第67話 試練の幕開け
しばらく、その部屋で休みをとり--干し肉は不味かった--俺達は再びダンジョンの最深部を目指して歩き始めた。
「あっ」
数分歩いているところで、アイビーの矢筒の紐を止めていたボタンが後方に弾け飛んだ。
「大丈夫か?」
「ええ、大丈夫。長いこと使ってたし…」
背中からズレた矢筒を抱えつつ、彼女は慌ててそのボタンを回収する。
「…アイビー?」
「…いえ、なんでもないわ。先を急ぎましょう」
「つってもそれじゃあ矢筒として使えないだろ。貸してみ」
俺はアイビーからボタンと矢筒を受け取り、その場に座り込んだ。
辺りから小さな小石を広い上げ、魔力を通して細い縫い針の形に変形させる。そして一本、自分の髪の毛を抜いてそれを糸に変化させ縫い付ける。
こうした小さな道具なら媒体となる物があれば、魔力を通せば作れてしまうから便利なものである。流石に戦闘用具までは作れそうに無いけど。
「はあ…口調は男なのに手先は器用なものね」
アイビーが皮肉混じりに関心した目でこちらを覗き込んできた。
「褒めてんのか皮肉ってんのかわかんねえぞ…。ほい、出来た」
最後に糸を結んで切って、直した矢筒を彼女に向かって放る。
「ありがと」
「ティアが縫い物出来るの意外なんだけど…」
「まあ、妹と二人で暮らしてた時あったからな」
「ティアーシャさん妹いたんですか!?」
「うおっ!?」
スカーナが目をキラキラさせて割り込んできた。
「聞かせてくださいよ!!その妹さんのこと!!」
「…歩きながらな」
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「ほへー、カエデさんって言うんですか」
「詳しく話すとややこしくなるからこんくらいな」
「いえいえ、ありがとうございます。…それにしてもティアーシャさんは、そのカエデさんを相当大切にしてるんですね」
「まあただのシスコンなんだけどね」
「やかあしいやぃ!!」
シスコンの何が悪いんだこんにゃろ。
「人を大切にする事はいいことだろ!!」
「…の割に人間に襲われたら容赦なくぶっ殺す癖に…」
「これでも昔は人に傷つけることすら出来なかったんだぞ」
「嘘でしょ」
「嘘じゃないわい!」
そう考えると、あの時の情弱だった俺を変えたのは、ナーサの村に起きた盗賊達の襲撃だったのかもしれない。
あれのおかげで、俺は自分自身の殻を破ることが出来たのだから。何とも皮肉な話だけどな。
「っ…?」
突如、ツンと鼻を擽る生ぬるい匂い。この匂いは…。
「血の匂いがする」
「…え?…あ、確かに」
俺がぼそりと呟くと、ソウカもそう言って合わせてきた。
「吸血鬼は血に敏感ね」
「そういう生き物だからな。…解析者」
『はい。…百二十メートル程先に多数の生命体を検知しました。生命体の種族は、恐らくホブゴブリンかと』
「わかった、ありがとう。…解析者曰く、この先にホブがいるらしい。結構数いるみたいだから、気をつけて」
俺は解析者の言ったことを三人に伝える。三人は真っ直ぐな眼差しをこちらに向けて、頷いた。
ここらでようやく肉体を持った生き物、か。ゴーレムなりトラップなりは倒したり回避したりしても吸血によるステータスアップが不可能だから厳しいものがあったのだ。
それに…。
「ようやく、喉の渇きが癒せそうだ」
食事だけでは満たされない、種族としての本能から来る欲求を満たすことが出来そうだ。
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「らっ!」
三メートルはあろう巨体を持つホブゴブリンの背中に飛び乗り、うなじを短剣で掻っ切る。
