外伝2-7 薄暗い屋敷の中で
「……」
いつ頃からだろうか。自分の意識が覚醒しているという事に気が付くまでほんの数秒時間を要した。
小さな白熱電球が吊るされた天井に、不自然に質素な天井。まるで買ったばかりで新品のノートのようである。
ギシギシと痛む体を柔らかなシーツが包み込み、頭を支えている少し硬めの枕には肌触りの良い布が巻かれている。
馬車で揺られて軋んでいた体にはあり余る贅沢。ティールはシーツを引いてくるまるようにして枕に顔を押し付けた。
「お目覚めのようですね」
「……ん、あなたは……?」
すると、頭上から声がし、ティールはモゾモゾとミノムシのように体をうねらせながらシーツの端から顔を覗かせた。そんな彼女の様子が可笑しかったのか、その声の持ち主である薄い臙脂色を基調とした制服を纏ったメイドがクスリと笑った。
「失礼いたしました。……わたくしはこの屋敷の管理を任されております。ティッツェと申します。以後、お見知り置きを」
彼女はスカートの端をちょいと摘まみ上げて、優雅な挨拶をして見せた。そんな挨拶をされては、ベッドの中で丸くなっている訳にもいかず、ティールはシーツを剥いでベッドに腰掛けながら小さく頭を下げた。
「あら、無理はなさらないでください。全身火傷に出血が酷く、数箇所骨だって折れていたんですよ。……今こうして動けているのが不思議なくらいです」
「体の頑丈さだけが取り柄ですから」
苦笑を浮かべ、ティールはベッドから腰を持ち上げた。足がギシギシと軋み、まるで関節が無くなってしまったのかのような感覚だが、動けない程では無い。
「お手を」
「……どうも」
ティッツェが差し出した華奢な手を、ティールは一瞬躊躇った後に取り、立ち上がった。未だ万全では無いようで、若干頭がぼんやりとしている。
「……っ、そういえば、ここは?」
「あら、何もお聞きにならないのでてっきりご存知なのかと。……ここはロンディニア家の屋敷でございます。ご安心ください、わたくし共は少なくともあなた方の敵ではございませんので」
「ロンディニア家……というと……、スレニアの王族の一族では無いですか!?」
スレニア王国で政権を担うのは言うまでも無く国王だ。しかし、その国王による独裁政治、という訳では無く、権力を持つ幾つかの貴族らと共に政治が行われている。
ロンディニア家はその中でも、王族の血が流れる貴族の一家であり、政治的な発言力も高い。
「ええ、よくご存知ですね。ここはそのロンディニア家の……分家、のようなものです。詳しくは後ほど説明させて頂きますので、まずはお身支度の方を」
「ああ……はい。……しかし俺の荷物は友人の家に……。って、ティッツェさん!?何ですか、その手に持っているフリフリのドレスは!?」
「あら、このような服はお好みで無かったですか?お嬢様と体型が近いようでしたのでそのドレスを……」
ティッツェがおもむろに部屋の隅に置かれているドレスケースから何かを取り出したと思えば、それは如何にも貴族が着ていそうな煌びやかな装飾が取り付けられた桃色と白色を基調としたドレス。
ティールは反射的にそれを着ている自分の姿を脳内で生成してしまい、壁に寄りかかって悶絶していた。
「……いや、その……、お気遣いは有難いんですが……、俺にそのような豪華な服は似合わないというか……」
「あらあら、ご謙遜を。ティール様は街を歩けば百人中百人が振り向く美少女でしてよ。………………お嬢様には敵いませんが」
「……しかし……、その……」
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。この言葉がお嬢様の次に似合う方でしょう」
「…………………………」
目をキラキラとさせて、手に持っているドレスとダンスを舞うかのように動くティッツェを見て、ティールは顔を引き攣らせていた。
ウゥルカーナとの戦闘後、何が起きたのかはっきりと理解はしていないが、まだ戦いは終わっていないようである。
―――
「んあ、ティールさん。おはようございます」
結局、男女兼用のタキシードのような服で妥協してもらい、若干不服そうなティッツェに連れられて屋敷のリビングにへと案内された。屋敷というからには、さぞ豪華な装飾や絵画なんて物を想像してしまいがちだが、案外ここは質素なものであり、どれもこれも最低限の物で済まされているという印象だった(洋服の派手さと違って)。
「ヘイゼル!…………と、ウゥルカーナ……」
純白のテーブルクロスに並べられた食事を口の中に次々と運んでいるヘイゼルの隣で、ニヤニヤとその様子を眺めている赤毛の女、ウゥルカーナ。
ティールは咄嗟に普段剣を刺している腰に手を伸ばしたがその手は空を切り、それに気付いたウゥルカーナはカラカラと乾いた笑い声を上げながらこちらに目を向けた。
