外伝11 吸血強化
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「私はこの程度では死にませんよ」
諭すような声が、風の吹き荒れる戦場にて発せられる。
「その程度の事分かっている。……お前が頭を落とされた所で死なぬとな」
ブロンド色の髪の持ち主は、引き攣るような笑みを浮かべて言った。その視界の先にあるのは、顔の左半分にぽっかりと穴が空き、その先にある景色が見える彼女の顔面。
しかし、その顔はまるで映像の逆再生を行っているかのように修復され、やがて何事も無かったかのように再生した目が瞬いた。
白と赤の混じる髪が靡き、目元にかかった分を手で払う。
「無駄な足掻きです。投降しなさい」
「お前は分かっているだろう。……我が、投降などという恥さらしな事はせぬ、と」
「分かっている上での警告ですよ。今すぐこの戦いから身を引きなさい。であれば此度は見逃しましょう」
「ほざくなっ……!!!」
矢を三本同時に番え、同時に発射する。
光の速さにも近いその矢は重力にすら抗い、綺麗な直線を描き進んで行く。
「『炎鳥・燐』」
しかし、その矢は狙った先に届く事はなく。
彼女の背後から守護霊の如く現れた炎を纏う巨鳥が矢を叩き落とし、ブロンドの髪を一瞬の内にして消し炭にしてしまう。
「こうしたとて、あなたはまだ体のスペアを持っているのでしょう。……はぁ」
灰が千切れ天に登っていく様を見て、赤と白の髪の少女は深々とため息を着いた。
終わりの無い闘争。尽きる事の無い命。一時足りとも気を抜けぬ毎日。
一体この負の連鎖は、いつ終幕を迎えるのだろうか。
「彼女が体のスペアに接続するにはある程度時間が必要さ。今は身と心を落ち着けるといい」
ガサゴソと近くの木が揺れ、また別の少女が軽やかにその上から飛び降りてくる。
空色のボサボサの頭を掻き上げただけの彼女は、白と赤の髪の少女の元へ歩み寄り、手に持っていた菓子を幾つか手渡した。
「あなたは傍観していただけでしょう。そんなに甘味ばかり取っていると肥りますよ」
そうは言いつつも、彼女は菓子を一つ受け取り、包装紙を開けて口の中に放り込んだ。
「君が戦ったり体を動かしたりするのにエネルギーを使うように、僕は動いていずとも脳を動かせばエネルギーを使うのさ」
「そんなものですか……」
空色のボサボサ頭は苦笑を浮かべ、視界の端で轟々と燃えている人形の残骸に目をやった。
「ホント、いつ終わるんだろうね」
「あなたはそういうのが分かるのでは?」
「僕のは既に世界に刻まれている記憶を読み取るに過ぎないよ。未来は推論でしかない、その記憶から予測しているに過ぎないからね」
ボサボサ頭が肩を竦めると、その場でうんと伸びをし、更には欠伸を噛み殺して赤と白の髪の方へと向き直った。
「今日はもう休むとしよう。もう三日も野宿だ、そろそろ柔らかなベッドて身を落ち着かせたい。首と肩が痛くてかなわないのでね」
「では宿を探すとしましょうか。あなたの力を使ってくれますか?」
「そんな事にこの力を使ってたまるものか」
空色のボサボサ頭は、カラカラと笑いながら、べ、と舌を出した。
――――
「……ぅ」
立ち込める埃で咳き込みながら、ヘイゼルは自分にのしかかった瓦礫から這いずり出た。
「生き、てる?」
確か至近距離でオースティンの攻撃を受けたはず。にも関わらず、何故自分は無事なのか。その答えは周りを見回し、明らかになる。
「あれ、は……」
大きな円形の穴が空いた壁の先、店の裏庭にて巨大な丸太のような生き物とティールのガワを被ったオースティンが戦っている。目を凝らしてよく見ると、その丸太のような生き物は巨大な蛇であり、全身を鞭のように畝らせてその肉体を叩き付けるようにして戦っていた。
「ティアの体を!返しなさい!!!」
