第36話 吸血鬼と別れ
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『すみ…ませン…。あなたの、体と波長ヲ、あわせます。構えてくださイ…』
「ん?【解析者】?どした?」
「…解析者?」
随分と久しぶりに聞く気がする【解析者】の声に思わず声を出して反応してしまった。
まぁ、俺を吸血鬼と知っているソウカには打ち明けても特に害はあるまい。
「ん。【解析者】。俺の体の中にある魂とは別の魂…的な事を本人が言ってた。【解析者】はその名前のまんま、相手の強さを測ったり、アドバイスをしてくれる俺の相棒だよ。…ま、昔はただの馬鹿真面目で、機械みたいなやつだったんだけどな」
そういえば、俺の体が急成長した時に【解析者】も人間らしくなったんだよな。つい一年前くらいのことだったと思うけど、懐かしいな。
「ま、それは後でじっくりと教えてやんよ。…さて、そろそろ地上に戻ろうか…っ!?」
俺はカイナ達を起こすために一歩踏み出そうとしたが、急に膝から先に力が入らなくなりがくんと膝をついてしまう。
「…まだ蛇の毒が残ってんのか?」
「?いや、即効性の神経毒ではあったけど、効果はそこまで長くないはず…。ちょっとこっちに来て、見てみるから」
毒の有無の診察も出来るのか。と、ちょっと感心してソウカのもとへ向かおうとするが、やはり足が動かず、やがて腕にも力が入らなくなっていた。
「…?」
「どうしたの?」
「…体に力が入らな…」
そこで言葉が打ち切られた。誰かが喋ったわけでもなく、洞窟に広がるのは静寂のみ。
世界が反転し、滲む。
全身から力が抜け、熱かった。
「あ…ぐ…」
「ど、どうしたの?」
そして次の瞬間、先程までソウカに締め付けられていた時の痛みと類似したそれが体を蝕んだ。
痛みを通り越した『何か』が全身を痛めつける。
視界がぶれ、チカチカと点滅するようだった。
「いっぐっぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
止まることの無い激痛に絶叫し、口から血液をぶちまけ、数秒後。
意識が途切れた。
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「…はぁっ!はぁっ!新さん、来ましたよ!」
新さんから電話がかかってきてから、タクシーを捕まえて雪と一緒に警察署を訪れていた。
その後、受付に行くと既に話は通っていたようで、受付の女性が案内してくれた部屋の扉を勢いよく開けた。
しかし、その中の新さんを含む刑事さん達は皆、暗い表情を浮かべていた。
「…新さん…?」
「…雪さんは?」
…雪『たん』では無くなっている。確かに仕事場で幼女を愛でるのはどうかと思うが、なにか、その声には暗い物が隠されているような気がした。
「一緒にいますけど…」
私は受付の女性の服をちょこんと握っている雪のことを見やった。
それを見た新さんは他の刑事さんと頷きあって言った。
「…雪さんは少し別の場所に離した方がいいかもしれない。田中、その子を別の部屋に」
「はいっ」
受付の田中さんはキレのある返事をすると、雪の手を軽く握った。
「それで、楓さん。ちょっとこっちに…」
「かえで…?」
そして新さんが私に向けて放った言葉に対して何故か手を握られている雪が反応した。
「…雪さん?」
「楓…。か、かえで」
急に私の名前を連呼し始めた雪に、皆驚きギョッとしている。
「う…ぅ…ぁ…」
「っ!?」
そして雪は田中さんの手を振りほどき、その場で頭を抱えて蹲ってしまった。
普通、これだけ小さい子がこんな行動を取ったら誰か彼女の元へと向かうだろう。しかし、今に至ってはそんな行動を取るものは誰もいなかった。なぜなら…。
「か、髪が…」
田中さん尻もちをついて退いた。
そう、前に雪が私の家に来たその日。
