第29話 吸血鬼と冒険者と美少女と
「さて…どうしようか…」
私はリビングでお粥を頬張っている美少女のもとへと戻った。
「うーん…とりあえず、お風呂にでもいれてあげよっか」
まあ、裸で外にいたわけだし風邪を引かせてしまったらいけないからね。
洗面所のとなりにあるお風呂場の扉をスライドさせ、中に入り給湯器のスイッチを入れる。
『お湯張りをします。お風呂の栓の閉め忘れに注意してください』
するとそこから毎度毎度流れる機械音声が。まあ、お風呂入れるのに栓を閉め忘れる人なんてそうそういるはずが…
「栓閉めてなかったぁぁぁ!!」
あった。
‐‐‐
「…」
「…」
その後、お風呂が沸くまでの間私はリビングにてお粥を平らげた少女と見つめあっていた。
「どんな名前がいい?」
それは少女の名前を決めるべく。やっぱり名前を決めておかないと後々不便そうだしね。
「うーん。綺麗なのがいい」
「綺麗なの…ねぇ」
というかそもそも日本人っぽい名前でいいのだろうか?まあ、日本語は喋られるみたいだからそこまで気にはならないだろうけど…。
「綺麗なの…」
しかし、私に少女が望むような名前をつけられるほどのネーミングセンスなんてない。私が名前を考えたらこの子の可愛さが半減する気がする。
「…半蔵…とか」
「ハンゾウ?変な名前ー」
「…」
ダメだった…。やっぱりダメだった…。無理だよ、私が名付けするなんて…。
「…」
「…」
二人の間に静寂が訪れる。
『~♪お風呂が沸きました』
しかしそれは機械音声によって破られる。ちょうどいいタイミングかもしれない。
「あ、お風呂沸いたよ。入る?」
「うん!お風呂入る!」
それを少女に告げると嬉しそうな、満面の笑みを咲かせてくれた。ちょっぴりしんみりとした雰囲気になっていたのがなくなってくれてよかった。グッジョブお風呂。
‐‐‐
「お姉ぇちゃん。脱がせてー」
「…」
どうしてこうなった。
現在、洗面所の前でだぼだぼの服を着て“バンザイ”している美少女がいる。
そうだ、忘れていた。こんなに小さい子を一人でお風呂に入れることなんてあり得ないのだ…。
「ごくり…」
「お姉ちゃん?」
違う。私は“あの人”とは違ってロリコンじゃない。
幼女の艶やかな肌、まん丸とした大きな瞳、さらさらの髪の毛、小さくほんのりと朱色の唇。そんなのに興奮する変態じゃない。
「…い、いくよ…」
「んーっ」
ついに腹をくくることにした。バンザイしている少女の服を掴んで上に引っ張る。
「…」
すると跳ね上げられた白銀の髪の毛が、まるで雪のように宙を舞った。
「…綺麗…」
黒髪とか茶髪とかとは違う、美しさがある。
それはほんの一瞬のことのはずなのに、私には髪の毛が重力で落ちていくまでの時間がとても長く感じられた。
「…雪…そうだ!雪!」
「?」
急に声を上げた私を見上げて、少女はぽかんとしている。
「どうかな?あなたの名前!雪でどう?」
「…雪」
少女はその名前を噛み締めるようにして呟いた。
…さすがに安直すぎたかな?
「うん!とっても綺麗!ありがとう!」
少女の顔に花が咲いた。
「よし!雪!お風呂入ろっか!」
私は腕を上げて、言った。
「わかったー!!」
少女…いや、“雪”も同じようにして腕を上げた。
…ちょっと沈んでいた気持ちが…楽になった。
‐‐‐
「…【風刃】」
風の刃が地面をえぐった。
それはいまだなお口論を続ける三人の冒険者の足元の地面。
「ひぃぃぇぇっ!?」
「なに!?襲撃!?」
「うぉぉぉっ!?」
「……」
今度は足元が急に抉れたことに対してギャーギャー騒ぎ立てる三人。
…この程度で驚いててよく冒険者できるよな…。
「…おい、ちょっと静かにしろ。…別の敵がこっちにやって来てる」
「…え?」
「別の敵?」
一同ぽかんとした顔でこちらを見てくる。どうやら今度は聞こえたらしい。
「…お前らが騒ぐから寄ってきてるんだよ…。…戦闘準備しとけ」
「…う…。ごめんなさい…。でも私達、もう回復薬切らしちゃってて…戦えない…かも…」
ラルドが急に疲れたような顔をする。
おいこら、さっきまで大声で口喧嘩してたじゃねぇか。その元気はどこ行ったんだよ。
「はぁ…、わかったよ。…回復させてやるから」
「へ?回復?」
「…ん」
ラルドのもとに足を動かし、その体に手のひらを触れる。
そして、体の中を流れる魔力をそこに集中させる。
「わぁ…」
するとそこから翡翠色の光が放たれ彼女の傷を癒していく。簡単な回復魔法だが、軽い戦闘くらいならできるだろう。大声で口喧嘩する元気もあるわけだし。それに全ての傷を癒したりでもしたら俺が魔力のガス欠で動けなくなってしまうからな。
