第58話 吸血鬼の魂
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乾いた落ち葉を、軽快な音を鳴らし踏みしめる音。
その音にズレがあることから二人以上。
「…あの情報屋のババア…、本当にこんなところにあんのか…?」
一人、男の声。上裸でやけに筋肉質なその男の背中には到底片手では持てなさそうな大剣が背負われている。ズボンは少し大きめで足首辺りで一番緩くなっている。そして筋肉質なその体によく似合うスキンヘッド。とても光を反射している。そのままソーラーパネルにでもなれるんじゃないかと言うくらいに。
一方の女は神官、とでも言った方が手っ取り早いだろうか。薄紅色のロングヘアにおっとりとした大きめの瞳少しふんわりとした白、藍、黄を基調とした絹製の服を身につけそのあちこちに様々な神具が装備されている。そしてその手には錫杖が握られている。和洋の宗教を合わせて二で割ったような、そんな格好である。
もう一方の女は、所謂耳長族という者だろう。何よりも特徴的な横にぴょんと伸びた長い耳。ブロンド色のロングヘアを所々編み込んであり、これまた絹で作られた黄緑と白を基調とした所々に装飾が施してあるゆったりとした服を身につけており、背中には矢筒とそれを射る為の少し長めの弓。そして腰には腕の長さほどの剣が差されている。
「…私もお金出したんだからね?」
「私もです…」
「あーうるせぇなぁ!そのダンジョンさえ見つかれば俺達は大儲けなんだよ!」
願いを叶えるとされる『神石』があるとされるダンジョン。それを彼らは探していた。世間一般的にはまだ見つかっておらず、それを見つけ攻略した者が『神石』の力を独占できる。と、言われている。
多くの冒険者達が探すのを投げ出したくらいなのだ。たった三人ぽっきりで見つかったらそれはそれで奇跡である。にも関わらず、情報を売っている情報屋にその情報が正しいという確証もなく大金叩いてその場所を探しに来ているのだ。
「脳筋は服装だけにしておきなさいよ」
「うるせぇ!!」
そんな風に彼らが口論を繰り返している内に、ピタリとエルフが足を止めた。
「…ん?おい、どした」
脳みそ筋肉んが足を止めたエルフの顔を覗き込む。
「…、血の匂い。それもまだ新しい」
くんくんと鼻を動かし、空気中に溶け込んだ匂いを探すエルフ。その微かな匂いを頼りに、エルフはゆっくりとその方向へと足をうごかす。
「お、おい」
「何か見つけたようですね」
神官も脳みそ筋肉んも、おぼつかない足取りで進んでいくエルフを追いかける。
「…」
しかし、突然足を止めたエルフに激突した筋肉ん。その場で尻もちを着いてしまう。
「いって!急に止まるなよっ」
彼は地面に手を着いてゆっくりと体を起こす。
「うわ、汚ねぇ。ぬかるんでるじゃねぇか」
手を払おうとするも、そこについた汚れはそう簡単に落ちることは無かった。
なぜならそれは泥では無いから。
男は視線を己の手のひらに移す。
「う、うわっ!!これ、泥じゃあねぇ!!」
そしてその瞬間、その場で飛び上がった。彼の手に着いていたのは泥では無い、まだ乾いていない血液だった。
「きゃっ」
神官が高い声を出して目を塞ぐ。エルフ達が何かと、神官が指さすその方向に目をやる。
「なっ…」
「な、なんでぇこりゃ…」
その先に広がっていたのは地獄のような惨状。馬車が数台ひっくり返っており、あちこちに野盗のような格好をした人間が血を流して横たわっている。
「ひ、ひでぇ…」
その死に方は無惨なものだった。四肢がバラバラになっている者もいれば頭が潰れている者もいる。
「一般人もいるぞ…」
その中には山賊の服を着ていないごく一般的な格好をした者もいた。どちらにせよ、ほぼ全ての者が息を引き取っているのだが。
「…皆、死んでるのか…?」
「うっ…」
神官がその場に膝をついて胃の内容物をぶちまけた。こんな惨状を見て、そうならない方が可笑しいのである。脳みそ筋肉んもエルフも今にも吐きそうにしている。
「…ん?呼吸音が…」
そんな中、エルフの耳がぴくぴくと上下に振れ音を聞きつけた。静まり返った森の中に唯一彼ら以外の呼吸音を耳にしたのである。
「生きてる人か?」
「…ええ。気を失っているみたい」
エルフがその呼吸音の音を辿り、そこで膝をつく。そこにいたのは頭を打ったのだろうか、木の幹に体を預け額から血を流し首を垂れている白銀の髪を持つ少女だった。
「頭を打ったのね…。ちょっと待って、回復魔法を」
エルフは右手を少女の額に当て、己の魔力をそこを経由して傷口へと流す。
人間より魔力量の多いエルフは魔法に長けている。エルフは風魔法や回復魔法との相性が良い。この三人の中でも、魔力量の面ではトップだろう。
「っ!?」
しかし、そんな彼女の回復魔法は少女によって弾かれた。上級の回復魔法では無かったのが幸いしたのか、エルフは無傷で済んでいた。
「…回復魔法が、弾かれた?」
今度はエルフが魔力を通していない手で彼女の額に触れ、その白銀の前髪をかき上げた。
「魔力が通らないのかしら?」
エルフは顎に手を当て少し考えた後、己の服の袖を破って包帯の代替品として少女の頭へ巻いた。
「とりあえず、少し離れてキャンプしましょう。…あんまり、長居して良い場所じゃない」
「…そうだな」
「…」
この遺体の量を処理する、というのは流石に無理があった。精神的にも肉体的にも。赤の他人である彼らがそれをする義務もない。
「よいしょっ…」
エルフは少女を前で抱え、神官と筋肉男の後ろを追いかけようとした。
「…ん?」
