番外編 そのと重戦士と吸血鬼は②
ナーサがパーティを組んだ。それも銀髪の美少女と。
そんな話題で、ギルド内は持ち切りだった。
--おい、やっこさん来たぞ
--ふぁー、本当に可愛いな。あの銀髪の子
そんな彼らの噂話が聞こえたのか。ナーサの脇を歩くティアーシャは彼らの方をちらりと見て軽く手を振る。
--…。応援します
--俺も。
一発で落ちた。
「けっ、サービス旺盛なこった」
「こうやって味方を作っておけば後々楽でしょ?」
ナーサの嘲笑に対して、ティアーシャは鋭い眼光を彼女に向ける。
「さて、何を受ける?」
ナーサが、冒険者依頼の貼られている立て看板を指さす。そこには麻や羊皮紙で書かれた依頼書がびっちりと貼られていた。
「…うーん、これじゃないかしら。妥当でしょ」
ティアーシャはその一枚一枚を確認しながら、内一枚の麻紙で書かれたものを指さした。そこには要約すると『村周辺のリザードマン討伐 報酬:一体につき十銀貨』。一般的な冒険者依頼の中からすれば、かなり利益は大きい。
「まあ、見る目はあるが…、よーく覚えておきな」
ナーサはティアーシャが指さしていた依頼書を手に取った。
「よく見ておきな。こいつあ麻紙だし、使われてるインクも安い。それがどういうことが分かるかい?」
彼女の眼前に麻紙をヒラヒラとかざす。
「…、そうね。依頼書にお金がかけられない、ということは私達が依頼をこなしても正当分の報酬が得られない可能性がある、ということかしら」
「おお、完璧な答えだよ。大正解」
ナーサは嬉しそうに唸り声を上げる。
「もちろん一匹十銀貨はかなり儲けものだ。だからこそ、沢山リザードマンを倒したところで報酬の上限が設定されてしまうことがあるんだ。一見得なように見えて、案外裏があるものが多いから気をつけるんだよ」
麻紙を元の場所に戻し、そして今度は自分から新しい依頼書を手に取った。
それは真っ白な紙に達筆で依頼内容が綴られた、一枚の依頼書。見るからに報酬が高そうな、そして難易度が高そうな依頼書である。
---
「いや、ナーサ様でしたか。これなら安心しておまかせ出来る」
中位の貴族の屋敷にて、ナーサはテーブル越しに片手で握手する。
「ところで…そちらの方は?」
丸まった髭を生やした貴族の男は、ティアーシャの事を指さした。
「ああ、こっちはティアーシャ。パーティの仲間さ」
「ティアーシャです、よろしくお願いします」
ティアーシャがこつりと頭を下げる。
「はあ…。しかし本当にあなたがナーサ様のパーティ…?私にはそのようには見えないのですが」
貴族が少し困惑の色を見せた。
ティアーシャはそうですか、と一言言うと。
「っ!?」
「これで分かって頂けましたか?」
刹那、彼女は貴族の喉笛に黒光りするダガーナイフを突き付けていた。あとほんの数ミリ、前に押し出しただけで血が吹き出すほどの距離に。
「…いやはや、疑って済まなかった。ティアーシャ様と二人で、依頼を受けてくれるのだね?」
「ええ、そうです」
ティアーシャは満面の笑みを浮かべ、ダガーナイフを貴族の男の喉元から離し、太腿に取り付けてある鞘にそれをしまった。
彼女から放たれる殺気は、ナーサを凌駕するものがあった。ナーサの殺気は相手を威圧し、相手を抑え込むものなのだが、それに対してティアーシャの殺気は相手を恐怖させ、服従させる。
今の今だって、殺気立っていた彼女の隣にいたナーサは顔を顰めていた。
「で、依頼っていうのはなんなんだい?詳しくは口頭で話す、と言っていたけれど」
