外伝12 『生命監督機関』現神、エルティナ。
――
「…………がふっ……!?」
「そろそろタイムリミットでは無いのかな?」
口から血を噴き出し焼け焦げた地面を転がるソウカ。その脇には槍を支えにに辛うじて立っている満身創痍のヘイゼル。
二人とも持ちうる全ての力を出し切って応戦した。否、ティールの体のオースティンはそれでも歯が立たない程に強力で、その無尽蔵ではないかと疑う程の魔力を元に放たれる魔法は個々の威力は低くとも数で圧倒されてしまう。
しまいには、彼女の指先から放たれる白色の光線。指を向けられたかと思えば、ほぼロスタイム無しで狙った場所に即着するというかなり凶悪な技。従来の蛇の硬さと吸血鬼の回復能力の高さで戦う事が得意なソウカに取って、実質回避不可の攻撃は体力をただただ削られるだけ。体力があればその攻撃を躱すことも出来るだろうが、『吸血強化』による反動もあり、それも厳しくなっている。
ヘイゼルも同様異常な治癒能力の高さで耐えてはいるが、
そろそろ体も限界。息も絶え絶え、視点もろくに定まっていない。
「ふふ、『悠久』。貴様は最後にいたぶってから心臓を抜き取るとしよう」
オースティンが指を地面に横たわるソウカの方へ向ける。
「ほら、もっと楽しませてくれたまえ。最近は血の滾る戦いが多くて気分が高揚しているんだ」
無情にも彼女の眉間に向けて魔力を収束させた光線が放たれる。が、彼女は体を動かすことすらままならない程に全身にダメージが蓄積しており、向かってくる光線をなされるがままに受け止めるしか無かった。
そうして彼女が死を覚悟した刹那。
「っ!!!!!!!!」
間に割って飛び込んだヘイゼルが、間一髪の所で光線を槍で弾き飛ばした。弾いたというよりか、槍の穂先に掠らせる事によってその方向を変えた、というのが正しいのだろうか。
「ヘイゼルっ…………!」
「これはっ!私の戦いだぁぁっ!!」
ヘイゼルは地面を踏み締め、全体重を乗せて槍を投げ付ける。
「……っ、何を……」
鋭い軌道を描いて飛んだ槍だが、無論意図も簡単に叩き落とされる。しかし、今のヘイゼルにはその一瞬の時間が必要だった。
「風よ……!!」
地面に向けて『風刃』を応用した風魔法を起こし、下から巻き上げるような風を起こす。すると周りでチラチラと燃えていた火が風に吹かれ巨大な炎となり、辺りに広がり始める。そして更に風の方向を調節し、二人とオースティンの間に炎の壁を隔てる。
「今の内に!」
「……か、らだが……」
地面でうつ伏せになって動けなくなっているソウカの体を引くも、彼女の体は吸血強化による反動で既に限界を迎えており、足を地面に立てることすらままならなかった。
ヘイゼルは唇を噛み締め、半ば無理矢理ソウカの腕を取ると自分の体を彼女の脇の下にねじ込ませ、痛む全身に鞭を打ち彼女を持ち上げる。
ここまで大きな火事が起きていれば、この街でもかなりの騒ぎとなっているだろう。そうすればヴィオラを含む戦える人が駆けつけてくれるかもしれない。そんな淡い期待を胸にヘイゼルは穴の空いた壁から家の中に入り、そこへソウカを横たわらせる。
「……すみません、硬い床で」
「ちょ、っと。ヘイゼル、死ぬ、わよ……?」
再び外へ向かおうとするヘイゼルの手を、震える手でソウカが触れる。
するとヘイゼルは小さく笑みを浮かべ、首だけを動かしてソウカを見て言った。
「私、しぶとさには自信があるんです」
――
「……意外、律儀に待ってたんだ」
「貴様がどんな泣き面を浮かべてその穴から出てくるのか気になってな。……ふむ、どうやら覚悟は出来たようだな」
「……ティールさんの体、返してもらう」
ヘイゼルは口を引き結び、大地を踏み締めた。
「良い。せいぜい嬲ってその心臓を抜き取ってやろう」
オースティンもニヤリと口角を持ち上げると指先をヘイゼルの方へ向け、眉ひとつ動かさずに攻撃を行う。
放たれた光線はヘイゼルの喉元を直撃。反対側の項から一線の鮮血が吹き出す。
否、彼女は微動だにせず一歩、一歩と距離を詰めてくるのみ。
再び放たれた光線が眉間を貫く。少し体の重心が崩れ、頭から零れた血が目を濡らし、白目を赤く染めるがそれでも彼女は足を止めない。
「っ」