そしてその大蛇から、よく聞きなれた声が発せられるヘイゼルは目を見開いた。そして以前にティールが話していた時の記憶が蘇る。
――――――――ソウカは蛇女だよ
蛇女、といってもせいぜい人間程度の大きさなのだろうと思っていたが、現実はその数倍。人間の姿のソウカとはどう見ても結びつかないその巨大は、互角にオースティンと渡り合っているように見えた。
「ソウカ、さん……っ!?」
今すぐ助太刀せねば、とヘイゼルが駆け出そうとすると肩に焼け付くような痛みが走り、全身を電撃が走ったような痺れが襲う。
反射的に手で抑えた肩を見てみると、そこからはドクドクと滝のように血が溢れており、その血で詳しくは見えないが、少なくとも傷が浅くは無いことは分かった。
一度その傷を、痛みを認識してしまえばもう忘れることは出来ない。尋常ではない痛みが彼女の思考を支配し、呼吸も荒げ、視界もぐらぐらと揺れに揺れる。
しかし、何よりも彼女の心を支配するのはその不甲斐なさである。目の前で家族と言っても過言では無い人が戦っているというのに。自分のせいで巻き込んでしまっているというのに。
何もせず、ただ痛みに悶え、彼女が戦っている様を傍観していなければならないとう事に、無力感を感じ吐き気すらもよおして来た。
「……くそっ、くそぉっ」
自分に嫌気がさす。この時の為に、戦いを教わったのでは無いか。家族を守る為に、力の使い方を学んでいるのでは無いか。
しかし、いざその時となると己の無力さを実感させられる。
動け、体。走れ、今すぐにでも。
否、体は呼応しない。痛みに悶え、体が思考の通りに動かない。
「大蛇と戦うのは初めての経験だ。楽しませて貰おうか」
「……!ティアは何回もボコボコにしてるけどね!!」
激しい戦いに土埃が舞う。それがボロボロになった家の中に入り込んで来て、ヘイゼルは激しく咳き込んだ。
「何も、私には……」
出来ない、そう言おうとした所で暖かな手が口を塞ぐ。
「……む、ん?」
『あなたは、とても大きな力を持っています。……ですから、自分を信じて』
「あな、たは?」
目が霞んでいるのか、自分の横にいる彼女の姿はハッキリとは目に見えない。目には見えないが、それはまるで燃えているかのような、炎のような温かさを持っていた。
その温かさは心地よく、先程まで動く事すらままならない程痛みに蝕まれていた体がすっと軽くなる。
『ヘイゼル……うん、素敵な名前を貰いましたね。行きなさい、ヘイゼル。あそこで戦っている彼女は、あなたの協力を必要としています』
「……でも、でも……私は……何も……」
『では何の為の訓練だったのですか。……安心してください、あなたはあなたが思っているよりも強いです。自分を信じなさい』
「………………うん」
ヘイゼルがその言葉に頷くと、その炎のような人影は静かに消え、そこにあった熱も無くなってしまう。
「……あ」
その人影に伸ばした手は静かに空を切る。
ヘイゼルは自分の頬を何度か叩き、その惚けた顔に無理矢理気合いを入れる。
「……やらずに終わるなら、やって終わってやる」
ヘイゼルは立ち上がり、玄関脇に立て掛けてある短槍を手に取り、家の壁に開いた巨大な穴から外へ飛び出して大地を踏み締める。
そのタイミングでソウカとは目が合うが、彼女は一瞬その長い首を縦に振るだけで得なリアクションをしない。ヘイゼルもそれに首を縦に振って応え、極限まで気配を殺して足を進める。
呼吸数を減らし、思考を無くす。自分の一挙一動全てに神経を巡らせ、感覚を研ぎ澄ませる。
「……っ!!!!」
水に流れるように、木の葉が風に吹かれるように。
一つの物音をも立てず、ヘイゼルの槍は無防備だったオースティンの背中から胸を貫いた。
「……うごっ!?がっ……!?」
完全に視界を埋めて尽くしているソウカに気を取られ、ヘイゼルの事など頭から抜けていた彼女。目を丸くして、驚いた様子で自分の胸を貫く槍を眺めていた。
