第72話 --ただいま
その後は…まあ大変だった。警察に数時間取り調べを受けた時なんてグロッキーなわけで…。結局新橋の件について、彼は『逃亡』したことにしておいた、そう思い込ませた。
他にもどこから来たんだ、とか楓との関係は、とかいちいち聞かれやがんだこんちくしょう。ゆっくり休む暇もくれねえ…。
「お兄…お姉ちゃん」
「…別にお兄ちゃんでもいいんだぞ」
風呂上がりの楓がタオルで頭を拭きながら俺のことを呼ぶ。
楓の住んでいるアパート、というよりかはほとんどマンションなんだろうけど、一人暮らしするには十分なくらい広いので、とりあえず一緒に住まわせてもらっている。
「人前に出ていざお兄ちゃん、なんて呼んでみなよ…。勘違いされるって」
楓が若干呆れたような顔を浮かべる。
「まあ、喋り方については特に何も言わないけどね。今の方がなんか合ってる感じするし」
「ええー?その見た目で一人称俺はまずいでしょ」
部屋の隅の方で蛇と戯れていたソウカが会話に参加する。
「これに関してはもうひとつのアイデンティティとして、な?」
「…誇っていいものでは無いと思うのだけど、ね…」
「妹に認められて少しテンション上がってるんでしょうね。少しほっといたら冷めるわよ」
ソウカと楓が顔を見合わせてニシシと笑う。そう言えばこの二人が打ち解けたのも一瞬だったな。最初の方は蛇になれるって言うことでビビってたみたいだけど、今となっては同じ一匹の蛇の背中を仲つつまじく撫でているまでになった。
「…俺をイジって仲良くなるの、辞めね?」
少し兄として惨めな気持ちになるものである。
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「じゃあ、お休み」
「おう、明日早いんだろ?寝とけ寝とけ」
「んー」
深夜零時頃、楓が床について電気を消した。
楓は朝六時頃に起床して夜一時までには寝ている。俺は正反対で夕方の四時から六時頃に起き、昼頃に眠りにつく。
ソウカは楓に合わせて睡眠を取っている。…あれ?蛇って夜行性じゃなかったかな…?もしかして俺嫌われてる??
「さて、と」
俺はパッパと家事を済ませ、『天道』で道を作る。
「落ち着いたし、ナーサに顔でも見せるかね」
そこら辺の雑紙の裏に『少し出かけてくる』とだけ書き残して、俺は『天道』の中に足を踏み入れていった。
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「いらっしゃーい」
木製の扉を押すと広がる食欲そそる香りの幻想世界。相変わらずお腹の空く匂いである。
「空いてる席に…っておい!ティアーシャじゃねえか!!」
俺の姿を見た途端、疲れ気味のルントの顔に一気に生気が蘇る。いやはや、こういう反応されると俺も嬉しくなっちゃうよね。
「久しぶり…。いや、ただいまかな?」
若干気恥ずかしくなって目を背けつつも、俺は厨房のルントに向かって言った。
「だいぶ身長伸びたんじゃないか?…よし、こうしちゃいられないっ!店じまいだァァァァァ!!!!」
「いや、待つよ?待てるよ?ちょ、ルント?早まるなァァァァァッ!?」
ルントは厨房を飛び出し、ちまちま酒を嗜んでいた客を店から追い出し-結構力技だった-、店に鍵をかけた。
「…」
絶句。
俺を気遣ってくれるのは有難いのだが、親バカが度を越しすぎてドン引きである。
「ほら、座って座って。ナーサ呼んでくるから、適当にくつろいでてくれ!!」
柱や壁にぶつかりながら、彼は店の奥に消えていった。
…なんともせわしのない親父だこと。嫌いじゃないけど。
店をぐるりとして見回して見る。襲撃があってからしばらく経つが店はちゃんと成り立っているようだ。むしろあまり変化が見られない。
「ふう」
一息つけたのは、久しぶりかもしれない。何かとバタバタしてたからな。
ソウカを呼ばなかったのは…俺のワガママだ。久しぶりの再開って言うことで、親子水入らずで話したいことも積もりに積もっているっていうのもある。
まあ…今度楓もソウカも連れてきて、ルントに腕をふるってもらおう。楓には是非ともナーサ、ルントの二人、俺の両親に会って欲しい。
「…ティアーシャ」
「あ、ああ。ナーサ」
噂をすれば、ナーサの登場だ。薄汚れた作業着のまま、右手に工具を握りしめた状態でのご登場、ほんとに今の今まで作業してたんだろうなって格好である。
「ただいま」
「…おかえり」
彼女は汚れた裾で目元を拭った。
「泣いてるの?らしくない」
「な、泣いてなんか無いさ。少し眠いだけさ」
「声が震えてるんだよ」
少し奥からこちらの様子を眺めているルントと目が合って互いに微笑を浮かべる。
そんな泣かれたらこっちだって涙腺が緩むじゃねぇか。全く…。
「…その顔、全部やりきったんだね?」
「…。ああ、全てを。何もかも全部やりきったよ」
