第34話 吸血鬼と蛇
そして、眩い閃光と共にティアーシャの意識は失われた。
何事もなかったかのように静まり返る洞窟の中には、一本の淡い光を放つ剣が横たわっていた。
---
「む…く…」
まるで鈍器かなにかで殴られたかのように頭が痛んだ。
痛む頭を手で抑えながら地面に手をついてゆっくりと立ち上がる。手の感触的にここはまだ洞窟のようだ。
通常の人間であれば確実に視界の効かない闇の世界。どこかに松明がかけてある訳でもない。
まぁ、俺は夜目が効くからどうってことはないんだが。
「…ん?」
ぐるりと周囲を確認しながら、再び魔眼を発動する。数メートル離れた所にいくつか魔力の塊が見える。おそらくカイナと生徒達だろう。
俺はトラップが発動した時に彼らと距離があったが、今もだいたいその距離を保ったままだ。
転移系トラップ、にしては転移させた物が多すぎる。
つまりこのトラップは空間ごと転移させる、空間転移系トラップだろう。それも、誰かが意図的に仕掛けたもの。決して自然発生のものではないだろう。
「…な…?」
今だ倒れているカイナ達に駆け寄ろうとしたところで、魔眼を発動している目に大量の魔力反応があった。並大抵の量ではなく、数え切れないほどの。それも、どんどんと増えている。
「蛇…!?」
それは全て蛇。地面を覆い尽くさんとする蛇が俺目掛けて這い寄ってきているのだ。
「く…?…剣が…ねぇ」
慌てて腰の剣に伸ばした手は空を掴んだ。そちらに目を向けるとそこには鞘しかなく、剣本体はなかった。落とした様子もなく、ここら周囲にそれらしきものは見当たらない。
「【解析者】!なにがどうなってんだ!」
『私にも分かりません!ですが、その大量の蛇はあなたをターゲットにしています!ただの蛇ではないでしょう。気をつけてください!』
「っつっても、剣がねぇのはちとやべぇぞ?」
大量の生き物を退けるのに有効なのは範囲魔法だ。一発で多くを倒せる。しかし、今近くにカイナを含む六人の人がいる。
下手に強力な魔法を使って巻き込むわけにはいかない。
となると下級の魔法を使うしかないのだが、巻き込む対象が少ない下級の魔法を使うとなるとかなり回数を要求され、その回数に比例して魔力の消費も増え、やがてクールダウン時間が必要になってしまう。
「やるしか…ねぇか…」
蛇は俺を中心に集まってきている。だから出来る限りカイナ達から離れるようにして蛇を誘導していっきに蛇をかたづけるしかない。
「【風刃】!」
風の刃を放ち、数体を巻き込み、両断する。
「いくらなんでも多すぎんだよぉぉ!!」
数多の魔法を放つ。蛇の鮮血がその度に宙に舞う。
それでも蛇の数は減る様子を見せない。
「ぐっ…ぅぅ…」
蛇に四方を囲まれ、ついにその牙に足首が捉えられる。
「くそっがぁぁ!!」
それでも戦うことを止めない。魔法を、時に体術を駆使し迫り来る蛇を片付けていく。
「…ぅ…ぁ…」
しかし数分後、膝を着いてしまった。単純な疲れとは明らかに違う、体の底からの倦怠感。
手足が震え、呼吸も荒くなっていた。
「ヒヒヒ…アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!よくやったわ、私の蛇ちゃん達。そんな大物を倒してくれるなんて、流石ね」
「…だ…誰…だ?」
暗闇の中に響き渡る高らかな笑い声。
「…これから死ぬやつに、名乗る必要なんてないでしょう?」
俺の前方に翡翠色の幾何学文様の魔法陣が発生し、そこから一人の、魔法陣と同色の長い髪の毛をした少女が姿を現した。
「下がりなさい」
その少女が右手をスっと突き出すと俺の周りにいた蛇は彼女のその腕に巻き付き、まるで吸収されるかのように消滅していった。それと同時に少女の周囲に、空気を揺るがすほどの殺気が立ち込める。
「っ…」
