第4話 吸血鬼は街に住む
「…ん…」
「起きたかい?」
ぼんやりと瞼を持ち上げると、とある女性の顔がドアップで映っていた。
…あぁそうだ…たしかナーサっつったっけ?あれ?たしか渓谷にいておぶわれて…どうしたんだっけ?
「おぶってたら途中で寝ていたよ?ふふっ、何とも可愛い寝顔だったなぁ」
やっぱり、超能力者なんじゃないかと思うくらいナーサの読みは鋭い。まさかそういうスキルでも保持しているのだろうか?
「さ、お腹空いただろ?こっちにおいで、『ティアーシャ』」
「ティアーシャ?」
誰だそれは、ここには俺以外に人はいないはずだが…。
「ああ、言っていなかったね。さすがに名前を持っていないのはあれだと思って勝手につけちまったんだ。我ながら良い響きだろ?『ティアーシャ』って」
「確かに…あ、ありがとう…」
「礼にゃ及ばないよ」
ティアーシャ、意外と響きがいい。俺の悪い滑舌でもつまることなく自己紹介ができそうだ。とりあえず、前世の名前を名乗らないように新たなこの名前をしっかりと心にとめておこう。
「さ、こっちにおいで。ご飯できてるから」
ふわりといい臭いが漂った。俺は寝かされていたベッドからゆっくりと立ち上がった。
嬉しいことに撃たれて怪我を負った足には丁寧に包帯が巻かれていた。
ぴょんとベッドから下りると、ナーサが手招きして来るように示した。それにてくてくとついていく。
この部屋は全体が木でできているようだ。きつすぎもしないやんわりとした木の香りが心地よく、リラックスできる。
「さ、席について」
ナーサのいる部屋に廊下を通って行くとそこには料理が盛り付けられた木のおわんがたくさん置いてある同じく木のテーブルとそれを囲うようにして配置されている椅子。
なによりもその料理がとても美味しそうだ。
ナーサに言われた通りに席に着きはたまた木製の匙を手に取る。
「おやおや、できた子だね。いいよ、おあがり」
「…い、いただきます…」
まず始めは湯気と共にほんのりと甘い臭いを放っているホワイトシチューのようなもの。
トロリとしたそれと一緒に中の具材のジャガイモのようなものをすくいとって口に運ぶ。
「はむ…」
…ゆっくりと咀嚼する。まだ血液以外飲んだり食べたりすることが出来るか不安なところも実質あったのだが…。
「…お、美味しい…」
「ふふっ、そうかい。さすがうちの旦那だね。ティアーシャの笑顔は始めてみたよ」
そんなに表情を固くしているつもりは無かったのだが…。
それにこれ、旦那さんが作ったのか。てっきりナーサが作ったのかと思っていたが…?
「うちの旦那は料理人なんだよ。それも腕利きのね、あまりにも料理が上手いから結婚していらい私はほとんど料理をつくってない」
それ…自慢になるのか?ただ旦那をこきつかっているようにしか聞こえなかったのは俺だけだろうか。
まあ、旦那さんの腕は確かであろう。シチューでもこの塩加減。この具材。煮加減。全てが合わさり具材の旨味をしっかりと引き出している。
俺は就職して一年目までは自炊していたが、それ以降はコンビニがないと生きていけないコンビニ廃人になりかけていた。そんな俺の舌を唸らせたのだ。ナーサの言っていることは確かだろう。
「さあどんどんお食べ!この程度で感激してたら駄目だよ!」
「…」
そんなに食べたら…俺もう普通の飯食えなくなるから…。しかもこの量ぜってー、一人前じゃねぇ。三、四人前はある。
「わ、わーい。ありがとうー」
棒読みで、流そうとしたが駄目だったようだ。…俺は…この量を一人で食わなければならないのかっっっ!!
「おいナーサ、さすがにその量はきついんじゃないか?大人でもぎりぎりの量だってのに」
おお!ナイス!さあこのナーサを止めてくれ!
期待の眼差しを声のした方向に向ける。そこにはピンク色のエプロンをかけ、片手にお玉を持った者がいた。
「なにいってるんだい!この子はほとんど何も食べてなかったんだよ?お腹が空いてるに決まってるだろ!?あんただってそう思うだろ!?」
「え…いや…その…」
この男、ナーサの旦那さんであろう。ナーサの強烈さに負けてんじゃねぇか!バカ!
