外伝7 教師生活
それから、ヘイゼルの訓練が始まった。
「……つまり、魔力は俺たちの生命エネルギーと同意義であり、別物なんだ。使い過ぎれば体に限界が来て死ぬ、セーブし過ぎて溢れても死ぬ。身の丈にあった使い方と容量を守らないと命に危険が及ぶって訳だ」
しかし、それはティールと対面で行われる訳では無い。巨大な講堂で教壇に立ち、ツラツラと今日の講義である『魔力基礎1』の内容を語り、色付いた魔力で空間に文字を書き連ねていく。
「…………」
ちらりと周りを見回せば、真剣な面構えでノートにその文字を書き殴る者。目を細め、首を傾げつつも時折相槌を打つ者。前すら向かず机に突っ伏して寝息を立てている者など、様々な人が居た。
そう、魔力の勉強はマンツーマンで行われるものでは無く、この街の学園で行われる。と、言うのもティール曰く「周りにある程度習熟度の近いラインの友達がいた方が、定着は早いだろう」との事。
そもそもこの学園、通常の授業であれば授業料は一切かからず無償で行っている。それもこの街の住人だけで無く、はるばる数時間かけて他の国から赴く生徒もいるくらいである。
無償だからと言って粗雑な授業を行うのでは無く、教員にはきちんと給与も行われている為質も良い。運営費は有志によって街の住民から小額づつ支払ってもらっている。
中には有志で払わない者もいるだろうが、驚くなかれこの街の住人の半数以上がそれを支払っているのである。その訳は、述べたように多くの人が質の良く無償で受けられる授業を受けにこの街へやって来るため、その副産物として地域の商いの活性化に繋がっているからである。
現在、この学園の運営は他の園長に任せているが、建設の初期費用と案はティールが出していたりする。高度な魔法技術と戦闘技術を持つ彼女のその提案を断る者もそうそうおらず、建設は想定していたよりもすんなりと終わってしまったのである。
余談だが、建設記念にティールの銅像を建てようとされたが彼女本人が「そういうのは俺が死んでからにしてくれ」と苦笑しながら断っていたりする。
「ティール先生」
「ん、どした?」
ティールが空間に文字を描いていると、講義室の端の方で小さく手が挙げられる。
ティールは一瞬目を細め、それが誰かを確認した後に手を指し発言を許可する。
「ティールさんは魔力を使い切ったことはあるのでしょうか?……あるとしたらどのような感覚なのでしょう」
ティールは少し考えた後、一人で頷き答えた。
「うーん、俺に限った話じゃないけど、生物は魔力を使い切る前に本能的にストッパーがかかるようになってるんだ。……例えるなら……、腹一杯飯を食ったとして、胃袋が弾ける前に満腹感で物が食えなくなるだろ?そんなら感覚に近いんじゃないかな?」
おお~と講義室内から声が上がり、ティールも我ながら良い例えだった、と少し口元を綻ばせる。
「だから魔力を使い切る前にとてつもない倦怠感に襲われるし、最悪ぶっ倒れる。どちみち危険な状況でそんな状態になればどうする事も出来ないからそうならないようにしないとな。……ちなみに俺は限界まで使い切って三日間気絶してたよ」
そう言うとどっと笑いが起こる。
傍聴していたヘイゼルも口元を抑えながらクスクスと笑いが零れてしまう。
「んで、人間は自分の魔力最大量を変えるのはほとんど不可能だから、使う魔法にかかる魔力コストを下げる必要がある訳で――」
授業の一コマは約九十分。つまらない授業であれば無限に続く地獄のように感じる程の時間だが、ティールの授業は一瞬で終わってしまったように感じられた。
実際、彼女の授業は分かりやすく、時々話される小話も疲れた脳をリセットさせてくれるようで聞いていて楽しい。やはり、家で魔法の触りを教えて貰った時もそうだったが彼女の教え方は非常に理解しやすく理に叶っている気がする。
「うーん、あと十分あるけどキリが良いからおわっちゃおう。皆この後ご飯食べるだろうから早く終わった方が良いでしょ。はい、終了!一応出席の紙だけ前出しておいてね~解散!」
なんとも軽い流れで終わってしまったが、彼女がそう言った瞬間に講義室の雰囲気が緩み、ザワザワと耳を劈くような生徒達の声が響き渡る。
