉を焼きながら、自分でもパクパクと料理を口に運んでいる。
「本当は数日置いた方が肉は美味しんだけどね、そうも言ってられないから」
「食えりゃいいんだよ。美味いし」
「そうね。何か食べれるだけでも感謝、ね」
ほっぺたをパンパンに膨らませながら、ティアーシャとナーサは意見を合わせて言った。これでメシマズじゃ無ければ何ともないのだが、ただ単に料理するのがめんどくさいと言っているようにしか聞こえない。
「ん、そうだ。これ、はい」
「…?なにこれ」
するとトコルが思い出したかのように、近くの皿に乗せてあった赤色のブヨブヨした物をティアーシャに突き出した。
「鹿の肝臓だよ。ティアーシャ今日も結構傷作ってたでしょ?新鮮な鹿の肝臓は血を作ってくれるらしいから、今のティアーシャにはピッタリだと思うよ」
一口サイズにスライスされたそれを、ティアーシャは受け取り口の中に放り込む。
「採れたての生の鹿の肝臓、かい。どうだい?ティアーシャ」
「…」
「ティアーシャ?」
「え、大丈夫?あんまり口に合わないようだったら…」
吐き出しても、とトコルが言おうとした瞬間、ティアーシャの顔に満開の花が咲き誇った。一噛み一噛みする度に、顔に幸せに満ちた表情が広がっていく。
「の心配は無さそうだな」
「…うん、気に入ってくれて何よりだよ」
上品さの欠片も無くバクバクと肝臓の切り身を食べるティアーシャの姿を見て、三人は顔を見合わせて苦笑を浮かべた。
その後、トゥルナの分を残して夕食を食べ終え、数時間交代で見張りをしながら眠りに着いた。
ちなみに余談だが、皆が食事を取っている間に自分だけ起こされずに眠っていたことをトゥルナは頭を抱えて後悔していた。
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「それじゃ、また二日後に」
「あー、お疲れさん」
ギルドに赴き、報酬を手に入れた後綺麗に五等分されたそれをそれぞれ懐に忍ばせ、その日は朝から解散となった。
次に集まるのは二日後。それまでは完全にフリー。簡単に言ってしまえば休暇である。
「うーん、休みかあ…。何しようかな」
しかし、戦いに身を置くものにとって休暇というものは退屈なもので、しかし身を休まさなければ体が壊れてしまうということもあり、皆しぶしぶ休みに身を置くのだった。
「ティアーシャさんは?なにか予定でもあるんですか?」
「ん?あー、予定かあ…。デートかしら」
「…はは」
一瞬考えたかと思えば、すぐさまにその言葉が出てきてトゥルナの顔が強ばる。
「はしゃぎすぎて体壊さないでくださいよ?」
「大丈夫、大丈夫。壊れてもすぐ治るから」
「…はは」
今度は完全に失笑が出た。人を脅しておいてまで隠蔽したいであろう自分が魔物であるという真実を、分かるか分からないかのギリギリのラインを攻めて言ってくる。
「それじゃ、私はここで」
「はい、ではまた二日後に」
ティアーシャは弾むような足取りで、ルンティアの店の扉を押し鼻歌混じりに入っていく。やがて扉が閉じ彼女の背中が見えなくなった頃、そこに残ったのは虚しい顔のトゥルナだけだった。
「恋人かあ…。…私には無理だろうな」
別にさほどルックスが悪い訳でもない、のだがやはり冒険者として生きるに当たって理想の相手を見つける、というのは中々難しいし、もし仮に見つけたとしてもこちらが冒険者という職業故、その恋が実るということは限りなく少ないだろう。
「恋、ねえ」
そもそもトゥルナには恋愛感情という物を抱いた事が無かった。年頃なのでそういう妄想をすることはあれど、実際に人前に出るとそこに恋愛感情というものを抱くことは出来ずにいた。
見る人、通り過ぎる人、全員が全員。一人の生き物という認識しか出来ずにいた。
だから故郷で親に縁談を薦められた時には、腹が立って家を飛び出してしまったのだ。そしてそのまま、今に至る。
「お幸せに、ってね」
彼女はルンティアのことを直接見たことは無いが、彼女があれだけ慕っていることから、悪い人間出ないことは確かなのは分かっていた。
店の中から楽しそうな笑い声が聞こえて来た気がした。トゥルナは一歩前に踏み出すも、首を振って失笑して踵を返してその場を後にした。
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二日後。
ナーサ、トゥルナ、トコル、ヘデラの四人が既に集まり、残るティアーシャを待っている状態だった。それぞれ二日の休暇のことを談笑したり、装備の確認をしたりして時間を潰していたのだが、あまりにも遅すぎるということで全員がそわそわし始めた頃。受付嬢の一人が四人の座るテーブルの元に一枚の紙切れを握りしめて駆けてきた。
