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現状最弱の吸血鬼に転生したのでとりあえず最強目指して頑張ります!  作者: あきゅうさん
外伝第2章 美しきにも毒はある
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外伝2-3 写真


「……海の底……海の底……」

「どうしたの?さっきからブツブツ何か呟いちゃってさ」


あれから、音を立てぬようにして工房に戻ったティール。入口の傍の壁に背を預けながらブツブツとウゥルカーナに言われた事を呟いていると、呆れたような顔でトコルが顔を覗き込んできた。


「うおっ……、ビックリした」

「なんだいなんだい?ボソボソとさあ。……何?可愛い可愛いお嫁さんに会えなくてイライラしてる感じ?――いてっ」


へ、とトコルが嘲笑を浮かべ、ティールは頭に来たのかその額を軽く指で弾いた。


「馬鹿野郎。俺とソウカは国が違くても見えない絆で結ばれてるのよ。……それで?ヘイゼルの武器はどうなった?」


ティールがウゥルカーナとの邂逅の事を思い返している内に、日は傾き、窓の外は紅色に染まっていた。

それまで甘味を見つけた蟻のように群がっていた人々も、今は少し数を減らし、視界内で数を数えられる程度になっていた。


「良いんじゃないかな。初めての試みだったけど及第点以上の物が出来たよ。ほら、ヘイゼルちゃん、おいで」


自信満々な笑みを浮かべながら、トコルが後方の椅子に座っているヘイゼルを子招きして呼び寄せる。

椅子から降り、少し顔を赤らめながら近寄ってくるヘイゼルの両耳にはどこか見慣れぬ装飾が取り付けられていた。

そこに取り付けられていたのは、青と翠色を基調とした数センチ大のイヤリング。彼女が動く度にそれは小さく揺れ、窓の外の光を反射して柔らかな光沢を放っていた。

右は太陽を、左には月を象ったような装飾が施されていて、月の真ん中には大きな穴が開き、その中にもう一つ小さな球体が収まっていた。


「んえ……。武器を作ってたんじゃなかったっけ?」


てっきり作った武器を持って来ると思っていたティールは顔を歪ませて訝しげにトコルの顔を見た。

そんな彼女の様子を見て二人は目を合わせると同時に吹き出し、腹を抱えて笑い出した。


「……????」

「あひゃひゃひゃひゃ……!!昔っから変わってないね、ティールは。私とヘイゼルちゃんでティールがどんな反応するのか予想してたんだよ」

「これはトコルさんの勝ちですね」


トコルはティールが変な顔をして困惑した表情を浮かべるに賭け、ヘイゼルはこちらの目論見に気が付き、意地悪な笑みで言い当てる、に賭けていたのだ。

無論、ヘイゼルは賭ける金も持ち合わせていないため、この勝敗によりどちらが得をするか、という事は無いのだが。


「……ほら、ヘイゼルちゃん。見せてあげなよ」

「分かりました」


ヘイゼルが軽く指で左耳の月のイヤリングを叩くと、それは一瞬の内に姿を変えて短槍になり、彼女の手の内に収まっていた。槍はイヤリングと同じ、青と翠色を基調としたもので特別な装飾は施されていないものの、滑らかに輝くその柄はずっしりとした重厚感を感じた。


「うお……。驚いた、昔ヘデラに作ってたやつの改良版か。考えたね」

「よく覚えてるね。前のあれは持ち運びを重視したら機能面が全く使い物にならなかったから、かなり苦労したよ。ポケットに入れるものよりも、こうやって肌身離さず付けられる装飾品に扮した方が使い易いでしょ」


ヘイゼルが槍から手を離すと、一瞬の内にそれは縮こまり、元の右耳に取り付けられていたイヤリングの形に戻った。


「刃は出来合いの、丁度大きさも合うのがあったから手間はかからなかったよ。ティールのと違って金属製だから定期的なメンテナンスは欠かせないけど、そこらの鍛冶屋でも修理は効くはずだよ」


そして今度はトコルが彼女の左耳に着いているイヤリングを軽く小突くと、それは彼女の手の中で短弓の形に変形した。

これもまた青と翠色を主とした弓であり、本来の弓より大分大きさは小さく見える上、矢を引く為の弦すら取り付けられていなかった。


「……その弓は……作り途中か?」

「まさか!私が作り途中の物を人に渡す訳ないでしょう。れっきとした完成品だよ。これはね」


トコルが指先に魔力を集め、それを弓の弧に取り付けられている深緑色の宝石に注ぐ。するとそこへ注がれた魔力が波のように弓全体へと広がり、やがて両端にたどり着いた波は、お互いに引かれ合うようにして結び付き、淡い色の弓の弦が貼られた。