各々が授業の初めに配られた出席シートに魔力を流し、教壇に紙を提出して講義室を出ていく。
ある程度人が居なくなった隙を見計らって、ティールがそそくさとヘイゼルの座る席の方へやって来て、若干ドヤ顔を浮かべながら隣に腰を下ろした。
「どうだった?俺の授業」
「凄く分かりやすかったです。……他の授業がどういうものか知らないので一概に判断は出来ないですが。それでも聞いていて楽しかったです」
「うん、なら良かった。どれだけ良い授業でも、面白みがなかったらしょーもないからな。……急な参加だったら分からない所だらけだと思うけど、そういうのは家で言ってくれたら教えるから。なるべく他の奴らと差が出ないようにな」
特別な、とティールは軽く舌を出し片目を瞑って見せた。
そうやって二人でしばらく話していると、数人の女子が周りに集まって来て、ティールとヘイゼルの事を囲った。
「あー、ティール先生またナンパですかあ~?」
「新入りちゃん、この人可愛い顔して女食いなのよ……。その毒牙を向かれる前に逃げなさいね?」
「奥さんに言っちゃお~」
「ナンパじゃねーよ。こいつはヘイゼル、訳あってウチで預かってるんだ」
「よろしくお願いします」
紹介にあずかり、ヘイゼルがぺこりとお辞儀をする。
「そ れ に、俺はソウカ一途だから!人聞きの悪いこと言うんじゃありません!」
「ヒューッ!愛妻家!」
囃し立てるような拍手を受け、しかしティールはそれをまるで歓声かのように浴び両手を掲げ立ち上がっていた。
「ねえティール先生~、お昼まだでしょ?行こうよ」
「この時間なら学食も空いてるだろうし」
「うーん、そうだなあ」
ティールはちらりと尻目でヘイゼルの方を見やった。ほんの一瞬だったが、ヘイゼルはそれに気が付きうんうんと首を縦に振った。
「じゃあ行こうかな。ついでにヘイゼルもいいかい?」
「もちろん!」
「よ、よろしく……」
恐る恐るティールの後ろに着いて行こうとするヘイゼル。彼女がティールやソウカ達以外と直接的な関わりを持つのはほぼ初めて、尚且つそれが見かけ上ほぼ同年代であるというのもあり、本人はガチガチに緊張してしまっている。
「よろしくね、あたしはシラ。こっちの辛気臭そうな顔してるのはヌイ。そんでこっちはニュイ」
「よろしく」
「よろしくね」
「あ、はい!へ、ヘイゼルです。よろしく、お願い、します……」
それぞれの自己紹介にあやかり、ヘイゼルはぺこりと腰を下げた。それを見て三人はふっと口元を緩める。
「そんなに畏まらないでよ。同じ授業を取ってるんだし、同年代みたいなものでしょ?気楽にいこうよ気楽に」
「そ、そうです、か?」
ヘイゼルらがキャッキャキャッキャ騒いでているのを尻目に、ティールは満更でもなさそうな顔を浮かべ手首に着けている腕時計をコツコツと指差しで叩いた。
「ほーら、せっかく早く授業切り上げたんだからさっさと行くぞー。もうすぐ食堂が混んじまう」
「あ、そうだね。…………でぇ、ティール先生。私達今月金欠なんだけどぉ……」
シラが上目遣いで目をうるうるさせて懇願してくる。それを見てティールは小さく息を吐いた。
「もちろん俺が奢るよ。どちみちヘイゼルの昼食分は俺が払う予定だったからな。三人増えたとて……まあ、変わらない……いや変わるけど」
「「「やりぃ!」」」
三人がしてやったと手を叩くと、ニュイがヘイゼルの方へ手を向けた。一瞬困惑した表情を浮かべた彼女だったが、直ぐにその意図を察し、手を軽く合わせるようにして叩いた。
――
本日のランチメニューは、ティールとヘイゼルが鶏肉と卵、少々の生野菜を少し固めのパンで包んだサンドイッチ。シラとニュイはキッシュとじゃがいもの冷製スープに数切れのパン。ヌイはジェノベーゼのように香り高い野菜のソースがかかったパスタとオニオンスープ。
この学園の食堂は種類も豊富だが、値段はそこそこする。と、いうのも前に述べたようにこの学園は地域の活性化という恩恵があるから住民に資金面での援助を受けているのであって、あまり学食等を安くしてしまうとそこに人が群がり外部へ流れていかないのだ。だから食堂を利用する者、外の飲食店へ食べに行く者が丁度半々くらいに分かれているのである。