依頼の中には依頼者の口から直接言われるものも多々ある。と、いうのもその依頼内容が大勢に知られてしまっては困るもの。例えば重役の護衛などの場合はこのような方法が取られることがある。
「あ、ああ。そうだったね、ちょっと待っていてくれたまえ」
貴族の男は額に滲む脂汗をハンカチで拭いながら、扉を開けて出ていってしまった。
「…なあ、さすがにあれはやりすぎたんじゃあないのかい?」
それを確認して、ナーサが口を開いた。
「そう?私にだって冒険者としてのプライドはあるわ。本当に冒険者か?なんて言われたら多少なりとも引っかかるものよ」
「そんなもんかねえ」
ティアーシャは腰から短剣を取り出して、鞘から抜いて刃の状態を確認し始めた。
「へえ、珍しく短剣じゃあないか。特注かい?」
「ええ、まあそんな所かしら」
白を貴重とした、刃と鍔の大きさが同じ位ある一風変わった短剣。柄には使い古された布や皮が巻き付けられていて、その剣が何年にも渡って使い込まれた物だと言うことを示唆していた。
「前線職だからね、軽くて短い方が扱いやすいの。肉弾戦にも合わせやすいし」
「なるほどねえ」
確かに彼女の近接格闘術は武器なしでもそこらの冒険者を圧倒するだろう。それに殺傷力のある短剣が加わればどうなるか、想像は容易いものである。
薄灰色の刃が、光を反射してほんのりと輝く。
「…ん、さては鉄製じゃあないね?」
「正解、さすがよく見てるわね。私も詳しく、何で作られているのか知らないんだけど鉄と違って柔らかいし、欠けにくいの。使えば多少刃こぼれはしていくけど、軽い手入れだけでずっと持ってるのよね」
「はあ…。お、奴さん来たみたいだね」
お待たせしました、と貴族の男が筒状に丸めた羊皮紙を抱えて、茶髪のメイドと共に部屋に戻ってきた。
それを見てティアーシャは短剣を鞘にしまう。
「どうぞ」
「あ、お構いなく」
三人の前のテーブルに、メイドの女性がそれぞれ紅茶を置く。
「さて、さっそく始めましょうか。これが今回の依頼の内容です」
男はテーブルの上に羊皮紙を広げた。
「…塩と香辛料の輸送の護衛…、ですか…」
塩と香辛料。遥か昔は高価な物だったと聞くが、今はさほど高くは無く、庶民でも手が届くものとなっている。
「それだけの為にわざわざ?」
「…いえ、これは建前です。実際は隣国の王女をこの国に招くための」
「…。つまり隠密な護衛任務、と」
「そういうことになります」
三人とも真剣な面構えだった。
貴族の男からすれば、絶対に失敗できない任務。
そしてティアーシャ、ナーサからすれば成功すれば超高額の報酬が貰える反面、失敗すれば自身の冒険者としての評判がガタ落ちする、大きな任務。
「…っ。まあ、私はこういうの下手くそだから、値段交渉はナーサに任せるわね」
「…?ああ、任せな」
一件、単にティアーシャがベテランのナーサに交渉を一任したかのようにも見えた。
けれどナーサは、ティアーシャの何か含みのある目付きを見て、意味までは汲み取れていないようだったが合わせることにした。
「では、早速。交渉に移りましょうか」
「ええ」
ナーサと貴族の男が交渉を始めるのを横目に、ティアーシャはカップに注がれた紅茶を啜りながら、部屋中を見回した。
「っ…」
『魔力視』。目に魔力を込める事で万物の力の流れを見る事が出来る魔法。
ティアーシャが左目に魔力を注ぎ込み、周辺を確認する。
(盗聴用魔法は無し、透視魔法の流れも無し)
いくら魔法が廃れている世界とはいえ、一定層の使い手はいる。盗聴や盗撮など、犯罪に使えるような魔法であれば極めんとする者もいるものだ。
(けど…なんなのかしら。この胸騒ぎは)
そう、物思いにふけっていた時。