「こりゃあ……。すげえ、魔力だけで使える弓、か」

「まだヘイゼルちゃんには難しいかもしれないけどね。慣れたら矢も魔力で作れると思うよ」

「じゃあ当面の目標はこの弓を使えるようにすることかな?」


弓の名手であり、医師でもあるトゥルナは矢に神聖力を乗せたり炎を纏わせたりと、魔力を用いた方法での狙撃を好んで使っていた。

純粋な魔力のみで扱う弓は、それ相応の慣れが必要にはなるであろうが、扱う事が出来れば矢のコントロールも、性質も自在に操作することが出来るようになるだろう。


「はい……!ありがとうございます!トコルさん、それにティールさんも!」

「私にお礼は要らないよ。ティールからの頼みだからね。……それに面白い物も手に入ったし」


トコルは微笑を浮かべ、ティールと密かにアイコンタクトを取った。その様子にヘイゼルは気付いていないようではあったが、ティールは苦笑いを噛み殺しながら喉を鳴らした。


「さ、二人とも腹減ったろ。飯にしようぜ?今日は俺が奢るからさ」


気付けばすっかり胃の中が空っぽになっていた。馬車に乗っている間も食事は取っていたが、あまり食べ過ぎると揺れで吐きそうになる為、簡単に済ませていた。

壁に掛かっている珍妙な見た目の時計に目をやり、時間を確認すると空腹を頭が認識したのか、いやに腹の虫が音を立てる。


「くっくっく、スレニア初心者の君達には二十年近く住んでいるこのトコル先生が絶品のお店に連れて行ってあげよう……!ただしティール君、君のお財布は少し軽くなる事を覚悟したまえ……!」

「伊達に教授やってねぇぜ……!俺の財布は常時パンパンよォ……。かかってこいや!!」


二人がバチバチと火花を散らす中、ヘイゼルはふらりとその場を離れ、工房の壁に掛けられている一枚の写真に目をやった。

そこには満面の笑みで写真に写るティール(吸血鬼故か若干姿が透けている)と若干気恥しそうに両手を前に組んでいるエルティナ、その隣に呆れた表情を浮かべて立っているソウカ、その横ではにかむ栗色の髪の少女、四人の背後で腕を組んで豪快に笑っている橙色の髪の女、その隣で目を半開きで写真写りが終わっている赤髪の短髪の男、腰に手を当て頑張って作り笑いをしているトゥルナ、そして槌を肩に当て橙色の髪の女の肩に跨るトコル、トコルと同じような髪の色をした小柄な少年、燃えるような癖のある髪を蓄えた長耳族の女、そしてその後ろでその女の肩を抱える白衣に身を包んだ長髪の男。

何時ぞやの記念写真だろうか。橙色の髪の巨大な女と短髪の赤髪の男は以前にティールが親代わりであると言っていたナーサとルンティアだろう。栗色の髪の少女はティールの妹であるというカエデか。

微笑ましげにその写真を眺めていたヘイゼルであったが、その中の違和感にはたと気が付いた。写真の中のトゥルナとトコルの髪の色が今と異なっているのである。

ヘイゼルの知っているトゥルナは真っ白な髪に赤縁の眼鏡をかけた女性であるが、写真のは真っ黒な髪である。トコルは大きく変わる訳では無いが、今よりも灰色が濃いようにも見える。