「よお、よく眠ってたみたいだな。ティール」
「……またドンパチやろうってか?」
ティールは威勢を利かせた笑みを浮かべたが、内心は全く笑えていなかった。今は手元に武器もなければ戦うだけの体力も残っていない。正直のところ、この状態で戦いになればティールが負けるのは確実と言えるだろう。
「……ウゥル。おやめなさい、またその義手にロックをかけるわよ」
二人が視線を交わらせ、火花を散らしていると、部屋の奥から少女が冷ややかな声でウゥルカーナを叱責しながら姿を現した。
「っ、お嬢様!」
するとその姿を見た途端、ティールの一歩後ろに仕えていたティッツェが血相を変えて飛び出し、彼女がお嬢様と呼んだ少女の傍でその体を支えた。
「ティッツェ、そんなに心配せずとも私は大丈夫よ」
「いえ……、もしお嬢様に何かのことがあれば私は……」
ティールがその様子を唖然と眺めていると、その様子に気が付いたヘイゼルが小さく自分の元へ子招きする。
何が何だか分からない状態で、ウゥルカーナへの警戒を最大限に行いつつも、ティールはヘイゼルの傍に辿り着く。
「……なぁ、一体全体何が起こってるんだ?」
「私も全部分かった訳じゃないですけど、どうやらウゥルカーナの雇主らしい……ですよ?」
「……はぁ!?」
耳打ちして話していたのに、驚きのあまり大きな声を発してしまう。ヘイゼルが全身を飛び跳ねさせ、耳を塞いでひっくり返ったのを気に掛ける様子も無く(後々謝罪はした)、ティールは頬杖をついてウゥルカーナの方へ目を向けた。
彼女は以前不敵な笑みを浮かべながらも、既にその目からは殺意が消え去っており、今ではとてもあの巨大な鎚を振っていた女には見えない。
「……お前、結局何がしたかったんだよ」
「何も何も、前に言った通りアタシはアンタと殺り合いたかっただけさ。それも、既に決着が着いたからね」
「……だが俺は生きてるし、動けなくなった俺に最後攻撃を仕掛けてただろう?何故殺さなかった?情けか?」
「それに関してはお嬢様に聞いた方が早いだろうさ」
ティッツェに支えられながら席に着くそのお嬢様とやらをウゥルカーナが親指で指さしたのを見て、ティールは数秒硬直した後、目を丸くして机に身を乗り出した。
「は、はぁっ!?あ、あんたが、お、お嬢様……!?」
「噂はかねがね耳にしています、ティアーシャ様。わたしはヴーケンビリア、以後お見知り置きを」
「え、ええ……?この状況に困惑してるのお、俺だけえ?」
驚きの連続で頭がクラクラし、視界の端で光の虫のような物が右往左往する。
ティールが助けを求めるようにヘイゼルに視線を向けると、それに気付いた彼女は肩を竦めながら、察しているかのように数度頷いた。
「失礼ですが……ヴーケンビリアさん。……あなたは……、前に俺とどこかで会った事は……」
ティールがヘイゼルの事を指さしながら、恐る恐る尋ねたその質問に、彼女は笑みを浮かべると小さく首を横に振った。
「いいえ、今回が初めてですね」
彼女がイタズラ気味に己の頬をちょいちょいとつつくつの見て、ティールは訝しげに目を細めた。
初めに頭に浮かんだ感想は「むぐ、可愛い」である。こんな事を考えている頭の中を覗かれれば、間違いなく正妻であるソウカに羽交い締めにされて圧殺されてしまいそうだが、今回ばかりはそう思うのも無理は無い。
「こりゃあ、たまげた。……これがドッペルゲンガーって奴か……?」
長いスカートをしまい込むようにして椅子に座るその少女の外見は、誰がどう見てもそのソウカとソックリなのだ。異なる点は髪の毛が薄い桜色なのと、瞳が蛇のものでは無い、人間のものであること。そして、これ程までに優雅な所作を、彼女ができるはずも無い。
「本来であれば、今回の旅時にソウカ様も御一緒されるのでは無いかと踏んでいましたが、事はそう上手く運ばない物ですね。そちらの可愛らしいお嬢さんが御一緒とは」
「…………っ。…………何が目的だ?」
ヴーゲンビリアが不敵な笑みを浮かべたのを見て、ティールは机から身を乗り出した。
「あら、そんなに警戒なさらないでください。別に何か悪事を働こうとしている訳ではありません。……ただ、少し…………お願いをしようと思っておりまして」
「……お願い?」
「ええ、お願いです。ソウカ様がいらっしゃるのであれば、それ相応の報酬をお支払いする予定だったのですが」
ティールはそれを聞いた口を歪め、ヘイゼルと目を合わせた。彼女の言う『お願い』というのが一体何なのかによって話は変わってくるが、わざわざ自分の見た目が酷似しているソウカを呼んで頼み事をしようとしていたからには、簡単なお使い程度では済まないのだろう。
(ティールさん、私なら『変化』でソウカさんに変身する事は出来ますけど……)
