エピローグ
「っ……!」
ソウカの体を抱き締め、皆が戦闘している様を地上から見上げている楓。ティアーシャに下まで下ろされ、今は大怪我をしていたソウカの傍に着いてる。
そんな彼女の手に、きゅっと力が込められソウカがハッと目を見開く。
「……楓?」
「……わかった。直感だけど、終わった」
楓の顔に笑みが浮かぶ。
その彼女の顔を見て察したのか、ソウカも同様にふ、と笑顔を浮かべ楓の顔を見上げた。
「ティアが帰ってきたら、お祝いしないとね」
「何食べたいか決めといてだってよ?」
それを聞いてソウカは苦笑を浮かべる。
「あいつ、はなから負ける気が無いじゃない」
「負けないよ。私のお兄ちゃんは」
「……そうね」
楓が自信満々に言うので、ソウカはつい笑ってしまった。確かに、ティアーシャが負けている想像は付かない。あくまで想像でしかないのだけれど、自分の中にそれは確信に近いものになっていた。
「あっ、ほら」
楓が指を指した方向を見る。すると、巨大な骸骨は、バラバラと崩れるようにして消え掛けているではないか。
「……やったのね。ティアーシャ」
「あっ、トゥルナさん」
弓を傍の壁に立てかけ、へたりの彼女らの隣に座り込むトゥルナ。崩れゆく様を見て、彼女の目には隠せぬ喜びが浮かび上がっていた。
「さ、今日は宴会でしょうから準備と後片付けが大変ね。あなた達も手伝ってね」
「トゥルナさん料理出来るんですか?」
「メシマズしかいなかった頃の料理担当よ?私は。トコルと一緒に苦労したんだから」
トゥルナは苦笑を浮かべつつ、小さくため息を着いた。
「ほんとに、大変だったよね~。楽しかったからいいけど」
ニシシとトコルが笑いながら現れ、トゥルナの背中にのしかかる。
「数年ぶりに皆で集まったんだから、楽しくやろうよ。パーッとね」
「酔い潰れても介抱するの面倒臭いからやらないわよ。適当に苦い薬処方してあげるから」
「そ、それは医師としてどうなのん……?」
――
「っ、終わりましたか。予想より早かったですね」
ティアーシャの体を借りて空を舞いながら攻撃を仕掛けていたエルティナが骸骨の変化に気が付き、攻撃の手を止める。
「と、なると。ナーサさんの救出から始めますか」
エルティナは体から力を抜き、重力に引かれるがままに自由落下する。
そして自慢の大剣を振るい、神聖力を持たぬにも関わらず周囲の骨を粉砕していたナーサのすぐ側に降り立つ。
「お、ティアーシャ……。いや、エルティナだね?」
「ええ、ご名答です。どうやらカタが着いたようです。離脱しますよ」
「こりゃご丁寧にどうも」
大剣を背に掛け、差し出された手をギッチリと握りエルティナに導かれるがままに地面に降り立つ。
「皆無事なのかい?」
「はい。ヘデラさんはかなり傷が重かったですが、ティアーシャ……いえ、ティールが早い段階で転送を行ったようで無事です。先程治療を終えてベッドで寝かせています」
「そうかいそうかい。……あんた!今日は忙しなるよ!宴会だ宴会!!あの子が戻って来たらすぐに店に戻るよ!」
「え、ええっ……?この人数の宴会の用意しねえわとなんねぇの?俺ぇ……」
ナーサの鼓膜を破壊せん巨大な声にルントが頬をひくつかせながら反応する。
二人とも、既にトゥルナによる『記憶改変』は解かれている。自分達が共に暮らしているだけで、実は家族でもなんでも無かったことだって理解している。
しかし、それでも二人の態度は変わらない。
トゥルナはそんな二人の様子を見て、ホッと胸を撫で下ろした。
『お疲れさん、エルティナ』
(ティール、そちらこそお疲れ様でした。大変だったでしょう?もう少し裏で休んでいますか?)