この二人の共通点と言えば……――。


「ヘイゼルー、そろそろ行くぞー」

「あっ、分かりました……!」


その思考はティールの催促により遮られる事となる。ヘイゼルは踵を返し、二人の元へと足を運ぶのであった。



――



「だぁあぁあ!!酒が……酒が美味い……!!」


木製のグラスを机に叩きつけ、真っ赤に染まった顔に頬杖を着きながらティールは声を荒らげた。


「最近お酒飲んでなかったですもんね……」

「おーヤダヤダ。ヘイゼルちゃんはこんな大人になっちゃダメだよー」


トコルは棒読みでそう言いたがらグラスの中の酒を喉に流し込んだ。

スレニアは酒造業も盛んであり、どの酒場でも上質な酒が飲める。特に発泡酒、所謂ビールの質は随一であり、よく冷えたそれが飲めるのはこの国の他多くはないだろう。

酒に特段弱い訳では無いティールだが、久しぶりのビールに感激し、見境なく飲んでいる為、今日はかなり酔いが回っているようである。

ヘイゼルは酒は嗜む程度に留め、トコルも適量を胃に流し込んでいる。

加え、この国では主食がパン、または芋であり、机の上にはズラリと芋料理が並び、ヘイゼルは既に腹を満たし背もたれに寄りかかって胃を休めていた。


「………………そうだ、ヘイゼル。忘れてたんだけど……」


そんな彼女へ尻目で視線をやったティールは、グラスから手を離し、神妙な顔付きで少し言葉を詰まらせた。


「…………っ。この街にも、多分()()()()は来る。お前のその心臓を狙ってな」

「……『悠久』の……」


ティールが彼女の鳩尾の辺りを軽く指でつつきながら続けた。


「そう。俺が隣にいて守ってやれるならいい。ただ、もし一人になって奴らに襲われたとしたら。…………俺の事は気にすんな、迷わず逃げろ」

「…………」

「余程の事が無ければ俺はくたばらんが……。『傀儡』の時の一件のような事が無いとは言えない。もし危険な目にあったら、逃げてトコルの元へ行け。こいつは、この国の中で一番信用出来る」


な、とティールが首をトコルの方へ振ると「どうだか」と言って小さく肩を竦めた。

正直のところ、ティールはウゥルカーナの事を話そうか直前まで迷っていた。『剛腕』『業障(ごうしょう)』『寛解(かんかい)』『繁茂』が既にこの国におり、ヘイゼルの心臓を狙っていると。

しかし、そもそもウゥルカーナの話には確証が無く、こちらを焦らせる為の罠かもしれない。だとすれば()()()()()()()()()()()()という視点を持った者を一人作っておくのは悪くないかもしれないと思った訳である。


「……分かりました。逃げる事は約束します。……ですが、ティールさんを置いては行きません」

「……それって意味無いんじゃ」


ティールは顔を歪める。


「いえ、その道が険しかろうと私はティールさんを助け出します。……そうでもしなければ、私はソウカさんに合わせる顔が有りませんから」

「合わせる顔って、別にソウカはそんな」


それで怒ったりする程、ソウカは難儀な性格では無い。けれど逆の立場だったとすればどうだろうか。

突然やって来た特別な力を持った少女がソウカと共に旅に出て、その過程で彼女を置いてひょっこり帰ってきたとしたら。

恨み、という感情は沸いてこないだろうが、やるせない気持ちにはなるだろう。自分の知らない所でその命を手放されてしまうなど。


ティールは口を噤み、次の言葉を喉の奥で練り始めた。ただ、結局何も言い返す事が出来ず、その空回りを続ける喉には卓上の皿の上に転がる芋が通り過ぎる事になる。


「そう言ってるんだし、良いんじゃない?他人の犠牲をもってまでして守られた命程、息苦しい物は無いもの」

「けど……」

「その為に今日武器を作ったじゃん。この子が自分の力で己を守れるように。そして隣に立つ人を護れるように」


チラリと照明を反射して光を放つ彼女のイヤリングが目に入った。彼女の些細な動きで揺れるそれは、力強い眼差しをこちらに向けているヘイゼルと元より一体であったかのように。


「……わあったよ、俺の負けだ。俺はヘイゼルを守る、だからヘイゼルは俺を守ってくれ。……これでいいか?」

「っ、ありがとうございます」


結局、ティールが折れた。

自分だって、誰かが命を犠牲にしてまで守られたいとは思わないしそれは拒否するだろう。

若干不貞腐れるようにしてグラスを手に持ち、ビールを喉に流し込もうと思ったが、グラスの底に溜まった気の抜けた温い液体が数滴垂れるだけで喉の乾きが潤される事は無かった。