ガシャーン!と何かが割れる音が部屋中に響き渡り、皆の視線が音の方へ向く。
「あ、あちゃ…。ごめんなさい、私ボーッとしてて…」
それは何者かがガラスを割った音でも、何者かが入口を蹴破って入ってきたわけでもない。
「だ、大丈夫ですかっ!?」
ティアーシャが手に持っていたティーカップが彼女の手から離れ、床に落ち割れたのだ。
「す、すみません。私ったら。っ…」
「あ、ああ。触らないでください、私が片付けますから!」
破片を拾おうとしたティアーシャの指先に一線、赤い筋が出来る。
それを見て茶髪のメイドがドタバタと箒とちりとりを持ってきて、片付けを始めた。
「お怪我はございせんか?」
「指先切ったくらいです、すみません、大切なカップを」
「いえ、カップくらい気にしないでください!また買えばいい話ですから」
ティアーシャがメイドと共に割れたティーカップを片付けている間、一瞬だけナーサと目が会った。
「っ」
そこには悔いも焦りも、そんな感情は見られずにむしろ狂気に歪んだような笑みを浮かべていた。
---
「依頼は、二日後、な」
「分かったわ、じゃあそれまでゆっくりしましょう」
「…そう呑気にやってられないんだよ。護衛のルートの確認やら、周辺の状況把握やら、事前にやっておけることはしておかないと」
「生真面目ねえ」
ティアーシャは暑そうにブラウスの首元をパタパタと仰いだ。
「ティーカップの事は、聞かないでおくとするよ。ま、聞いたところで答えてはくれないんだろうけどね」
「ご名答」
ナーサとティアーシャは互いに顔を見つめ合い、苦笑いを浮かべた。
「ただ、確信していることと言えば今回の護衛依頼。そう簡単には行かなそうよ」
「…」
ナーサも彼女の言わんとしていることは分かっていた。
必ず、何かが起きる。確証も証拠も無いのだが、己の勘がそう言っていた。
「下準備は明日行きましょ、私は今日はどっかでご飯食べて寝るわ」
「…アタシもそうしようかな。だったら店はアタシに任せてくれないかい?せっかくだし、美味い飯でも食おう」
「それは期待させてもらうわ」
一つ影が揺れた。夕方の橙色の光に照らされ、長い影が伸びている。
---
「今回、護衛に当たります。ナーサとティアーシャです。よろしくお願いします」
「どうも」
「はい、よろしくお願いします」
護衛当日。三台の馬車の先頭の馬飼いの男に挨拶を済ませる。
「ちなみに私達馬飼いの役をかっている者も、中にいる商人も、全員王国の精鋭達の変装です。何かあった時は、なんなりとお伝えください」
「そうだねえ、王女とやらはどこに?」
ナーサが尋ねると男は首を横に振った。
「それは存じ上げられません。この馬車のどこかにはいる、とだけ言っておきましょう」
「なるほどねえ」
それはつまり、ティアーシャとナーサから情報が漏れる可能性がある、ということを示唆しているのだろう。
「ま、私達はあくまで護衛だ。深く首は突っ込むつもりは無いけど、いざと言う時はちゃんと教えてくれないと、守るものも守れないからね?」
「ええ、分かっております」
優しそうな声をしつつ、その男の目は鋭かった。幾千の戦いを越えてきた男の目をしている。
「それでは、間もなく出発します。おふた方はバラバラで、一番目と三番目の馬車にお乗り下さい」
「…どうする?」
ナーサが後ろで馬車を触っているティアーシャに向けて声を掛けた。
「どちらでも構わないわ」
「じゃあアタシが一番目、ティアーシャが三番目で」
「了解」
そう言うと、ティアーシャは流れるように三番目の馬車に乗り込み、それを見届けたナーサも一番目の馬車に乗り込んだ。