戻って来たティールの魂と、エルティナは心の中で会話する。
『……うーん、いや、いいや。変わるよ、ありがとな』
(いえ、お易い御用です)
パチリ、軽い音がしたかと思うとティールは表の世界に、エルティナは裏の世界にそれぞれが入れ替わった。
「……っと。……皆、お疲れ」
皆が崩れゆく骸骨を見てザワザワと声をあげている中、ティールは若干気まずそうに声を出す。
「……ぁ、おかえり……!お兄ちゃん!」
真っ先に彼女が帰ってきた事に気がついて、楓は若干潤んだ目で声をかける。
「お、帰ってきたのかい?――ティアーシャ、よくやったよ。お帰り」
「ティアーシャ!お帰り!」
「お帰り!」
「お疲れ様、帰ったら美味いもん作ってやるぞ!ティール!」
「お帰りなさい、ティール」
「ティア!」
「おうおうおう」
先程までぐったりと伸びきっていたというのに、彼女を見た途端に立ち上がり、抱きつくソウカ。
ティールは両手をホールドアップし、皆が見てるから……、と小恥ずかしそうに目を逸らす。
その言葉でソウカもハッと我に返り、顔を真っ赤にしてティールから離れ、再び楓の隣に座り俯いて崩れるように座った。
ティールは少し気まずそうに、他の面々はニヤニヤとその様子を尻目で見つつ、顔はもう殆ど姿を残していない巨大な骸骨の方を向いていた。
「あいつの存在は魂ごとぶっ壊した。もう、二度と復活してくることも無いし、生まれ変わってくることも無い。……一件落着の様だけど、こんなに世界がボロッボロになっちまって、楽観はしてられないよな……」
ティールが小さくため息を着いた。
「その面は気にせずともよい、ティアーシャ。いや、この際はティールと呼んだ方が楽か?」
「っ、この声は……」
落ち着きのある、透き通った声。声のする方向へ体を返すと、そこにはいつの間にか顔見知りの神、アダマスが立っていた。
「アダマス……」
「何も手出しをしていない私が言うのもなんだがな、よくやった。ティールも、他の人間らも。お前達は二つの世界を救ったのだ」
「……?ティアーシャ、この子は?知り合いかい?」
ナーサがズイと前に出て訝しげな表情でアダマスの顔を覗き込んだ。するとアダマスも、動物園にいるキリンか何かを見る子供のように無邪気に目を輝かせてナーサの巨体を見上げた。
「このような人間が存在していたとはな。やはりこの世界は面白い。何事も設計通りにはいかないものだな」
「このガキンチョ……私を見て何を言ってるんだい……?」
ナーサが顔を引き攣らせ、こめかみに青筋を浮かべる。
「そう怒るな、人間。私は褒めているのだぞ。……そうだな、君達でも分かりやすく例えると、茄子を育てたらそこに胡瓜が生えてきた、とでも言うのだろうか。ううむ、分かりやすく伝えるというのは難しいものだな」
アダマスは顎を撫でながらニヤニヤと不気味な笑みを浮かべながらナーサの事を見上げた。
ナーサは、彼女が神であるなどと、微塵も思ってはいない。ただ単に、いきなり現れては自分の事を茄子畑から生えてきた胡瓜などと小馬鹿にしてはニヤニヤと不敵な笑みを浮かべる少女なのだ。
「ナーサ、この人……、人なのかは怪しいけど彼女はアダマス。一応神で生命保険監督監察官……だとかなんとか」
ティールがアダマスを指さしてうんたら述べていると、彼女はじろりとティールに目を向けて訂正を始めた。
「一応ではない。れっきとした神だ、あくまでお前
らに対してのだがな。それに、私は生命監督機関の人型の担当だ。保険屋では無い」
「ありぇ?そうだったっけ?」
「あまり私を小馬鹿にするとその体を醜い虫の姿に変えてやるぞ。ティール」
「ひー、怖いこと怖いこと」
ティールは怖がる素振りを見せて、アダマスは小さくため息を着くと彼女の方を見るのを止め、自分に視線を注いでいるその場全員に体を向けた。
「……改めてだが……、皆、よくやってくれた。私から、この世界を統治する他の神々の分も纏めて礼を言わせてくれ。ありがとう」
アダマスはナイトキャップのような柔らかな帽子を脱ぎ、軽く頭を下げた。
「あの新橋、とかいうならず者を放っておけばこの世界だけではない、全ての世界が入り交じり、手に負えなくなっていただろう。ここまでの被害に抑えてくれたことを、心から感謝させてもらう」