「これは私の旦那、ルントだ。さっきも言った通り、料理人をしている」
「よろしく、ティアーシャ」
「よ、よろしく」
差し出された手を握ると、あかぎれや手のしわの具合など完全に俺のお袋と同じ手をしていた。家事の全てを任されていそうだな、コイツ。
「後は俺と、下っぱ達とで食べておくよ。ティアーシャが食べ過ぎて肥ったら俺は気がおかしくなる」
「そう…かい?まああんたが作ったのだから良いのだけれど…ティアーシャはもう大丈夫?」
「うん…大丈夫…」
この接され方、俺の視線の高さからして俺の姿は完全に幼女だろう。となると、そう簡単に『俺』とか『バカ』とか、何気なく発してしまいそうな言葉は避けておいた方が良いだろう。
「さ、私らはちょっと服屋に行ってくるから。後は頼むよ」
「服屋?どうして服屋なんかに…」
「あんたバカかい?今うちにはこの子用の服がないんだよ!?…まさかあんた!この子に常時全裸で過ごせって言ってんじゃないだろうね!?」
「ひ、そ、そんな訳ないだろ!俺はそんな変態じゃっ」
ははぁ…やっぱりナーサは強烈ですなぁ…。
「さ、ティアーシャ。準備を…て言っても準備するものも無いか。何か必要な物はあるかい?」
「必要なもの……あ……日傘」
「日傘?」
「無いですか?」
「いや、私の姉が置いていったものがあるからいいけど…。肌が弱いのかい?」
「えぇ…まぁ」
吸血鬼ですから。まだ日の光を浴びていないからどうなるかは俺自身分からないが、まあ『光耐性-Ⅹ』の時点で結果は言わずがままだろう。
「いいよ、日傘だね。ちょっと待っていておくれ。暇ならそこの男とでも話をしておきな」
ナーサはドタバタと駆けて部屋を飛び出していった。
「…」
「…」
しばらくの静寂の中、自然に俺とナーサの旦那さんの目が合う。
「…ティアーシャ、どうだった?俺の料理は」
旦那さんはもごもごと恥ずかしがるように聞いてくる。なんか女々しいなこいつ。
俺は右手でサムズアップして答えた。
「…今まで食べてきた料理の中で一番う…美味しかった」
「そうかそうか!そう言われると俺もやる気が出てくるよ。嫁さんがあんなもんだから…俺…最近自信無くしてて…」
後頭部をわしわしとかきながら、ルントは頬をちょっぴり赤く染めた。乙女かよ。
「大丈夫、確かにナーサは強烈だけど、ルントのことをちゃんと愛してる」
リア充どもを見てきた俺だから言えるのだ。並みのリア充だったらこの時点で爆発しているだろう。それでもまだ、爆発していないのはお互いのことをお互い、大切に思っているからだろう。
「そうか…、そうだよな。なんかこんなちっちゃい子に励まされてるのって不思議なかんじだなぁ」
ルントは苦笑を浮かべた。
「ティアーシャ!日傘の大きさこれでいいか見に来てくれないかい!」
「…じゃあ」
「…いってらっしゃい」
「いってきます」
なんだかぎこちない空気の中をゆっくりと歩いていった。
「服を買うまではその外套で我慢しておくれよ?はい、日傘」
「ありがとう…」
ナーサから渡された一本の日傘。黒を主体としていて、持っているだけでお金持ちを装えそうだ。
「さ、行くよ」
ナーサが靴を履いて玄関を開ける。そして放たれる灼熱の太陽光線。
「あっつ!」
いそいで日傘をさす。あともう少し遅ければ消し炭になっていたかもしれない…危ない危ない。
家を一歩出るとそこには立派な村があった。村と言っても小さすぎる訳ではないだろうね。家の一個一個はナーサの家と同じく木造だが全てが同じ形ではなく、それぞれ住人の意見を尊重してつくってありそうだ。
「どうだい?意外と大きいだろう?」
「…」
ナーサの質問に頷いて答える。見た感じ、機械などのものは発明されていないみたいで、車もなければバイクもない。そう考えると平和な村なのかもしれないな。
「さ、服屋はあっちだ」
扉を開けると、そこに取り付けてある鈴が高い音を発する。俺は店内に入ったことを確認して日傘を閉じた。
「いらっしゃ~い!ナーサさん!」
「ミリリか、久しぶり」
「本当に久しぶりですよ~!最近全然来てくれなかったじゃないですか~!……ん?そちらの子は?」
ナーサがミリリと呼んだ、店の会計場所のような場所に座っている藍色の髪に黒色の瞳を持ち、髪をショートカットに切り揃えている少女は俺のことを指差した。どうも、髪の色や目の色が日本人っぽさを際立たせている。
「この子はティアーシャ。渓谷で狩りをしていた『例のあの二人』から追われていたところを私が助けたのさ。あいつらこの子の足まで撃ちやがって…ったく、二度と足が立たなくなったどうするんだい…」
「うわぁ…女を手にいれる為なら何のそのって感じですね…。で、今日は何の御用で?」
「ああ、この子の服を一式揃えようと思ってな。なんでも、『例のあの二人』に身ぐるみ剥がされたみたいでな」
おう、待てや。誰も脱がされたとは言ってねぇし、なによりもあの二人の女に飢えたおっさんのことを『例のあの人』感覚で呼ぶの止めねぇか?ヴォルデ○ート涙目だからな?
「それはそれは、災難でしたね…。どうぞどうぞ、ご案内します」
「悪いね」
ミリリが直接案内をしてくれることとなった。とは言っても俺の中身は男だ。女物の服なんぞ選ぶセンスはこれっぽっちも持ち合わせていないわけだから、とりあえずナーサに任せておこう。
「こちらはいかがでしょう?」
ミリリ が指差したのは一着のワンピース。黒を主体としており、スカートの部分にはフリルが散りばめられている。
「いいんじゃないのかい?これ、試着できるのか?」
「ええもちろんですとも!」
ミリリに案内され、俺はフィッティングルームに入る。別に服を合わせようとか、そんな気持ちはさらさら無く今の自分の姿をそこに設置してあるであろう鏡で確認したかったのだ。
「っと…」
扉を開けて中に入ると目の前には大人の身長くらいありそうな鏡が嵌め込まれていた。
しかし…
「写って…ねぇ…」
それはフィッティングルームの扉を写し、俺の姿は写っていなかった。