第59話 記憶の断片
テンシアがアイビー達に拾われて数日が経過した。
「取ってきた薪、置いておきますね」
「うん、ありがとう」
「火をつけるのはお任せしますね」
大分彼女も環境に馴染んできたようだ。アイビーともスカーナとも仲を育めているようである。
しかし、そんな彼女も唯一避けている人物がいるようだ。
「飯まだか?」
それは筋肉男こと、スディである。一言で彼を表すのであれば『暴君』。自分では何もしない癖に他人にあれやこれやとやることを指示する。
「少しくらい手伝ったりとかはしないの?」
アイビーがため息をつきつつ、薪を並べる。
「私達はやることがありますから、ご飯はご自分でお作りになってください」
スカーナもそんな彼に目すら向けようとせず、アイビーを手伝う。
実際、アイビーとスカーナはスディとパーティを組んで長いという訳では無い。今回、たまたま利害が一致したという訂でパーティを組んだわけだがそれ以上の関係でもない。しかし弓を扱うアイビーと法術を扱うスカーナだけではどのダンジョンに行こうにも限界というものがあった。そこで近距離戦を得意とするスディを雇ったわけなのだが。彼女達は今少し後悔していた。
「じゃあその…テンシアだったか?にやらせれば良いじゃねえか」
けっと悪態をつくスディ。その発言に対してアイビーとスカーナは鋭い視線を彼の元へ向けた。
「テンシア、あんなやつの言うことなんて聞かなくて良いわよ」
「…聞くだけ無駄です」
「で、でも…」
三人の中間にいるテンシアはあたふたと全員の顔を伺う。
「…ふぅ。アイビー、私達は魚を取りに行ってくるので、あとはよろしくお願いします」
「そうね、ゆっくりで良いわよ」
アイビーはスディから視線を外し再び視線を自分の手元に戻す。スカーナは服に着いた土を払いながら立ち上がりテンシアの手を引いた。
「少し、川辺まで行きましょうか」
ぱちんとウインクしてテンシアの腕を引き、彼女は小走りでその場を離れた。記憶の無い、言ってしまえば空っぽの少女にこれ以上悪影響を与える訳にはいかないと踏んだのだろう。己というものが確立させている者なら大したことはないのだろうが、それがない彼女はなんでも吸収してしまうだろう。それはストレスになりかねないし、そもそもの人格すらを潰してしまう可能性だってある。
「ちょっ、スカーナさんっ!?」
「ほらほら、さっさと行くわよ!」
腕を引かれ、スカーナの楽しそうな表情を見て、彼女の口にも綻びが生まれた。
「ほら、取れなかったら夜ご飯はパンだけよっ」
「ええっー」
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魚を取る、と言っても釣竿を使ったりましてや素手で掴んだりと、そういうことをして取る訳ではなかった。
「…自然の恵に、感謝を」
スカーナが錫杖を突き出し、両腕を流れの遅い川へと向ける。
「わあ…」
すると彼女の手のひらにやや白みがかった魔法陣が生まれ、同様なものが川の水面にも出来上がる。
「はっ」
そして魔法陣を繋ぐようにして、それを引っ張ると大量の川の水と共に十数匹の川魚が宙を舞った。
一瞬、時が止まったかのように。芸術のようなそれは再び動き始め魚達は二人の足元に打ち付けれるようにして降ってきた。
「わぶっ!?」
「きゃっ!?」
テンシアがそれを目を輝かせて見つめ、スカーナは無い胸を張っていると、数秒のラグを経て魚と共に舞い上がった水が二人に降り注いだ。
「…」「…」
びしょ濡れになったお互いを見つめること数秒間。
「くすっ」「ふっ」
森の中に、透き通るような二人の笑い声が響き渡った。
「あはっ、あはははっ。な、なんなんですか、今のっ」
テンシアは腹を抱え、笑った。
「…ちょっと失敗しちゃったねっ」
てへへへっと笑うスカーナ。そして数秒後、柔らかな笑みを浮かべテンシアの元へ近づいた。