「っ」
視界の端から迫り来る巨大な棍棒。倒したゴブリンを踏み台にして宙に舞い、棍棒を回避する。それと同時に太ももに装着してあるベルトにしまわれたダガーナイフを取り出し、棍棒の所持者に向かって投げつける。
「グッアアっ!?」
それは標的の目に直撃。痛みでのたうち回っている内に、助けにやって来たのか、もう一体のゴブリンに【雷電】を放って動きを完封する。
ここまで、約二秒。地面に着地し、ダガーを目に受けたゴブリンと電撃で痺れたゴブリンの喉笛を切り付ける。
「ティアーシャ!」
「んっ」
アイビーの声を聞き、軽く頭を後方に逸らす。そのコンマ数秒後に目と鼻と先程の距離を掠める彼女の弓矢。
「グギャッ!?」
その矢は俺の横側にいたホブの額を綺麗に射抜いた。
「さあ、行きなさい!」
声のする方向に視線を向けると、ソウカが自分の体から大量の蛇を生み出していた。
生み出された蛇達は一斉にゴブリンに飛び掛り、牙を突き立てた。
噛まれたゴブリンは数秒後にやがて動かなくなり、泡を吹いて白目を剥いていた。ソウカの十八番の毒牙である。毒の耐性を持っていなければほんの数秒で動けなくなってしまう恐ろしい毒である。
「どりゃぁぁ!!てぃぃぃ!!」
さて、一方のスカーナはどうかと言うと。
「でいりゃぁぁ!!きぇぇぇ!!」
変な声を出しながら錫杖を振り回してゴブリン達を殴打していた。それも威力は絶大なようで、頭に当たれば一発KO。それ以外の部位に当たっても吹き飛んで相当なダメージを与えていた。
「それ杖じゃなくてメイスだろ…」
てっきり魔法やらなにやらで戦うのかと思っていたが、思っていた以上に肉弾戦タイプなようである。
錫杖と合わせてどっからともなく取り出した金剛杵でも殴りつけている。二刀流である。
「ああ見えて本領は近距離戦闘なのよ…。その苦笑が出るのも仕方ないわ…」
通りでおかしいと思ったのだ。スカーナが魔法職だとすれば、弓を持つアイビーと組むのはバランスが悪い。
「つまりスカーナが近距離戦担当、アイビーが後方支援担当でやってきたと?」
「ええ」
「…なるほど」
てっきり完全に非戦闘キャラだと思ってたぞ。
「ティア…なにあれ」
「さあ、な」
ソウカが目を丸めながら見ているものから視線を逸らす。なんか、これ以上見たら優しい神官のイメージ崩壊しそうなんですわ。はい。
「こちらも終わりましたよー。…ってなんで視線逸らしてるんですか皆さんっ!?」
「いや、ちょっと土埃が」
「嘘ですよね!?」
アイビーに泣すがるスカーナを尻目に、俺は息絶えているホブゴブリンの横に腰を下ろした。
「…こっちも生きるためだから、な」
そしてその首元に己の牙を突き立てる。今の今まで生きていた生き物の血だ。少し塩味のある、濃厚な液体が喉の乾きを潤していく。
「ぷはっ…んむっ」
足りない。もっと、この欲望に埋もれたい。
無心で、ただただ本能に忠実になって血を吸った。
久しぶりの吸血というのもあって、全くもって歯止めが効かない。喉を伝って体に染み渡っていくこの感覚を、ずっと感じていたい。
「ティ~ア~。戻って来なさい」
「…へ?」
ポンと肩を叩かれ、ふと我に返る。深い深い海に沈んでいる最中に急に引き上げられたようなそんな感覚。
「…あ。ごめん、ありがと」
「気にしないで」
俺は口元を軽く拭って、そっと息をついた。
「こりゃ、定期的に飲んどかないと自分で止められそうにないや…」
「本能なんだから仕方ないとは思うのだけど…?」
ソウカも俺の吸血鬼としての血を持つとはいえ、元の蛇女としての血が濃ゆいはずだから、吸血衝動はそれなりに抑えられているのだろう。
