第40話 吸血鬼と光
「がっ!?」
直感で腹部の前で腕を構えガードすると、物の見事にその勘は的中し強烈な拳がそこへ飛んできた。
軽く腕を引いて拳の勢いを削ろうとしたのだが、それでもその衝撃は殺しきれず腕の骨に皸が入ったくらいの激痛が走った。
「…ふぅん。これを防ぐんだ。なかなかやるね」
「お褒めに預かりましてっ」
流石にこの少女相手に剣を抜いたり、強い魔法を使うわけにはいかない。確かにパンチは強かったが、このくらいのパンチをしてくるモンスターとなんて数え切れないほど戦ってきてんだ。そんなハンデがあったからって、そうそう負けることはない。
「【水砲】!!」
少し少女との距離をとり、両手の平から現れた瑠璃色の幾何学紋様の魔法陣から水流を発生させる。もちろん、できる限り怪我をしてもらわないために威力を下げてある。
「くっ…」
その水流を受け、少女が家から少し距離をとる。
そして、俺もドアを潜り一度空を眺めてから少女との距離を詰める。先程まで俺の体を蝕んでいた雨は既に止んでいたが、未だに分厚い雲は太陽を隠したままだった。日が出ていず、雨も降っていないのであれば体力が低下している俺でも戦うことが出来るだろう。
「悪いけど、お前と戦ってる暇はねぇんだ。こちとらある人のこと待ってんだからよ」
「…ふん。よくその口からそんなセリフが出るわね」
「…あ?」
ゴォッと、少女の全身から更に強い殺気が流れ込んできた。それはその歳の、未だ幼げを残した少女が持っているとは思えないくらいの量の殺気。
「ハァァッ!」
そして再び少女が距離を詰め、固く握りしめた拳を振るう。しかし、先程のように不意打ちでもなく正面からの堂々としま攻撃であったため、対処はいとも簡単だった。
「っと」
その腕を手のひらで体の外側に払うように弾き、勢いの失ったそれをそのまま鷲掴みにし、そこで体勢の崩れた少女の足をかけ転ばせる。
「きゃっ」
小さな悲鳴を上げて尻もちをつく少女。しかし、腕は俺が握ったままであるため勢い余って頭を地面に打つことは無かった。
「これで分かっただろ?どういう訳で襲ってきたのか知らねぇけど、実力差がありすぎんだよ。諦めて帰んな」
しかし、このくらいの少女でこれほどの殺気を放出しそこらの人であれば殺せるくらいの拳を放てるなんてな。将来が恐ろしくて仕方ない。
「諦…める?」
しかし、目の縁に涙を浮かべた少女は尚も殺気の宿った瞳で俺のことを睨みつけていた。
「私は…私は!お前のことを許さない!」
「…はぁ?」
飽きれて思わずため息をついてしまう。これだけの実力差を見せつけられても、まだ戦おうというのだろうか。この少女は。
「--今、悪しき心を持つ者に清き光の制裁を下さん…」
「なっ」
しかし、俺が完全に油断しきった所で彼女は予想外の行動に出た。
そう、魔法だ。
この世界で、魔法を戦闘に組み入れる奴はそうそういない。人間が使うような魔法は大した威力はないし、ましてや威力の上げようと詠唱なんてしていたらその間に攻撃されてしまう。それを使うのであれば剣や弓、槍などの道具を使った方が遥かに効率がいいからだ。
「まずっ」
今彼女が詠唱しているのは光属性魔法【天暉】。光属性の初級魔法で通常であれば周囲を明るくする程度にしか使わず攻撃力なんて全くない。しかし、その対象が吸血鬼であれば話は別だ。元より光、光属性のものを天敵とする吸血鬼の前にはこの魔法は凶器へと変貌する。つまり、直射日光を浴びるのと同じような効果があるのだ。
