第18話 吸血鬼は牙を向かれる
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「おいナーサ、ティアーシャ知らないか?」
「ティアーシャ?」
ティアーシャが作業を終えてしばらくした頃、ルントがナーサのもとを訪れていた。
「ティアーシャならさっきあんたのところにいったけど…?何かあったのかい?」
「いや、俺もそろそろ来る頃だと思って準備してたんだけど…。なかなか来ないもんだから心配でさ。まだこっちにいるかと思ったんだけど…。入れ違いか?」
ルントは顎をしゃくった。
「いや、もうとっくにそっちに着いているはずだよ。あの子は私達を心配させるようなことはしないし…何かあったんじゃ…」
ナーサは作業の手を止めて、服についた汚れを払いながら立ち上がった。
「かもしれない。…ちょっと俺、近所の家の人達に聞いてくるわ!」
「わかった、私もすぐ行く!」
ルントが全力疾走でナーサの作業場を飛び出していくのを尻目に、彼女は小走りで武器庫に向かった。
彼女の主な職業は採掘をすることだ。一から地面に穴を掘り、鉱石やらを採っていくタイプではなく、ナーサの場合は洞窟に潜って鉱石を採取するタイプだ。
当然、危険はある。モンスターに襲われたり、洞窟の一部が崩落したりと。だから本来、採掘をする者は極少数に限られているのだが彼女はあえてそこを選んだ。
戦友であった吸血鬼が殺され、冒険者を引退した元重戦士のナーサにとって洞窟のモンスターを蹴散らすことくらい何の苦でもなかったからだ。
そうやって冒険者を引退した今も武器を使う機会が多いため、彼女の作業場の近くには数多の武器が収納されている武器庫が建てられているのだ。
「…っと……」
木製のスライド式の扉を両手で開け、彼女は武器庫の中を見回りした。
「…“ティアーシャ”。あんたの“魂”、継がせてもらうよ」
そう、誰かに話しかけるようにして一本の壁にかけてある剣に手を伸ばした。
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「…お母さん…」
「…楓…」
ある日、私の家にお母さんがやって来た。
私は高校生ながら一人暮らしをしていた。学校が家から遠かったというのもあるが、何よりも家にいるのがとても気まずかったというのが理由だ。
私の本当のお父さんが、お兄ちゃんに殺されて以来お母さんは私達から距離を置くようになった。多分、『次に殺されるのは私なのではないか』という恐怖心があったのだと思う。
そんなお母さんを見ているのがとても辛くて。お兄ちゃんが大学に入って一人暮らしを始めた辺りから私も家を出たのだった。
「楓…元気だった…?」
「…うん、お母さんは?」
「…大丈夫よ」
お兄ちゃんが亡くなって以来、お母さんはちょくちょく家を訪れるようになった。お兄ちゃんが亡くなった悲しみを、少しでも紛らわせようとしているのかもしれない。
「いいよ、散らかってるけど上がって」
それは私の心の支えになっていた。お兄ちゃんが死んで、壊れそうだった私を受け止めてくれたから。
「お邪魔するわね」
お母さんは玄関で、白と水色の入ったスポーツシューズを脱いで揃える。
「洗面所はそこだからね。私お茶淹れてくる」
「うん、ありがとう」
そろそろ五十代後半に差し掛かろうとしている少ししわが増えた顔がそっと微笑んだ。私も微笑みかえす。
「…で、話って何?」
お母さんの前のテーブルに湯飲みに淹れた緑茶を置きながら聞く。
「うん。…なんていうかな。こんなおばさんの愚痴聞いてもらうみたいになっちゃうけど…」
お母さんは赤いフレームの眼鏡を外して、私と目を合わせた。
「お母さんはね、今後悔してるの」
「…後…悔?」
「そうよ、後悔。…お兄ちゃんがお父さんを殺した時、私はすっごく怖かった。次に殺されるのは私なんじゃないかって」
「うん。大丈夫、その気持ちは理解してるよ」
やはりそうだったのか。でも、自分の家族を殺した人に怯えない方がおかしい。お母さんの考えは正しいと思う。
「…ありがとう。でも、私はあの後あなた達を兄妹を避けていた。あなた達のたった一人の親なのに、あなた達を避けていたわ」
「大丈夫、気にしていないから」
