閑話 とある神の夕ご飯
今回は閑話で本編の内容とはほぼ関係ないです。
時系列的には外伝に入る数十年前の話です。
僕が非結核性の病気になってもう一ヶ月近く酒を飲んでいないので腹いせに殴り描きました(おい)
「あーすません。生二つと……これと……あと軟骨揚げも、追加できます?」
ありがとうございまーす、と言いながら伝票を叩き頭を下げ、店員が足早に二人の座るテーブルに背を向けて去っていく。
「値の着く飯というのも捨てがたいが、私はこういう大衆的な飯屋の方が好みだ。下手に気を使わなくてもいいし、周りも酒が回って我々の非常識な言動にいちいち言及してこない」
「酒飲みの才能あるよ。さっきから生何杯飲むんだよ、ビールサーバー泣かせだよ、あんた」
ティールはジョッキに残ったビールを喉の奥に流し込むと、空になったグラスを通路側に置き、頬杖を着いてアダマスの姿を眺めた。
「私には満腹という概念がないからな。満足感は気分で決めるものだ。それにこのビールというのは中々に素晴らしいものだ。美しい黄金色に純白の泡。口に含めば泡がパチパチと弾け、喉を通る時の心地良さは言葉にできないほどだ。それに変に甘くないのも良い、甘い飲み物というのは口当たりは良いが慣れてしまうと飽きるものだからな」
空になったグラスを名残惜しそうに振り、ビールの素晴らしさを熱弁する一人の女。
彼女の名はアダマス、生命監督機関を管理する神であり、この世の生命体は彼女の手中にあるといっても過言では無い。ティールを凡な社会人から今の肉体へと気まぐれで転生させたのも彼女であり、以来彼女直属で働くことになったりと何だかんだ長い付き合いである。
今ではこうして時折地球にやって来て、ティールの選んだ店で飲み食いを共にする中になっていたりする。なんでも天界では望めば何でも作り出せるが、その味へのストーリーが無いのだとか。ティールは一度アダマスが指を鳴らしただけで出てきた飯を食べた事があるが、別に普通むしろ美味いと言っていた。
神の感性というのは中々難しいものである。
「ところで、お前の家族はどうだ?元気か?」
「うーん、最近ナーサが少しボケてきたかな。ボケたって言ったってまだまだ大剣をブンブン振るうし、物忘れが増えた程度だけれど。怪我したらと思うと心配だけど、ああいう人から習慣になってる物を取り上げると一気に老化するからな。……自分が出来ることは出来る限りやらせてあげようと思ってるよ」
「妹は?」
「遂に俺の身長を越しやがったよ。今まで下向いて話さないといけなかったのに、今度は俺が首を持ち上げないといけなくなっちまった。……何と言うか、置いていかれている感じだねぇ」
ティールは枝豆を口に運び、殻を手で弄んだ。
吸血鬼とて不老不死では無いが、それでも血を得ている限り寿命は人間よりも遥かに長い。長い長い寿命の中で、一体何人もの人が彼女を抜かして先に行ってしまうのか。
「以前の私であれば寿命の枷を外してやることくらい出来ただろうが……。今は魂の形が不安定過ぎる。下手に弄ればお前という物がそこらの小石にすらだってなり得る」
「今更そんな事してもらおうとは思わねーよ。もう踏ん切りは着いてるからな」
とは言うものの、その時が来てしまえば自分はどれだけ動揺するのか分からない。心が揺らがなかったとして、それはそれで自分の非情さに嫌気が刺すというものである。
「お待たせしました~、生二つとゆで鶏のポン酢和え、あと軟骨揚げですね」
「ども~、あ、このジョッキもお願いします」
アダマスから空のジョッキを半ば無理矢理ひったくり、ホールの少女に手渡す。
「軟骨揚げ……ということは動物の関節部だろう?そんなもの食えるのか?」
「ん」
不言実行、ティールは箸で摘み上げた軟骨揚げをアダマスの口の中に突っ込む。
