短話 ヘデラ編
「おはよ」
「……お、おはよう」
目が覚めると、目の前に美しい女性が横たわっている。
少しうねりのある燃えるような真っ赤な髪の毛がボヤける視界に、花を見る蜜蜂のように鮮明に写っていた。
「よく眠れた?」
「は、はい。……じゃなかった、うん」
「良かった」
ヘデラが腕を伸ばしてそれを葵の首に回す。
若干照れくさくなって一瞬目を逸らすも、葵はヘデラと目を合わせ、段々と距離を近づけていく。
やがて、二人の鼻先がぶつかりそうになった時。
「おうおうお二人さん、真昼間からイチャついちゃって」
「!?」
「!?」
聞きなれた声が耳に入り、二人は揃ってベッドからはね起きた。
「ティ、ティ、ティール!?」
「え、えええ!?」
「どうもティールです。悪いけど上がらせてもらったよ。寒かったんでね、……ヘックション!!」
「昼前に来るって言ってなかったっけ…………。……あ」
ヘデラがいそいそと枕元の時計に目をやると、短針は既に一の文字を超え、窓の外は既に日が頂点を過ぎていた。
「いや~、まあ出来たてのカップルが同棲を初めてる所に無断で入るのも悪いかと思ったけどさ。……流石にこの冬の中一時間以上外で待たされるのは風邪引くし。ま、その様子から見るに二人とも夜遅くまで起きてたみたいだね?」
薄目のティールがニヤニヤと口端から犬歯を覗かせながら迫ってくる。
「「はい……すみませんでした」」
「分かればよろしい」
二人ともベッドの上で正座し、ティールに向けて深々と頭を下げた。
――――
「ふいいい、暖まるぅ……」
二人が暮らす家の隅にあるストーブに当たりながらティールはほっとため息を着いた。
「ごめんなさいティール、私……睡眠時間は少ないはずなのに今日に限ってこんな時間まで寝てしまって」
ヘデラが申し訳なさそうに暖かいコーヒーの入ったマグカップを手渡しながら言った。
「まあ、俺も休みだから別にいいよ。休日なんて昼まで寝てなんぼだろ。葵なんて仕事の時なんて疲れてるだろうし、無理に起こそうとも思わなかったさ」
マグカップを受け取り、仄かに湯気の立つコーヒーを啜る。
「ただいつまで立っても起きてこないから、外で不審者扱いされそうだったもんで不法侵入させてもらったよ。後は二人の幸せそうな寝顔を眺めて声を掛けたってとこだ」
で、とティールは話を切りかえた。
「今日は葵の誕生日っつー事で。今年で何歳だっけ?」
「二十五ですね」
「ははあ……若っけぇ……。俺はトータル合わせたら三十近いだろうしなあ。数えてないけども。とりあえず、誕生日おめでとう。諸々の準備を終えたら皆を連れてくるよ」
今日は葵の誕生日。運良く休日に合わさったということで、こちらにナーサ達を招待してパーティをすることになったのだ。
「本当は全員呼びたいとこだけど、皆もそれぞれ忙しいだろうし。家がパンクするわ」
ナーサが来ただけで圧迫感極まりないだろうと言うのに。片っ端から声を掛けてはあくまで一人用のヘデラが同居しているこの家には入り切らないだろう。
呼ぶのは、トコル、ナーサ、トゥルナ、ソウカ、楓、エルティナ。融合したばかりの世界で大樹と共に背を預けあった仲間である。
「自分の誕生日にわざわざ来てもらうってのも気が引けるけどなあ」
葵は結んだ髪の毛の根元をこそばゆそうに掻きむしった。
「お前は誕生日で主役なんだから何も思うなって。歳とって心から喜べることなんて直ぐに無くなるぞ」
昔は歳をとる度に嬉しかったというのに、出来ることが増えて大人になっている感覚を確かに味わっていたのに。いつからか、人間は歳を取ることを恐れ始める。自分が変わらなければならなくなり、社会に置いていかれ、自分が衰えていくのをその身で感じ無ければならないから。
「そう、ですね」
「……葵は今日ゆっくりしていて。普段沢山世話になってるから、今日くらいは恩返しがしたい」
「でも……、まだ慣れてないでしょう?この世界に……、一人で大丈夫……」
疑問符を付けようとした所でティールが視界に入る。なるほど、その為に彼女を先に呼んでいたのか。
「じゃ、じゃあお願いします。ティールさん」
「あいよ、任された。んじゃ、ヘデラ行こっか」
「ええ」
テキパキと身支度を整え、こちらの世界の冬服に身を包んだヘデラ。ティールは申し訳程度にジャンバーを羽織り、首にマフラーを巻いている。
「じゃ、夕方過ぎには帰ってくるから。ゆっくりしとけよ」
「分かりました」
ドアを開けて出ていく二人の後ろ姿を、葵は儚そうにぼうっと眺めていた。
『嫉妬か?人の子よ』
「うわっと、大樹さん。驚かさないでくださいよ」
そんな彼の頬をピシャリと打ち付けるように、彼の耳に大樹の声が響き抜ける。
葵が振り返る先にあるのは、小さな植木鉢に植えられた幼い苗木。そこから溢れる濃密な神聖力は、まさに大樹そのもの。
と、いうのもヘデラがこの世界に留まるのを渋っていたのは大樹の存在が大きい。ずっと昔から、大罪人の娘として肩身の狭い生き方をしてきた彼女にとって大樹は数少ない家族だった。
だからこそ、大樹を置いていってしまえば大樹は孤独になってしまう。自分が孤独の辛さを知っているから、彼女は何よりも大樹の事を思って言った。
数年大樹の元を離れた事もあった。ティアーシャ達と共に毎日を暮らしていた時の事だ。
大樹は、許してくれていた。ヘデラが誰かと楽しく生きれるのなら、本望だ、と。
当時は帰ろうと思えば帰れたから良い。しかし、世界を超えるとなれば会おうとする度にティールを呼ばなければならない。
もちろん彼女は嫌な顔せず天道を開いてくれるのだろうが。それでも流石にそれは図々し過ぎる。
大樹とも、葵とも、同じ時間を過ごしたい。そんな彼女の迷いに、大樹は答えた。
大樹は枝を一本折り、暗い顔を浮かべる彼女の掌に乗せて言った。
『どれだけ離れていようとも、世界が違かろうとも。我とヘデラ、主は家族だ。その絆は切っても切れぬ。……主が、今、幸せになれる方法を主が選択するのだ』