「あ、そうだ。トコルさんってティールさんの昔の友達って聞きましたけど、今お幾つなんですか?ティールさんが戦ってたのは何十年も前って言ってましたが……」

「ふっふっふっ、ヘイゼルちゃん。れでぃーにそんなに直接年齢を聞いちゃいけないよ。れでぃーに歳の話をするのは蜂に石を投げつけるのと同じだよ」

「こいつ?今年で八十近いんじゃねーの?」


ティールが不敵な笑みを浮かべ、指を指しながら言うとトコルの首が錆び付いたゼンマイ人形のようにゆっくりと音を立てながらティールの方を向いた。

その目は獲物を見つけた熊の如く、その口は三日月のように割れ白い煙が立ち上がっているように見えた。


「ティ・ー・ル・くぅ・ん???」

「そもそも吸血鬼になって開発職を続けたいっつったのはお前だろーが!?その真っ白になった髪だって俺由来なんだからな!?」

「それとこれは別だよおー??」




「ヘイゼルっ!今っ!今こそ俺を守る時だっ!ヘイゼル!!!!ヘイゼルっっっっ!!!!!」





――






「どうだった?」

「うん、ぐっすり寝てるよ。初めての長旅だから初日に飛ばしすぎちゃったかな」


薄い寝巻きに着替えたティールが眠そうに目元を擦りながら工房に戻って来たのを見て、トコルは軽く息をこぼした。


「完全に昼型になってるじゃん。夜に寝る吸血鬼って変な感じ」

「吸血鬼でも昼に起きて夜に寝てたらそういう体になるよ」

「はいこれ」

「ども」


トコルの隣に座ると彼女から液体の入った小瓶を渡され、ティールは中身を見ることも無くその栓を抜いた。


「うちは動物の解体から革のなめしまでやるからね。比較的簡単に動物の血液が手に入るからいいよ」

「助かるよ。この国にいる間はソウカの血に頼る訳にはいかないからな」


そして二人揃って瓶の中で波打つ血液を胃の中に流し、酒を飲んだ時のように深く息をついた。

決して味が良い訳では無いが、贅沢は言えない。口の中に残る固まった血の破片を舌で搔き取り、その小瓶に目を落とした。


「味は良くないでしょ。んまあ、吸血鬼への理解が深まったとはいえそう簡単に吸血する訳にはいかないしねえ。かと言ってほっとけば倒れるか血を求めて彷徨うモンスターになる訳だし」

「……やっぱり不便だろ?」


ティールは眉を片方持ち上げてトコルの方に目をやった。しかし彼女は小さく首を振り、何も言わずに時計の傍の壁にかけてある古い写真の元へ足を運んだ。

それは、何十年も昔に撮った最後の写真。別の世界で暮らしていくというヘデラとの別れの際、記念に撮ったものである。

ティール、ソウカ、エルティナ、楓、ナーサ、ルンティア、トコル、ヘデラ、葵、トゥルナ、ルコの写った写真。

彼女は愛おしそうにその額縁に浮かんでいた埃を指で払った。


「やっぱり昔の仲間が居なくなっていくのは淋しいよ。その仲間の隣が私の居場所だったからね」


小人族と人間の混血(ハーフ)として長らく差別を受けて生きてきた彼女に初めて居場所を与えたのは他の誰でもないナーサ達である。

トコルもそのまま寿命を全うし、仲間の後ろに着いて行こうと考えていた時期がある。しかし、そこに着いて行った所で()()がある訳でも無いし、先に行った仲間達もトコルが後を追って来ることを望む事は無いだろう。