「こうして見ると、改めて吸血鬼なのねって実感するわ」
アイビーが少し離れた所から声を掛けてきた。
「あとは陽の光と水がNGだから、それ系のトラップにかかったら誰よりも先にリタイアになるぜ?」
嘲笑気味に笑い、俺は短剣を手に取ってホブゴブリンの首に刃を入れる。
「…それはなんのために…?」
スカーナが不思議そうな顔で覗き込んできた。
「これは念の為にって思ってな」
懐から四本の小瓶を数本取り出して刃を伝って滴る血液をそれに入れていく。
「二人とも多分ポーション持ってるだろ?」
「ん?ええ、私は回復のポーションを多めに」
「私は魔力回復と回復を半々くらいですね」
二人が二色のポーションを取り出す。
「吸血鬼に取って、それあんまり意味無くてさ。むしろ回復のポーションは害になることが多いんだよ。その反面、こうして血液を小瓶に入れとけば魔力も体力も回復できる万能薬代わりになるってこと」
コルクで蓋をして、二本をソウカに。残りの二本は再び懐にしまう。
「ソウカは多分普通のポーションでも大丈夫だと思うけど、こっちの方が安上がりだし、な?」
「うええ…あんまりゴブリンの血は飲みたくなかったのだけれど…」
「大丈夫。俺は慣れた」
「そういう問題じゃないのよ!」
俺は高々とサムズアップして軽くウィンクしてやった。慣れれば病みつきになるぞ。まあ…人間の血には遠く及ばないが。
そうやってゴブリン達の死体のそばを歩いていると、地面に食い散らかされている大量のネズミの死骸が散乱していた。おそらく俺が感じ取った血の匂いはこれなのだろう。ゴブリン達も、ほとんど食料がない状態で飢えていたという訳か。
足を持ち上げ、一歩踏み出す。パリパリと子気味いい、よく乾いたネズミの骨が折れる音がする。
『この先にも多くの生物がいます。心して進んでください』
「…ああ」
錆にならぬよう、短剣にこびり付いたゴブリンの血痕を拭っておく。磨かれた短剣は、輝きを取り戻して再び鞘に収まった。
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その後も順調に攻略が進んでいた。俺が斬り、ソウカが蛇を操り、アイビーが弓を撃って、スカーナが殴りつける。そして倒したモンスターの血を吸って、新しい力を身につけていく。
そうして辿り着いた、ドーム状の天井の高い巨大な部屋に。
「またゴーレムが湧いてでるんじゃあないでしょうね?」
アイビーがそこらの小石を拾い上げ、部屋の中央に向かって投げつける。
石の転がる音が反響し緊張が走るも、特に何も起きず四人はほっと息をつく。
「にしても、この部屋に今来た道しかないってことは?」
終点、または道を間違えたか。
俺はよくトラップが無いかを確認し、部屋に一歩踏みこむ。
「とりあえずは大丈夫。念の為に俺の後ろを着いてきて」
残りの三人は頷くと、俺が通った所の後ろを着いてくる。
「これは…?」
部屋の中央に配置されたオブジェクト。石で作られた巨大な杯のような物がぼんわりと、エメラルドグリーンの光を放っている。
「なんかそれっぽい雰囲気じゃねぇか」
俺はトラップ類の類が無いかどうか、目を凝らして周りを見回す。
そして、光を放っている杯の上部分にそっと手をかざす。
「…」
じんわりとその光は輝きを失い、やがて消えていった。
刹那、蹴飛ばされたかのような巨大な振動が発生し、地面に杯を中心として柴色の巨大な魔法陣が展開される。
「んなっ!?」
解析者の解析を通して見える視界には、その魔法陣が黄金色に輝いて見えた。それはつまり。
『接触起動型のトラップ…っ!?』