「笑った方が、素敵ですよ」
「え?」
スカーナの言った意味が理解出来なかったテンシアは思わず首を傾げる。
「ずっと暗い顔してましたから。そういう人なのかなって、でもやっぱり笑顔の方が素敵ですよ」
「そ、そんな暗い顔してました?」
どうやら本人も無自覚だったようだ。ここ数日で、彼女は愛想笑いくらいしかしていない。スカーナはそんなテンシアを見て彼女なりに気にしていたのだろう。
まあ、つい数日前に覚醒した者にそんなホイホイ笑えだなんて言うのも無理があるのだろうが。
「人間、笑顔が一番。笑顔に勝る綺麗な顔はないですからね!」
スカーナはテンシアのびしょ濡れになって顔にかかった髪の毛を掻き分け、ニカッと笑った。
「…そうですね」
一瞬、間を開け彼女もふうわりと笑った。
「いい笑顔なんですから、もっと笑っ……、へっくし」
「…」
雰囲気、ぶち壊しである。
「…帰って、とりあえず体拭きましょうか」
「…そうだね…」
鼻水を垂らしながら、スカーナは川岸に転がっている錫杖と魚の尾を掴んで回収した。
「こんなので風邪引いてたら洒落にもなりませんね」
「…はは」
それでも笑顔を絶やさないスカーナだった。なぜそこまで彼女が笑顔にこだわるのか、それは彼女の口から語られるのを待つとしよう。
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「なんで二人ともそんなにびしょ濡れなのよ」
「…えへへ」
帰るなり、アイビーの深いため息が放たれる。スカーナはいたたまれないように目を逸らした。
「…はぁ、とりあえず体拭きなさい。…というか、なんでテンシアまで濡れてるのよ…?」
スカーナの後ろを歩くテンシアを見て、アイビーはスカーナの二の腕を鷲掴みにした。
「ひぃっ」
「あなたの聖術もどきの精度が悪いのは知っていたけれど…ちょっとお話しましょうか??」
こめかみに青筋が浮き出、アイビーの顔が引き攣る。
「…あ、えっと、スカーナさんはーー「大丈夫、私がきっちりシメとくから。テンシアは体拭いてなさい」…ええー」
テンシアがなんとも言えない表情を浮かべる。なんとか弁護しようとしたのだろうが、それをする前にアイビーに止められてしまう。
「タオルとかはテントの中にあるから、好きなの使っていいわよ」
「離してぇ!!アイビーぃぃぃぃぃぃぃ!!」
ジタバタと暴れ回るスカーナを片手で抑えながら、アイビーはもう片方の手でテントを指さす。
「わ、わかりました…」
「さ、スカーナ。あっちでお話しましょうか」
「やだぁぁぁ!!」
テンシアがテントに向かう後ろでスカーナの悲鳴が途絶えた。一体全体何が起こっているのだろうか…。
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「暗いな」
ぽつんと暗闇の中に立つ一人の女。俺である。
立っているのか、浮いているのか。どっちが上でどっちが下なのかすら分からない。
「…『解析者』」
「はい」
ぼそりとその名を呟くと、紫色の淡い光を放ちながら俺と良く似た姿をした『解析者』が俺の目と鼻の先ほどの距離に現れる。
「ここは…?」
いつの間にか、俺はここにいた。いくら進んでも、その暗闇が途切れるようなことは無かった。
「ここは、あなたの魂の中、と言えば良いでしょうか?」
「魂の、中?」
「ええ、ですからこの景色はあなたが希望通りの形に変化しますよ」
「…?」
とりあえず「明るくなーれ」と念じて見る。
「お」
するとすぐに暗闇は晴れ、真っ白な明るい空間が出来上がる。
「…言ったでしょう?」
「…そうみたいだな」
俺が椅子と机とコーヒーを望めば、その場に椅子が添えられたコーヒーの乗った机が出来上がる。
俺と解析者は無言で椅子に座り、コーヒーの入ったマグカップ片手に顔を合わせる。
「あー、ってかなんでこうなったんだけっけか…」