心の臓、目、腹部、頭。普通であれば致命傷となりえる場所に次々に攻撃を受けるも、彼女の見開いた目はオースティンを捉え続ける。その目に映るオースティンは苦虫を噛み潰したような顔で頬を引き攣らせていた。
その光景は彼女の記憶にありありと焼き付けられている。頭を半分吹き飛ばされようとも、眉ひとつ動かさず攻撃を仕掛けてくる彼女の存在を。その熱を。
「だが貴様は……!!全てを……!!」
怒りを顕にした様子のオースティンは歯を噛み締め、掌からヘイゼルに向けて炎を放つ。
「……っつ」
その熱に飲まれ、ヘイゼルは一瞬たじろいだ。
が、彼女の周りにひらひらと舞う火の粉が彼女をその炎から守り、再び歩み始める。
そして気がつけば、二人の距離は目と鼻程の距離にまで縮まっており、オースティンは固まったまま目の前で拳を振り上げるヘイゼルを眺めていた。
「……貴様の選択は、それか」
「……っく、あ……」
「?」
彼女は半ば諦めたかのような笑みを浮かべていた。
だが、振り下ろされた拳は力無くオースティンの肌を撫でるに留まり、ヘイゼルはその体にもたれ掛かるようにして膝を着いてしまう。
「……があ……ぁ…………」
全身から力が抜けて行く。
粉雪を丸めた雪玉が、投げた瞬間に空中で四散するかの如く。
糸が数本切れた操り人形の如く。
「……ふ、はは。所詮は紛い物の痩せ我慢であったという訳だ」
自分に力無く拳を押し付けているヘイゼルを見下し、オースティンは高らかな笑い声を上げた。彼女が、今自分の前で力無く地面に膝を着いている。これ程愉快な事があろうか、これ程愉悦に浸れる事はあるだろうか。
「ではな。悠久、その心臓を……我が身に」
「……っ!」
胸元に突き付けられた鋭い爪が、柔肌を貫き肉を超え、心臓へと辿り着く。
――これでいいのかも、しれない。
ヘイゼルは胸の内でそう零した。ティールが体を奪われたのも、ソウカが重症を負ったのも、店が燃え破壊されたのも、元はと言えばヘイゼルがここへ来てしまった事が起因。
ここで生き延びたとて、また大切な人を巻き込んでしまうだけだろう。
だとすれば、今ここで死んでしまえば。今ここで全てが終われば。もう、誰も巻き込まない。誰も、自分の為に傷を負わなくて済む。
オースティンの指が心臓に触れる。
そう、あと少し。
「………………っ!?」
刹那、心臓に触れたオースティンの指先が弾け、火の粉を撒き散らしながらヘイゼルから大きく距離を取る。
「……?」
「……貴様、何をした?」
「何、をって……」
ずっと固まっていた視線を動かすと、胸に空いていた拳一つ分程の穴は辺りから巻き上がる火の粉が集まり修復され、やがて彼女の体の周りにもその火の粉がまとわりつき、渦のようになってヘイゼルを囲った。
「……これは」
思わず指を伸ばしてその火の粉に触れるも、それは仄かに暖かく優しくその身を包み込んだ。それと同時に、先程までのどうしようも無い倦怠感が失われ、体の底から力が湧き上がって来るようだった。
「これなら、戦える」
ヘイゼルが拳を握り締め体勢を低く構えると、再びオースティンの顔が歪んだ。
「何故だ!!何故貴様はその姿でも尚!!――――!?」
「……っ!?」
半ばやけくそ気味でオースティンが指を構えた時だった。
二人の間に高速で何かが落下し、その衝撃波でオースティンの体が大きく揺らいだ。
「な、何がっ……!?」
舞い上がる土煙に飲まれ、咳き込むヘイゼル。
何が起きたのか分からず何も出来ずにいると、冷ややかな手が肩に置かれる。
一瞬オースティンのものかと手に魔力を集め応戦しようとしたが、その手の持ち主の顔を見てすぐに魔力を散らせる。
「すみません、面倒な手続きがありまして。……後は私に任せて」
「エルティナ、さん?」
隣に立つのは、顔も体つきもそのどれもがティールと告示した女性。しかし髪が紫陽花色であり、頭にナイトキャップのようなものを被り、左目に片眼鏡をしているのですぐ様それが別人であるということは分かった。
ヘイゼルが魔力の使い方を学ぶ時、一度だけ会ったことのある彼女。その時ティールは彼女を双子だ、と言ってはぐらかしていたけれど、ヘイゼルは何となく彼女がエルティナとの関係を隠しているように感じていた。