そんなこんなでヘデラが持ち帰ってきた大樹の枝を植木鉢に植えてみたらホントに大樹が喋りだした。
てっきり感動の別れに対する最後の贈り物かと思っていた二人は、小枝から大樹の声が発されるのを見て腹を抱えて笑った。
『人嫌いの彼女が人間に恋をするとは。今でも信じられん。……だが、悪い気持ちでは無い』
『であるからして早く子供を見せろ』
「…………はは」
葵は引きつった乾いた笑いを浮かべ、ドアを閉じた。
――――
「もうこっちの世界には慣れたか?」
「うーん、まだ。機械とかが複雑過ぎてね……」
若干日の傾き始めた道を、ヘデラとティールの二人がゆっくりと歩く。ティールはいくら日照耐性が着こうとも、陽の光が害である事には変わりないので折りたたみ式の日傘を刺している。
「まずは文字の読み書きからだな。それが出来れば何でも直ぐに出来るさ」
「ひらがな、というのは覚えたわよ。……でも、なんで他に二つ文字があるの!?特に漢字、なんて幾つあるかも分からない。この世界の言語はイカれてるの……?」
ヘデラは頭を抱えて顔を振った。
「いや……、この国だけだと思うよ。三種類も文字があるのは」
「イカれてるわ」
「否定はしない」
へっとティールが苦笑を浮かべ、少しの間沈黙が流れる。
「……最近ソウカとはどうなの?仲良くやってる?」
「ああ、それなりにな。笑顔満面な恋人生活だよ。最近はナーサの炭鉱の仕事の手伝いをしてるらしいぜ。どうにもナーサの洞窟内の移動手段として重宝されてるらしい」
「ナーサなら大蛇に乗ってても違和感ないわね」
歩く足を止めずに、二人は顔を合わせて笑った。
「楓はルンティアの店の看板娘だよ。暇さえあれば店に顔だして働いてる。ルンティアも楓に継がせる気満々だな」
「良かった……。皆元気そうで」
唯一、こちらの世界に残ったヘデラは皆の状況を把握することが出来ない。時折何らかの用事でこちらに訪れるティールとコンタクトを取り、情報を得ねば友人達の安否を知ることが出来ないのだ。
「トゥルナもトコルも、ナーサも皆元気さ。そんなに気負いしなくていいと思うぜ、ハゲるぞ」
冗談交じりに鼻で笑うティール。
「で、どうなんだよ。そっちの暮らしは」
ヘデラは一瞬言葉を詰まらせるも、少しだけ寂しそうな笑みを浮かべて言った。
「幸せ、これまでに感じた事ないくらいに毎日が楽しいし、生きていて充実感を感じる。……けど、だからこそ心配。もしいつか、この幸せが失われてしまったら私は今の私で居られる自信はない」
「……」
それほど、彼女にとって幸せとは幸福なものであり、それを失ってしまった時の悲しみは隣り合わせの存在なのだろう。
ティアーシャを失ってしまった時、パーティを解散しそれぞれが自分の道を歩み始めた時。自分だけが先に進めなかった。自分だけが過去に縋って未来へ歩めなかった。
幸せにかぶりついているだけの暮らしは、失った時に何もかもを消しさってしまうのだということを彼女は痛いほど知っている。
「葵は、私を大切にしてくれている。私との時間を作ってくれるし、親身に私に寄り添ってくれる。けど、それが彼にとって負担になっていないか心配なの。彼にも仕事がある訳だし」
不安げな表情を浮かべるヘデラの、華奢な背中をティールがポンと叩く。
「……っ」
「心配すんなって。知ってるか?好きな人に尽くすのってそれはそれは幸せな事なんだぜ。だからヘデラはそれに罪悪感なんか感じずに楽しそうに笑って生きればいい。ヘデラが笑って暮らしてくれれば、葵も嬉しいと思うぜ」
「……それは……」
ヘデラは上手く言葉を返せなかった。こう言ったティールも自分がその立場だったらヘデラのように言葉を詰まらせてしまっていただろう。
「何も気負いしなくていい。あいつへの恩返しは生きていく中で少しずつ返していけばいいんだ。不老の俺からすれば短いとはいえ、人生はまだまだたっぷりあるんだから。その中で二人でずっと幸せになる方法を探せばいいんだよ。自論だけど俺はそれが恋愛だと思ってる」
「……いい事言うのね」
「あ?マジ!?いやー、恋愛の師匠と呼んでくれてもいいんだぜ?」
「それは遠慮しておくわ」
「……ええ」
ティールががっくりと項垂れるのを見て、ヘデラは口元を少し隠して小さく笑った。
「……ありがとう。少し気が楽になったわ」
「そか」
「ええ」
「だとしたら今日の誕生日は盛大にな!あいつを喜ばせてやろう」
「……そうね!」
強く意気込んだヘデラを見て、ティールは微笑を浮かべる。それからは暫く何も話さなかったが、互いの口元の口角が下がることは無かった。
―――
「まだこの国の金銭感覚がよく分からないのよね」
「まあ~、難しいよな」
目的地である街の少し大きなスーパーにつき、ブラブラとほっつき歩きながら食材を見て回る二人。
「ほら、こういうの。何で298円なの?キリが悪いし300円にしちゃえばいいじゃない」
袋詰めにされたナスを指さしてヘデラが不思議そうな表情を浮かべる。
「1円引いて299円にしたらそうしてる魂胆が見え見えだろ?だから2円引いて少しでも安く見えるようにしてるんだとか何とか」
「変な文化ね」
「それはそう」
苦笑を浮かべて顔を見合わせる。普段気にしていないものでも、それを知らぬ人から指摘されると案外共感してしまうものである。
「金なら俺が出すから、良いと思ったもんは片っ端から入れてってくれよ。余ったら俺が『天道』に入れて保管して楓の飯にでもするから」
「……悪いわね」
「つってもまだ稼ぎ口かある訳じゃないだろ?」
「悔しいけどその通りよ……」
まだ複雑な文字は読めないし、機械の扱いにだって不慣れだ。この世界の『常識』をしばらくの間は身につけねば彼女が仕事を見つけられるのは厳しいものだろう。
「今は、少しでも葵を楽にできるように。家事を勉強中」
「良いじゃん」
ティールが適当に目に写ったものを買い物かごに放りながら軽く返答する。
「酒は……あっちか。ヘデラは酒弱いっけ」
