外伝14 俺の勝ち
―――
「……っ、ここは……」
辺り一面、思わず目を瞑りたくなる程の純白世界。壁や、天井が認識できないほどそこは広く、辛うじて足だけ地面に着いている感触のようなものがあった。
「ようこそ、魂の世界へ」
背後から低く冷徹な声が聞こえ、オースティンは思わず振り返りバックステップで距離を取った。
そこにはティールの姿をしたティールが立っており、オースティンは思わず自分の姿を確認した。
「ここは魂の世界、いわば精神世界のようなもんだからお前が潜在的に思い浮かべる自分の姿になるんだよ。……何だかんだ言いつつ、その体がお気に入りだったみたいだな」
「……戯言を。……貴様、先は我に何をした?」
オースティンが言っているのは、彼女の体に起きた異常事態のことだろう。魂への干渉など容易に防げる彼女が突然立つことすらままならず、『魂魄操作』をもろに受けたのだから疑問に思うのも当たり前だ。
「お前、俺の体が吸血鬼なのは知ってるだろ」
「……嗚呼」
「俺はここんところ人の血を吸ってなかったから、血が不足気味だったんだよ。そんな状態でお前が俺の体を乗っ取ったから、お前は『吸血衝動』に陥る限界ギリギリでいた訳だ」
「……」
オースティンは言葉を発さない。ティールは小さく息を吐いて続けた。
「それはエルティナの解析で見えてたからな。後は隙を作ってお前の事を切り付けまくって視界に血を入れてしまえば『吸血衝動』に駆られてマトモな行動すら出来なくなるっていう訳よ」
「……はっ、そしてその隙を着いて魂に干渉。我をこの場に引きずり込んだ、という訳か」
「ご明察」
ティールがちょいと肩を竦めると、オースティンはぎり、と唇を噛み締めた。
しかし、幾度か体を動かし己の魂の感触を確かめた後、オースティンは不敵な笑みを浮かべた。
「だが魂の中とはいえ確実に勝てる訳では無いだろう?今は魂だけとは言え、魔力も通っているし動く事さえ出来る。……先に魂が壊れるのは一体どちらか……?」
「んなもん決まってんだろ」
ティールは大きくため息を吐きながら懐から何かを取り出し、オースティンに見せつけた。
それは橙、紅、翠、白、そして蘭色に輝く五つの美しい宝石。
それぞれが紐に括られたそれは、ティールの魔力を受け取ると各々の持つ宝石の色に輝き始めた。
「ここで勝つのは、俺だ」
――
「……ティールさん、遅いですね」
「ふむ……」
場所は変わり、街の小さな病院。ここはティールの旧友、トゥルナがひっそりと経営している病院でそのベッドにティール、オースティンの傀儡、ソウカが寝かされていた。
そんな三人の傍で心配そうな顔をして見守るヘイゼルとエルティナ、そして椅子に腰掛けてぐったりと机に付しているヴィオラと何事も無いかのように煙管をプカプカと吸っているトゥルナ。
「嫌に落ち着いてますね、トゥルナさん」
そんな彼女の態度が目に付いたのか、ヘイゼルは少しむっとした様子で彼女に声を掛けた。
するとトゥルナは煙管の葉を灰皿に叩き落としながらニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「私はティールと昔からの付き合いだからね。この程度じゃこの子は死なないよ」
「……ですが……」
「エルティナもずっと一緒にいたのに、その程度も分からないのかい?」
「分かりますが、それよりも心配が勝ってしまいます。彼女の魂は不安定ですから、例え精神世界でオースティンに勝ったとして元のようになるかどうか……」
エルティナはティールの胸元に手を当てて複雑そうな表情を浮かべた。
「そこは神のみぞ知るってね……と思ったら今はあんたが神だったのか。神にも分からないんじゃ我々はどうしようも何ないね」
カラカラと笑うトゥルナを尻目にエルティナは頭を抱え、ヘイゼルはティールの眠るベッドに顎を乗せ、頭を彼女の体に預けた。
「そんな辛気臭い顔しててもどうにもならないよ。なんか出前頼む?ソウカの手料理には勝てないだろうけど」
「トゥルナさん……変わりましたね」
「私が?…………うん、まあそうかも」
トゥルナは一瞬驚いた素振りを見せたが、改めて考えてみると自分の物事の捉え方への変化は確かにあったと思い、苦笑を浮かべた。
「まあ一線を引いたからね。現役でバリバリ戦うような訳でも無いから心境の変化はあるかも」
再び煙管に煙草を詰め、指先で起こした火を近づけて葉を燻す。一筋の灰色の煙が立ち上り、トゥルナは吸い込んだ煙をため息を着くかのように吐き出した。
「にしてもお腹減ったな……。何か買ってくるけど三人とも適当で良いかな?」
「……あ、俺は油っこくないやつ」
それまで何も言葉を発していなかったヴィオラが、パチリと目を開けて言うとトゥルナは若干頬を引き攣らせた。
「ジジイみたいな事言って。……分かった、油ギットギトのヤツね」
「おいおい、俺の胃に穴が空くって……」
「あなたが小さい頃珍しく手料理を振舞ったら味が薄いだのいちゃもんつけて来たじゃない。まだ根に持ってるんだからね」
「若気の至りってやつだよ……」
最近何かと黒歴史を掘り起こされるヴィオラ、そんな彼にヘイゼルは哀れみのような、同情のような表情を浮かべていた。
そうしてトゥルナが白衣をたなびかせながら、店を出て行ったのを見送って数分。三人の間には沈黙が流れていた。
ヘイゼルは濡れたタオルでティールやソウカの肌に滲んだ汗を拭き取り、エルティナは何も無い空間に手を伸ばし、何かを呟きながらその手を細かく動かしている。どうやら彼女にしか見えない何かがそこにはあるようだ。
