第39話 吸血鬼の天敵
「…ぅっ…ガハッ!!」
「ちょっ!私の服に染み作ったら承知しないからね!」
「…分かった…。分かったから血ぃくれ…」
今、ソウカにおぶられているティアーシャはもろに雨に打たれている。ソウカもそれを理解して、なるべく屋根の下などを通ってティアーシャへの負担を減らそうとしているのだが、何せ住人が少ない小さな村だ。それほどたくさん、雨風を防ぐことができる建物はないし、家と家との間の距離も離れている。
一つ一つの家の屋根の下をくぐって行くよりかは、まっすぐにナーサの家へと向かった方が早く、ティアーシャへの負担も少ない、とソウカは判断したのだ。
しかし、当然ながら雨に打たれている以上、ティアーシャの体力は削がれていく。そこで彼女自身が提案したのは『吸血行為』だった。
「…私の…血を?」
「…そ。血を飲めば回復能力も多少なりとも、上がるしな…」
吸血鬼の固有能力『吸血強化』。この能力は吸血をしてから一定時間の間、いわゆるブースト効果というものが付与される。それまでに受けたダメージが消えることはないが、彼女の言う通り回復速度の上昇には繋がるだろう。
「…。仕方ないわね。い、痛くしないでよ?」
本物の吸血鬼から『吸血行為』の対象になってくれ、と言われソウカは少し恐怖した。しかし数秒考えた後、首だけ後ろに向けて頷いた。
その頬は、どこかちょっぴりと染まっていた。
「…それは保証できない…な」
「は…はぅんっ!」
ティアーシャはその言葉を聞いて直ぐに己の鋭い牙をソウカの首筋のきめ細やかな肌にそれを突き刺した。
「あ…あぅ…っ!」
吸血鬼の吸血により、目が虚ろになり味がガクガクと震えるソウカ。
実は高確率で吸血を成功させるために、吸血鬼の牙に噛まれた者は決して強くはないが軽い催淫効果に見舞われる。決して、決して強くは無いのだが、そうすることによって吸血中に対象から逃げられる可能性が低くなり、痛みが減るのだ。
ちなみにその効能があるのは上顎の牙にのみであり、下顎の牙にはない。
「んっ…。ごちそうさん…」
ソウカ相手に吸血を終えたティアーシャ。
その顔は心做しか顔色が良かった。
「はへぇ…」
しかし今度は逆にソウカの足が立たなくなってしまっていた。なんとか歩こうとしているが、その度に膝からカクンッと力が抜けてしまっている。
「ソウカ…大丈夫か?」
本来なら自分で歩くのが良いのだろうが、あいにくまだ歩けるほどに回復しているわけではないので、ナーサの家に行くまではソウカに頼らなくてはならない。
「え…ええ。な、なんとか…」
ソウカは力なく頷いた。その顔はどこか紅潮していて、しっかりと焦点があっていなかった。
知っての通り原因はティアーシャなのだが、彼女自身自分の牙にこんな力があることを知らない。
というのも、今まで吸血を行ったのは既に死んだもの。または敵対関係にあるものだ。基本的に上下の牙で喉を引きちぎるようにして吸血を行ってきた訳であって、こんな風にコミュニケーションをとることができる相手を吸血すること自体初めてなのだ。
「顔、赤くなってんぞ?」
「…いや、誰のせいよ」
なんとか持ち直したソウカはキッとティアーシャのことを一瞥すると、一度ティアーシャを背負い直して再び歩き出した。
---
空間が、凍りついたようだった。
音も消え、動きも止まった。
「え、…え…」
「楓さん…。楓さんっ」
唐突に、最後の身寄りである義母の死を告げられた楓。
ぐらり、体が揺れたところを新が支える。
