第54話 過去の弓使い
「…っ」
数秒後、ソウカの胸が上がり下がりし始め、彼女の手首に手を当てると脈があるのを確認出来た。
「ほっ」
ほっとして体からへなへなと力が抜けていった。これでとりあえずは安心だろう。しばらく安静にしていれば傷は吸血鬼の治癒能力で傷は治っていくだろう。
「いっつ」
アドレナリンでも分泌されていたのだろうか。急に全身に痛みが走り始めた。
「ぐぁぁ…」
水に長時間浸かっていたからだろう。冷や汗が止まらない。
「は、早く、街に戻らねぇ、と」
痛む体に鞭を打ち、ソウカの体を下からすくうようにして抱き抱え、翼を開いて力なく空を飛んで街へと向かった。
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ダァァァン!!
「な、なんだぁ!?砲撃かぁ!?」
「ついに、ここまでかっ!ちくせう!!」
「や、やめろぉ!!!死にたくなぃぃ!!死にたくなぃぃ!!」
街の端。激しい衝撃と共に土煙が舞い上がり、近くに屯していた町の住人達があわてふためいた。
「…一体何が…?」
そこから少し距離を取りつつ、住人達は土煙が晴れ始めると興味本位でその中を覗いた。
すると、
「人…?いや…女の子だ!それも二人!!身体中怪我してるぞ!」
「女の子だぁ?どれどれ…」
その声を聞いた者達が野次馬のように土煙を払いつつ、中を覗き込む。
「…おいおい、マジかよ…誰なんだこの子は…。敵か?」
「いや。敵じゃない…」
ほぞりと誰かから呟かれたその言葉の音源に、皆の視線が移動する。
「ティアーシャさんだ。ルントの旦那んとこの店で一年くらい前働いてたんだ。最近ご無沙汰してたから、わからねぇが…帰ってきてたのか?とりあえず、救護班んとこへ運ぶぞ!!」
「お、おう…」
他の男が二つ、即席の担架をどこからか持ってきた。それに乗せられ、二人は運ばれて行った。
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「空からティアーシャさんともう一人女の子が降ってきた!!怪我してるから見てあげてくれ!!」
男が担架を担ぎ下ろしながら、救護班の簡易テントと化しているルントの店に入る。
「ティアーシャさん!?」
「うおっ!?」
「あ…、すみません…」
そして、その名を聞いて思わず声を張り上げてしまった女が一人。
「ティ、ティアーシャさん…だ」
彼女の名はセルナ。かつてティアーシャに着せ替え人形のように様々な服を着せ込んだことのある服屋の店主だ。
セルナは下ろされた担架の元へ駆け寄り、膝を下ろした。そして
「酷い怪我…」
ぼそり、と呟いた。
彼女の言う通り、二人は完全に満身創痍だった。例え二人が人間とはかけ離れた治癒能力を保持していたと言えど、蓄積したダメージを完全に消すことはできない。致命傷となるような傷はほぼほぼ無いにしろ、体のあちこちから血が吹き出していて、服も深紅色に染められていた。
「…く…ぅ…」
「っ、ティアーシャさん!?大丈夫ですか!?」
ティアーシャの口から苦悶に満ちた声が漏れ、目元がぴくぴくと痙攣していた。
「…う…あなたは…確か」
「セルナです。…無理して喋らなくて大丈夫ですよ」
「…セルナさん…。俺よりももう一人の方先に見て貰えませんか?応急処置はしたんですが…かなりの怪我をしてて」
「…っ、分かりました」
セルナは立ち上がり、走って駆け足で店の奥の方へ行き数分後に戻ってきた。
彼女の手に様々な種類の医療器具があり、その隣には白衣に身を包んだ高身長の医師のような女がいた。その女はすぐさまソウカの元へと近寄り、脈や呼吸などを確認し始めた。
「大丈夫、命に別状はないわ。軽く処置をして安静にしてたら大丈夫よ」
「…ほっ」
ティアーシャが安心したため息を吐いた。
「セルナ、あなたはその銀髪の娘の処置に当たりなさい。私はこっちをやるから」
「は、はい!」
ティアーシャの全身は血まみれ。しかし、それのほとんどは返り血で、自分の体から吹き出した血はほとんど治癒されている。
だが体に蓄積したダメージがかなりの量なのだろう。彼女は体を起こそうとしていたがそれすらままならない様子だった。
「無理しないでください!こんなに傷だらけなのに!」
「いか、ないと…。行かせてください…っ!」
焦点すら合っていない瞳でセルナに意志を告げる。だが、彼女は首を振った。