その正体は『生命監督機関』の神座に座る神の一人である。元はティールの体に住まうもう一つの魂であり『解析者』としての任を全うしていたが、体が分離して以降、『生命監督機関』の神『アダマス』の補佐として働いていた。
そのアダマスが更に上位の神になった事により、その座を引き継ぎ現在神の一人となっているのがエルティナなのである。
「無事ですか?何処か傷は……」
そう尋ねるエルティナにヘイゼルは小さく首を振った。
「私は大丈夫。けどソウカさんが重症で、今家の中に……」
「っ、面倒な手続きさえ無ければ……」
エルティナは唇を噛み締め、少し離れた所で立っているティールの体を持ったオースティンを見やった。
「あれは……ティールのガワを被った何者か、ですか?」
エルティナは左目に取り付けた片眼鏡を持ち上げる。そのレンズを通して見た世界は魂のみが映し出され、ティールの体に宿る魂は彼女のものでは無いという事が分かった。
「彼女はオースティン。……ティールさんの体を奪って私の心臓を奪おうと……」
「……分かりました。消耗しているでしょうから、ヘイゼルさんは少し休んでいてください」
そう言って微笑むと、エルティナはオースティンの方へと向き直り、殺意の籠る鋭い顔付きに変化した。
「その体、私と一体のようなものです。返してもらいましょうか」
「この体、中々居心地が良いのでな。少しの衝撃で関節の外れる人形の体と比べたら天と地ほどの差がある。……それを返せというのは中々酷な話では無いか?」
「口を慎みなさい」
「……っが!?」
ペラペラと得意げに話しているオースティンの元に目にも止まらぬ速さで接近したエルティナ。神聖力を纏わせた掌底を鳩尾に打ち込み、その体を大きく吹き飛ばす。
「……かっ……がはっ……!?」
鳩尾を強く打たれれば、呼吸すらままならなくなる。思わず膝を着いたオースティンにすかさず畳み掛けるエルティナ。
無の空間から一本の錫杖を取り出し、その石突きで彼女の喉元を突き上げる。
「あなたが魂を入れ替える事の出来る力の使い手であればそれ相応の手を用意したのですが……」
錫杖『黎明』。長さはエルティナの背丈ほどで、振る度に金具がぶつかり合い高い金属音を発せさせる。
彼女がとある人からアイデアを得て作った武器であり、その効果は彼女の用いる神聖力を増幅させ打撃に変換するというもの。
「神聖力を受けても得な影響は見られないことから、不死の類では無いのでしょう。……どれ」
再びエルティナが片眼鏡を持ち上げる。するとそこに映る景色も変わり、事細かな情報が映し出され、同時にそれらが頭の中にへと流れ込んでくる。
その情報量は常人であれば脳がパンクし、意識を失ってしまう程の物だ。しかし、流石は元解析者、元神と言うべきか。いち早くその情報を脳内で整理し、対面している敵の情報を読み取る。
否、エルティナは小さく舌打ちを鳴らした。頭に送られてくるのは彼女のガワとなっているティールのものが大半で、その魂についての情報は殆ど送られてこない。と言うよりかは、肉体の情報が多すぎて魂の分まで情報が処理しきれていないというのが正しいか。
そもそも肉体と魂の情報は本来同一。林檎の中に林檎の種があるということは、その果物を視界に入れた段階で誰もが理解出来ることだろう。
しかし今回の場合、林檎の中に他の果物の種があるようなもの。そうなれば、その種が何のたねなのか、外観を見ただけでは分からないだろう。
「どうした?嫌そうな顔をして」
煽るようにしてオースティンが両手を広げ、口角を吊り上げる。しかし先程の一撃がかなり効いているのか、その表情にあまり余裕は無く体幹も揺らいでいた。
どうやらすぐに飛びかかってくるような訳でも無さそうな為、エルティナは再び分析を続ける。
――肉体は完全にティールの物。魂のみを移転させたのですね。……そしてその体の種族も同じ。魔力も同等の性質を持つようです。
正直な所、現神である彼女がオースティンを倒す事は容易い。それがティールの肉体で無ければ。
第三者が器の変えられた魂に干渉するのは難しく、魂の形が非常に不安定なティールなら尚更である。神聖力を限界まで込めてその攻撃を叩き込めばその体諸共消滅させることは容易いだろう。しかしそれではティールの体が無くなってしまう。