「すみません!ティアーシャさんから預かっている物、渡そびれていました!」
「あいつから預かっていたもの?」
ナーサが受付嬢から受け取ったその紙には"体調が優れないから、休みます"という、学校でも休むのかというような走り書きのような一文が綴られていた。
「…体調悪いから休むってさ」
「珍しいですね」
「…」
皆が不安そうな雰囲気の中、トゥルナは一人心のどこかに引っ掛かりを感じた。
「…今日の依頼が終わったら、私ティアーシャさんの様子見に行ってきますね」
「ああ、そうだね。あんまり大勢で行ってもなんだし、トゥルナか行っておやり。…っていうかティアーシャの住んでる場所分かるのかい?」
「あー、えっと…。前たまたま教えて貰って」
「そうかい、じゃあ今日の依頼はパッパと終わらせちまおう」
四人はそれぞれの武器や道具を手に持ち、立ち上がる。そして足を揃えてギルドハウスを出ていく。ナーサを先頭に、そして少し離れてトゥルナを最後尾に置き、彼女らは戦いの場に戻るのであった。
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その日の依頼は、ティアーシャがいないという事もあり、多少チームバランスの調整が難しかった。が、いつものナーサの隣の位置にヘデラが入り、ナーサのカバーを徹底していた。短剣ほど短槍では小回りが効かないようで若干苦戦するような様子も見せていたが、数十分すればこの編成が初めてでは無いかと思うくらいには息ピッタリで連携が出来ていた。
そんな依頼が終わり、トゥルナは足早にルンティアの店へと向かう。
「すみませーん」
"閉店中"の札が掛かっている店のドアを数回ノックする。
「あー、すみません。今日は休業日でして…」
すると扉が開き、一人の赤髪の短髪の青年がその隙間から顔を覗かせた。
ティアーシャとその相手の姿をトゥルナは見ているので、彼がティアーシャの恋人なのだ。ということは一目瞭然だった。
「あ、いえ。ティアーシャさんと同じ冒険者パーティのトゥルナと言います。ティアーシャさんのお見舞いに来ました」
閉じられようとしていた扉を足を挟んで止め、扉のノブを握る彼に隙間から視線を通す。
「ティアーシャと同じパーティの…。あ、もしかして回復士のトゥルナさん?」
「ええ」
どうやらティアーシャからあらかた私達の情報は受けているようだ。
「すみません、わざわざ来ていただいて。さ、上がってください」
案内されるがまま彼女は店の中を通り、店の奥にある階段で上に上り、彼の居住スペースまでたどり着いた。
「ティアーシャが体調が優れないって言うのは?いつ頃からですか?」
「三日前程です」
「三日前…」
三日前は、休暇になった日の初日。つまり彼女の体調不良はこの三日間もの間ずっと続いているという事にかる。
「こちらです」
彼が扉を開けると、その奥にはベッドの上に崩れる銀髪が。
トゥルナはゆっくりと彼女の元へと歩み寄る。
「あ、ああ。…トゥルナ…、来てくれたんだ…」
「もちろん。一度も病気になった事のない人が体調不良で休んだら、気にもなりますって」
ベッドに仰向けになり、天井を見つめている彼女は少しやつれているように見えた。元からか細い体であったから一見分からないのだが、彼女の顔色の悪さを見れば彼女がかなり疲弊しているのがわかる。
「それじゃ、診察していきますね。…症状は?」
「吐き気に、食欲が一切出ないわ。あと頭痛も」
「ふむ…」
さすがに食あたりでは無いですよね?と、トゥルナはティアーシャの手を取って脈を測る。
「少し早い…。ううん」
彼女はバッグから聴診器を取り出し、服をまくった彼女の背中、胸、腹にそれを当てていく。
「…ん?なんか…」
そして案の定、そこには違和感が感じられた。ハッキリと聴診器でわかった訳では無いが、彼女の医師としての勘も相まって、確かに何か普通とは違っているものがあった。
「ちょっと失礼しますね」
彼女は耳から聴診器を外し、ティアーシャのお腹を摩るようにして手を当てゆっくりと微力の魔力を流した。
魔力は密度によっては完全に物質を貫通する。つまり塊としてでは無く、粒子のようにして物を通せばその魔力の流れから貫通したものの構造を知ることが出来る。少し違うがソナーのようなものだ。
「…あ」
そしてトゥルナは、見つけてしまった。感じてしまった。
「トゥルナ?」
「…っ」
彼女はティアーシャのお腹から手を離した。彼女が見つけたもの、ティアーシャの腹の奥にあった物。
「…ティアーシャさん。そして彼氏さん」