『どうやら先程の蛇は神経毒を持っていたようです。今解毒を行っていますから、動かないでください』
「…ぅ…ぁぁぁ…」
震える腕を持ち上げる。
『動かないでください!!』
そんなこと、出来るわけねぇだろ。今、解毒をしたって遅せぇのは分かってんだ。
もたもたしてたらこいつに殺される。確実に。こいつの殺気はそれほどのものだ。
「…【水砲】!!」
歯を食いしばって手の平から高水圧の水流を発射する。
「フフフ…余程死に急ぎたいのね!なら直ぐに…」
少女の姿が水砲によってかき消された。
「楽にしてあげるわ!」
そして代わりに巨大な蛇がその大きな口を広げ、水流に巻き付くようにして俺に向かってきていた。
「なっ…がふっ!?」
体に毒が回っているせいで上手く回避が出来ず、蛇の体当たりをまともに食らってしまった。
そのまま大きく吹き飛ばされ、背面から洞窟の壁にぶつかり肺から空気が漏れる。
「あらあら、まだ倒れないの。思ったよりもしぶといわね」
巨大な蛇が少女の声を発している。その度に細く長い舌と鋭い牙が見え隠れする。
「…ぬ…ぐぅぅ」
壁を頼りにして立ち上がろうとするも膝に力が入らず、四つん這いの状態になってしまう。
「そんなに無理しなくても…もう意識を保っているだけで精一杯なんでしょう?」
ゆっくりと巨大な蛇が距離を詰めてくる。逃げたくても逃げられない。倒したくても倒せない。
自分が、俺が、ティアーシャが、今この状況で無力だということを悟った。
「図星みたいね。…まあ精々楽しませて頂戴。あなたが『死にたい』っていうまで殺さないから」
「このっ…サイコパス…蛇が…」
「フフッそんな余裕ぶっていられるのも今のうちよ」
蛇は俺を嘲るように笑うと俺の両足から縛るように巻き付き始めた。
「っ…」
しかしそれは首まで届かず俺の胸元辺りで止まった。そして今、俺の目と鼻の先ほどの距離に蛇の顔面があるのだ。
「あなたはいつまで耐えられるかしら?」
「がぁぁぁっ!?」
そして次の瞬間、体に今までに感じたことのないくらいの圧力がかかった。
それは蛇がまるで獲物を捕らえるようにして巻き付き、絞め殺しているようだった。
「ぐぅぁぁぁ…」
必死に腕に締め付けとは反対の方向へと力を入れ、抵抗するも体に回った毒の影響で大した効果は成さなかった。
そしてやがて体のあちこちから鈍い音がなり始め、その音源からじわじわと痛みが走り始める。
「あぐっ!?」
「まず一本っ。ってね」
次々と全身の痛みが最高潮へと達する。その度に高らかな音が洞窟に響き渡り、脂汗が滲みと絶叫が響き渡る。
「ごふっ」
折れた骨が肺に刺さったようで口から血液が溢れる。
「…。よく耐えるわ。ここまでしぶといのはあなたが初めてよ…ま、それもここまででしょうけどね」
俺の潤み、ぼやけた目はすぐそばの蛇の牙が徐々に近づいているのを捉えていた。しかし、今の俺にはもうそらから逃れる手段も、気力も、体力も、どれものこっていなかった。残っていたのはこの苦しみから逃れたいという願望のみ。
「…楓」
ぽつり。最愛の人の名前を呼んだ。それと共にうっすらと視界に焦げ茶色の髪の毛を低い位置でツインテールにまとめた少女が浮かび上がる。
…あぁ。紛れもない。俺の妹、楓だ。ずっとずっと会いたかった人。
でも、ごめん。
会えねぇわ、会って話せねぇわ。
荒幡ススムとしての俺も、ティアーシャとしての俺も。どっちもいなくなっちまう。
悪い、こんな兄貴で。
こんな…
お兄ちゃんで。
『諦めるのですか?』
じゃあどうしろってんだよ…。
『あなたは何のためにここまで来たのですか?なんのためにナーサのもとを離れたのですか?なんのためにここまで強くなったのですか?』
そりゃ…。
『あなたが諦めたら駄目です。あなたが妹に会いたいという願いを持っているから、ここまで来たんです』
俺だって諦めたくねぇよ!生きていてぇよ!でもどうすりゃいいんだよ!