「う、う…。嘘ですよね?お義母さんが…そんな嘘ですよね?」
「っ…」
新は涙ぐむ楓を見て一瞬心がゆらいだが、いづれかは伝えなくてはならないことだと自分に言い聞かせ、ゆっくりと首を横に振った。
「…なんで」
「楓さん?」
「なんで!?誰が!?誰が私の家族を奪うの!?なんで!…なんで…」
「…楓さん…」
楓の叫びだった。普段、大人しく優しい楓がこうやって声を荒らげることは初めてだった。
「…次は…私?私も、殺されちゃうの…?」
楓が膝をついた。目からは涙が溢れ、とても目も向けられない状況だった。
「…楓さんは絶対に守る。約束する」
そんな楓を、新はぎゅっと抱きしめた。
「う…あぁぁ、ぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
そこで、楓は。ようやく深い悲しみに襲われた。
止まることのない涙。年頃の人間には重すぎる家族の消滅という事実。
ずっと、ずっと我慢してきたものが全て破裂したようだった。
---
「すみませーん。ナーラさんいらっしゃいますかー?」
「…奈良じゃねぇ。ナーサ」
「ナーサさんいらっしゃいますかー?」
ソウカが片手でナーサの家の扉を叩いているのだが、そこからナーサが出てくることは無かった。
「…留守かしら?ちょっと待って」
ソウカは右手の小指を蛇に変形させ、小さな鍵穴からそれを建物の中に送り込んだ。
プライパシーの欠片もねぇな。
幸い、扉の上には屋根があるのでこれ以上体力が消費されることはない。ただ、ここまでに相当な量の体力を消費させられたので回復にもかなりの時間を要しそうだ。
「今のところ…家の中に人影が見当たらないわね。でもすぐに戻って来ると思うわよ?」
「何でそんなことがわかるんだ?」
「厨房の鍋がまだ暖かいのよ。鍋を温めていた人がこの家を出てそこまで時間が経っていない証拠よ」
厨房というのはルントの店の厨房のことだろうか。まぁ、どちらにせよ帰ってくるのであれば問題はない。
「ま、とりあえず中で休みましょ?」
「いや、鍵が…」
この家の鍵は持っていない。なにせ、勢いに任せて家を飛び出したもんだからな。合鍵を貰うのを忘れてたんだ。
「鍵くらいなんてことないわよ」
「なに世紀の大泥棒みたいなセリフを『ガチャ』………うそぉん」
俺の言葉をかき消すようにして、鍵の外れた音がした。これには目をまん丸くして驚いてしまった。
「中に蛇を送り込んだのを忘れたの?」
「あ…」
もしやそれを操って中から鍵を開けたってのか?
おいおい、やっぱりプライパシーの欠片もねぇじゃねぇか。
「さ、入りましょ」
「お、おう…」
まるで己の家のようになんの遠慮も無しに扉を開け、入っていくソウカ。こいつ、冒険なんかするよりも泥棒してたほうが稼げるんじゃねぇの?
「…ふぅ。ほら、さっさと降りなさい」
「お前、怪我人に対する扱いが雑過ぎねぇか…?」
俺はソウカの前で組んでいた腕をほどき、玄関に腰を下ろす。
「あれだけの間おぶっていたのに、ここまで疲労がないなんて…。あなた、どれだけ軽いのよ。それだけ大きいのに…」
ソウカは鋭い目付きで俺の胸を見つめた。
「別に欲しくて持ってるわけじゃねぇし。欲しいなら持ってけ。敵と距離を詰めて戦う時なんぞ、邪魔でしかねぇしな」
「なっ…」
ソウカは頭に血を登らせて顔を真っ赤にしていた。まぁ、女性のコンプレックスに触れるのは良くないことだとは分かってる。けど、まぁソウカだし?実際にこれ邪魔だし?欲しいなら、あげるよ?