ヴィオラは若干体力も戻って来たのか、退屈を凌ぐかのように自身の短剣の手入れを行っていた。
「それで、ヘイゼル」
「はい?」
そんな中沈黙を破ったのはエルティナであった。彼女はパチンと手を叩くと椅子ごとベッドの脇に寄り、看病に徹するヘイゼルと向かい合うようにして座った。
「先程心臓を喰らって、如何ですか?何か変化は感じますか?」
ヘイゼルは先の戦闘の際、ティールがオースティンの魂に干渉する瞬間にその心臓を抜き取り喰らっている。
体はティールの物だが、魂はオースティンである状態で心臓を喰らった場合、それはオースティンの心臓を食べた事になるのだろうか、とエルティナは疑問に思っていた。
「特に変化は無いです。ですが、食べた瞬間から魂とは何か、という情報が頭に流れ込んで来ました。なのでオースティンの心臓を抜き取ることが出来たんじゃないかなあと」
「……ふむ、中々ややこしい条件ですね」
エルティナは左目に掛けた片眼鏡を通してじっとヘイゼルの顔を観察した。この片眼鏡は生命監督機関の神としてアダマスから受け継いだ物で、それを通して見た者の情報が事細かに表示されるようになっている。
本来『解析者』としての任を担っていたエルティナには備わっていた力ではあるが、見る物全ての情報が思考に流れ込んでくるのも不便であろうということで、エルティナは能力を制限し、この眼鏡を介することで相手の情報を見ることが出来るようになっている。
否、このヘイゼルはどうだ。
片眼鏡を通してみようと、『解析者』としての能力を使ってみようと、その情報が表示される事は一切無い。まるで、彼女がそこには存在していないかのように。
だが、それをヘイゼル本人が意図的に行っているようには見えないし、エルティナにも見えない理由が分からない為、その事を打ち明けるつもりは無いのだが、エルティナに取ってはそれが違和感でしか無いのである。
「という事は『傀儡』として人形の中に魂を入れておくことが出来るということでしょうか。少し落ち着いたら色々と試してみましょうか」
「……分かりました」
そうして再び沈黙が流れる。自分からこの雰囲気の中で話を切り出せるほどの勇気もなく、ヘイゼルがモゴモゴと口を動かしていると、ふと目をやったティールの胸元に薄らと乳白色の光が思っているように見えた。
「……っ、これって」
それはヘイゼルが『傀儡』の心臓を口にしてから見えるようになった魂の外殻。ヘイゼルがエルティナの方へ視線を向けると、彼女は小さく頷いてティールに目を戻した。するとどうやらエルティナにも見えているようである。
「この魂は……一体どちらの……」
ティールが勝ち、己の体に魂を戻す事が出来たのか。オースティンが勝ち、再びこの体に彼女が宿るのか。
二人は固唾を飲んでティールの体を見守る。
否、そしてその結果は直ぐに分かることとなる。
「っ」
「ティールさん……!?」
彼女の紅玉のような真紅色の瞳がパチリと開かれた。
しかし、そのティールの体は辺りの状況を確認するかのように目を動かし、隣で寝かされているオースティンの傀儡の体を見て彼女は不敵な笑みを口に浮かべた。
「フッフッフッフッ」
「………………」
「フッフッフッフッフッフッ、まぬけめ!ヘイゼル」
「……そ、そんな。まさか……」
「貴様のおかげで甦ったぞッ!!」
「てめえ!!」
刹那、ヴィオラが短剣を持ってティールの体に飛びかかり、その胸元に向けて切っ先を突きつけた。
「ま……待てッ!バカ弟子!うそ!うそ!うそだよおお~~ん!冗談だ!冗談!」
「……ティール、おふざけもその辺にしておいて下さい。おいたが過ぎますよ」
「……へ??」
エルティナが深々とため息を着きながらヴィオラの短剣を押しのけるのを見て、ヘイゼルとヴィオラは唖然とした様子で惚けた表情を浮かべていた。
「……本当にティールさん……?」
「そうだよこのバカ弟子!師匠に剣を向けるだあいい度胸してやがる!」
「ふざけているのはあなたの方でしょう」
「いてっ」
何処からか取り出した錫杖で頭を小突かれ、ティールは悪戯な笑みを浮かべてベッドに胡座をかいて座った。
「え、え?本当にティールさん?」
「……ああ、正真正銘のな。疑うってんなら何でも質問してくれて構わないぜ?」
ヘイゼルが質問に困って唸っていると、エルティナが横入りして問いを投げかけた。
「では私の旧名は?」
「解析者、さらに遡ってエル」
「……私は珈琲と紅茶、どちらが好き?」
「珈琲。しかしミルクティーとなると珈琲に勝る」
「……私はパン派?それともご飯派?」
「パン。それも朝はパン以外を食べると不機嫌になる」
「……はあ、どうやら本物のようですね。そんなくだらない事を覚えているのは」
エルティナは深々と溜息をついてティールの頭を軽く叩いた。
「って!何すんだよ!?」
「馬鹿ですか。皆を心配させていたのですから、この程度軽いものですよ」
「…………」
ティールが周りを見回すと、安堵した表情で腰を抜かしているヘイゼル、咄嗟の戦闘準備で息を切らしているヴィオラ、全く己と同じ顔の、されども少し機械的な表情の残るエルティナと、見知った顔が自分を囲って己を見下ろしていたのである。
「…………そうだな、とりあえず」
ティールは小さく息を吐いて続けた。
「ただいま」
ツンと尖った犬歯がキラリと輝き、ティールは満面の笑みを浮かべてそう言った。