「それでは出発しますよ」
ヒヒーンと馬が鳴き、馬車がゆっくりと動き出す。
通るのは開けた野原の道。見渡しが悪いより、良い方がいい。そういう考えなのだろう。しかし、一度だけ深い森の中をどうしても通過しなければならない。そこで何も無ければいいのだが。
(さて…、どうしたものかねえ)
変に気を張っていても疲労するだけだ。かといって無警戒でいる訳にもいくまい。
(ティアーシャとバラされちまったのも、退屈だもんだねえ)
『あら、寂しがってくれてるの?ありがとう』
「っ!?」
馬車に座るナーサが思わず飛び跳ねた。幸いその揺れで馬車のバランスが崩れることは無かったのだが。
「…な、なんだい今のは」
『どうも、ティアーシャよ。さっきあなたの体に私の魔力で作った糸を付けさせてもらったわ。…これで何時でも頭の中で会話出来る』
「は、はあ…。なんでもありだねえ」
『別に声に出す必要は無いのよ。頭で考えるだけでいいの。口に出したら周りから変な目で見られるでしょう?』
(…)
事実、今のナーサの挙動言動は周りの商人の格好をした護衛に白い目で見られていた。
彼女は咳払いをして元のように座ると、再びティアーシャとの念話を続けた。
『…唯一森の中を通る、道。あるでしょ?』
(ん?ああ、そこが心配なんだけどね)
『まあ、案の定。とでも言うのかしら。そこで賊が待ち伏せしてるわよ』
(…はあ?)
心の中とはいえ、ナーサは惚けた声を発した。何故自分ですら知らないというのに、彼女は知っているのだろう、と。
『まあ色々と手を回したのよ。…だから今回の護衛依頼で襲撃が起こるのは確定、避けられない運命だわ』
(なら、この護衛のやつらにも伝えるべきじゃ…)
『いや、ダメね。あなたは私が魔法に長けているということを知っているから私の言うことを鵜呑みに出来ているけど、それを知らない彼らにそれを伝えたら私達が敵の内通者扱いされかねない』
ティアーシャの声は少し歯がゆそうだった。
(じゃあ、どうするつもりだい?)
『襲撃されるまで、待つしかない。護衛達の気が緩んでたら喝を入れる程度なら出来るわね』
(…。為す術なく襲撃されるしかない、と)
『そういうこと』
淡々と答えるティアーシャだったが、内心は多少なりとも焦りを感じているだろう。
だが、周りの護衛達にそれを伝えることも出来ない。
『森に入る直前、私が馬を操って最高スピードを出させる。それで何とか振り切るしか無いわね』
(…アンタにかかってる、訳かい)
周りの護衛達の間の空気は未だピンと張り詰めている。しかし、この空気感がそう長く持つとは思えない。なるべく遠回しに、襲撃があるから準備せよ、と伝えることしか出来ないのである。
(アタシ達も、準備しておかないとね)
『ええ、襲撃予定地は今から二時間後の場所よ。それまでにも何かあるかもしれないから、気をつけなさい』
(分かったよ)
ナーサは背中の大剣を引き抜き、柄を握りしめ、その感触を確かめた。
ずっと彼女が使ってきた剣だ。何か剣に異常があれば、握っただけでも分かるらしい。
(何者なんだい…ティアーシャ、アンタ)
返答は、ない。念話が繋がっていないだけだったのだろうか。
しかし、ナーサは今回の依頼を通して、彼女に対して様々な疑問がふつふつと湧き上がっていた。ずば抜けた魔法適正、ずば抜けた近接格闘術、ずば抜けたスピード。
どれを取っても、今まで話題にならざるを得ないであろう冒険者だ。
なのに、なぜ今まで表舞台に上がってこなかったのか。
(まあ、いいか。アイツが私にとっての害的存在にならなければ、どうでもいいのさ)