「強くもなく弱くもなくって感じね。独りじゃ飲まないって感じ」
「ははあ……、じゃあ軽いヤツ何個か入れとくか」
これまたぽいぽいと様々な種類の酒をぶち込んで行く。大半は自分が飲みたいやつ、いくつかは酒が弱い者でも飲めるようなやつ、数個ナーサが好きそうな結構強いやつ。
「……鬼は殺せてもナーサは殺せねえだろ」
手にした紙パックの酒にヘッとガンを飛ばし、これまたカゴに放り込む。
「うーん、カゴが溢れちまう」
彼女が手にした買い物かごは既に酒やら食材やらで溢れかけていた。もう充分なようには見えるのだが、当の本人はまだまだ買うつもりらしい。
「悪い、ヘデラ。カート取ってくる。この辺りで待っててくれ」
「ええ」
そそくさと早足で入口の方に向かっていくティールの背中を見守りながら、辺りをぐるぐると観察する。
本当に見た事の無いものばかり。食材だけでなく、生活用品なんかも売っている。自分にはどれもこれも用途が分からないものだらけ。
「……ん?」
菜箸やらフライパンやらを手に取って暇を潰していると、ふと視界の端に小さく動くものがあった。
「……」
そちらの方に目を向ければ、そこにはまだ年端の行かぬ小さな子供が目を見開いて彼女の服の裾を握りしめていた。
「……」
思わずヘデラは硬直する。イマイチ今起きている状況が頭の中で理解出来ていなかった。
子供と無言で見つめ合いながら、数秒が経過する。
先に泣き始める、という形で体を動かしたのは子供の方であった。
「……お、お母さんじゃ、ない……」
どうやら母親とはぐれ、さ迷っていたところをヘデラと母親を勘違いしてしまったらしい。
いきなり裾を掴まれて泣かれ、ヘデラは益々気が動転し始める。
「え、え、ええ?き、君、どうしたの?」
オロオロと膝を下ろし、子供の目線に合わせて声を掛ける。
それでも中々泣きやまないので、ヘデラは困った表情で辺りを見回した。
ティールが帰って来る気配はまだ無い。周りにいる客もらこちらの様子に気がついてはいるが、見て見ぬふりをし通り過ぎてしまう。
「ど、どうしよう……」
とりあえず、泣き止ませなければ。
ヘデラは少し考えて、子供の目の前に手のひらを差し出す。そしてそこから神聖力を流し、それによって出来た光の玉をふわりと宙に浮かせる。
「…………」
子供は泣きやみ、目を見開いてその神聖力の塊に視線を奪われていた。
ヘデラは内心ホッとする。できればこちらの世界で神聖力を誰かに見せるということはしたくなかったのだけれど。この際は仕方あるまい。
「どうしたの?お姉さんに言ってごらん?」
なるべく怖がらせぬように、優しい口調で子供に声を掛ける。
「……お母さん、いなくなっちゃった……」
「迷子、ってこと?」
「……うん」
こういう時、どうすれば良いのかなんて彼女は聞いていない。というかまさか迷子に絡まれるなんて彼女自身も思っていない。
「……ごめんね、私この国の事あまり詳しくないからどうすれば良いのか分からないの。もう少しで私の友達が来るから、それまで待てる?」
こうなってしまったので打ち明ける事にした。彼女の見た目なら、外国人といっても差支えは無いだろう。
「……うん」
子供は小さく頷いた。
ヘデラは内心、ホッと一息を着くもティールの帰りを今か今かと待っていた。
――
一方、ティールは。
「……いや、ほんとに。そういうのは……興味が無いと言うかなんと言うか……」
「お願いします!そこを何とか……!」
絶賛、人に絡まれていた。しかも面倒臭い事に何処ぞのテレビ局の者に。
なんでも丁度このスーパーでロケをしているのだとか何とか。数人のスタッフに囲まれ、逃げようにも逃げられない状況。
「お願いします、一客としてインタビューを受けて頂くだけですから……!」
スタッフに頭を下げられ、ティールは渋い顔を浮かべる。
「そういうのってカンペで言わせるんじゃないんすか?」
「うちの局はそういうことはしないですね」
「ふぅん、……人待たせてるんでちゃちゃっと終わらせてくださいよ」
なんか断りにくくなってしまった状況、下手にやるやらないで揉めるより、早い内に折れてさっさと終わらせてしまうのが吉だろう。
「……じゃあ良いですか?撮りますよ。…………こんにちは、今日はどのようなものを購入しにこちらへ?」
スタッフが若干声のトーンを変え、撮影が始まる。
「酒」
「さけ……」
スタッフが気の抜けた声で反応する。
「あとは食材もろもろかなー?友達の誕生日パーティすんだよ、今日」
「誕生日パーティですか!良いですね!日本のお友達ですか?」
スタッフが話題を掴んだようにあからさまに顔を輝かせる。が、ティールの見た目を見て彼女を外国人と勘違いしたのか、そのような質問を問いかける。
「……日本人のだな。最近外国人の彼女ができた奴。って、俺はバリバリの日本人だからな!?」
「に、日本人の方でしたか!?すみません……!」
別にいいけど、と苦笑を浮かべるティール。さっさと切り上げてヘデラの元に向かいたいのに、中々インタビューが終わらず彼女もイライラを隠せなくなってくる。
「連れが待ってるんで、そろそろいいっすか」
「あ、ああ……!すみません、お時間取らせてもらって、ありがとうございました!」
ぺこりと頭を下げるのを見て、ティールは踵を返してカートを押す。はて、あのような内容でいい番組になるような予感はしないのだが、良かったのだろうか。
「ま、カットで済まされるだろーさ」
と、ティールは心気楽に構えることにした。何のテレビ局か聞くか忘れたけど、まあいっかと軽く流すことにしたのであった。
「……ん」
しかし、なんだろう。この妙にねっとりとした重たい空気は。気のせい?いや、気のせいなら万々歳なのだが。雪女にでも首筋を撫でられているようなこの感覚は、気のせいで済むようなものでは無い。長年の戦いの感覚もそうと告げている。
少し影に隠れて目に魔力を込め『魔眼』を発動する。
「ビンゴ、やっぱりだ」