「ルンティアです」
「ルンティアさん。心して聞いてください」
この場にいる全員が息を飲んだ。
「新しい、命が、ティアーシャさんのお腹の中に宿ったんです」
「えっ」
「それって…」
「ええ、おそらくティアーシャさんの体調不良って言うのは…妊娠の初期症状でしょう。吐き気があるのも頷けます」
トゥルナは、ティアーシャとルンティアに目を合わせなかった。そのひとつに、それが望まぬ妊娠だった場合。いずれかは見つかったとは思うが、それを最初に発見したトゥルナは、心に傷を負うのは目に見えていた。堕ろす、なんてことになれば尚更。そしてもうひとつに、もし仮にそれが二人に取って喜ばしいことであったとしても彼女にはそれを笑顔で祝福してやるだけの余裕は無かった。なんだろう。心の奥底からフツフツと湧き出てくるこの感情は。怒り?違う。悲しみ?違う。嫉み?違う。今まで経験したことのないその感情に触れ、トゥルナは下を俯いて唇を噛み締めた。
「トゥルナ?…どうかしたの?」
「いえ…。なんでも。…っ」
飲み込むようにしてその気持ちを押し殺し、恐る恐るティアーシャと目を合わせる。
ああ。なにを勘違いしていたのだろう。これだけ愛し合っていた二人が、その間に出来た命を見捨てる訳ないと。
ティアーシャの目は、今まで見た事のないくらいにキラキラと輝いていた。そこから読み取れるのは、喜び。そのたった一つの感情のみ。
「トゥルナ、診てくれて、ありがとう。今、私達、すっごい幸せよ」
「…お、…っ。おめ、でとう。ティアーシャ」
言えた。喉の奥から絞り出して、言えた。面を向かって、言えた。新しい命の誕生を、二人の絆を、心から祝福出来た。
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その後、トゥルナは妊娠中の注意事項をつらつらと二人に述べ最後に「困ったら、ギルドを通じて私にすぐ連絡してください」と付け加え、彼女はルンティアの店を後にした。
後日、ティアーシャ直々にトゥルナを含む四人の元に赴きしばらくの間、故郷に帰らなくてはならない。と本人の口から伝え、ティアーシャはしばらくの間、ナーサの隣に立つことはなくなった。
これからは、ルンティアの家でゆっくりと経過を待つようだ。トゥルナも定期的に訪れては健康状態を確認している。
ティアーシャが子を身篭っているのをパーティに伝えなかった訳。それはハッキリとはしないが、恐らく子供を見せ、それが吸血鬼だとバレることを避けたかったのでは無いだろうか。吸血鬼と人間の遺伝子では、母数の少ない吸血鬼の遺伝子が優性遺伝子となり、子に受け継がれる。つまりどういうことかと言うと、吸血鬼と人間の子はほぼ確実に吸血鬼となって生まれる、ということになる。もちろん人間の血も混じっているが、人間としての遺伝を受け継ぐものはあまり多くはない。
吸血鬼であることを隠そうとしないであろう、彼女の子供。それをもし他の三人に見せ、吸血鬼である何かを子供が晒してしまえば。必然的にティアーシャかルンティアのどちらかが吸血鬼だということが明らかになってしまう。それを彼女は避けたかったのであろう。
「何かあったのかな、ティアーシャ」
おもむろにトコルが口を開いた。それに対して皆の視線が彼女に集まる。
「はは、やっぱりみんなも気になってるんじゃん」
彼女は苦笑いを浮かべ、視線を逸らして俯いた。
何も事情を知らぬ三人は、何やら含みのある言い方をして去っていった彼女の事が気になるのだろう。
そんな中、唯一一人だけ事情を知り胸の内にそれを秘めているトゥルナは若干後ろめたいものがあった。
「…さ。あいつが帰って来る時に、あたしらがもっと強くなっていられるように。ティアーシャ抜きでも戦えるようになろうじゃないか!さっさと依頼を受けに行くよ!」
「ええ…そうですね」
流石はリーダ的存在のナーサ、とでも言うだろうか。重い空気を両断し席を立った。ヘデラも彼女の後ろについて残る二人に背を向ける。
「…無理しちゃって。ナーサったら」
ティアーシャがパーティを離脱した事。その影響が一番大きいのはナーサだろう。
初めて見つけた共に戦える仲間であり、背を預けられる友。ずっと隣で戦ってきた彼女にとってその喪失感は誰よりも大きいだろう。それに自分が彼女の一番の友だと自負していただけあって、離脱の理由をハッキリと伝えられなかったことに感じても蟠りを感じていた。
「…」
美しい氷像が少しづつ溶けていくように。美しかったはずの宝石が、倉庫の奥で埃を被っていくように。
たった一つの事象して、何かが変わっていくような音がした。