彼女とは元とはいえ一心同体の身。その体ごと消し去ってしまうのは避けたいところである。
「面倒な……」
エルティナは深々とため息を着いた。面倒な手続きを終え、やっとの思いで地上に降りてきたと思えば、更なる面倒事が待っているとは。
「面倒なので、あまり抵抗しないで下さい。暴れられるとこちらも手加減の具合を変えなければなりませんので」
「ぬかせ、この体を傷付けずにどうしようと言うのだね?」
一呼吸置いて、エルティナは微笑んで返した。
「あなたのその体の事を一番理解しているのは、この私ですから」
――
「はぁ……はぁ……!!」
「もっとスピード出せねぇのかよ!クソ弟子が!俺より若いだろ!?」
一方その頃、ヴィオラは傀儡の体のティールを抱え加齢によってメキメキと悲鳴を上げる体に鞭を打ちながら彼女の自宅へと走る。
「無茶言わないで下さいよ……!!俺は……!!人間……!!なんですから……!!」
息も絶え絶え、ヴィオラが叫ぶ。
「くっそ……、こんな体じゃなければ……」
ヴィオラが走る中で生じる振動ですら、傀儡の体の関節部はカタカタと揺れている。
もし家に着いたとして、こんな体で一体何ができるというのか。ろくに走れもしない足と、まともに力の入らない腕。オマケに強い衝撃ですぐ壊れると来た。自分の体ではオースティンに勝つことが出来たが、この体ではちと厳しいものがあるというのが現実だ。
「…………くっそ……」
ティールはぎり、と唇を噛み締めた。年老いた弟子の力を借りなければ歩けない程の無力感に、ただただ己のプライドが砕かれ、胸が締め付けられるような気持ちになった。
「…………」
そして彼女を背負うヴィオラも、痛い程その気持ちが分かった。彼がティールと出会ってから、彼女が戦いに負けた事は一度たりともない。時折吸血鬼特有の粘り強さで全身血塗れになって勝ちをもぎ取ってきたこともあったが、基本全て勝利している。
故に、突然自分の体を奪われ、その体が自分が守ろうとした存在に矛先を向けているというのは歯痒くて仕方が無いだろう。それが負けを殆ど拒否してきた者なら特に。
「ティールさん、着きましたよ」
「ありがとう、もういいぞ」
そっとヴィオラに降ろされながら、ティールはその体を支えに何とか立ち上がる。
やっとの思いで辿り着いたティールとソウカの家。しかしいつも通りの穏やかな様子では無く、店の外からでも分かるほどその家は損傷し、あちらこちらに穴が空いており今にも倒壊してしまいそうな程であった。
「……よくも……俺の店を……」
遥か昔に、育ての親から譲り受けたこの店。その思いを、その記憶を絶やさぬ為に必死に守ってきたこの家を。
ここまで傷つけられるなんて。
「ティールさん、これを」
「……っ、これは……」
怒りを顕にし、体を小刻みに震わせていたティールの肩に皺だらけの手が置かれる。そしてティールが振り返ると、その手には一本の短剣が握られていた。
「……俺は、しばらく戦えないですから……。……任せます」
息を切らしながら渡されたその短剣を、ティールは指の欠けた手で握り締める。
それは彼がこの街の守衛部隊の長官に任命された時、ティールが彼に授けた短剣だった。
「……お前、この剣は……」
「使い慣れてるでしょう?この剣は」
それは、彼女が普段使う剣と瓜二つ。それもそのはず、二本の剣を作ったのは彼女の親友であり、ヴィオラが使っていた物は元々ティールの破壊された短剣を繋ぎ合わせたもの。
繋ぎ合わせた、と言っても素材が特殊な為、繋ぎの跡など無論見えない。どれだけ強く振ってもその剣は壊れることは無い。
ティールがその柄を握ると、体は違うのにも関わらず異様に手に馴染んだ。否、手に馴染むというよりかは魂に馴染んだの方が正しいのかもしれない。
「悪い、借りるよ」
「借りるも何も、元はあなたのですから」
にへら、と笑いながら遂にヴィオラが崩れ落ちた。流石にこの歳で人形一体を抱えて走っていたのだ。これ以上彼に負担をかける訳にはいかない。
ティールは後ろで仰向けに転がっているヴィオラを尻目で見、すぐに店の中に走り込んで行った。今己の身が傀儡である事など忘れてしまったのかのように、ティールは無我夢中で走っていた。
――頼む、二人とも無事でいてくれ……。
そんな思いを胸の隅に抱きながら。