「…ごめんなさい。ごめんなさい…」
お母さんの焦げ茶色の瞳から涙が溢れた。
「お兄ちゃんにも、こうやっていつか謝ろうとしてたわ。でもなかなか勇気が湧かなくて。もし軽蔑されたらどうしようって…でも、私がそうやってうじうじしている間に死んでしまった…」
お兄ちゃんはお母さんの実の子。お兄ちゃんが死んだことを聞いて誰よりも悲しかったであろう。
「…お母さん。お母さんはお兄ちゃんがただ事故死したと思ってる?」
「…?え、えぇ…。確か車にはねられたって…」
どうやら警察の人はお母さんに真実を告げていないらしい。そりゃそうだ、真実を知ったらお母さんは更に苦しむだろうから。
「落ち着いて聞いて…。お兄ちゃんはね、死んだんじゃないの」
「えっ」
でも、そんなお母さんには真実を語ろうと思う。
亡くなったお兄ちゃんと。
貴女の実の子供と。
向き合ってほしいから。
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「…んだよ…これ…」
ルントは街中の掲示板にでかでかと貼られている一枚の紙を見て目を見開いた。そこには
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“人間のふりをし、影で人々の生き血を吸い、多くの者の命を奪った悪しき吸血鬼を公開処刑とする。時刻は本日の正午。会場はツペッシュ教会とする。”
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と記されていた。ツペッシュ教会とはこの村で唯一の教会である。教会沙汰が苦手である吸血鬼を処刑するのにはうってつけの場所である。
「…吸血鬼を…公開処刑…」
それを見たルントは確信した。この吸血鬼がティアーシャであると。
しかし、彼の中ではどうしても引っ掛かるものがあったのだ。
「ティアーシャが影で人間の血を吸っていた…?そんなわけ…」
『ない』と、呟こうとした所で彼は言葉を詰まらせた。
あの盗賊の襲撃にあった時、ティアーシャはどんな様子だった?苦しそうで、何かを必死にこらえている様子だった。もしもあれが吸血鬼特有の『吸血衝動』だとしたら?
ルントが彼女と再開した時は、彼女は苦しそうな素振りは一切見せていなかった。
「…いや、そんなわけない…。ティアーシャが…そんなこと…」
ティアーシャは確かに大人っぽい。あの見かけで大人顔負けの礼儀や家事の仕方などを身に付けている。
けれど案外人懐こい所もあるのだ。何度も涙を流し、ナーサに抱きついている。ルントが知っている、ただ血を求めて寝ている人間に這い寄るような吸血鬼とは全く違う『人間らしさ』というものがあった。
そんな彼女がそう簡単に人の命を奪うはずがない、そう彼は必死に己の心に言い聞かせた。
「ルント!どうかしたか!?」
そうやって顎にてを当てて自分の思考の中に身を投じていた彼の肩にふと、ポンと手が置かれる。
「っお…ナーサか…」
一瞬ビクッと体を震わせたルントだったが、振り向いてそれがナーサだと気がついてほっと胸を撫で下ろした。
「なんかわかったかい?」
「…あぁ…」
暗い顔をして彼は掲示板を指差した。
それをしげしげと見つめるナーサ。しかし彼女は数秒後、顔色を変えた。
「…まさか…ティアーシャは教会にっ!?」
「可能性は高いと思う。今日の正午ってことはまだ時間があるから交渉するなりの時間はあると思う」
「だね」
ナーサはルントの瞳を見て、頷いた。
今、すでに日は変わり約午前一時。ティアーシャが捕まってから貼り紙が出されるまでの早さからあらかじめ彼女を待ち伏せしていた可能性が高い。
「ツペッシュ教会か…」
「ったく、粋なことするね。教会も。ったくティアーシャがなにをしたってんだい!」
ナーサは腰にさしてある一本の剣の柄を力強く握り締めた。
「まだ間に合うかもしれない。行くよ、あんた」
「あぁ、わかってる」
再び頷き合い、二人は教会に向かって歩き出した。
全ては二人の“娘”を助けるために。
淡い光を放つ街灯が二つの長い影を、彼らの先に作り出していた。
「話ぐらい聞かせたらどうなんだい!!」
ナーサは教会の周辺を警備している兵士に向かって声を張り上げた。