大剣を背中の鞘に仕舞い、椅子に深く腕を組んで瞑想、という名の居眠りを始める。
(森に入る四半刻ほど前に起きれば大丈夫だろう)
そうして、ナーサは自分の意識の中に飛び込んで行った。
「はあ…ナーサ寝たのね…?」
そんな彼女の様子を、念話を通じて知りティアーシャは軽くため息を着いた。
事実襲撃場所に行くまでに、何か対策が取れるという訳ではないので、ナーサの行動は正解なのかもしれない。
「ま、私を信用しての行動だろうね」
ティアーシャは馬車の扉の鍵を開け、扉を開け放って屋根の上に登る。ここなら、見通しが良くいつ襲撃を受けても察知できる。
「練習だけしておこうかしらね」
ティアーシャが右腕を凪るようにして振った。
すると三台目の馬車の馬が速度を変え、ほんの少しだけ二台目の馬車との距離が縮まった。
「…うん、大丈夫かな」
彼女は馬を操っている訳では無い。魔力の糸をそれぞれの馬に取り付けており、それを伝わせて馬達に己の要望を伝えている。
つまりは、馬達のそれぞれ己の意識が強ければ強いほど、ティアーシャの指示は馬には届かないのである。
しかし現状、馬はよく落ち着いてあるし、色艶もいい。これなら命令を与えた所で暴走するようなことはないだろう。
「あとは、神のみぞ知るってね」
神なんて居るのか知らないけど、むしろそんな存在信じてはいなかったけれど、彼女はそう呟いた。
暗闇の中、湿った風が彼女の白銀の髪をたなびかせる。なびく髪の毛を抑えながら、ティアーシャは馬車の上に腰掛けて、徐々に登りつつある陰りのない、真ん中に丸々の穴が空いた月を眺めていた。
---
「そろそろ、ね」
ティアーシャが馬車の屋根の上で、意識を集中させる。
(ナーサ、そっちの首尾は?)
(ああ、とりあえずこれから襲われるかもしれないとだけ言っておいた。もちろん確証がない感じに、な)
(ありがと、前の馬車は任せるわね)
そう言うと、ティアーシャはナーサとの念話を切り、今度は別に意識を傾けた。
(…なよ、まもやく馬車が来ます。…心するように)
全て丸聞こえなのだ。敵の作戦も、行動も、考え方も。
しかし、一体この胸騒ぎは何なのだろう。どうにもこうにも、綺麗に成功するビジョンが見えないのである。
「っ、ナーサ!行くわよ!!」
(あいよ!頼んだからね!)
一瞬、森の中に何かが光った。恐らくは、山賊の武具の何かが月の光を反射して光ったのだ。
それを合図にするかのように、ティアーシャは馬に繋いだ魔力の糸を使って馬スピードを底上げする。
(うっ、結構なスピードだねえ!)
(まだまだ上げるわよ!しっかり掴まってなさい!)
馬の蹄が地を抉り、一気に森の中を駆け抜けていく。
まさかこんなスピードで抜けられると思ってもいなかったのだろう。ちらりと後ろを振り返れば惚けた顔でこちらを追う山賊達の姿がそこにあった。
(このまま行けばっ)
彼らが放つ弓も、矢も、馬車に届く前に地面に刺さってしまっている。
行ける。そう確信した時だった。
馬が悲鳴のような鳴き声を上げる。
「っ…!?」
その悲痛な声を聞き、ティアーシャの集中がほんの一瞬乱れた瞬間。
戦闘を走る馬車がよろめくように傾き、バランスを崩して横転。後続の馬車も玉突き事故のように連鎖して倒れてしまう。
「きゃっ」
衝撃のあまり、馬車の屋根の上にいたティアーシャは中に投げ出され地面に叩きつけられる。
(ナ、ナーサ?無事?)
立ち上がりながら、ティアーシャはナーサと連絡を取る。
(あ、ああ。馬車の中ん奴らも無事だよ。数人意識飛んでる輩もいるけどね。…にしても何があったんだい!?)