その時と同じようにその長く美しい白銀の髪の毛が毛先から紫色に変色していっているのだ。
「雪っ!?大丈夫!?」
思わず私は雪に飛びついた。しかし、雪は未だに体勢を変えず唸り続けている。
「…ぅ…ぁ…。く…ぅ…」
しかしそれは、髪が全て紫色に染まる直前で、雪の体はまるで糸を切ったかのようにプツンと倒れてしまった。そして数秒後、髪の色は元の白銀色へと戻って行った。
「…一体…なんなの?」
「…。田中。その子を医務室へ」
「っ…。わ、分かりました」
新さんに命じられ、一瞬瞳を揺らした田中さんだったが、頷いて雪の小さな体を抱えて走っていった。
「…雪」
「楓さん、雪さんの事は後にしておいてくれ。本題に入らせて欲しい」
雪の名前を呟いた直後、刑事さん達の一人に声をかけられた。しかし、やはりその声は重々しかった。
「あ、はい。すみません」
「いや、何。謝る必要はないよ。…その…だな。大変伝えにくい事で、本当なら伝えていいことではないはずだ。しかしいずれは知れてしまうのだから今、知らせておこうと思う」
「?何ですか?」
何?愛の告白?いやー、ちょっと無理ですね。タイプじゃないかも。
そして、その刑事さんはゆっくりと、口を動かした。
「…。君の…お義母さんが…亡くなった」
「………は?」
私の思考が、停止した。
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「ぐ…」
瞼の裏に強い光を感じる。それから逃れるために体
ひねろうとするが、うまく体が動かない。いや、硬直してしまっている、という方が正しいのだろうか。
「起きましたか。大丈夫ですか?」
ぴたりと、ひんやりと、しかしどこか温かみのある何かが額に置かれる。
「…ん」
ゆっくりと思い瞼を持ち上げると、そこには相変わらず消えないクマを目の下に染ませたコエがいた。
「気分はどうですか?」
「最悪です」
笑顔で聞いてきたコエの顔が一瞬引きつった。いや、気分が悪いのを悪いって言って何が悪いんだよ。
「…洞窟の中で血まみれになって倒れていたとのことですよ?一体何したんですか?」
「…洞窟…?…あー。確か…」
「巨大な蛇に襲われたのよね」
俺の声を遮り、コエの後ろからひょこっと顔を出したのは…。
「ソウカ…」
まさにその大蛇本人である。
「この子がティアーシャさんをここまで運んで下さったんですよ?…まったく…金ランクとしての尊厳は…」
「いや、…コエさんの後ろにいるそいつがその蛇ですよ?」
「「…へ?」」
コエがギギギギとゆっくりと振り返った。ソウカ本人もまさか本当のことをバラされるとは思っていなかったのか戦慄の表情を浮かべたまま固まってしまっている。
「いきなり洞窟の奥底に転移させた挙句、小さな蛇を使役して神経毒を注入させて、絞め殺そうとして…。大変だったんですよ」
はぁ…。とわざとらしく大きくため息をついてみせる。するとそんな俺を見て顔を真っ赤にしていくソウカが口を開いた。
「で、でもその後倒れたあんたをのここまで連れてきたのは私なんだからね!他のお連れさんも運んできて…疲れたのよ?」
「いや、自業自得だろ?」
「ムキィィィィ!!」
こめかみに青筋を浮かべたソウカは俺に向かって大量の蛇を仕向けてきた。
「おいっ!馬鹿!こっちはまだ回復が!ソ、ソウカァァァァァ!!??」
幸いなことに蛇達は牙を立てず、どれもやんわりと俺の体に噛み付いていた。
…この蛇達がソウカの気持ちを表してるのかもしれないな。
その後、俺が大怪我を負ったということから今回の護衛依頼は中止になった。
実際の人間であれば全治三ヶ月はかかる、というわけらしい。
まぁ、俺は吸血鬼だから全治にそこまで時間はかからないんだけどな。
もちろん、金は一切貰っていない。依頼を完遂していないのにも関わらず、礼金を貰うような詐欺師にはなりたくないんでな。