(いや、向こうの意図が読めない。少し待て)
耳打ちをしてきたヘイゼルに、ティールは可能な限りの小声で返答する。
「そのお願いとやらはどんな内容なんだ?」
「それは……、言えませんね。せめて引き受けてくださるのであればお伝えできますが、意味も無く言えるような内容では無いので」
「俺としてはソウカを連れて来ていたら巻き込まれていたかもしれない事が何か知りたいんだが?」
「しかしここにはソウカ様はいらっしゃいませんので」
「……むぐ」
こうなっては埒が明かない。これ以上粘った所で彼女の口から『お願い』の内容が出てくる事は無いだろう。
「分かった。……ではこちらも手札を明かそう。ヘイゼル」
「はい。ティールさん」
そう言ってティールがパチリと指を鳴らすと、小さく頷いたヘイゼルは己の藍色に染まった髪の毛をそっと撫でた。すると、彼女の姿はまるで紙粘土を纏めて潰したかのように変形し、みるみるうちにソウカそっくりの容姿に切り替わった。
「……どうだい?これなら話してくれるかい?」
「……ぁ、ぇ?」
変形したヘイゼルを見て、ヴーゲンビリアの隣に立つティッツェは口をパクパクさせ、目をまん丸にして言葉を失っていた。隣に座るウゥルカーナも一瞬目を見開いたが、すぐにそれが『変化』を取り込んだことによって得た能力だと知って、口端を吊り上げた。
そしてティールも自信満々にヘイゼルの事を親指で指さしている中、唯一ヴーゲンビリアの表情のみが一切変化しなかった。
「……?」
「……あれ?もしかして、私、ソウカさん以外の人に?」
困惑の表情を浮かべて振り返ってきたヘイゼルの頭の頂点から足先までを舐めるように確認するティール。流石に身に付けていた衣類までは変化しないものの、その容姿はどこからどう見てもソウカそのもの。
「……いや、完璧だ。何十年と一緒にいた俺が言うんだから間違え無い」
ティールは眉をひそめながらヴーゲンビリアの方に視線を戻した。彼女は未だに表情一つ変えず、手元にあるティーカップに手を伸ばしていた。
「……?それで、その手札、というのは?」
「というのは、って……これがその……っ」
再びティールがヘイゼルに指を指そうとした所で、彼女は言葉を詰まらせた。彼女はテーブルの上で静かに湯気を立てているティーカップに対し、手をテーブルの上で滑らせるようにして探していたのだ。
「……もしかして、目が?」
「おや、バレてしまいましたか。意外と早かったですね」
そう言うと、彼女は小さく息を零しながら微笑み、腕を伸ばしてティッツェの服を掴んだ。
「ティッツェ。今、状況は?」
「……………………、は!あ!いや、も、申し訳ありませんお嬢様。あまりにも奇想天外な光景でして私も言葉を失っていました……」
ティッツェは己の主人の声で我を取り戻したようで、すぐさまヴーゲンビリアの方へ向き直って頭を何度も下げていた。
「いいわ、驚く光景を目にして、驚くな、という方が苦ですもの。それで、何が起こっているの?」
「そ、それが。ヘイゼル様の容姿が、お嬢様とそっくりに……。あ、いえ、ソウカ様とそっくりになられた、という方が正しいでしょうか」
「なるほど……。それは確かに良い手札ですね。申し訳ありません、ティール様。こちらの非無礼な態度をどうぞお許し下さい」
そう言うと彼女は立ち上がって、貴族らしからぬ謝罪の言葉を述べた。
「……いや、謝罪は不要ですよ。なるほど、これで色々と辻褄が合いました。俺たちに隠しておきたかったのは、その目の秘密を無闇矢鱈にあかしたくなかったから、ですね?」
ヴーゲンビリアはこくりと頷いた。
「流石は、何でもお見通しですね。その通りです。……見えなくなってからは、必死にリハビリを行って、この屋敷であれば不自由無く行動出来る程度には回復したのですが……」
寂しそうに彼女がそう口にしたのを見て、ティッツェは表情を歪め、唇を噛み締めた。
「見えなくなった?……じゃあ、以前は?」
「ええ。ですが、とある一件から視力を失いまして。まだ世間的に知られている訳ではありませんが、私の家族はそれを疎ましく思ったのか、私を郊外にまで追いやりまして」
そう言われれば、屋敷全体が薄暗く、派手な装飾が見られなかったのも納得が行く。一家のお嬢様の元に、召使いが一人しかいないのも、彼女の家からの負の感情を感じる。
「あら、すみません。随分染みっぽい話になってしまいましたね。…………話を戻して、その『お願い』についてお伝えしましょう」
なんということでしょう。3ヶ月も空いてしまいました(瀕死)
近頃書籍化を目指した小説の下書きや、就活や、卒論の用意で忙しくて全く手が着いていませんでした……猛反省。
無事内々定が出、新作も無事行き詰まったので帰ってきました(アホ)またスローペースで再開していきますね。