第50話 となりの吸血鬼
「起きたかい」
体を起こして、最前線の防衛ラインで大剣を担ぎ仁王立ちしているナーサの元へと向かう。
「すみません、一人だけ休んでしまって」
「なに、気にする事はないさ。大の大人だってヒィヒィ言いながら働いてるんだ。あんたみたいな嬢ちゃんに無理させる訳にはいかないだろ?」
ナーサは女性らしからぬ笑い声でガハハと笑った。
「ですが…」
「…。そんなに思うところがあるなら、私と一緒に最前線に出るかい?…もちろん、危険は承知の上で」
「っ」
そんな馬鹿な。思わず喉の辺りまでその言葉が出かけた。今回の戦いで例えるならばナーサは指揮官。私は情報収集員だ。そんな私達が最前線に出るなど到底ありえな…
「じゃぁ、あんたは本当に守りたいモノを誰かが守ってくれるまで、指をくわえて見てるってことかい?」
「っ…」
一気に辺りの空気が凍りついたような気がした。
「何かを守りたいなのに、それを誰かに任せるなんて私にゃできないのさ。私が守りたいものは、この街。私の街であり、あの子の唯一の故郷さ」
「…」
しかし、冷え着いたその空間も次の瞬間暖かい空間にへと変貌する。
これが、彼女にとってのこの世界の母親という立場から生まれる「愛情」なのだろう。
「…わ、私だって」
守りたいものがある、そう言おうとしたがその言葉は出てこなかった。
「…私にだって…」
今までの思い出を、頭の中で振り返る。ティアーシャを洞窟で見捨てたこと。数多の新人冒険者を虐殺したこと。そして、この手で彼女の命を奪おうとしたこと。
「…ぁ…ぅ…」
「ふっ」
ナーサが鼻で笑ったのかと思い、軽く睨みつけるようにして顔を上げると、そこにあったのは人を嘲るようなものではなく、むしろ温かみを感じる笑みだった。そして、彼女はその表情のまま私の肩にぽんと手を置いた。
「今は別にそんなもの見つけられなくたっていいんだよ。あの娘と過ごすうちに、少しずつ、少しずつ守りたいものを見つけていけばいいのさ。私はたまたまそれが何だか分かっていただけ。別にあんたは今すぐに知らなくたっていい。まだまだこの先あんたらは長いんだ。焦る必要はこれっぽちも無いんだよ」
「…少しずつ」
「そうさ、少しずつ。あんたは守りたいものはあるがそれが何なのか気が付いてないだけなのさ。今はとりあえず守りたいものがあるだけで充分さ。…あ、そうだ。ずっとあんたに渡そうと思ってたんだ…。えっと、確か…」
ナーサは突如、腰掛けのバッグの中をガサゴソと漁り始めた。
「あったあった。ほら、あんたがいくら蛇を従えようとも、何があるか分からないだろう?刃物の一本や二本くらい持っておきな」
「えっ」
彼女は取りだした何かを私の手に無理矢理握らせてきた。
「ちょっとお古だけど勘弁しておくれよ?」
私は握らされたそれを手のひらの上で眺めた。
質素だが上質なクリーム色の皮の鞘に入れられた15センチくらいの短剣。鞘には同じくクリーム色の皮で腰下げ用のベルトが乱雑に縫い込まれている。
皮でぐるぐるに巻かれた柄こそぼろぼろだが、刃は刃こぼれ一つ無く、今剣を持っている私の顔が映るほど丁寧に手入れされていた。
「え、こんなにいい剣…私なんかが?」
「あぁ、それは私が昔使ってたやつさ。今は別にあるから大丈夫さ。…今後、ティアーシャといるならそいつを持っておくれ」
「…?え、ええ。分かりました、ありがとうございます」
そこになぜ、ティアーシャが関係してくるのかは理解できなかったがとりあえず、その短剣を鞘に着いているベルトを使って腰に下げる。そしてそこに短剣を戻し入れる。短剣でそこまでの重量は無いため付けてもさほど違和感無く動けた。
「準備はいいかい?」
「…はい」
気づけば、汗ばんだ手は剣の柄を握り締めていた。まるで、それがお守りかのように。
「…いつでも行けます」
ナーサの目を睨みつけるように見て、私は言った。
---
「…はぁ…はぁ…」
「まさか…これ程とは…」
司祭がどっと尻もちをついて、後ろに下がっていく。
「…そ、舐めてもらっちゃ困るんでね」
「がっぐふっ!?」
司祭の腹を蹴り飛ばし、そのまま足で踏み倒す。
「…よくこれだけの人員を用意したもんだよ」
「ぐふっ」
俺の後ろには痛みに喚く数十人の農民がいた。どれも致命傷にはならない軽傷で済ましてある。流石にこの集団がたかが一つの村と一人の吸血鬼を殺すために人員を揃え一致団結するとは思いにくい。自分の命を犠牲にしてまで領土を広げたいとは思わないだろうし、それは戦士の仕事だ。