尚、そこそこする金額で五人分の食事代を奢ったわけだから、当然ティールの財布の重みは減る。しかしまあ彼女の収入はある方だし、普段も何か豪遊する訳でも無いので許容範囲内だが。
「そういえばぁ……もごもご……ティール先生ってぇ……むぐむぐ……」
「口ん中のもん食ってから話せよ。時間はあるんだから」
シラが慌てて飲み込もうとし、喉に詰まらせてコップの水で流し込んでいるのを見て、ティールは深々と溜息をつき、ヘイゼルは苦笑いをしてシラの背中を優しく叩いていた。
「ゲホッ、ありがと。……ティール先生って吸血鬼ですよね?普通にご飯食べて平気なんですか?」
ハッとした表情でヘイゼルがティールに振り返ったが、ティールは肩を竦め言った。
「大丈夫さヘイゼル。少なくとも俺を知ってる連中は俺が吸血鬼だって知ってる。昔は吸血鬼とかの人外への風当たりは強かったけどそれももう大分落ち着いたさ」
その人外への差別の改善に大きく貢献したのは実はティール本人だったりする。そもそも同じ街に住み続けているのに、歳を取らず飄々としている人間がいるのもおかしな話だろう。
そもそもティールは持ち前の人望と、誰にでも分け隔てなく接する人当たりの良さから、吸血鬼である事を告白してもそれを拒絶する人は少なかった。彼女の印象や功績からして、人外が全員人間に対して悪影響を及ぼす訳では無いという考えが広まり、今に至る。
「まあ、吸血鬼の云々の詳しくは『亜人族論』の授業で詳しく説明してくれてるだろうさ。確かあの授業の教授は長耳族と小人族の混血だったはずだし。……んで話を戻すと、別に俺は主食が血液な訳じゃないんだ。普段は普通に飯も食うし水も飲む。まあ偶に発作が起きて衝動的に血は飲みたくなるけれど……」
「そういう時はどうしてるんです?」
「一般人の血を貰うわけにはいかないからねえ。ある程度理解のある人とかからかな?まあ俺はソウカから定期的に貰ってるけど」
何がとは言わないが、吸血にはそこそこのデメリットが存在する故、誰でも彼でもその対象にしていいという訳では無い。
「はぁ……、また嫁自慢ですか」
ソウカの話をするとヌイが頭を抱え、他の面々も頬を引き攣らせる。
「あのなあ……、この話題はお前らが始めたんだからな……?」
――――
午後はティールが他の講義があるというので、別れて行動する事になった。流石に一人で行動するのは不味いのでは、と思ったが何やらティールにも考えがあるようで「お前も良く知ってる奴が先生さ」とだけ言って去ってしまった。
迷路のような学園の中をグルグルと彷徨いながら、何とか指定された場所にまで辿り着く。入口にはヘイゼル二人分程の大きさの両開き扉があり、体重をかけて何とか引っ張って開けることに成功した。
「……お、来たか。迷ったのかと思ったぞ」
机も椅子も何も無いだだっ広い空間の中心で、一人男が剣を片手に佇んでいた。
「あ、貴方は……」
その姿は確かに見覚えがある。初老で口元には髪の毛と同じ白髪の髭を蓄えている。肌は小麦色で、歳相応の皺が肌に浮かんで来てはいるが、それでもハリは消えていない。
「ヴィオラ、さん」
「久しぶりだな、嬢ちゃん」
鞘に収められた剣を背中に回し、グイと体を伸ばす。
彼はプルと一線を交えた時たまたま遭遇し、身を守ってもらった事がある。
「……あの時はありがとうございました」
ヘイゼルが深々と頭を下げると、ヴィオラは「よせやい」と頭を掻きながら苦笑を浮かべた。
「あの時もお前を助けたのはティールさんだ。俺はなんもしてねぇよ」
「……ですが」
「それに俺は部下を守れなかったからな。今は衛兵の上司も辞めて悠々教師生活よ」
「……」
ティールからは聞かされていなかったが、門番二人を死なせた事への償いとしてヴィオラは衛兵の長官を辞職している。元々引き際を感じていた故、辞職に対して特に何も感じてはいないのだが。
「……まあ、部下を守れなかった時点で俺は上司失格だからな。弔いも済ませたし、俺も後は余生を生きるだけさ」
「……」
ヘイゼルがかける言葉を選びあぐねていると、「悪い」と一言言って剣を抜いた。