魔眼越しにみると、確かにこの周りの空間に『歪み』が発生していた。彼女らが癒着してしまった空間を無理やりに引き剥がした時、世界中各地で発生するようになってしまった空間の歪み。
小さいものなら放っておいても大丈夫なのだが、大きいものとなるとそこから魔物やらなんやらが溢れて出てきてしまう。それを塞ぐ、というのが今の彼女の仕事なのだが。
「ははあ、こりゃでっけえ。さっさと塞がねえとな」
待たせているヘデラには悪いが、これを放っておけばすぐにでも魔物が溢れて来てしまうだろう。
「さっさと処理しちまうか」
『歪み』の処理はかなり面倒臭い。というか集中力を要する。神聖力を纏わせた両手で空間に干渉し、それぞれの世界を分けて縫い合わせるようなイメージ。
「っち、随分とややこしいズレ方してやがる」
絡まった釣り糸を解くような細やかな作業。手に思うように力が入らぬ今、こういう小手先の集中力が必要な作業はかなり不得手である。
――――――ガゥルルルル……。
「あー、もう面倒臭い。湧いてきちまった」
そうこう時間をかけている内に、空間の『歪み』から徐々に魔物が溢れ始める。トコルから受け取った短剣を『天道』の中から引っ張り出し、魔力を込めて操る。
「……俺はこうチマチマした作業は嫌いなんだよ……」
おまけに魔力で短剣をも操作せねばならないと来た。どちらも繊細な作業であり、意識を途切らせてしまえば失敗しかねない。
段々と周囲を通りがかる人が増えてきた。魔物が顔を出す瞬間に目にも止まらぬ速さで短剣を振るい処理しているため、まだその存在には気づかれていないようだが。それも時間の問題である。
「……っつ、野郎……っ」
魔物達も、空間の『歪み』を修復しようとしているのが彼女だと理解し始めたのか、攻撃の標的を絞り始め、彼女の体の所々に赤い筋が浮き上がり始める。
もちろん、吸血鬼としての治癒能力の高さですぐに傷は修復されるのだが。それでもある程度の痛覚が体の表面を駆け巡る。
「……ヘデラまたせてんのによお……。……………………がっ、!?」
舌打ちをし、空間と空間を繋わ合わせようと指をひねろうとした刹那、脇腹に鋭い痛みが走った。
――
「……遅いな、ティール」
あれから既に三十分は経過しただろうか。迷子に遭遇してから一向に彼女が帰ってくる気配は無い。
何かに巻き込まれたのだろうか?
(ティールは結構美人だし……、でもそんなのに負けるような腕じゃないものね……)
確かに手の自由が若干効かないようなことは言っていたけれど。トコルから貰った短剣でその問題は解決したと聞いている。
「………………。……あの……すみません」
少し悩んだ後、ヘデラは迷子の子供を連れて近くの棚を見ていた中年の女性に声を掛けた。
「あら、どうしたの?」
「……っ」
思えば、こちらの世界の人間と一対一でコミニケーションを取るのはこれが初めてか。彼女は思わず口篭る。
いくらコミニケーション能力の高い人間でも、他国の、それも別世界の人間と一人で話すのには勇気がいる。第一のハードルは越えたが、それ以上に言葉が出てこなくなる。
「……大丈夫?ゆっくりで大丈夫よ」
彼女の容姿から外国人であると判断したのか、女性は軽く微笑みヘデラの言葉が纏まるのをゆっくりと待ってくれた。
「……ええと……。……この子、迷子らしくて。……でも私、この国来たばかりでこういう時どうしたらいいのか分からなくて……」
「あら、てっきりお子さんかと思ってたわ。迷子だったのね。そうね、こういう時はお店の人に声を掛けるのが良いんじゃないかしら」
「……お店の人」
「ほら、丁度あそこに。行きましょう」
女性は辺りを見回すと、近くに棚の陳列を行っていた店員を見つけ、ヘデラの手を引いてそちらに連れて行く。
「店員さん、こちらの方が迷子を見つけたみたいなんですけど」
「……はい、お母さんとはぐれてしまったみたいで……」
未だ涙目で、ヘデラの服をギュッと掴んでいる迷子の子を見て、店員は少し考えると服に取り付けたマイクに何かを呟くと、目線を合わせるようにその場にしゃがんだ。
「今迷子のアナウンス入れて貰えることになったから。……お名前教えてくれるかな?」
「…………ゆう、……かやま、ゆう」
「ゆう君だね。すぐにアナウンス入れるからね、一緒に来てくれる?」
店員が手を差し伸べるも、彼にヘデラの服の端を離す気配は見られない。店員が苦笑いしたのを見て、ヘデラが一歩踏み出す。
「……私も、一緒に行きます。そうすれば大丈夫でしょう?」
「すみません、助かります。行きましょうか」
行ける?とヘデラが彼に一言かけると、小さく頷いたのを見てヘデラはゆっくりと店員に続いて足を動かす。
「ありがとうございました、……おかげで助かりました」
「気にしないで。……あなたも相当勇気が必要だったでしょう。よく頑張ったわね」
肩を軽く叩かれ、ヘデラは小さく、けれど嬉しそうに笑みを浮かべる。
――
「…………」
「来ませんね……」
迷子のアナウンスを入れて十数分が経過した。未だにこの子の親は姿を見せる気配は無い。
「もし予定があるようでしたら離れていただいても。あとはこちらで何とかなりそうですから」
「……友達を待たせてしまってるので、少し離れても良いですか?また戻ってくるとは思いますが……」
ヘデラは子供を店員に任せ、少し小走りで元いた棚の前に戻る。彼女の事だから待たせてしまって怒る、なんてことは無いだろうけれど。あくまで買い物に付き合わせてしまっている身なので、待たせるのは流石に気を使ってしまう。
「……っ、この感じ……」
元いた所に着いても、そこに彼女の姿は無い。けれど、彼女の魔力の残滓は肌からピリピリと伝わって来る。
彼女が魔力を使うような事に巻き込まれた、という事だろうか。
「……っつ、ヘデラ、戻って来たか」
「っ、ティール!?その怪我は……!?」
辺りをぐるぐると見回して彼女の姿を探していると、腹部を血で濡らしたティールが棚に寄りかかっていた。