「へえ……、神様でも感謝はするのね」
「トゥルナっ!しっ!」
何気なくトゥルナが吐いた毒に、トコルが慌てて口を塞ぐ。
「あの子がほんとに神様だったら消されかねないよ……!?言うこともなんかそれっぽいし……」
二人が恐る恐るアダマスの方に視線を向けるも、幸い彼女の視線は二人には向けられておらず、安堵の息を着いた。
まあ、案の定アダマスの耳には入っており、その言葉の意味もしっかりと理解されているのだが。その程度で怒っていては神では無い。自分達に対する戯言も、いちいち気にして怒りを向けていてはキリがない。彼女の神という立場としての配慮である。
「この程度って言うけど……、世界二つがまるままくっついている訳だし、互いの住民が互いの世界の事を少なからず認知してしまった。……もう元通りという訳にゃいかないんじゃないか?」
二つの世界が混ざり合い、互いの世界にそれぞれ存在しないものや生き物が混ざりあってしまった。互いの世界のルールや法律もあるし、すぐの共存は厳しいものがあるだろう。
「それをお前達が気にする必要は無い。これから先は神々の問題だ」
アダマスは大地に手を当て、目を閉じ、集中力を高める。
「……コード、205369を申請。……承認を確認。コード、27503.91、双方の世界の生物から、互いの記憶の削除を申請……………………」
ブツブツと何か言葉を喋るアダマス。けれど、その小さな声に耳を傾けた程度では聞き取ることができない程には早口で喋っていた。
その様子を見ていた他の面々も、不思議そうな表情で彼女に視線を寄せていた。
「……よし、いいぞ。申請は通った。間もなく双方の世界は修復されるだろう。それに、記憶もな」
アダマスはこめかみをトントンと叩いて、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「記憶……?」
ソウカが不安そうな表情を浮かべると、アダマスは小さく息を吐き彼女の頭にポンと手を乗せた。
「安心しろ、この多大なる功績を残したお前たちの記憶は消さん。何も知らぬ一般人の記憶を世界が融合する前に消すだけだ。お前たちが気にする必要は無い」
「ふぅん……?」
記憶を消すというワードを聞いてトゥルナがにやける。自分が禁忌としていた記憶操作を神として二つの世界の住人に使うというのだから、彼女自身、何かしら思うことがあったのだろう。
「今すぐに、世界を修復するのは不可能だ。神であるとはいえ、我々にも準備が必要だからな。単純計算で三時間ほど必要だろうな。それまで、各々で今のこの世界を楽しんでおくといい。二つの世界が交わった情景など、なかなか見れるものではないぞ。せいぜい目に焼き付けておくといい」
最後に、ではな。と付け加え、アダマスが指を鳴らすとその姿は瞬く間に消え去った。
「きえっ.......た.......!?」
その姿を一番近くで見ていたナーサは、思わず声を失った。神である。という発言を完全に否定していた、というわけではないが心の中のどこかで若干否定している自分がいたのだろう。そんな少女がいきなり目の前で消滅し、その神であるという事実を突き付けられ言葉が出なくなってしまったのだ。
「嗚呼、忘れていた」
「うわっと!?またかい!?」
頭の帽子を搔きながら、再びナーサと目と鼻の先程の距離に現れたアダマスにナーサがひっくり返る。
「ティール、世界の修復が終わったら美味い飯屋に案内してくれ。最近忙しくてろくなものを口にできていない。仕事がひと段落したものだから、腹に溜まるものがいいな」
「なにかと思ったら飯の話かよ......」
ティールがガックリとうなだれるのを見て、アダマスは不服そうに眉をひそめた。
「何かとは何だ。我々神にとっては大事な事なのだぞ」
「へいへい、っと。……美味い飯を食いたいのなら……、そうだな、一つオススメのがあるぜ?」
ティールは後ろを振り返ってパチリとウインクして、アダマスに言った。
「近々宴会をする店があるらしいんだ。俺の身内の店なんだけどな」
――――
「こりゃすげぇ……」
最初に言葉を零したのはティールだった。人っ子一人の気配すら感じられぬ高層ビルの屋上に腰掛け、緑と人の手によって建てられた構造物が混じり合う世界を見下ろす。