「行かせませんっ。私はっ、あなたの命の犠牲を受けてまで生き残りたくありませんっ」
潤んだ瞳で彼女はティアーシャの手を握り締めた。その手に力は篭っておらず、人の温かさが吸血鬼の手を覆った。
「…」
それでも、彼女の意思が変わることは無かった。もちろん自分の命を犠牲にする理由はない。なぜなら彼女は、こんなところで死ぬわけにはいかないから。
自分も周りもみんな助かる。これが最も理想的なのだが、そう上手く事が運んでくれないのがこの世の理不尽な所である。
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「…」
俺は、迷っていた。
今のこの、起き上がることすら出来ないような状態でターミシャルに戦いを挑んでも向こうからすれば赤子の手を捻るようなものだろう。
あまりにも蓄積したダメージが大きすぎた。水に浸かっていただけであそこまで力を失ってしまうだなんて思ってもいなかった。
けど、俺が行かなくてはならないのだ。俺が行かずに誰が行く?このまま行けば、この街が崩壊するのなんて時間の問題だ。
「セルナ、さん」
「…はい」
ぐらつく視線をなんとかセルナの両目に合わせる。
「すみませんっ」
「えっ」
俺は彼女の首の後ろに手を回し抱き締めるような形でその薄白い首筋に牙を突き当てた。
「ティ、ティアーシャ、さ…」
「…」
「…」
なるべく少なく、優しく彼女の血を吸う。
吸い終わると彼女は糸が切れたかのようにして意識を手放した。軽く貧血が起きる程度には抑えておいたが…。
「騒ぎ立てないなんて、珍しいですね」
俺は彼女を俺が寝ていた医療用のベッドへ寝かせ、ソウカの傷を見ていた女医に向かって話しかける。
「…吸血鬼のティアーシャ」
「っ…。それは…」
「あなたは別人だと分かっているけれど、こうも瓜二つだとはね。思ってもいなかった」
女医は微笑を浮かべ、こちらに向き直った。
「ナーサのところで住んでたことがあるんだって?じゃあ聞いているかもしれないわね…。”弓使い”のトゥルナ、よ」
「…”弓使い…。それって」
ナーサから聞いたことがある。裏切り者の弓使いというのを。
「吸血鬼を売った、世間から見たら善人」
「なっ」
「けれど、私の周りにいた人からすればティアーシャを売った、極悪人」
「…」
ナーサの親友であり、戦友だったティアーシャ。吸血鬼であることを隠していたが、ある日その正体がバレてしまった。ナーサのパーティの面々はその事を隠し遠そうとしたが、弓使いがその事を教会へ密告。吸血鬼は大勢の面集の中処刑された。
「ナーサと、ティアーシャには本当に申し訳なかった思っているわ…」
「申し訳ないって思うだけで許されるとでも思ってるのか?」
「それは…」
俺もティアーシャの名を受け継いだ者。ナーサの子として、怒る権利はある。
「…ナーサには会ったのか?」
「えぇ、口すら聞いてくれなかったけどね」
「…」
親友を殺したも同然の者の今更になっての弁解を、誰が聞こうと思うのか。ナーサには唯一無二の存在だったティアーシャを、よりによって教会へと売った者の言葉を聞く耳などあるのだろうか。
「…俺はこれ以上なんも言わないが…、ナーサが帰ってきたら、全部面向かって話すんだな。…あんたが金目的に売ったとは思えない…」
「っ」
あくまで俺の妄想だが、この弓使いは金目的で友人を売るような目をしているようには見えない。彼女を売ってから改心したのかもしれないが…。
「えぇ…。わかったわ、ティアーシャ。…それで、そんなあなたに一つ、あるのだけど
「…ん?」
「必ず帰ってくるのよ」
「…誰が言ってんだか…」
そのあと、俺は彼女と目を合わせてから店を出た。
彼女のその目には、俺じゃない誰かが映っていたようだった。
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全身の疲労が綺麗さっぱり無くなっていた。とりあえず血を吸えばなんとかなる、さすがは吸血鬼ってところかな。
「戻ったらセルナに謝らねぇとな…」
罪悪感が、胸の中でもやもやしている。まぁ十中八九俺が悪いのだが。
「さて、と」
俺は翼を広げ、その場で二三回羽ばたいた。
「行きますか」
地を蹴り、風を切り、夜空へと舞う。
ほんの少し。雲で陰った満月がそれを照らしていた。