カラリと上がった衣が歯を立てると心地よい音と共に弾け、口の中に旨みが迸る。そしてその後軟骨のゴリッとした歯応えが衣の歯ごたえと妙に合い、脳を揺さぶられるような食感にアダマスは目を白黒させる。
更にそこへビールを流し込めば、口の中にまとわりついた重い油をさらりと洗い流してくれ、次へ、次へと揚げ物を口の中へ運びたくなる。
「ぉおおぉお、これは」
「俺も大好きなの、これ」
当然唐揚げも好きだが、これはこれでオツなものである。一つ一つが小さいのもあってちまちま摘みながら食べられるのもポイントが高い。このゴリッ、ブリッとした歯応えは他の食材では中々味わうことの出来ない食感である。
「ほら、お前もこれを」
アダマスがズイと突き出したゆで鶏のポン酢和え。茹でて解した鶏肉を細切りにしたきゅうりとポン酢で和えたものである。これにゴマだれをかけて棒棒鶏風にしてしまうのも良いが、ポン酢だけの方がさっぱり頂ける。ティール、アダマス双方好きな味付けである。
「美味いだろう?」
「なんであんたが作ったみたいな顔してるんだか……」
飲み屋のいい所は注文した料理をシェアできるところだろう。それぞれが自分が食べたいと思った料理を頼み、お互いにシェアしながら食べる。自分が頼んだものの味を褒められると自分が作ったわけでも無いのに嬉しくなってしまうのはよく分かるものがある。
「あ、ティールさん、久しぶりですね。最近顔出してくれなかったじゃないですか」
軟骨と鳥を肴に酒を嗜んでいると、ふと横を通りがかったホールの子に声をかけられる。客席とその通路には簾がかかっているが、隙間からちらちらと二人の顔が覗いていたようで、シャっとそれが上げられる。
ここはティールが時折足を運んでいた店で、常連、という訳でもないのだが、その見た目ゆえすぐに店員に覚えられてしまうのだ。
「今日は連れを、ね」
「ティールさんの連れてくる人って皆お人形さんみたいでに可愛いですよね~」
テーブルの空になった皿を下げながら彼女はアダマスの顔を覗き込んだ。若干不服そうに頬を膨らませながらも、悪い気分では無いのかアダマスは軽く鼻を鳴らすと再びジョッキに口を付けた。
「悪いね、日本語あんまり得意じゃないんだ。こいつ」
「はぇ~、すごい人脈ですね。前はドイツ人のお友達とか連れて来てましたからね」
「……ドイツ……?ん、あ、ああ、そうだねぇ~。国際系の仕事してるから、かな」
そういえばトコルやヘデラ夫妻も連れて来たりしてたっけ。トコルにおいては身長のせいで年確とられるわ、こっちの世界に住んでないから身分証を提示できないわ、で酒が飲めず駄々こねてたっけ。今度連れてくる時は適当に身分証を発行してやろう。
「あ、なんか店長が賞味期限ギリギリのものが結構あってもし良かったらサービスで出すって言ってたんですけど、要ります?賞味期限過ぎては無いから大丈夫だとは思うんですけど」
「んえ、良いの?普通に金払うけど」
「あー、いや、いろんなの残っちゃってるみたいで。メニューに無いの作るんだって店長張り切っちゃって」
「じゃあ貰おうかな、ありがとね」
「いえいえ」
軽く手を振り、ホールの子もすぐに持って来ますね、と足早にその場を去っていった。
「何と言うか、お前のコミュニケーション能力には目を見張るものがあるな。私は別にこの容姿ゆえに会話はお前に任せればいいから不便は無いが」
「んー、別に俺が何かしてる訳じゃなくて向こうが話しかけやすいんじゃないかな。こんな見た目だけどしゃべり方は雑だし」