誰かが手に触れてから機能をするタイプのトラップということ。
『早く!逃げてください!』
「ああ!!」
俺は翼を広げ、三人の手首を掴んで出口へと向かう。
しかし俺達が入ってくる時に使った扉は、それがまるで蜃気楼であったかのように揺らいで消えてしまった。
「なっ!?がっ…」
「ティアッ!?」
勢い余って壁にぶつかり、壁伝いに墜落する。
「いっつつ…」
「皆、来るわよ!」
アイビーの声に、緊張感が走り皆の顔つきが変わる。それぞれが各々の武器を取り出して、魔法陣に向かって構えを取る。
「っつつ」
俺は急いで立ち上がり、続いて短剣を構える。
「来るわよっ」
刹那、とてつもない衝撃が発生してぶ厚い土埃が舞う。
「魔眼っ」
左眼に魔力を注ぎ、魔眼を通して土埃の奥の魔力の流れを見る。
「アイビー!二時の方向と、十一時の方向にそれぞれ二体ずつ敵っ」
「わかった!」
俺が指示を出すと同時にアイビーが矢をつがえ、弓を射る。
四本中三本が、魔力源に命中。残る一体にダガーナイフを投げつけ、四体の魔力の反応は無くなった。
「ちっ、かなりの量が来てるぞっ」
思わず舌打ちを挟む。
土埃が晴れると、その先には数え切れないほどの部屋いっぱいのモンスターが溢れかえっていた。
ゴブリン、因縁の蜘蛛こと『コブナントスパイダー』、骨の兵士ことスケルトン、トカゲの様な見た目をした兵士、牙を向いている大量の蝙蝠などなど、数多のモンスターが出現している。
「ヤバくなったら言え!お互いにお互いを守りつつ、殲滅する!」
「「分かった!!」」「分かりました!」
無言で俺とソウカ、アイビーとスカーナがペアになり、近距離は俺とスカーナが。中遠はアイビーの弓とソウカの蛇で対処していく。
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「…はあっ…はあっ…」
何十分経過しただろうか。いや、数時間は経っているのかもしれない。
大分モンスターの量が減ってきたのに比例して、俺達の体力も大幅に削られていた。
既に俺は一本、先程作った瓶詰めの血のポーションを飲んでしまっている。
「ぐっうあっ!?」
突如、首筋に激痛。
視線を向けると、首に牙を突き立てて吸血をする蝙蝠の姿がそこにあった。
「共食いはっやめとけよって」
短剣を突き刺して、蝙蝠の体を引き剥がす。
「これで…最後の一体っ」
カラカラと、乾いた音を立てながら歩み寄るスケルトンを拳でぶん殴って破壊する。
「はあっ…はあっ…」
とりあえず、今いるモンスター達は全部倒した。こっからどうなるか…それによっちゃあ大きく状況は変化するだろう。
「っ…」
そして再び輝き、現れる魔法陣。また同じ量が来れば、かなりキツイのかもしれない。
地面に手を着いて、立ち上がる。剣にこびり付いた血を拭い、額に浮かぶ汗を軽く拭く。
他三人も戦闘を終え、俺の元へと集まってくる。呼吸を整え、魔法陣からぞろぞろと現れるモンスターに体を向ける。
「…ん?」
今回も、先程と同じように魔法陣の中から大量のモンスターが湧き出ているのだが…。一つ、その中心にさっきまで無かった黒いもやが漂っていた。
「…あれは」
目かと思われる二つの赤い光が俺達を、いや俺を睨みつけた。と、その刹那その周りを覆うように漂っていたもやもやは勢いよく弾け飛ぶようにして散り、その姿を顕にした。
「なっ!?」
「はあっ!?」
この場にいる全員が、目を丸くして言葉を失っていた。なんなら俺に至っては五度見くらいしたかもしれない。黒いもやが晴れたその先に立っていたのは…。
『始めようか?…俺』
「…お、俺が二人…」
姿形何一つ違わない俺がそこにいたのであった。