『…あなたは私』
…は?
『私はあなた。あなたがこの世界に来てから一時たりともそばを離れたことはありません。…あなたの心の中の思いも、全て知っています。私もあなたの願いを叶えたい。あなたの妹に会いたい』
…。
『だから…諦めないでください。私も…私も…
戦います
時が止まったのかのような錯覚に陥った。
『私達は…一心同体です』
その声は、どこか悲しげな。しかし、気力に満ちた声だった。
『…はぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
叫び声がきこえた。今までずっと聞いてきた相棒の、しかし聞いた事のない叫びだった。
視界が紫色に染まった。
擽るような風が頬を掠めて行った。
「っ」
刹那、力の抜けた体に力がみなぎり始め、全身を襲っていた激痛も引いていった。
「【雷電】!」
もちろんその機会を逃すはずもなく、俺は蛇の顔面へと向けて指鉄砲の形にした手から雷撃をほぼゼロ距離で放った。
「ぐっ!?」
さほど効果はなかったようだが、怯ませることには成功した。その隙を逃す訳がない。
「--風よ。全てを吹き散らし、運ぶものよ。今、その力を…俺に託さん。【風陣】!」
出来る限りの速さで詠唱し、風上級魔法【風陣】を発動。自分の周囲にかまいたちのような風を大量に発生させる魔法。先程この蛇が俺を吹き飛ばしてくれたことによってカイナ達からの距離が開いたため、範囲魔法もある程度のものなら使える。
「きゃあぁぁぁーーっ!?」
今、次々と風が蛇の体を切り刻んでいっている。
その痛みから、蛇の口から絶叫が飛び出、俺を締め付ける力も弱くなる。
「おぉ…らぁっ」
腕に力を込め、体と蛇の胴体との距離を大きくし脱出する。
「…ぅっ」
蛇と少し距離をとって体勢を立て直す。上級魔法の行使により一瞬目の前が歪んだが、唇を噛み締めて耐える。
「はぁ…はぁ…」
ちらり、蛇のいた方に目をやるとそこにその姿はなく手を膝について肩で息をしている翡翠色の髪の少女がいた。
「やってくれたわね…?」
「…そっちだって俺のことを絞め殺そうとしたじゃねえか。これでおあいこだな」
ちょいと肩を竦めてみるも、さほど余裕がある訳でもない。上級魔法の行使によりしばらく中級以上の魔法は使えない。剣もないから初級魔法と体術を合わせて戦うしかない。しかしそうなれば、またあいつが蛇になった時にさっきの二の舞になりかねない。
「…はぁ…はぁ…。まさか…そこまで回復能力が高いなんて…想像もつかなかったわ」
「回復が早いのが売りでね…」
とは言ったものの、先程の回復力は異常だ。あの感じ、【解析者】が何かしらしてくれたのだとは思うが…。
「で?まだ続けるのか?」
「…無理。降参するわ、あなたの勝ちよ」
少女はそう言い切るとまるで糸が切れたかのように地面に仰向けに寝転がった。どうやらかなりのダメージが【風陣】によって入っていたらしい。
「そりゃどうも。…で?お前は俺達をここに連れてきて、なにをする予定だったんだ?」
「…」
「おい」
「…ん。わかったわよ、言えばいいんでしょう?」
目をそむけて渋ったので軽く殺気を向けてやると少女は上半身だけ起こして了承してくれた。
「あなた…昔から伝わる伝説、知ってる?」
「…悪いけど伝説とかそういうのに疎くてね」
「…そ。なら初めから説明するわ」
そうして、少女は語り始めた。