飲み屋のホールなんて、ほぼ確実に変なおっさんに絡まれるのが確定しているようなものだろう。ティールも昔(一度死ぬ前の事だが)飲食店でバイトをしていた時、中年のおっさんに絡まれる事は良くあった。老人はむしろゆったりと過ごしているからか、あまりそういうことはないのだが。中年の、管理職あたりについている人間程面倒なものは無い。もちろん人によるだろうが、自分なりの正義というものを他人に押し付けたがる傾向にあるように思う。
だからと言って何も関係の無い店員に当たるな、と言いたいところだが。
「親しみやすさ、というのは大事だな。……私の職には無縁なものだが」
ひょいぱくひょいぱくと箸で摘まれた鶏肉が彼女の口の中に消え、ティールはそれを見て慌てて一切れを掠め取って取り皿に乗せた。
「神様業界が何するのか俺には分かんねえけど、仲間内の愛想なんてもんは流石に必要なんじゃ?」
「我々が面向かってコミュニケーションを取る事などそうそう無いからな。指を鳴らしてしまえば済む話よ」
「……指を鳴らすぅ?」
ティールが訝しげに目を細め、顔をのぞき込ませると、彼女はふふんと自慢気に親指と中指を弾いて指を鳴らして見せた。すると頭の中に自然に、ビールのお代わりが欲しい、という文字の羅列が浮かび上がり、ティールは顔面を机の上に叩き付けた。
「へいへい分かりましたよっと。すみませーん、生のお代わり二つと……後刺し盛り二人前を」
「はーい、生二つと刺し盛り二人前ですね~…。小皿お二つでいいですか?」
「うん、お願いします」
シャっと席を区切っている簾が上げられ、周りの客からハッと声が上がる。まあ二人ともこんななりなので、大衆居酒屋のような場所に行くと目を引いてしまうのだ。初めのうちは小はずかしい感情が勝っていたが、今となってはもう慣れっこでアダマスに関してはバチリとウィンクまで決めていた。これは慣れ過ぎである。
そして再び簾が下ろされるとまた二人の空間に戻される。ティールは取り皿に取っていた肉を摘んでモゴモゴと咀嚼する。鶏肉の柔らかさと甘さを、ポン酢のさっぱりとした酸味がキュッと締めてくれる。これはビールに何とも合うのだが、彼女がジョッキを持とうした手は空を切った。
「そういや、最近エルティナは?元気してる?」
「ああ、アレは優秀だ。神としての無情さも人間としての情深さも備えている。しばらくしたら今の私の地位を譲ろうかと思っているよ」
「譲るって……、え?神様やめるの?」
「ぬかせ、そうでは無い。もうすぐ私の一つ上の位が空きそうでな。必然的に私がその座に着くという事だ。となると今私がいる生命監督機関が空いてしまうだろう?……私は後任の育成などというものはそっちのけていたから、譲る相手がエルティナくらいしかいないのだよ」
「ふぅん、神様も大変だねえ。職場環境というものには、人も神も振り回されるのか」
ティールは前世のサラリーマン時代を思い出して背筋を震わせた。生きる為の金を稼ぐ為に働く筈が、いつしか働く為に生きているも同義になる。そんな社会で生きるのはもう御免である。
「我々は貴様らを管轄するのが仕事だからな。ほんの宇宙の欠片一つで種が滅ぶような世界は見ていてヒヤヒヤする」
「そりゃどうもご迷惑おかけしますネ」
ティールはへこへこと謝るような素振りを見せながら皮肉混じりに吐き捨てた。
「ども、ティールさん。これ、生二つとお刺身。あとこれ店長からのやつ」
さっと簾が開けられ、どさどさと料理が机の上に並べられる。様々な風に味付けされたつくねや、色味がちょっとおかしいポテトサラダや、味付きのうずらの卵などなど。二人で食べ切れるのか分からず、ティールの顔が若干引きつる。
「アダマス、腹くくれよ」
「神である私に満腹という概念は無いと言ったであろうが」
ティールが不敵な笑みを受けべると、彼女は余裕着々とした様子で手に箸とジョッキを取った。
尚、しっかりこの後酔い潰れ、彼女の同僚であるというクノンと名乗る神が彼女を担いで帰って行った。