だとすれば、トコルに出来る事。それは自分と仲間を繋いでくれた鍛冶師としての力を伸ばすという事。しかし、それには些か寿命という名の蝋燭は短過ぎたのである。

そこで、ティールから提案があった。吸血鬼として生きていかないか、と。吸血鬼として生きれば寿命も伸びる上、それを鍛冶の為に使う事が出来る。

彼女は少し考えた後、その提案を受け入れティールの指先から垂れる血液を口に含んだのである。以降、彼女は吸血鬼として長い長い人生を送ることになる。


「いい事ばかりじゃなかったよ。家族や、友人が自分を置いて先に行ってしまう。その喪失感は口に表せないほどだもの」

「……分かるよ。俺も……、意地張ってはいたものの、いざその時が来るとろくに飯も食えなくなってた」

「はは、ティールもそうだったね」


トコルは自虐するかのような乾いた笑いを浮かべ、ティールの方へ向き直った。その翠色の瞳が月夜に照らされ、まるで潤いを持っているかのように揺れた。


「実際、私もキツかったよ。数日槌を握る事すら無くなった。強がって経験豊富な長生きを装ってたけど、感情の重さは変わらない。それは今までも、これからも」

「……」

「それでも私は二人がいたから大分気が楽だったよ。ティールとトゥルナ、二人なかったら今の私はいなかったかもね」


生き続けると、未来を歩み続けるという選択は決して楽なものでは無い。一人であれば、きっとその心は挫け折れていただろう。

しかし、トコルには、ティールには、それぞれ仲間がいた。傍で支えてくれる、大切な仲間が。


「俺もお前には助けられたからなあ。ナーサが逝った時、ギャン泣きだったからさ」

「あれはねえ。強がってた分、感情が爆発しちゃってたんだろうねぇ」


目を瞑ればその時の光景がありありと瞼の裏に映し出される。自分の意思に反して、ボロボロと涙が溢れ、感情を抑えきれなくなったのはあれが初めてだったかもしれない。


「強がってなんか……」

「強がってたよ。私には分かる」


鼻で軽く笑おうとした所で、トコルに言葉を遮られる。


「でも、あそこで涙を抑えれているんだったら、私は君の事を冷酷無比な戦闘狂だと認識してたと思う。だから、少しホッとしたよ」

「あれが決め手で俺は冒険者を完全に辞めて教える立場に着いたわけだしな」


過去の思い出を噛み締め、窓の外から零れる夜の光を眺めながら二人は小さく溜息をついた。


「あ、そうだ。頼んでた奴は?」

「おっと、思い出話に飲まれて忘れる所だったね。……少し待って」


トコルは椅子から立ち上がり、裏の工房へと姿を消した。確かあの工房は釉薬や粘土、武具の材料等が倉庫代わりのようにしまってあるはずだ。

案外トコルは早く戻って来て、ガラスのシャーレを一つ手に持って再びティールの隣に腰掛けた。


「よくバレなかったな」

「お生憎様手先は器用な方で」


そのシャーレの上に置かれているのは一本の白髪の髪の毛。実はティールが予めトコルにヘイゼルの髪の毛を密かに抜いて確保しておいて欲しいとお願いをしていたのだ。


「何もこっそりとしなくても良かったんじゃない?あの子なら言えば髪の毛の一本や二本くれそうだけど」

「そうだけどな。……まあ心配をさせたくないというか」

「ふぅん……?」


まあいっか、とトコルは髪の毛をピンセットで摘み、ルーペになっている片眼鏡を下ろしてそれを凝視した。


「見た目は普通のと変わらないか。そりゃそうだよね、髪の毛だもの」

「やっぱり髪の毛だけじゃ限界か?」

「いいや、しっかりと検査にかければいけると思う。少し時間と費用はかかるけど」

「費用はこちらが持つよ。仕事を優先してくれて構わないけど、出来れば俺たちがこの国に滞在している間に結果を出してくれると助かる」


とは言え、招待を受けている即位式まで差程時間が無い。滞在出来たとして一週間が限界だろう。


「多分大丈夫だと思う。毛根から採取出来たしある程度の事は……っ!?」


トコルが髪の毛をピンセットから離し、シャーレに戻そうとした刹那。髪の毛がまるで着火剤に火を付けたかのように燃え上がり、一瞬の内に塵となって消えてしまった。


「……うっ!?な、何だ……!?」


舞い上がった少量の火の粉が鳥の羽根のようにヒラヒラと舞い落ちる。その状況を全くもって飲み込めない二人は、唖然とした様子で口をポカンと開きながら霧散していく火の粉を呆然と眺めていた。


「髪が、突然燃えるなんて……。そんな馬鹿な」

「…………どうやら、()()調べたらダメみたいだな」

「………………え?」


ティールは額に脂汗を滲ませながら、ニィと口端を吊り上げた。

ヘイゼルの正体には、何者かの影響によって未だ迫ることは出来ない。だがそれは無論ヘイゼルの意思以外のものだろう。神の介入か、はたまたそれ以上の何かか。


「あの子……一体何者なんだろう」

「少なくともただモンじゃあ無さそうだな」


吸血鬼でも無いのに持ちうる異常な再生能力、そして『悠久』という本当の名。

彼女が記憶を失う前、彼女は何者だったのか。何故、彼女を知る者達から狙われているのか。

ティールは固唾を飲みながら、何も残らないシャーレの上をただ見詰めていた。





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