アダマスが言った、三時間ほどが経過すると宣言通り二つの世界は元の形に戻ろうとし始めていた。
世界を覆う緑は徐々に徐々に崩れていき、まるで無理矢理分離させられているかのように、細かい粒子になって天に登っていく。
「例え私達が悠久の時を生きるとしても、この景色は二度と見られないでしょうね」
何の音もなくソウカが彼女の隣に現れ、そっと腰を降ろす。
「またあいつが生き返って来なきゃな」
へっ、と冗談半分で苦笑を浮かべる。
「ねえ、ティア」
「ん?」
さりげなく彼女との距離を詰め、コテンとその肩に首を預けるソウカ。
「いつかは言わないと行けないって思っていたのだけれど……。あなたが洞窟で目を覚ました時のこと……」
「洞窟……お前に殺されかけた時の事か?」
「ううん、もっと前。あなたが転生前の記憶を呼び起こされて洞窟内をさ迷っていた時の事よ」
「ああー……」
ナーサに拾われた時のことか、とティールは記憶を呼び起こして一人で頷いた。
「……それがどうした?」
「……あの時、私もあの場にいたの。洞窟の底で大蜘蛛に押し潰されているあなたを、ナーサ達よりも早く見つけていた」
ティールは表情を変えない。しかし、ソウカは一人、喉の奥から言葉を搾り上げるようにして一言一言を確かめながら口を動かす。
「……でも、助けられなかった。助けられなくて、私一人逃げた……。あの時、ナーサが来たから助かったけど、もし来てなかったら……あなたは……!」
雪山で、新橋の負の魂によって見せつけられた情景。洞窟の底で、全身ボロボロのまま男達に無理矢理連れていかれたティールの姿。
それを見させられた時、背筋が凍る思いがしていた。運が悪ければ、今、この時も彼女が隣にいなかったかもしれない。
ずっと隠し通す事は出来た。けれど、この思いを伝えるのにこのまま隠し通して生きて行くなんて無理だ。出来たとしても、彼女の心が持たない。
「……だから?」
「……へ?」
てっきり叱責でもされるかと思って、覚悟を決めていたソウカ。そうかい、君はそううやつだったんだね、と嫌われるかもしれないと腹を括っていた。
けれど、帰ってきたものは別の反応。別に何とも思っていないかのような、軽い返答。
「別に、俺は今生きてるし。その程度でなんで助けてくれなかったんだ、って逆恨みする方がお話違いだろ。……むしろ、そんな昔から俺達出逢ってたんだな。すげーじゃん」
「……死んでたかもしれないのよ?そんな軽く……」
「過去を否定するっていうのは、今この時を否定するって事だぜ?あの時、俺が死にかけていたからこそ、ナーサに出逢えたしその先で家族と呼べる沢山の仲間が出来た。俺は今この環境に満足してるし、この環境があるのは過去の出来事の積み重ねだ。過去の歯車の一個でも大きさが違えたら、今俺はこの場に立っていなかったかもしれないんだよ」
座ってるけどな、と言ってから目を逸らしたティールにソウカが堪えきれずに吹き出す。
「……は、ははは。……気にして……、ずっと気にしてて、損だったなあ」
「……」
嬉し泣きか、目尻から溢れる涙を指で拭うソウカ。
ある程度、涙が収まったところで深く息を吸い、改めてティールの元へ向き直った。
「ティア」
「ん?」
「……、私は……、沢山あなたに救われた。身も、心も。そんな中で、気がついたの」
ソウカがティールの手に己の手を重ねる。
「ティア、私はあなたの事が好き。友達として、もあるけど、一人の人間として。あなたの事が好きなの……!」
「っ……。マジか、前世でも告白なんてされた事無かったんだけど……」
まさかこのタイミングで告白されるとは思ってもいなかったのか、ティールの瞳はグラグラと揺れ顔も徐々に赤色に染まっていく。
「あ、えぅと……、その……」
なんだか小っ恥ずかしくなってソウカの顔を直視出来なくなってしまった。けれど、彼女は必死にこちと目を合わせようとしてくる。
「……………………ぅ、……、俺も……、ソウカの事が…………」
「…………俺も、ソウカの事が……、好き、だと思う……」
パァっとソウカの顔に大きな華が開く。
逆に、ティールはゆでダコのようになって沈んでいった。
『おめでとうございます、お二人とも』