教会について、内部の人達に話を聞こうとした彼らであったがその吸血鬼の正体はおろか、話にすら耳を傾けてくれなかったのだ。
「わ、私は何も…」
「教会ってのはだから嫌いなんだよ!!」
ナーサは地団駄を踏んだ。彼女なりにかなりの疲労を感じているらしい。
時刻はまもなく十一時ほどに差し掛かる。吸血鬼が処刑されるまで、残された時間はごくわずかだ。
教会の中にも沢山の人が集まっていて、各々の話し声などで辺りは騒がしかった。
「くそっ!!」
ナーサはそんな教会の壁に向かって拳を振るった。
一瞬、建物全体が揺れ埃が降ってきたり辺りが静まり返ったりしたがそれもすぐに収まった。
「あの子が…なにをしたってんだい…」
彼女は皮が捲れ、血で汚れた拳を睨み付けた。
「ティアーシャは…何もしてないじゃないか…」
まだ、確信がないのにも関わらず彼女はそう呟いた。
ティアーシャは彼女に正体がバレたことを知ったとき、心底恐怖心を感じていた。それほど恐ろしかったのだろう。自分が吸血鬼だとバレることが。
「また…私は…」
ナーサの、赤く充血した目に涙が滲んだ。
「…目の前で…大切な人を殺されないといけないってのかい…?」
過去の戦友に、なにもしてやれなかった。助けてやれなかった。
だから彼女はこの三年間、ティアーシャを娘のように大切に育てていた。
全ては己のために。
「…じゃあ…私があいつと出会ってなかったら…?」
そこでナーサは気がついてしまった。ティアーシャを助けたのは善意では無かったのだということに。
「は…ははははっ…はははははっ…じゃあ私が“あいつ”と会っていなかったら…私は…あの子が吸血鬼だってわかった時点で…切り捨てていたってことかい…」
思わず、笑いが込み上げてきていた。
もしも戦友と出会っていなかったら?
本当の【吸血鬼】というものを知らなかったら?
ナーサはその手で、洞窟にいた一人の少女の首を撥ね飛ばしていたのかもしれない。
「んだい…じゃあ…私も教会の人間と変わっていないじゃないか…」
彼女の膝がぐらりと崩れた。壁に片手を押し付けながら、ナーサは嗚咽をこぼした。
「おい!ナー…サ?」
そこに別行動をとっていたルント近寄ってきて声をかけようとしたが、彼女の様子がおかしいことに気がつきその場で止まってしまった。
「…」
彼は唖然としている様子で動くことをやめた。彼自身、彼女が泣いているのを見る機会はほとんど無かった。
まるで泣き方をしりません!とでも言うように泣かなかったのだ。どんなに辛いことがあっても泣かなかった彼女が泣いているのだ。それを見て彼が驚くのも無理がないだろう。
――そして…時は非情にもやって来た。
『わざわざ足を運んでくださった皆様。誠にありがとうございます。お待たせしました!ただいまより、吸血鬼の処刑を開始します』
「「オオオオオオオオ!!!!」」
初級空間魔法【広声】によって教会の中に響き渡ったアナウンスが、訪れていた客を沸かせた。
「っ!?まだ正午になってないのに!?」
ルントは教会の大時計に目をやった。するとその時計の長針はまだ真上を向いていなかった。
『今回、処刑を行う吸血鬼は人間に成りすまし影で私達人間の血を吸っていたという凶悪極まりない吸血鬼です。…そんな吸血鬼を…野放しにしておいていいのでしょうか…?』
「なわけねぇだろ!さっさと殺しちまえよ!!」
「そうだそうだ!吸血鬼は殺せ!!」
「「殺せ!殺せ!殺せ!」」
『…ですが、簡単な殺し方では悪しき吸血鬼を罰したことにはなりません。…というわけでこの吸血鬼は!その罪に相応しい処刑を行いましょう!!』
「「オオオォォォォッ!!!」」
訪れた人々の歓声が、教会の中を埋めつくし多くのものが腕を振り上げて互いの士気を上げていた。
『それでは、長らくお待たせしました!これより処刑を開始します!』
「「ワアアアアアァァァァァッ!!!」」
「…んだよ…これ…。公開処刑が…これじゃあまるで何かのショーみたいだ…」
ルントは唖然としたまま膝をつき、歓喜に満ち溢れた人々を見やった。
これが吸血鬼の処刑だった。誰も嫌がらず、むしろそれを求める。殺すことを求めていた。
最終的に消される命は一つだが、もうこの時点で教会の中は彼にとって、地獄と言っても過言ではないような状況だった。