「……空間の『歪み』が出来ててね。処理してたらぶっすりと。……もう塞ぎ切れる所でさあ。悪い、援護してくれ」
「……っ、分かったわ。……風よ、私に加護を」
ヘデラは足に神聖力を流し込み、体勢を低くする。そして懐から五センチ程の小さな鉄の塊を取り出し、軽く振るう。すると次の瞬間、それは彼女の身長程にまで長さを伸ばし、彼女が愛用する短槍の形にへと姿を変えた。
これはトコルが別世界に旅立つヘデラに向けての餞別として作った特殊な槍。今までのように長い槍を持ち運べない世界であるとティールから聞いたトコルが何処にでもしまえるほど小さく、使う時には長さを伸ばして短槍として使える武器を作ったのだ。
もちろん、普通の短槍より強度も刃の鋭利さも若干劣ってしまうが、それでも無いよりは遥かにマシな武器である。
「ティール!」
刹那、ティールの顔のすぐ脇に歪みが生まれ、そこから魔物の鋭利な爪が姿を表す。
「っ!」
爪による斬撃を、首の皮一枚で避けるティール。
そこにすかさず神聖力で身体能力に強化を施したヘデラが目にも止まらぬ速さで突きを叩き込み、魔物を消滅させる。
「槍を振るうのは久しぶりだけれど……」
「……腕は落ちてねえじゃん」
「あなたは歪みを閉じるのに意識を集中させなさい。こちらは任せて」
次々と現れる魔物達がヘデラによって倒されていくのを尻目で確認しながら、ティールは額に汗を滲ませながら『歪み』を縫い合わせ、空間のズレを修復する。
「……ふう」
槍を元のように短縮させ、懐にしまいながらヘデラが一息ついた。
「いってぇ……。まじ、さあ。人の少ない外着に穴開けんなよな。これじゃあ縫ってもツギハギだよ」
鮮血に塗れた、腹部に拳一つ分程の穴が開いた自身の服に目を落とし、ティールがガックリと項垂れた。
「だ、大丈夫なの?」
大量に出血しながらも平然を保っている彼女を見て、ヘデラが目を丸くして聞いた。もちろん彼女が吸血鬼であるということは知っているけれど。それでもそれだけの出血をしていて体は平気なのだろうかという疑問が勝る。
「傷の方は持ち前の治癒能力で何とか。ただ出血と魔力消費が半端じゃなかった。……血が足りねえ、分けてくれる?」
「ええ、勿論」
「それじゃあ遠慮なく」
ティールが倒れ込むようにして来たのを、ヘデラは両腕で抱える。するとティールの鋭い二本の犬歯がヘデラの首筋に静かに突き立てられ、皮を破って肉に刺さる。
「っ」
痛みはさほど感じない。蚊が血を吸う時に痒み成分を注入して痛みを感じにくくさせるように、吸血鬼も血を吸うと同時に歯の先から相手の血管内に感覚が少しだけ麻痺する媚薬のような成分を流し込む。
突き立てた歯の隙間から流れ出てくる血液を、まるで犬が皿に注がれた水を舐めるように、小さくぴちゃぴちゃと音を立てて舐めとっていくティール。
ヘデラは何だか小っ恥ずかしくなって目を逸らし、周囲に視線を配る。幸いな事に、この様子は誰にも見られていないようだ。
「……っふう、悪ぃ。ありがとう、動けるようになったわ」
「無理はしないでね。……私が連絡手段を持ってればこんな事にはならなかったのだろうけど」
「いんや、待っててって言ったのは俺だし。マジで何も気にしなくていいって。それに久しぶりの吸血で喉が潤った」
やはり他人の血を吸う、というのは若干気の滅入る事である。最悪吸わなくても中毒症状が出るくらいだから、尚更吸わせてくれる人には感謝しなければならないし、同時に申し訳なさも感じる。
「普段吸血は控えてるんだっけ?」
「普段は楓とかからたまにな。ソウカもいるけど、吸血鬼同士で吸血すると副作用が凄いんだよ……」
頬を赤く染めながら、ティールが視線を逸らす。どうやら少し口に出しにくい事らしい。
彼女は口元を拭い、ヘデラの首元に目をやった。どうやら噛み傷はしっかりと治っているようである。
「……あ、そうだ。さっき迷子の子を見つけてね、お店の店員さんに預けたの。心配だから見に行ってきても良い?」
「えっ、そんな事があったのか……。悪い、俺も色々人に絡まれたりしててすぐに行けなくて。よく店員に頼めたな、こっちの世界の人と一人で話す機会なんてそうそう無いだろ?」
葵にはかなり高い頻度であちこちに連れて行って貰って、この世界についての見識を高めさせてもらっている。が、それでも人とやり取りするのは半分以上は葵だし、彼女がする時も少なからず彼がサポートに回っている。
「親切な人に助けられてね。……この世界の人間は消極的な人間が多いと思ってたけど、心を開けば助けてくれる」
「……だな。捨てたもんじゃないだろ、こっちの人間も。さ、駄弁ってないでさっさと行こう。その子の親が来てるといいけど」
ティールは酒が大量に積まれた買い物カートを押し、ヘデラの後ろに着いて歩く。
途中、腹部からの出血でどう見ても殺人者の服になっている事に気が付き、天道から上着を取り出しその上から着て血の跡を隠した。
「……制服なんてものないから仕事中の装備品の破損は俺負担だもんな。……はあ、また金が……」
ティールは深々とため息を吐き、一瞬アダマスに服代でも請求してやろうかと思ったが、どうせ却下の二言で断られるだろうと察し、また財布が軽くなる事を悲しむのであった。
――――
「あっ、戻りましたか」
「すみません離れてしまって。あの子の親は……?」
「……それが、まだなんです」
「……」
店員の傍で腰を下ろし、静かに親が来るのを待つ少年。寂しそうに、しかし心無しか何処か慣れているかのような、もうそれが当たり前かのような態度を見せているような気がした。
「あの子か」
「ええ……、店員さんも色々としてくれたみたいなんだけど……」
迷子のアナンウンスは、何度もかかっているのを耳にした。この子の親に何も無ければ良いのだけれど、とヘデラが心配そうに彼の顔を見やる。
「よっしゃ、任せろ」
カートを置いて、ティールは少年の元へ歩み寄る。そしてその場で腰を下ろし、少年の額に手を当てる。
(エルティナ、聞こえるか?)