(…分からない。今確認しに行くわ)
ティアーシャは駆け足で先頭の馬車の馬を確認しに行く。
…無理をさせてしまった事による骨折か、それとも足がもつれてしまったのか。
いずれにせよ、このままだとまずい。
「っ…!?罠が…」
しかし、それは予想外の要因からなるものだった。馬の前足が深く穴が空いた地面に埋もれてしまっているのだ。
「けど、こんな情報は無かったはず…」
「…こんなはずじゃなかった、そう言いたそうな顔ですね」
突然、冷ややかな声が背後からかけられる。振り返ろうとした刹那、首筋に冷たいナニかが押し当てられる。
「おっと、動かない方がいいですよ。その綺麗な首が宙を舞うことになりますから」
首に押し当てられているのは、銀に光る剣の刃。今、何か大きな行動を取れば彼女の首は飛びかねないだろう。
「…はあ。全く、落とし穴だなんてしかけるなんて聞いてないわよ」
「あなたの作戦は、完全に理解しているもの。ほら、これ返すわね」
ふわり、ティアーシャの頭の上にかかったのは、馬を操るのに使ったらものと同じ、魔力の糸。
「…まさかバレてたなんて」
「ティーカップの持ち手に指を通している人が、それを落とすわけ無いでしょう。正しくは持ち手を摘むようにして持つのよ」
「うっ…礼儀作法には疎いのよ」
ティアーシャがティーカップを割った時、彼女は慌てて駆け寄ってきた者に魔力の糸を通して情報を取っていた。
しかし、その魔力の糸を通した人物、もとい内通者にはこんな粗末な罠をかけるだなんて思考、考えは無かったのだ。
だとすれば、何故。
「魔力の流れを見た時、あなたの魔力値だけ異様に高かったのよ。…ね、メイドさん」
振り返ることは出来ないが、今彼女に剣を突きつけている人物。それは間違いなく、依頼人の貴族の元にいた茶髪のメイドのはずである。
「ご名答、そこまで行き着くは完璧だったけど私の方が先をいっていた見たいね」
「魔力の糸は終始繋がっていたはずなのに…一体どういうこと?」
「冥土の見上げに教えてあげる。直筆よ。…別のことを考えながら直筆で物を伝えればいい。それだけのこと」
魔力の糸で盗聴できるのは、あくまで思考の範囲内だけ。他のことを考えながら、その内容を伝えられる直筆であれば、盗聴を受けずにその物事を伝えられる、というわけである。
「…メイドの冥土の土産…なんてね。ありがとう、冥土ではなく現世で次実践させてもらうわ」
「な、動くなって…っ!?」
ゆっくりと振り返るティアーシャの首を、剣で切り飛ばそうとする茶髪の女。しかし、その剣はいくら彼女が力を入れようが固められたかのように動くことは無かった。
「…でも、あなたも一つ思い違いをしているわね」
ティアーシャの体が、茶髪の女と面を向く。
「私がただの人間だと思ってるってこと」
血をダラダラと流しながら、剣の刃を鷲掴みにして動きを止めている。茶髪の女の顔には剣に力を入れている苦悶と、唖然とする表情の二つが入り交じっていた。
「馬鹿なっ…」
「この世には不条理な物があるのよ、私みたいなね」
「があっ…」
ティアーシャが、空いている方の右手で作った拳を女の腹に叩き込む。
女の体勢が崩れた刹那、すかさず回し蹴りを彼女の顔に放つ。
「ぐっっ…くぅ…」
その足は女の顔面を見事に捉え、鼻の骨をへし折った。
鼻を折られた痛みは絶望的な物だ。女はその場で崩れるように座り込み、鼻を抑えて悶絶の声を上げた。
「肉弾戦じゃ、私に勝てる人間なんてざらにいないわ。諦めなさい」
「ここまで来てっ」
「っ」
女は地面の土を握ってティアーシャの顔にに向けて投げつける。一瞬、彼女に隙ができる。それを狙って女は剣を握りしめ、ティアーシャの腹に向けて剣を突く。