俺は慌てて少女の腕を掴んでいる手を離し、バックステップを踏むと同時に全身を魔力で覆わせる。
光は闇を晴らし、闇は光を覆う。と言ったように闇と光は互いに弱点同士であり、互いに最も効果のある属性なのだ。つまり、闇属性の俺の魔力と光属性の魔法がぶつかれば多少なりとも威力は落ちるはず。
「【天暉】!!」
「くっぅぁぁ!!」
少女が魔法を行使する直前に体を魔力で包みきることは出来たが、想定外の魔法の威力に俺の体の周りの魔力が削れ始める。
しかし、少女が使うこの魔法は効果時間が長い訳ではない。あと数秒間耐えることが出来れば俺に軍杯が上がるだろう。
「や…やべっ…」
あと数秒。その数秒が物凄く長く感じられた。
魔法か、魔力か。どちらが先に尽きるかで、この勝敗は決まる。
「ぐ…ぅぅぅ」
少女も苦悶の表情で、額に脂汗を浮かべながら同じことを考えているのだろう。
「「ぁぁぁぁぁ!」」
そして長い長い数秒間が過ぎ、ほぼ同時に俺の体を覆う魔力と少女の光属性魔法の効果が切れた。
「ぐっがぁっ!?」
しかしほんの一瞬、俺の魔力の方が切れるのが早かったようで、全身に激痛が走り目の前が閃光で真っ白に染まる。
「…う…?」
だが光属性に対する耐性が多少なりともついたのも関係してか、さほど大きなダメージではなくすぐに痛みは引いて行った。
しかし、ほんの数秒で全身の痛みが引いて行ったのにも関わらず未だに【天暉】をもろに見てしまった目が開かない。
「くそっ…」
「はぁ…はぁ…。私の役目は、これで終わり。後はお願い…」
その直後、ドサッと音がしそれ以降少女の声が聞こえなくなった。魔法を使った疲労感で意識が飛んだのだろう。
だが、少女が最後に言った役目はもう終わり。後はお願いとは何のことなのだろうか。
もしかしたら、少女は初めから俺に致命傷を与えることよりも何かしら行動に支障が出るような場所にダメージを負わせることが目的だったんじゃ…。
いや、考えすぎか…。
---
お義母さんが亡くなってから数日が経過した。中々私の心の整理がつかなかったけど、もうお葬式は済ませ、今は今まで通りの生活を送っている。
唯一違うことがあると言えば、私の家に新さんが住み始めたということ。
今回の一件で近くにいる肉親がいなくなってしまい、生活費などを心配していたのだがそれはお義母さんの遺産と、新さんのお給料でやりくり出来ている。私も、他人の新さんにお金を出させるのは悪いと思い、バイトでもするかと考えたが新さんにその考えは否定された。
そもそも私の学校はバイト禁止というのもあるのだが、私が家にいない時間が増えると雪が寂しくなってしまう、というのが本当の理由らしい。
「…」
「楓先輩、その…大丈夫ですか?」
「…へ?」
どうやら物思いにふけってぽかんとしていたようだ。後輩にポンと背中をたたかれてはっと我に返る。
「その…あのことでなんか悩んでるんですか?少し前に部活も抜けちゃいましたし」
「えぇ?あ、いや、大丈夫だよ。それに、部活を辞めたのは別の理由だから」
そう、私は部活を辞めた、というよりかは長期的にだが休部させてもらっているというのが正しいだろうか。まぁ、その理由が雪を長時間一人にさせたくない。というのが主だったりするのだが…。そんなこと言えるわけないでしょ?