『え、ええ……。すみません、今賄いを食べていた所で……。……聞こえていますよ』
もごもごと口内の食べ物を飲み込んだ後、小さく咳払いしてエルティナが答えた。
エルティナは先の戦闘で肉体を失っている。それ以降はティールの体にティアーシャと共に暮らしていたのだが。
ティールがアダマスに提案したところ、彼女にはあっさりと新しい肉体が用意された。初めこそエルティナは遠慮していたが、そもそもの話、魂の形が不安定になりつつあるティールの中に二人も別々の魂が一緒であると負担が大きいとのことで承諾してくれた。
今は時折アダマスの元で仕事の補佐をしつつ、ルントの店でせっせこ働いている。
(今俺と触れている魂と最も関係の近い魂をマーキングして欲しい。出来るか?)
『ええ、出来ました。……あ、ルントさんパンのおかわりってあります?……ええと、脳内にマッピングしておきましたので分かると思います。あ!楓さんそれ私のお肉!』
(さんきゅ、邪魔して悪かったな。ありがと)
『いいえー、お気になさらず』
そういうと、エルティナの声は聞こえなくなり頭の中に自然と辺りの地図が浮かび上がり、そこに一点、赤い点が現れる。
「そこか、分かったぞ。……ごめんな、いきなり触ったりして。歩けるか?」
ティールが微笑みを浮かべ、少年の頭を軽く撫でてその手を取り、軽く持ち上げて立ち上がらせた。
「お前の親の位置は分かったぞ。行こう」
ティールが手を引いて彼を連れて行こうとした時、彼女の手に少しだけ力が加わった。
「……どうした?」
「……お母さん、多分他の人とお話してる。……僕が行くと邪魔っていつも怒られる、から……。ここにいたらダメ?」
「……っ」
軽いフラッシュバックが起こる。この肉体に意識が宿る前、楓と暮らしていた時の事を。
「……そっか。おっけ、分かった。ここにこの背の高いおねーさんと一緒にいろ。俺が無理矢理連れてくる」
そう言って握っていた手をヘデラに預けると小さく彼女に向かって片目を瞑り、颯爽とどこかに向かって走っていくティール。
「……あなたのお母さん、いつもこんな感じ?」
「うん、いつもは少し離れて待ってるんだけど今日はどこか分からなくなっちゃって……」
「……」
ヘデラは口を噤んだ。彼女は両親からの愛を満足に受け取っていた。……それはあまりにも呆気なく消え去ってしまったけれど。
親は子に愛を注ぎ、護るもの。ヘデラはそういうものだと思っていたのだが、果たして子を放っておいて自分の事だけを見ている親は、どういう心境でそれを行っているのだろうか。
子供に孤独を感じさせ、自分は楽しく過ごす。ヘデラはそんな親の行為が到底想像出来なかった。
「連れて来たぞ!」
「っち、何なのよ。アンタ、顔が可愛いからって……」
ティールの帰還は想定より早かった。彼女は半ば無理矢理一人の悪態を着いている女性を連れて来た。
髪は染めた赤色、小綺麗に化粧されていて、普通の人から見れば美人、といえる面立ちだった。
「お前の子供が迷子になったってずっとアナウンス入れてんだ。いつまで経っても来ないから迎えに来てやったんだ」
そう言うと、ハッと女性は少年の顔を見た。
そして辺りの面子をチラチラと伺い、ズカズカと彼の元に歩み寄ってヘデラから子供の手を奪い取った。
「あっ」
「……ったく、迷惑掛けんじゃないわよ。家にも一人で置いとけないんだから。ほら、さっさと行くわよ」
「…………は、はい」
少年は萎縮し、力任せに引っ張る母親に無理矢理歩かさせられる。
「……あの!」
母親が踵を返し、去ろうとした所を、ヘデラが思わず手を伸ばし彼女の肩を掴む。
「……何?」
さも嫌そうな表情を浮かべながら、母親は振り返った。
「何故、お子さんを放置しているんですか?一緒にいれば」
「うるっさいわね、他人のアンタに何が分かるってのよ。手ェ離しなさいよ」
ヘデラの言葉を遮るように、母親は彼女の手を振り払おうとした。が、槍術によって鍛えられた彼女の握力からはそう簡単に逃れられる事は出来ない。抵抗虚しく、ヘデラがズイと距離を詰める。
「他人であろうと関係ないわ。……私は両親が早くに亡くなってもう会うことすら叶わないけれど、それでも二人から受けた愛情はしっかりと心の内に残ってる。子供の頃から今のいままで、大切に育ててくれた両親の愛情を糧に生きてきた。心の支えになったし、生きる希望になった。私個人の体験でしか無いけれど、幼い頃の親の愛情はこの先ずっと子供の未来を作っていくわ。……それなのに、あなたは犬みたいにその子を扱ってる」
「どう育てようが関係無いでしょう!?」
激高した彼女の頬を、ヘデラは無表情で一発叩いた。
「っ」
「……子供自身は変えられても、親は変えられないのよ。あなたを待っている間、この子がどんなに寂しそうな顔を浮かべていたか分かる?想像してみなさい、ここでは無い世界に己の親に置き去りにされるのを。……寂しいでしょう?苦しいでしょう?心細いでしょう?あなたはそんな事を平気な顔してやっているのよ?」
ヘデラの力の入った声に、母親は圧倒され、話し終えた後すっかり俯いてしまっていた。
「……はぁ……はぁ」
「大丈夫か?」
「軽い貧血よ、あなたに吸われたからね」
「……はは……」