「すごい…。ティアーシャさん…だっけ?は、魔術師なの?珍しいね…」
「魔術師?…まぁ…そんなところかな」
そう言えば前にナーサが言ってたっけな。魔術師はめったにいないとかなんとか。
「…さて、どっちが筋肉かで争っていたお二人も治療してやんよ」
「ど、ども…」
先にサンスから治療する。んだこいつ、顔を真っ赤に染めやがって…。
「ん、終わりっと。はい次」
そしてハルキの治療を開始する。
「…なんかティアーシャさんって、男っぽいしゃべり方するよね…」
その最中、弓の弦の様子を確かめながらラルドが口を動かした。
「…知り合いにも注意されてる…」
「…でもティアーシャさんはそっちの方が似合ってる気がするな。私はそのままでいいと思うよ」
「…ありがと。はい、治療おわり」
…ほんの少し、嬉しかった。
「ティアーシャさん照れてる?」
「…照れて…ない」
治療を終えたハルキの体から手を離し、懐から深紅色の液体の入った小さな小瓶を取り出す。
「ティアーシャさん、それ何?」
「ん?…あー、魔力回復薬みたいな感じ?」
コルクを脱いで中の液体を飲み干す。口の中にとろりとした液体の感触が伝わり、広がるほんのりとした塩味と鉄臭さ。
魔力回復薬というのはあながち間違ってはいないのだけれども、吸血鬼限定。血液の瓶詰めだ。
先日、シーカーを助けた際に倒した狼の死体からジャックが抽出してくれた。なお、固まらないように限りなく密封に近い。
「ま、魔術師さんには必須だよね」
「…まあ」
ラルドはうんうんと自分の言葉に頷いていた。どうやら独り言が好きな性格らしい。
「さて、傷も癒えたことだしそろそろ行くか」
サンスが大剣を持っておもむろに立ち上がった。
「行くって…どこに?」
「いや、ベヒモスをあんたに取られちまったからな。別のやつでも探そうかと…」
彼はその橙色の髪の毛をわしわしと掻く。
「お前は馬鹿か?俺達三人で戦っても勝てなかったんだぞ?おまけに今は回復薬も無しだ。こんな状態で行ったってさっきよりも分が悪くなるに決まってるだろ?今日のところは引き上げようぜ」
ハルキがズボンについた砂を払いながら言う。
「…むぐ」
「それに私の矢だってもう少ないし」
ラルドは自分の矢筒をおろして見せつける。確かに赤い羽根のついた矢はもう数えるほどしか残っていない。
「…わぁったよ、今日のところは帰るとするか。…あとティアーシャさん?あんたにはそのベヒモス、くれてやるよ」
サンスがひょいと肩をすくませる。
「…まあ、初めからそのつもりだし」
とどめを刺した、と言っても俺がここに来たときにはまだピンピンしてたからな。こいつを倒したのは俺ということになる。
「じゃ、俺達は帰ってるから。頑張れよ」
「またな」
「またいつか会いましょうね!」
「…ん。こっちは解体してくから」
三人はこちらに手を振って俺の来た道を帰っていく。それを見届けてから、ベヒモスの死体のもとへと足を運ぶ。
『マア…挨拶モデキルシ、イイ人達デハナイデスカ』
「あいつらは小学生かよ…っと」
ぽすっと死体のそばに腰をおろしてベヒモスの解体を始める――前に
「久しぶりの、吸血…」
目を閉じているベヒモスの喉笛に犬歯を突き立てる。
もう死んでいるので、勢いよく血が溢れてくるようなことはないがそれでも歯が肉に食い込んでいくごとに赤い液体がほとばしり、喉を潤し、欲求を満たしていく。
…最近新鮮な血液を飲んでなかったからな…。今日は腹一杯堪能できそうだ。
そんなことを考えながら俺はむさぼるようにして血で体を染めていった。
‐‐‐
「ただいま戻りました…」
旅館の裏口の扉を開けるとちょうどそのそばにいたリーコがこちらに顔を向けた。
「あーティアーシャさん。遅かったですねー」
解体したベヒモスの牙、皮などをギルドで交換してもらっていたらつい遅くなってしまったのだ。
なんでも、あのギルドには【鑑定士】というモンスターのそういう素材とかを文字通り鑑定する人が一人しかいないようで、鑑定待ちに二時間ほどかかってしまったのだ。ギルマスも【鑑定士】の求人募集でも出せばいいのにな。
「…大丈夫ですか?いつもにまして顔色悪いですけど…」
「はは…吸血鬼だからじゃないですかね…?ぅぅ…」
心配そうな顔をしてきたリーコを軽いジョークで流そうと試みたが、途中で胃の内容物が込み上げてきた。
「…大丈夫ですか?」
今度はちょっと眉間にしわを寄せたリーコ。
もうさすがに嘘をついていられる余裕はない。
「ちょっと…ベヒモスの血…飲み過ぎ…て…」
そう、あの後ベヒモスの死体がミイラのようになるまで吸血に浸った。そのせいで白かった服が真っ赤に染まっているわけなのだが…。
「なにかお薬でも…」