思い出そうとするとツキンと頭に痛みが走る。
「覚えていないのですか?」
「いや、なんか断片的には覚えてるんだけど…それが繋がらないというか」
それは映像のフィルムを一コマ一コマ切り離してバラバラに混ぜた、という感じ。
「…そうですか。…ならそのままでいいでしょう」
「え?」
解析者は湯気の立つコーヒーを冷ましながらチビチビとそれを口にしていた。
「あなたがここにいることになった要因、よりもあなたがここに来てしまったことにより発生した要因、の方が大変なんですよ。それを話してから、前者は教えます」
「俺がここに来たことによる要因?」
「ええ、単刀直入に言いましょう」
一呼吸、間をおいて解析者は言った。
「あなたの体に、新しい魂が宿ったのです」
「…。へ?」
思わず素っ頓狂な声が出た。解析者から見たら、俺はさぞかし目を白黒させている事だろう。
「新しい、魂?」
「ええ、新しい魂です。…簡単に説明しましょう。今、私達の魂がいるこの場所を裏、あなたの魂が今まであった場所を表としましょう。あなたは意識を失いその衝撃で魂が裏まで引いてしまった。そこまでならただの意識の無い状態なのです」
「ふむ」
それじゃあ俺が意識を失っている時、なにも意図せずとも俺の魂は裏へ来ている、ということになるのか。
「ですが、今回は何故かあなたの魂がこちらに来たと同時に元々こちらにあったであろう魂が表へ入れ替わってしまっているのです」
「…元々裏にあった魂?」
「今まで私も気づきませんでした…。恐らく裏の奥底で隠れていたのでしょう。そしてあなたの魂と入れ替わり、今は表で活動している」
「…な」
つまり今、俺の体は表では俺ではない誰かの魂によって動かされている、ということになるのか?
「…俺が表に戻る方法は?」
「今表にいる魂が、あなたのことを認知し表に出ることを許可すれば前の私のように魂単体で外に出ることは出来るでしょう。…ですが、もって一分。慣れていないあなたであれば三十秒が限界でしょう」
「…俺が表に戻って体の所有権がこちらに返えせるような方法は?」
「正直、表にこちらから干渉することは難しいかと。…けれどチャンスなら」
「チャンス…?」
「はい、今の表の魂がこちらに引いてくればその隙に体の所有権を剥奪できるかもしれません」
「それはつまり、表の魂が意識を失えば…」
「そういうことになります。しかし、今回魂が入れ替わるなんて事が起きたことすら奇跡じみたことなので今はなんとも…」
「んう…」
今、俺が確実に表に戻ることが出来ることができる方法はないという訳だ。さて、はて、どうしたものやら。
「ソウカには迷惑かけちまうな」
「っ…」
解析者の持つマグカップの手に力が篭った。ほんの数秒、そのまま動きを止めそのまま音を立てずにマグカップを机の上に置いた。マグカップで隠れていた解析者の目元はなんともいえない曖昧な表情が浮かんでいる。
「…落ち着いて、聞いてくださいね」
「?」
一呼吸、ゆっくりと息を着いてから彼女は口を動かした。
「あなたが意識を失った原因、魂が裏へ閉じこもった原因はーー」
「ソウカです」
空間が凍りついた、そんな錯覚に陥る。
「…どういう事だ」
「百聞は一見にしかず、ですね。私があなたの記憶を修復しますから、きちんと思い出してください」
解析者は椅子から立ち、こちらの脇へと移動して俺の額にそっと指先をあてがった。
「っ」
その瞬間、バラバラだった記憶のフィルムは何かに導かれるようにして繋がり始めやがて一つの記憶に結合した。
「修復しましたよ。これで全部、思い出せるはずです」
ぼんやりと、脳裏に映像が写り始める。
記憶が壊れていたのは、俺がその現実から逃げたかったからかもしれない。だけど、今はそれに正面からぶつかってやらないと。
この記憶に、何か表に戻るか鍵があるかもしれない。
そうして俺は、繋がった記憶のフィルムを読み込むのだった。