足元がよろけたを見て、ティールがすかさず受け止める。どうも熱が入ってしまったのか、息は切れ額には汗が滲んでいる。
「…………行くわよ」
母親は俯いたまま、少年を連れて去っていってしまった。ヘデラも、もう肩を掴む手に力は入れていなかった。
「……いいのか?行かせて」
「……あれで変われないのなら、彼女はもう救えない。……でも、私の声が少しでも響いていてくれたらいいな、って思う」
棚の裏に消えていった二人の後ろ姿を見て、すっかり惚けていた店員と目が合う。
「……あっ、す、すみません。本来こういうのは僕がやらないといけない事なんですが……」
「いいよ、こっちが勝手にやってんだし。……それよか、会計頼んでもいい?」
ぎっしりと上下の買い物かごに数多の食材と酒が積まれたカートを見て、店員は大きく頷いた。
「では二番のレジで伺いますね」
――――――
「ではでは、……せーので」
「「「「誕生日おめでとーう!!」」」」
時は少し進み夜、葵自宅にて。ティールの天道によって招待された者たちがテーブルを囲んでそれぞれが手に持ったクラッカーの紐を引く。
高い炸裂音がなり、硝煙が鼻を燻る。クラッカーから飛び出た多種多様の色のカラーテープが一斉に葵の体に降り掛かる。
「うわあ、二十五歳ですか。早いですね」
「なーに言ってんだかね、あたしらに比べりゃまだまだガキだよ、あんたは」
早速手にしたグラスにドバドバと酒を注ぎ、豪快に口の中に流し込んでいくナーサ。
「私は永遠の若さを保って行くけどね」
「トコルはいくら歳とっても背伸びないからね!いてっ」
ナーサがおちょくり、その脳天に木の槌が軽く振り下ろされる。
「こうしてヘデラと一緒にテーブルを囲うのもそうそう無いものね、今日は楽しみましょ」
「うん、トゥルナ」
すっかり白髪が似合うようになってしまったトゥルナが、ワイングラスを軽く回し小さく口を開いて酒を飲む。
「おふたりとも順調ですか?」
食卓に並んだ料理を小皿に取り分けながら、エルティナが尋ねた。
「うん順調だよ、俺が天道で侵入しても気づかないくらいには朝っぱらからイチャついてた。こりゃこのカップルは強いぞ」
「ティール!もう!」
「……はは」
ビール缶を開け、ニヤニヤと表情を浮かべながら喉の奥に流していくティール。ヘデラは顔を赤くして机から乗り出し、葵は顔を引きつらせて乾いた笑いを浮かべていた。
「そういうティールだってソウカと上手くやってるんでしょう?」
「そりゃもちろん。俺たちも毎日イチャついてるぜ。なーっ?」
「ねーっ、ティール」
「へへへ」
「へへへ」
「かーっ!激甘激甘!こんなに料理があるのにもう胃もたれしそうだよ!」
顔を見合わせて笑みを浮かべるティールとソウカを見て楓が茶々を入れる。
「全く、どっちが主役か分からないね」
ナーサが深く息を吐きつつ、若干呆れた顔をして二人の方を見やった。
「野暮な事聞くようですが、二人ともどんな感じですか?大分慣れました?」
楓が少し考えて言った。
「……そうだね。僕はまだまだドキドキしながら暮らしてるよ。まさか一緒に暮らすなんて想像して無かったし」
「私はこっちの事覚えるのに精一杯。文字も読めるようにならないとだし、機械とかの扱いも……」
「元々ヘデラはカラクリ苦手だもんね。私でもこの世界の機械は扱いきれないよ」
「漢字とかならある程度教えれるかも……。私はいつでも空いてますし、お兄ちゃん経由で呼んでくれればいつでも」
「ほんとに?……じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな……。葵が仕事の時とかに、外一緒に案内して貰ったりとかしてもいい?あ、あと乗り物の乗り方とか……」
楓とヘデラ、その友達同士の間で繰り広げられるきゃっきゃと楽しそうなやり取りを見て、葵が酒の缶を片手に机に沈んだ。
「ヒンッ、僕が教えれればなあ……」
「元気出せよ、ああいうのは案外友達同士の方が気兼ねなく聞けたりするもんだし」
顔をしわくちゃにして机に突っ伏す葵の背中を手加減して叩くティール。
「不甲斐ないなあ……」
「まあ、葵は向こうの世界に対しての知識は乏しいだろうからさ。こういうのは適材適所よ」
にへら、と笑うティールを見て、そんなものですか……、と空気の抜けた風船のように萎んでいく葵であった。
――
「さて、今日はお開きにしようか」
「……そうだね」
皆が名残惜しそうに卓上の綺麗に片付けられた皿に目を落とした。
一瞬蔓延する沈黙、疲れきって寝てしまった楓とトコルの静かな寝息だけがその静寂の中に染み入るようだった。
「そんな辛気臭い顔すんなって、連絡さえくれればいつでも駆けつけんだから」
「それは……、そうですけど。やはり、別れは別れですから」
「……んまあ、そうだな」
グラスに残った水なのか、酒なのかよく分からない液体を喉の奥に流し込み、ティールは一息ついた。
「あ、片付けは手伝うから。こいつらを送ってからだけどな」
「別に良いですよ。ティールさんも今日は疲れたでしょう。明日も僕は休みですし、ゆっくり片付けますよ」
「……そっか。分かった」
誕生日の主役に片付けさせるアホがおるか!と叫びそうになったのを、ティールはぐっと堪えてはにかんだ。
「じゃ、さっさと送ってくるか。俺もその流れで帰っちまおう。ほら、全員起きろー。帰るぞー」