「何か悩んでることがあったら、なんでも言ってくださいね!」
「うん。ありがと。そうさせてもらうよ」
我ながらいい後輩を持ったと思う。決して学校での扱いがいい訳ではない私に、寄り添ってくれるし、頼ってくれる。これじゃあどっちが先輩だか分からないや。
「じゃ、私は帰るから。部活頑張ってね」
「はい!先輩も、負けずに頑張って下さい!」
軽く手を振って踵を返すと、すぐに後ろから元気で溢れた励ましの声がかかる。
「…負けずに…か。うん、そだね」
軽く微笑んで、後ろを振り返るとそこには既に私から離れていく後輩の背中があった。
…せめて、私を思ってくれている人との関係は断ち切らないようにしないとね。
---
「【解析者】」
『はい、なんでしょう?【解析者】さんですよ?』
「目が一向に見えるようにならないんだが?」
少女の光属性魔法【天暉】をくらい、既に体に負ったダメージは治ったのにも関わらず未だそれを直視してしまった目だけが治らない。
『それは光属性魔法だからでしょうかね?それに、直接空気に晒される部分で最も耐久性が低いのは目ですからね。その分ダメージが高いのかもしれません』
「じゃあいずれは見えるようになると」
『ええ、一応回復はしているようですから』
「そか…。じゃあ取り敢えず感覚で家ん中に…」
感覚を頼りにナーサの家の方向を探していると、ふと静寂の中に微かな物音がした。
「…」
しかも複数。何か、あるいは誰かが複数で俺の元に集まってきている。それも、俺を囲うようにして。
「【解析者】。…何人だ?」
『気配からして十人はいるかと』
「っ…十人か…」
俺が万全の状態だったらそのくらい大した数ではないのだが、今の目の見えない俺には少し数が多すぎる。目が見えないんじゃ、『魔眼』も『魅惑』も使えないからな。状況把握も、視覚を使わないとなるとかなり厳しいものがある。
『っ!来ます!』
【解析者】が叫んだ刹那、左右と背後からザッと土をける音が耳に届いた。それもさほど遠くない場所から。
「くっ!…『浮遊』!」
重力魔法を足元にかけ、その勢いにのって空を舞う。羽根が生えてるのに、なんで使わないかって?まだ使えないからだよ…。羽根で飛べたら便利なんだろうけどなぁ。
『魔力の高まりを感知!攻撃来ます!』
「了!」
空中で全神経を研ぎ澄まし、音と気配で相手の位置を特定し、今まで戦ってきた経験を生かして回避に徹する。
刹那、頬を掠めるようにして魔力の塊である魔力弾が飛んできて、それに続くようにしていくつもの魔力弾が向かってきた。それなりに魔力弾同士の間隔を狭めたつもりのようだが、まだまだ甘い。
「この程度じゃ、俺は倒せねぇっつの」
弾と弾の隙間を潜るようにして弾幕を回避する。魔力弾はそれ同士がぶつかると互いの力で相殺されてしまうのだ。だから、複数個魔力弾を放ち弾幕のようにして放つ際は魔力弾同士が触れ合わないようにしなくてはならない。
普段から魔法や、魔力弾を戦闘の際に混ぜている者達であればこんな人ひとり通れるような間隔を開けてくるはずがない。ということは、今俺が相手にしてにしているのはお互いの連携が取れていない寄せ集めの集団か、実戦経験、訓練経験ともに乏しい集団か、あるいはその両方かだろう。
「本当の弾幕っつーのを見せてやんよ!」
天体本来の重力の働く方向へと体内で凝縮した魔力弾の弾幕を放つ。その隙間は、俺の髪の毛一本通るか通らないか、というくらいだ。
流石に殺すわけにはいかないので、致命傷になるような威力は持たせていないが、直接被弾すれば意識くらいは飛んでいくだろう。
「「ギャァァァァア!」」
「命中したみたいだな…。さて、じゃあ俺は目が見えるようになるまで家ん中で…」
『っ!?飛来物!左右から!』
「っが!?」
右足の太腿と、腹に激痛が走り抜ける。思わず意識が遠のきそうになるが、唇を噛み締めてなんとかそれを阻止する。
「…なっ」
その瞬間、体のバランスがグラリと崩れる。どうやら今の激痛の原因がかなり重いもののようだ。激痛の走る場所に手を当ててみるとそこには長い金属製の何かが突き刺さっていた。
『…!!!』
「…【解析者】?」
『早く!早く!それを引き抜いてください!!』
「…ど、どうしたんだよ急に」
普段は冷静な【解析者】が急に声を荒らげてきた。
『その刺さっているものは…銀でできています』