「良くやった!ヘイゼル!」
その一瞬の隙に乗じソウカは己の全身を畝らせ、オースティンの体を中心に戸愚呂を巻き、締め付ける。
「……ぬ、くぅ……っ!?」
「さっさと体を返しなさい!!」
時間が経てば経つほど加圧され、全身の骨がミシミシと音を上げる。その高い圧力故にオースティンは身動きひとつ取れず苦悶の声を漏らす。
「ソウカさん!!」
「私……は、大丈夫!!」
だが、圧力を感じているのはソウカも一緒。力強く拳を握ると手が痛くなるように、オースティンを締めつければ締め付ける程彼女の体にも相応の不可がかかる。
故に一瞬、指一本を動かせるだけの緩みが出来てしまった。
「『業火』」
「「っ!!!」」
無論、その隙を彼女が逃すはずも無く。
次の瞬間には、オースティンを中心に円を描くようにして地面から炎の壁が立ち上った。
「はははは!!!!!やっと、やっと馴染んだか!!この肉体の魔力が!!」
炎の中から甲高い笑い声と共に、人間体に戻ったソウカが転げ落ちてくる。
魂の入れ替えには当然だがリスクが伴う。その一つに魔力が魂と馴染むのに時間を有するということ。言うなれば、マイナス口のネジをプラスドライバーでこじ開けようとしている感じである。だが、幾度もドライバーを回している内にネジの口は削れ、ある程度プラスドライバーでも形が嵌るようになる。
「ソウカさん!!!」
ヘイゼルが慌てて駆け寄るとその傷は中々に酷く、体のあちこちに火傷を負い、それに混じって肉が抉れたような跡もあった。
「……ちっ、くしょう。まずったかな……」
そんな傷を置いながらも、殺意の満ちた目付きで炎の先を睨み付けるソウカ。顔からもダラダラと血を流し、白目がその血で真っ赤に染まっている。
「なんだ、中々にしぶといではないか。……貴様ただの蛇女では無いな?」
炎の壁が消え、その先からゆらゆらと身を揺らしながら迫ってくるオースティン。その言葉を聞いてソウカがニィと白い歯を覗かせ、痛む体に鞭を打って立ち上がる。
「ティアの体で言われると、無性に腹が立つわね!!」
そう言うと、彼女は腕に張り付いた服を無理矢理剥がし、長い牙でその腕に噛み付いた。
「『吸血、強化』!!!!」
『吸血強化』。吸血鬼が自らの肉体に牙を突き刺し、血肉を啜ることによって得られる強化能力。他人の血を飲むよりも治癒効果・能力向上効果が顕著に高く、得られる力は生半可なものでは無い。
しかし代償も大きく、それだけ力を短期間で底上げするのだから体にかかる負荷は膨大なものである。
「ほお、貴様吸血鬼でもあったのか」
オースティンが感心した物言いでソウカの事を見下す。
「あんたの体の持ち主に昔されたんだけどね」
べ、とソウカが二つに割れた舌を突き出す。
血を取り込んだ事により、一時的にソウカの体内に眠る吸血鬼の遺伝子が起き上がり、翠色だった彼女の髪の毛は一気に色素が抜け、真っ白になる。
更に吸血鬼特有の自然治癒能力も格段に向上し、先程の戦闘で負った傷がじわじわと癒えていく。
「は、はは!!面白い!!吸血によって自己の吸血鬼としての遺伝子を呼び起こしたか!」
その様子を見たオースティンは一瞬目を丸くし、そして甲高い笑い声を上げながら、狂気に満ちた目で舌なめずりした。
「その余裕に満ちた表情!いったいいつまで持つかしら!?」
ソウカの肌を薄らと覆う鱗が一斉に剥がれ落ち、それが地面に着いた瞬間、ぐにゃりと形を変え無数の蛇に変化する。
「……ティアを!!取り戻してみせる!!」
「貴様を殺してみせよう!!この体でな!!」
『業火』によって焼き払われた辺りは轟々と火を揺らしている。その中を、ソウカは自身の作り出した数多の蛇と共に駆けその命を狙う。
自分が、愛した者の為に。
自分を、救ってくれた人の為に。
彼女は自分という器が壊れん覚悟で全身の細胞を沸き立たせた。