ティールが手を叩きながら部屋の中を割烹する。寝ていた二人は呻き声を上げながら眠たげに目元を擦り、欠伸を噛み殺していた。
「楽しい時間っていうのは直ぐに過ぎ去ってしまうものね」
ポツリとヘデラが零したのを聞いて、エルティナが答えた。
「楽しい時間もそうでない時間も時の流れは変わりませんよ。もしそうでしたら、ずっと人生楽しい人は時を加速させすぎて天国に到達しかねません」
「エルティナにはデリカシーなるものが必要ね」
それを聞いたトゥルナは呆れたようにため息を吐き、そう零し、ティールは頭を抱えていた。当の本人は何事かと目をキョトンとさせていた。
「じゃあ、ね」
「うん、ありがとう」
一人ずつ、ヘデラに手を振りながら天道の中を潜り抜け、元の世界に帰っていく。
「元気にするんだよ!?幸せにね!!」
「ありがとう、トコル」
若干涙目になりつつも、トコルは笑顔を浮かべたまま天道の中に消える。
「何か困ったら呼んでください。私いつでも空いてますから」
「ええ、ありがとう。今度色々と教えて頂戴」
楓の姿が消える。
「旅行とかならガイド出来ますよ。あっ……でも二人だけの方がいいかな」
「……ううん、そんな事ないわ。葵も大切だけど、友達の皆のことも同じくらいに大切だから」
「……そうですか。なら、いつか行きましょう!」
ソウカの姿が消える。
「……、幸せにね」
「何だ、もっと豪快に笑ってくるかと思ってたのに……」
「拍子抜けしたかい?」
「ううん……」
少し寂しそうな表情を浮かべ、ナーサはヘデラの肩に手を乗せた。
「元気でね」
「ええ、ナーサも。いい歳なんだから、無理はしないで」
「一言余計なのさ、あんたは」
最後に豪快な笑い声を残し、ナーサも消えた。
「今日はありがとうございました、お二人とも。また会う時まで、ですね」
「エルティナも、ありがとう」
小さく頷いて、彼女も消えていった。
「よっし、全員だな。じゃ、お疲れ」
「ティール、今日はありがとう」
「ありがとうございました。何かあれば連絡します」
「おうよ」
そう言って、天道が閉じきった。
「……」
「……」
そして、訪れる静寂。あれだけの人数がいた後に二人だけになると、それは異様な程に静かである。
「……葵」
「……はい」
互いに目を合わせ、ヘデラは葵の体に身を預ける。
「お誕生日、おめでとう」
そう言って、二人は静かに唇を合わせた。
――――――
翌朝。
「……ん」
目が覚めると、目の前には静かに寝息を立てて眠っている葵がいる。少しの間、愛おしそうにその顔を見つめると、彼を起こさぬようにゆっくりとベッドから出てテキパキと着替えを済ませる。
クセの着いた髪の毛を櫛で軽く梳かしながら、昨晩の内に出ていたゴミを詰めた袋を持って家のドアを押し開ける。
早朝の空気がツン、と鼻を刺激する。
最近ようやく覚えたエレベーターに乗って、下の階まで降り自動ドアが開くのに一瞬体を引かせながらも外に足を踏み出す。
今日はゴミの日、少しずつ家事を覚えようとしているヘデラがこれまた最近覚えたゴミ出しである。
「あら、ヘデラさん。おはよう」
「あっ、おはようございます」
ゴミ袋をネットの中に入れ、朝日に向けてうん、と体を伸ばしていると、ふと背後から声を掛けられた。
そこには四十代程の女性が。ヘデラ達のマンションの家のすぐ側の部屋に住んでいる女性で、色々と彼女に対して気にかけてくれている。
「昨日葵さんが誕生日だったんですって?ごめんなさいね、何も用意できなくって」
「いえ、そんな。お気持ちだけで充分ですよ」
「そうだ、明日友達と近くのテニスコートでテニスするんだけど、ヘデラさんも一緒にどう?」
「テ、テニスってあのボールを打つやつですよね……。私、やった事なくて――」
そういって、一瞬視線を逸らした先に見覚えのある姿が写った。
「今日何か食べたいものある?」
「そーだねー。じゃあシチューが食べたいかな」
赤髪の女性に、その手をしっかりと握って歩く子供。忘れようにも忘れられないその二人は、こちらに気がつくことも無く静かに道の奥に消えていった。
「それで、ラケットも貸すしシューズだって……。あ、ごめんなさい。私ばっかり喋っちゃって。こんなおばさんの誘いなんて断っちゃっても――」
「あっ、いえ。むしろやってみたくて……。ルールもほとんど知りませんが大丈夫ですか?」
ヘデラは女性の方に振り返り、小さく笑みを浮かべた。
「もちろん!私達も素人だから気にしないで!」
そういえばティールも楓も、テニスをやっていたと言っていたっけ。ある程度出来るようになったら二人を誘ってみようか、と思惑を浮かべるのであった。
唯一この世界に残ると決めたヘデラ、そして葵。幾度も幾度も様々な出来事を通して、二人はゆっくりと絆を深めて行くのであった。
これは、そんな日常の中の少し特別な日の思い出……。
ちなみに後日、ヘデラは貸してもらったラケットを一撃で粉砕し、周りを飛び上がらせた。しかし、メキメキと腕を上げ、ママさん達との間で引っ張りだこにされるくらいにはテニスに誘われたりしていた。
加速するティールの口の悪いおっさん感。
次は何を書こう……若干ネタ切れ気味……。
あ、私はアルハイゼンを引きます(唐突)