しかしそこで、彼女は地面に何かが引きずられたような跡を見つけてしまった。それは一つでは無く、いくつもその跡が重なっていた。
「なんの、跡?」
その跡が続く先を目で追うと、その先は低い木々が生い茂った場所だった。
「っ…やめておいた方が良さげね」
一瞬、彼女の考えにそこを見に行く。という選択肢が生まれたがそれは彼女の、確証の無い勘によりそれは阻まれた。
「おーい、何してんだー」
「今行く」
踵を返すと、その先で彼が手を振っていた。エルフはそれに対して軽く右手を上げ、その後ろを追いかけて行った。
数本、茂みの木が静かに揺れた事に誰も気が付くことは無く。
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衝撃
激痛
圧迫
そんなワードが頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。しかしそこから何か、物語が起こされることはない。それはまるで鍵のかかった箪笥のように。
全ての段を引き、一つだけ鍵が緩んでいた。
そこを引くと少し隙間ができ、そこからじんわりと溢れるようにして三つのワードを繋ぐ線が表れる。
だが、その線は長さが足りない。
三つワードを繋ぐ前にはらはらと崩れ去ってしまうのだ。
そんな光景に、届くはずのない手を私は向けていた。
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「…」
無意識の内に目が開いていた。
彼女の瞳は目の前に写る簡易テントのたるんだ布状の天井を、力無く捉えていた。
「…」
徐々に、彼女の目には光が宿り始め意識も段々と覚醒し始めていた。
「ん」
やがて瞬きから始まり、腕を動かす所までに落ち着いた。自分の手を目の前に突き出し、それをじっくりと眺めた。
「これが、私の指ですか…」
まるで赤子が宝石を見るように、少女はその手を観察していた。反対の手でその指を一本一本確認するようにして、色素の薄い手を眺めた。
「いっつ」
体を起こすと、身体中のあちこちが傷んだ。打ち身だろうか、切り傷だろうか。様々な種類の痛みが、体を蝕んでいた。
が、どの傷も中途半端に回復しており治りかけているものもあれば、若干出血が続いているものもあった。
「いしょ…」
痛む体に鞭を打ち、床に手を着いて立ち上がる。簡易テントならではのゴツゴツとした感触が足を通じて伝わってきた。
おぼつかない足取りでテントの入口から顔を出す。その瞬間、差し込んできた日光に思わず顔を顰める。
「あ、起きたのね?」
少女がテントから体を出そうとすると、すいっとブロンド色の髪の毛を伸ばしたエルフが視界に入ってきた。
「…あなたは?」
「私は耳長族のアイビー。大丈夫、敵じゃないわ。倒れてたあなたを助けたの」
「倒れてた…?」
「ええ、あんまり思い出したくないけどかなり悲惨な環境だったわよ。…その中で生きていたのはあなた一人。だから私達が保護したわ」
「…??」
テントの入口から頭だけを出した少女はコテンと首を傾げた。
「で、あなたの名前は?」
「…ああ、そうでしたね。すみません。私の名前は…」
ん?、と彼女は再び首を傾げる。口は動くのに、声が出てこないのだ。
「私の名前はっ---」
彼女が幾ら頭を悩ませても、その声が音となることは無かった。体では覚えているのに、頭では覚えていない。こう表すのが一番適切か。
「…言いたくないのなら、言わなくても大丈夫よ?」
「いえ、その…私は…」
少女は一瞬躊躇った後、口を開いた。
「私は、一体、誰なんですか?」
「…へ?」
エルフことアイビーは、思わず素っ頓狂な声を出した。
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「何か、覚えていることは?生まれた場所とか、親の名前とか」
アイビーと木製の机を挟んで向かい合う。彼女はグイグイと前のめりになって少女に質問を投げかけていた。
「…何も」
「うーん、じゃあ自分の年齢とか」
「…」
ふるふると、少女は首を振った。それを見てがっくしと首を折るアイビー。
「これは、記憶喪失って事でいいのかしら…?」
アイビーがはぁ、と頭を抱える。それを見て少女は申し訳なさそうにと彼女に声をかける。
「えっと、その…ごめんなさい…」
「あ、違うのよ。あなたは何も悪くないわ、ごめんなさい」
しょぼんとする少女にアイビーは顔を上げあたふたと謝る。
「となると、とりあえず呼び名だけでも付けないとね…。何がいいかしら」
アイビーが顎に手を当てて考える。いくら仮の名とはいえ、他人に付ける名前なのだ。意味もない名前をつける訳にはいかないだろう。
「そうね、『テンシア』なんてどうかしら?」
「テンシア、ですか?」
「気に入らないのなら別のにするのだけど…」
「い、いえっ!そんなことはっ…、とても綺麗な名前だなぁって」
少女は微笑を浮かべ照れくさそうに頬をかいた。
「なら、良かった。テンシアっていうのは私の出身国で白い紫陽花を表すのよ。…あなたの髪を見て、綺麗な花みたいに見えたから、そうしたの」
アイビーは満足そうに微笑んだ。それを見て少女の顔にも自然と笑顔が生まれた。
「それじゃあ決まりね」アイビーがパンと手を叩いた。
「記憶が戻るまで、安心して私達を頼ってね。何かあったら言ってちょうだい。これから宜しく、テンシア」
「はい。…よろしくお願いします。アイビーさん」
風が、二人の間を通り過ぎブロンドの髪と白銀の髪を靡かせた。
その時テンシアは、そっと机の下で拳に力を込めた。