「…いえ、大丈夫…です」
痛む胃を手で抑えかぶりをふる。腹痛くらい一晩寝れば治るものだ。
「そうですか…。その様子だと食事も取らずに横になられた方がいいでしょう。お部屋まで、どうぞ」
そう言ってリーコは俺に背中を向けてしゃがんだ。
「…すみません…」
俺は素直におぶさってもらう。今は羞恥心など気にしている場合ではない。少しでも気を抜いたら、胃の中の血液をぶちまけてしまいそうだ。
「…そ、そうだ…リーコさん…これ…」
「?」
俺をおぶって歩いているリーコに後ろからベヒモスの血液が入った小瓶を渡す。
「…今回…のベヒモスの血です。…よかったら…ぅ…」
「…。ありがとうございます、でもあまり無理しないでくださいね?今も、これからも」
リーコは前を向きながらそっと微笑を浮かべた。
「…善処…します」
俺も、一瞬だけ微笑んだ。
「っと…。どうします?私、ここに残りましょうか?」
リーコが俺をベッドの上に下ろし、布団をかけてくれた。
「…いえ、寝てれば大丈夫です。自業自得なのに…他人に迷惑はかけられません…」
そもそも俺がベヒモスの血を調子に乗って飲み過ぎたのが事の原因なのだ。俺の責任なのに、リーコの仕事に影響を出させるわけにはいかないからな。
「…そう…ですか…。では失礼します、なにかあったら呼んでください。なるべくこの近くにいますので」
「…わかりました。ありがとうございます…」
「…いえ、ではお休みなさい」
「…はい…お休みなさい」
軽く彼女と会釈を交わし、部屋のドアが閉じられたのを確認してから目を閉じる。
「ぅ…ぇ…」
しかし、気分が悪い中すぐに寝付けるはずもなく布団を乱しながら悶える。
「…ぅ…?…が…」
そしてしばらくして、なにか鋭利なもので突き刺したような痛みが腹部から背中へと移った。
「ぎ…ぁ…」
そして次に全身に移る。声にならない苦悶に満ちた言葉が口から漏れる。脂汗が額から流れていく。
「…ぅ…ぐ…」
食あたりにしちゃ、痛みが強すぎる…。
そんな思考を最後に俺の意識はブラックアウトした――。
――やめろぉぉ!!
――来るな化け物がぁぁ!!
――助けてぇぇ!!
気がついたら、辺りが騒がしかった。
目を開けて周囲を見回してみる。
赤く染まった空。赤く、血で汚れた地面。
恐怖に顔を歪めて、絶叫し、駆けていく人々。
――一体、何から逃げている?
そんな人々を観察していると、彼らはあるものを中心にして、そこから逃げるように走っているのだ。
その中心とは
――俺?
ちらり。視界の端に何か真っ赤なものが見えた。
それは俺が腕を動かすと、その通りに動く。
――は?
俺は両手を持ち上げて、目の前に掲げた。
するとその手は。白くて細いはずのその手は。
血で汚れていた。
――は?
自分の足下を見てみる。するとそこには全身を血で汚し、すでに息耐えた人間達が。
――俺が…やったのか?
否定したかった。
逃げたかった。
けれど、血で汚れたこの手がそれを許してくれない。
――嘘だ…嘘だ…。
その場に膝をついて、首を振って、それを否定した。
――違う。俺は…。
何人も、いや何百人もの死体が地面を覆っていた。
――こんなの…違う…
――違う!!!!!
「っぁっ!!はぁっはぁっ……え…夢…?」
体を起こすと、そこにはまだ目新しい部屋の壁があった。
カーテンが閉められた窓からはうっすらと光がさしている。どうやら朝になったらしい。
そして俺は恐る恐る己の手を見てみても、そこは白いままだった。
ほっと安堵のため息をつく。全身、汗がびっしょりだ。肌がベタつく。
「また…悪夢か…」
ぼふっと枕に頭を預ける。最近、見なくなっていたはずの悪夢を、再び見るようになってきている。
原因はわからない。ただ、それほど俺の精神は不安定な状況下にあるのかもしれない。
「とりあえず…起きるか…」
ゆっくりとベッドから降りる。寝る前と違っていて、体を襲っていた痛みや嘔吐感はなくなっていた。
そうして自分の体の調子を確かめていると不意に部屋の扉が開かれた。
「あ、おはようございます。ティアーシャさん…ご体調はどう…ですか?」
「あ、リーコさん…昨日は助かりました。ありがとう…ござい…ました?…どうかなさいましたか?」
「…」
リーコはドアノブに手をかけたままの状態で俺を見据えて固まっていた。その顔には驚愕の色が伺える。
「…ティアーシャさんが…大きく…」
「え?」
俺は自分の体を見下げてみる。
するとそこにはいままで存在しなかった二つの大きな膨らみが。しかも、着ている服があちこち破け肌の様々な場所が露出している。
「なっなんじゃこらぁぁぁぁ!!!!」
俺の大声が、朝が訪れたばかりの町に響き渡った。