「それより、ナーサ達はどこに行ったんだろうな。ここに来るまでに人影一つ無かったわけだし…なっ!?」
「あら、ゴメンナサイ。もう大丈夫かと思って」
「お前なぁ…」
体調不良者を乱雑に下ろすとか、最低だそ!思いっきり腰を殴打したじゃねぇか。
「まぁ、そんなに心配なら私が見て来るわよ?当分の間動けないあなたに付き合っているのも暇だしね」
「…そ、だな。じゃあ暇つぶしにでも、この町の探検してこいよ。俺も、一人の方が回復が早そうだしな」
「…、一生帰らない方がいいのかしら…」
ソウカは何かをぼそっと呟くと、軽く苦笑して扉のノブに手をかけた。
「じゃ、ここの住人捜しがてらこの町の探索でもしてくるわ。こんな小さな町にいったい何があるのやら、私も気になるしね」
「おう。俺はここで寝てるから」
そう言ってソウカが扉の外に出たのを確認して、俺はゆっくりと目を閉じた。
家の匂い。変わらない置物。
たった一年しか経っていないのに、それらがどれも懐かしく感じた。
「やっぱり…ここが俺の家なんだ、な…」
俺はそこで体を倒してゆっくりと目を閉じた。瞼の裏にはナーサの姿が写っているような気がした。
---
「おぅえ…」
しかし、寝起きの気分は最悪だった。突如襲われた吐き気によって意識が引き戻されてしまう。
「…き、気持ち悪い…」
『それほどダメージの蓄積が多かったのでしょうね。今はゆっくりと休んで下さい』
体を起こして込み上げてくる胃の内容物をなんとか抑えていると【解析者】が優しい声色で言った。
「休みたくても…、吐きそうな時に休めるわけ、ない、だろ」
口の中に酸っぱい味が広がる。どう考えても吐く前兆だ。
俺が吐き気に苦しんでいると、ふと【解析者】が呟いた。
『ん?…おかしいですね』
「うぇ…なにが?」
吐き気を押しとどめながら、俺は【解析者】に問う。
『先程の雨のダメージはほとんど完治しているんです。…ですが、別のダメージが、それも先程までとは違う種類のダメージが新たに蓄積してきているのです』
「違う…ダメージ?」
もし仮に【解析者】の言っていることが真実だとしても、俺にどうやってダメージを与えてるって言うんだ。誰かに何かをされているわけじゃねぇし。
「でも、どうやって?」
『私にもわかりま…。…ティアーシャ、そとに生体反応が』
「生体反応?」
ふと、ドアの方に目をやるとそこに埋め込まれたガラスからうっすらと人影が見える。
「ソウカじゃねぇの?」
もしかすると、ソウカが戻ってきたのかもしれない。俺も軽く寝ていた訳だし、彼女が帰って来てもおかしくは無いはずだ。
『いえ。気配が違います。体から溢れるエネルギーが魔力ではありませんし、この気配はあなたが一度も会ったことの無いものです』
「俺が会ったことのない奴?」
ザァッと、空気が冷えたような気がした。こめかみからは冷や汗が流れる。
ドアの向こう側から溢れてくる強大なプレッシャーに、思わず体が退いた。
「いや、まさかこんな小さな村に刺客が来るなんて…そんなはずは…」
『それを、あなたの元いた世界では【フラグを立てる】と言うのでは無いですか?』
「…うっせ」
【解析者】の苦笑混じりのセリフを軽く流すと俺は両腕を使って立ち上がり、ドアノブに手をかけた。
「っ…」
唾を飲み込み、意を決してノブを引く。
生暖かい空気がそこから流れ、髪が靡いた。
ドアの向こう側に立っていたのは、フードを深く被った小さな少女。
フードから覗くその紫陽花色の瞳が、微かに揺れたような気がした。
「…」
「…」
互いに数秒間見つめあった後、初めに少女が口を開いた。
「こんにちは」
「え、お、ぉぅ。こんにちは」
『子供に先に挨拶させて、あまつさえ驚くなんて…あなた最低ですね』
(うっせ)
まさか冷静に挨拶されるとは思って無かったんだよ。それに俺のコミュ力の低さを知らねぇのか。
「…あなたが、ティアーシャ?」
少女がこてんと首を傾げながら聴いた。
…なにこの子かわいい。俺が男のままだったらよからぬ事をしてしまいそうなほどにかわいい。
だが、俺には分かる。同性であるというのも関係しているのかもしれないが、この少女の可愛さは作り物の可愛さであって、彼女がこの可愛さをわざと作っているということを。
まぁ、この少女くらいの年代だったら可愛こぶりたがるのが普通だろうし、致し方ない事なのだろうけど。
「そう、おr…私がティアーシャ」
あぶねぇあぶねぇ。初対面の少女に男言葉で語りかけそうになった。シーカーの時の二の舞にならないように、口を開く時は細心の注意を払わねば。
「で、お…私がどうかした?」
ってか、この子。なんで俺の名前を知ってるんだ?まぁ、俺はこの町じゃ結構知られているしな。俺がコルミヤに行っている間に俺のことを町の人から聞いたのかもしれない。
「ティアーシャ」
「ん?」
「ようやく、見つけた」
刹那、少女の小さな口が不気味に微笑み、その体から殺気が溢れた。