「目潰しは負けのジンクスがあるって知らなかった?」
剣が、ティアーシャに迫る。けれど、その剣の刃は彼女に突き刺さることなく宙を斬った。
「作戦の質ではあなたの方が上だった。けれど、運が無かったみたいね」
「…ごっ」
背後から喉に一撃。
女はそのまま白目を向いて倒れてしまった。
「…肉弾戦では勝てる人なんていないのよ。…あ、いや。五分五分の人間は居たわね」
地面にぶっ倒れた女の体を木の影に放り投げると、ティアーシャは地面を蹴った。
---
「おらおらおらおらぁ!!あたし一人にどれだけ時間かけてんだい!!武術教室にでも通い直したらどうだい!?ああ!?」
一方こちらでは、ティアーシャとの戦いとは打って変わって激しくそしてアグレッシブな戦いが繰り広げられていた。
「くっ…近寄れねえ」
「どうすんだよあのバケモン…」
目以外の顔を布で覆った山賊二人が、そうこぼした。そんな彼らの視線の先にあるのは、大剣をブンブンと振り回すナーサの姿があった。
「重戦士が苦手であろう至近距離の間合い、懐に潜り込んでも格闘技でやられちまう。けど弓はあいつに届く前に剣で落とされるし、それ以前に風圧で軌道を変えられるし…。無理だろ、あんなん」
「逃げよう、命を取られるよりマシだ」
彼らは、大剣に斬られ吹き飛ばざれ、人としての形を保てていない仲間の姿を見てきた。それを見てしまったら、抜ける剣も鞘から出てくることは無いだろう。
片方の提案で二人は尻尾を巻いて逃げることにした。己の尊厳やプライドなどよりも命あることを選んだ、おそらくは正しい選択。
「がっ…」
「っ、おい!?どうし…っ」
けれど、今の彼女の前。いや、彼女らの前では正しい選択など無かったのかもしれない。
片方が、糸が切れた人形のように地面に倒れる。そしてそれに続いてその隣の男も静かに倒れる。
「お、ティアーシャ、遅かったね」
「随分と豪快な戦い方ね、見ていて暑苦しいわ」
木の上から、銀髪の髪の毛が揺れる。足で木の枝を掴んで逆さまにぶら下がっているようだ。
「おっかしいね、初戦の筈なのに息ぴったしじゃないか」
「あら、実は初戦じゃないのかもしれないわよ?」
木の上から飛び降り、彼女は服を叩いた。
「さて、ササッと仕上げましょうか」
「ああ、やってやろうか」
ワラワラと、二人を中心に囲う様にして山賊が集まってきている。ティアーシャとナーサは互いに背中を合わせ、お互いの呼吸のリズムを合わせる。
「行くわよっ」
「言われなくてもあわせるさ」
ティアーシャが鞘から短剣を引き抜く。同時にナーサも大剣を構え直し、迫り来る山賊達を体術を組み合わせて捌いていく。
ナーサに攻撃を捌かれ、体勢を崩した敵を片っ端からティアーシャが切り裂いていく。
「ほらほら!あたしに合わせな!」
「はいはい、ちょっとくらいフリーに動かさせてくれないかしら」
剣を握った時から、お互いのやりたいこと、それへの合わせ方は分かっていた。
「ティアーシャ!馬車の方に寄るよ!あっちは結構キツそうだ!」
ナーサが倒れた馬車の方に目をやると、そこにも大量の山賊が集まっていた。
護衛の面々だけではちと戦力が足りなさそうな故、ナーサ達はそちらに交戦位置を動かすことにしたのだ。
「わかったわ、私が道を作るから背中は任せたわよ!」
それを聞き、ティアーシャは高くジャンプし木の峰を蹴って二人を囲っていた群れから抜け出し、馬車までの道を切り開いていく。
「せめてそこの奴らだけでも倒して欲しかったねえ」
ナーサは溜息をつきながら、ティアーシャの後ろを追わんとする輩を切り飛ばし、彼女の背中を追いかけていく。