「だがティールさんの推薦で俺はこうして武術の教師となったわけだ。そしてその生徒一号がお前さん、ヘイゼルって言う訳だよ」
「生徒、一号……」
「俺なんかが教えるよりティールさんに任せた方が良さそうだけどな。……まあティールさんは今剣を握れない体になっちまってるから、実際に剣を振る奴が相手の方が都合がいいって事だろう」
度重なる重度の干渉により魂の形が不安定となっているティールは、両手に力が入りにくくなってしまっている。普段日常生活を送る分には特な影響も無いのだが、剣を握ったりなどの力の必要な動作は上手く出来ないのだという。
故に魔力で操る短剣を飛ばし戦うのだが、そもそもそんな戦い方をする輩はいないし、そんな彼女と手合わせをしても変な戦い方の癖が着きかねない。
と、いうような理由で辞職し暇を持て余していたヴィオラを勧誘し、ヘイゼルの稽古相手として雇ったのだ。ヴィオラの筋が良ければ正式な学園の教員として職に就ける可能性もあり、彼としても中々に気の抜けない任務なのである。
「ただお前さんは戦いにおいてズブの素人だって聞いてるからな。本当に基礎からだ。……幸いな事に生徒はお前さんだけだから、お前のペースに合わせて教えられる」
「え、えっと、よろしく、お願いします?」
「声が小さァい!!そんな小さな肝っ玉で戦いに勝てると思うなよ!?」
ビリビリと空気を震わせるヴィオラの怒声が響き渡り、ヘイゼルは目を見開いた。
(何時までも、誰かに頼って生きていく訳には行かない。……強くなって、自分の力で生きていくんだ……!!)
「ッスゥ――――――、よろしく!!!!!お願い!!!!!します!!!!!!!!」
ヴィオラの声にも負けぬ声量を出すと共に、ヘイゼルは大きく頭を下げた。一瞬ビクンと体を震わせたものの、ヴィオラはニヤリニヤリと少し黄ばんだ歯を剥き出しにしつつ、ガハハと豪快に笑った。
「よし!良いだろう!俺の生徒一人目!まずは根性やヨォシ!!!!!」
「ヴィオラの奴……、やりすぎなきゃ良いんだけど……」
カリカリと小テストを解く生徒達を見回りながら、ティールは小さく息を吐いた。すると目の前に居た生徒がビクンと肩を震わせたので「悪い悪い、君の事じゃないから」と焦りながら謝罪する。
ヴィオラとは彼が幼少期の頃からの付き合いである。つまりは六十年近くの仲であろうか。
身寄りが無い中、衛兵達の中に混じって剣の練習をする彼をティールがたまたま見つけ、そこから手塩にかけて修行を付けてやった。彼の成長スピードは凄まじく、衛兵達の中でも頭一つ抜けた武術の才能を持ち、三十代半ば程で長官に任命されていた。
時折ティールやソウカと共に盃を交わす中でもあり、ティールからしたら年齢差的に孫のような存在である。
そんな風に彼の成長を見守って来た故に、彼が長官を辞職したのをかなり気にかけていた。衛兵以外の仕事に一切手を付けていない為、後は余生をのんびりと過ごすつもりなのだろうと察し、この学園の教員に勧誘したのである。
ティール曰く、何もしてないでボーっとしてるとボケるぞ。との事。誰よりも長生きしているだけあり、彼女の言葉の説得力は強かったのかヴィオラはあっさりとその提案を承諾していた。
(本当は俺が見てやれれば良いんだけど……)
ティールは胸ポケットからペンを取り出し、軽く力を入れて握った。しかし、手は紐の切れかかっている操り人形のようにカタカタと震え、やがてペンは弾き飛ばされ宙を舞う。
「……っ」
すぐさまそれを拾い上げ、何事も無かったかのように教室内を闊歩する。
もう何十年もこの状態なので慣れてはいるのだが、それでも剣を握って振るえないというのは中々不便なものである。四方八方から飛来してくる剣相手に練習を重ねるより、きちんと剣を持ち戦う者相手の方が鍛錬としての意味があるだろう。そういう面ではヴィオラは最適と言えるだろう。
(ただあいつ熱血漢だから熱くなりすぎないように言っとかないとな)
かなりの歳にも関わらず、その熱量は若者にも負けていないだろう。あまり力を入れすぎるな、とは忠告したが果たしてどうなる事やら。
心配が止まないティールは窓の外に止まる一羽の鳥を惚けて眺めていた。