「まぁ、所詮下っ端が戦ってる中後ろでこそこそしてるお前辺りが黒幕だと思ってたんだが、当たりか?」
「…黒幕とは?」
「まだとぼけんのか?」
「がはっ」
ぐっと、司祭を踏みつける力を強める。
「お前らが奇跡やらと言って使ってる魔法でこいつらの思考を操ってたことくらいわかんだよ。そうでもなきゃ、ただの人間からここまでの魔力が溢れることなんてありえねぇ。…だろ?」
「ええ、ええ。あっていますとも。…全てはあなたを殺すために、ね。私が死んでもまだ仲間はいます。今頃他の部隊があなたの故郷を襲っているでしょうねぇ」
「俺の…故郷?」
「ええ。あなたにとって大切な者がいる場所ですよ」
「…っ」
急に頭から血の気が引いて行った。俺の故郷?それはこの世界に一つしかない。
「てめぇ…っ!!」
「あなたがこうしている間に、あなたの居場所は失われるのですよ!ははははっ!!」
「…黙れ!!俺とは違って、全く罪の人間を戦わせて、殺して殺されて。そんなことになんの意味がある!!!」
気がついた時には体が勝手に動いていた。司祭の喉笛を鷲掴みにし、そこに己の鋭い牙で噛み付いていた。
「…ぎっがっぁっっっ!!!」
司祭の声にならない悲鳴が静寂の森の中に響き渡るが、それも一瞬だった。
血の気の無い体をだらんと垂らした司祭の死体を少し離れた草陰にほおり投げる。ドサッグチャッという嫌に生々しい音に、背後で震えている農民達はヒッと怯えた声を放った。
「…何があったか知らないが、これでお前らは自由だ。このままもといた場所に帰るもよし、俺を殺そうとするもよし。好きにしろ」
ざわざわと、農民達は互いに困惑の顔を浮かべる。
「ただ、俺の街を襲おうとするなら、司祭のような姿になることだけは…覚悟しておけ」
俺は口の周りついた司祭の血を腕で拭き取り、口の中の血をぺっと地面に吐き出した。
---
「さて、今日は何が食べたい?」
「おねーちゃんの作ったご飯なら何でもいいよー!」
来た、質問した時に一番困る返答ランキングNO.1「何でもいい」。別に雪に悪気がある訳ではないだろうし、そう言って貰えるなら良いのだが…はて、夕ご飯は何にしようか…。
こういう時は新さんに聞くに限る。
私はスカートのポケットからスマホを取り出し、新さん宛のメールを打ち込む。
『今日の夕ご飯は何が良いですか?』
打ち込み終えたら送信ボタンを押してしばし待つ。
『豚キムチ』
すると、通知音と共に素っ気ない単語で返信が来る。現役刑事で、この返信スピードである。それは新さんがそれほど私達のことを気にかけているのか、それとも彼女が仕事をサボっているだけなのか(ちなみに新さんの携帯の待ち受けはもちろん満面の笑みを浮かべた雪である)、真実は彼女しか知らない。
「豚キムチかぁー。キムチあったっけなぁー」
豚肉は先週の土曜日にスーパーでしゃぶしゃぶ用の物を買ってある。
おもむろに冷蔵庫を開け放つと、プラスチックのケースに入ったキムチがあるにはあるものの、だいぶ量が少なくなっていた。
「うーん、ちょっと買ってこようかな。雪ー、今からちょっと買い物行くけど一緒に行くー?」
「うん!いくー!」
「…よし、別にすぐだしそんな大層な格好しなくてもいいでしょ」
雪はそのままの格好で、私は丁度学校帰りで制服なので特に着替える必要はないだろう。
「よし、行こっか」
「うんー!」
水色のマフラーを雪の首に巻き、玄関の扉を開ける…
「…」
しかし、そこには地面でやけにぐったりと突っ伏している蛇が。
「へ、蛇ぃぃぃ!?」
これが脊髄反射というやつなのか、素晴らしい反応速度でバックステップを踏んだがその先には玄関の段差が。
「き、きゃっ!?」
次の瞬間、ガン!と頭に凄まじい衝撃が走り一瞬視界がブラックアウトする。
「いっつ……」
「お姉ちゃん大丈夫!?」
雪が焦燥を顔に浮かべ、駆け寄ってくる。そんなに心配しなくても大丈夫なのに。
よしよし、と雪の頭を撫でようと手を伸ばした。
…ん?
何だこの手触りは。雪の髪の毛はキメ細かく、サラサラのはずなのに。
なんだが凸凹していて、そのくせツルツルしている。極めつけに明らかに髪の毛の太さじゃない。
「…。」
ジンジンと痛む頭から血の気が引いて行った。
手先にゆっくりと目線をやると
「きゅ~」
「お姉ちゃん!!」
まさか蛇が雪の体に乗っているとは思いませんでした。