『おめでとう、二人とも』
「……なっ……!?二人とも……!?」
完全にいることを忘れていたティアーシャとエルティナが更に追い打ちを掛けてくる。
ティールは、今すぐにでもこのビルの屋上から飛び降りてしまいたい心情だった。
けれど、ソウカは勇気を持って自分に告白をしてくれたのだ。ここで逃げれば、その気持ちを踏みにじることになる。
「付き合うとなると、俺はちょっと面倒臭いぜ?」
「その面倒臭さ以上に魅力があるのよ」
そう言って、ティールとソウカは修復されていく世界を背景に静かに口付けを交わした。
――――
「はい、しばらく動かしにくいかもしれませんが、これで特な後遺症もなく動けると思います」
「……ありがとう、楓」
両足と胴体に大きな損傷を受けていたヘデラが病室で楓に治療を受けていた。
深手を負っていた時点で、楓は彼女の致命傷となりえる傷の治療は終えていたが、それ以上の手当は出来ていなかった。
前線に出れるように神聖力を残しておかなければならないという理由もあったし、その時はまだ彼女の神聖力に対する理解は今ほどなかったからでもある。
「お礼なら大樹さんに。私は教わった事をやってるだけですから」
「それでもこれだけの力があれば、楓さんの需要はとんでもない事になるだろうね。……でも、それが多くの命を救うことになるとは限らないけれど」
楓の横の椅子に座って、ヘデラの両足な巻いてある包帯をゆっくりと解いていく葵。
彼の顔は嬉しそうな反面、どこか寂しそうな表情であった。
「……分かってます。私の力は、人を治す為に使われるとは限らない。どれだけ傷を負っても、死ななければ治してもらえる。そんな力を持った人間がいたら、どんな事に利用されるか分からない」
楓はキリ、と口を結んだ。
「だから、この世界には残れない。もう、残ることが出来なくなってしまったんです。……私は、世界が元に戻ったのなら、向こうの世界で暮らすと思います」
「……そっか」
包帯を解き終えた葵は、器用にそれを丸めて脇のゴミ箱に放り投げた。
「ヘデラさんと、葵さんは?どうするの?」
「私は、元いた世界に戻る。……もう、血の繋がった家族は居ないけれど。あそこが、私の故郷だから。…………もし良かったら、葵。あなたも一緒に……」
一呼吸置いて、その一言をヘデラは振り絞って言った。
「……ごめん」
しかし、帰ってきたのは寂しそうな葵の声。
「……僕には、楓さんのような皆の傷を治す力は無い。だけど……、僕は医者だから。こっちの世界で傷ついた人を癒してあげないといけない。……本当は行きたくて仕方ないんだけどなあ。……でも、それだけは曲げられない」
ヘデラはその返答を分かっていたかのように、小さく頷いて口に小さな笑みを浮かべた。
「そう言うと思ったわ。……あなたなら」
「……」
病室に、しばしの沈黙が走る。
それぞれが気まずそうに視線を伏せ、楓もいたたまれない様子で体をそわそわさせていた。
――――
その晩、世界は静かに修復された。双方の世界を監督する神々によって誰にも知られること無く。
知っているのは、たった十数人の人間達だけ。
この出来事は、彼ら彼女らの記憶の中で静かに消えていくのだろう。
「そして、今宵は宴だ。人間らよ」
らしくなく顔を朱色に染めたアダマスが、木製のジョッキに注がれた発泡酒を天に掲げ、その底なしの胃袋に流し込んでいく。
「おうおう、神様がそんなんで良いのかよ」
その脇でチビチビと酒とその肴を摘むティールが苦笑を浮かべて尻目でその光景を見ていた。
「まあまあ、今日は何しても言う事なしだ。お代は要らないから、皆たらふく食って飲んでくれ」
簡単なエプロンを体に巻いたまま、机を囲んでフォークで皿を続くルント。彼の髪は既に燃えるような赤色に戻っていて、記憶もトゥルナに記憶を改変される以前の物も戻って来ていた。
「た、無料……!?ルンティアのご飯が食べ放題……!?今のうちに詰め込んどかないと……!!!……ゲホッゲホッ!?」
ルントの奢りであると言う言葉を聞いた途端、トコルが卓上の料理を片っ端から口に運び、酒で流し込もうとして咳き込んだ。
「焦らなくても料理は逃げないわよ。それにあなたそもそもお酒強くないんだから。無理しないで」