「そうかい」
ナーサは、一言だけ返して俺の対面の席に座った。
「これから、どうするんだい?」
そして、そう言った。
彼女に取っては何の変哲もない、ただの質問だったのかもしれない。が、俺の心の臓がキュッと締め付けられるような感覚に陥った。
「…どうする、かあ。どうするんだろう」
一心不乱に、成し遂げたい目標に向かって進んでいた為か。その目標を達成してしまった後に残るのは達成感と虚無感。何を目標にして生きていけば良いのか、分からなくなってしまったのだ。
「さてはやりきってしまって何をすればいいか分からないっていう顔だね?」
ナーサがニヤリと眼光を光らせた。相変わらずの読心術っぷりだよ。
「図星だよ」
「そんなこったろうと思ってたさ。…何かをしなければならないっていうことはないさ。ゆっくり、そして気ままに生きていけばいい。冒険者として、旅に出るのもいい。何か新しいことを見つけに行ってもいい。あんたの人生なんだ、そんな大掛かりな目標じゃなくても小さなやりたいことからでも、しっかりと見つけてやって行きな」
「…うん」
ナーサの、母親としての意見だった。その暖かな表情からは母性、そして愛情をひしひしと感じる。
「さ!とりあえずなんか食おう!!ほら、ルント!飯と酒だよ!!」
「あいよ!!…相変わらず旦那の扱いがひでえや」
「なんか言ったかい?」
「いいやなんにもー??」
相変わらずの、仲つつまじい夫婦である。
「あ、そうだ。これ土産」
俺は手元に小さな『天道』を開き、その中から一升瓶の日本酒をデン!と取り出した。
「…へ?」
ナーサが今までに見たこともないくらいのアホズラを見せ、目を白黒させている。
「あ、あんた、それ今どっから取り出したんだい?」
「ん?ああ、言ってなかったっけ。これ、『天道』」
試しにナーサの背中に『天道』の出口を作り、それを通して肩をちょいちょいとつついてみせる。
「っ!?」
「これを通って、俺の元いた世界とこの世界を繋げられるんだよ。…まあ、初回限定めちゃくちゃ大変だったけど」
「また…そりゃ規格外の大変な力だよ、それは」
未だ目をぱちくりさせつつも、しっかりと差し出した一升瓶は受け取っている。…やはり酒好きなんだなって。
「まああたしら以外にはあんまり見せない方が良いと思うよ。そんな力持ってるのがバレたら奪い合いの殺し合いに発展しかねないからね」
「はなからそのつもりだよ」
軽く苦笑して、再び『天道』から三つ。一升枡を取り出す。
「…?その木の箱は?」
ナーサがそれを、まじまじと見つめている。
「これは一升枡って言うんだよ。俺の世界のもん。その酒は普通に飲んでもいいんだけど、これに注いでもオツなもんなんだよ」
「あんたの所は木の箱に酒を注ぐのかい?不思議な国だねえ」
「まあ全部が全部じゃあないけどな。なんかこれだけ特別?って感じみたい」
ルントも席に着いたところで俺たちは晩酌を始めた。
「へえ、良いじゃないか」とか「美味いな、この酒」とか。中々に好評だった。
升の角に塩を盛る飲み方も教えてみたが、これも中々に好評だった。ほんとに、塩を肴に酒を呑む、なんて誰が考えたんだろうな。
「んで、あんた妹さんには会えたのかい?」
「…ああ、もちろん。でなきゃノコノコこっちに戻ってこないよ」
俺は軽い苦笑を交えつつ、続けた。
「少し落ち着いたら、楓と遊びに来るよ」
「ああ、いつでもおいで。…ところでその『天道』って言ったかい?その力は一体どこで?」
俺がちょくちょく『天道』から物を取り出す度に、ルントとナーサは目を白黒させている。
「こいつは…まあ神様から譲ってもらったって感じかな。そこにたどり着くまでにめちゃくちゃ時間がかかったけど」
嘘では無いからな。ぶっちゃけ真実だし。
「まあ、一番大変だったのはこの世界からあちらの世界に移動する時だったけどな」
「…つまり?」
ルントが興味津々な表情で食いかかってくる。
「簡潔に説明すると、あちらの世界とこちらの世界の時の流れが違うんだよ。実際、こちらで五年経った時あちらでは一年しか経っていなかった」
「つまり四年近いズレがあるって事かい?」
「そう。だから俺は神様の力を借りてその時間のズレを統一したんだ」
「時間のズレを、統一…?」
あー、ルントさん完全に理解が追いついていない様ですね。ナーサさんは着いてこれているので続けますが。
「それを無理矢理合わせたモンだから『天道』を通った俺達の存在にもズレが生じたんだ。俺は『体が幼児化して、記憶がすっ飛んだ』。ソウカは『体を蛇化させた状態から人間体に戻ることが出来なかった』だな。あらかじめ時間が経過すれば元に戻る、って聞かされてたけど、あと少しでも遅れてたら色々と危なかっただろうな」
『天道』をじっと見つめる。
「なんとも大変なことしたんだねえ」
「…。まあね」
ぐっと日本酒を喉に流し込む。
むせた。