そんな彼女の小さな背中を軽くさすり、トゥルナが耳元で囁く。
「程々にしないと激苦の酔い醒ましを飲ませるわよ」
良くも悪くもドスの聞いたその声は、トコルのほろ酔いを一撃で吹き飛ばし、背筋を凍らせた。
「ひゃ、ひゃい……」
と、タジタジになったトコルは大人しく酒を飲むのをやめ、巨大な鞄から牛乳瓶を取り出し渋々口にし始めた。
「……」
そんな姉の様子を見ていた弟のルコは、目を天にして唖然としていた。
自分の姉は、仲間の元に戻るだけでこれだけ幼児化してしまうのか、と。元々幼児みたいな容姿だけれども。
「あはは、トコルさん、なんか皆の妹みたいだね」
その横から、楓がルコの隣に座り頬杖を着いて若干火照った顔を彼に見せた。
「いいの?お姉ちゃんの所に行かないで」
ルコは若干言葉を詰まらせるも、直ぐに返答した。
「きっと再会できてもゆっくりする時間は無かったから。今は昔の仲間と一緒に居させてあげたいんだ。……君は?お兄さん……お姉さん??の所に行かなくていいの?」
楓はすぐに首を振り、自身の兄の元へ顔を向けた。
「お兄ちゃん、ソウカさんと付き合う事になったらしいよ。……って言っても元から距離は近かったから差程変わらないと思うけど。見てて微笑ましいからそのままにしておこうかなって」
「……そっか」
二人の視線の先には、何が何でもアーンさせたいソウカと、「そんな事小っ恥ずかしくて出来るかバカタレ!!」と暴れるティール、そしてそんな彼女を押さえつけ「ほら、今が狙い目だぞ!やれ!」と悪ノリするアダマスの姿が。
「私達は次女次男同士、それぞれの姉の悪口でも行ってようか」
楓が悪い笑みを浮かべると、ルコもそれに乗って同じような表情を浮かべる。
「そりゃいいね」
それぞれどこか抜けている姉(兄)を持つからか、話があったようでケタケタと笑いながら談笑にふけるのであった。
「どう?口に合う?」
「ん……、はい。全部好みですね、お酒にも合います」
酒に溺れ暴れるナーサの隣で、すっかり慣れた様子で酒を嗜む葵とその向かいに腰掛けるヘデラ。
酒を飲まぬ彼女の小さな小樽には、トコルから分けてもらった牛乳が注がれている。
「良かった、こっちの世界の食べ物を食べ慣れてないのあなただけだから心配で……」
「基本好き嫌いないですから、心配ご無用ですよ」
医者ですから、と胸を張る葵。
「へえ、好き嫌い無いの。じゃあこれは?」
「……っ、そ、それは……」
ヘデラがズイ、と一つの皿を突き出す。その皿を見た途端、葵は大きく目を逸らし髪を縛っているヘアゴムを震える手で弄り始める。
ヘデラが突き出したものは、血の腸詰めの盛られた皿。こちらの世界ではごく一般的な食べ物として扱われているが、日本人である葵にとってあまりにも食べ慣れていない食べ物。
吸血鬼であるティールは食べ慣れていずとも、好物である血液で作られたものだから当然好んで食べるし、ソウカは蛇女なのでそもそもこういうものに対しての抵抗が無い。
となれば、この中で自分に最も近しい味覚を持っているのは楓のみに搾られるのだが。
「……あ、あっれぇ……」
期待を込めて楓の方へ視線をやると、ルコと談笑を交わしながら平然と血の腸詰めを頬張っているでは無いか。
もちろん彼女にも初めは抵抗はあったが、以前ルントの店の手伝いをした際に賄いとして食べ、以降それに抵抗を感じることは無くなっていた。
「ほら、楓だって食べてるのよ。逃げ場は無いわよ」
「…………まじですか」
「食べないのなら、私が食べさせるわ」
「むぐぅ…っ!?」
フォークで突き刺した腸詰めを半ば無理矢理に葵の口に突っ込むヘデラ。
彼女の顔には、今まで見た事も無いような悪戯は笑顔が宿っていた。
尚、ヘデラにおいては肉料理はめっきりダメで血の腸詰めなんて以ての外であることを葵は知らないのであった。
――
その晩、酔い潰れた者以外で店の中を片付けて、お開きとなった。
お開き、といっても静かに酒を飲む者も入れば机に突っ伏して寝ている者、静かにお喋りを楽しむ者もいた。
「で、これかれどうするのだ。ティール」
「どうするって?」
ティールが持ち込んだ大吟醸酒を升で飲みながらアダマスは彼女に問うた。
「本来の目的である妹との再会は既に果たした。その後、偶発的に起きた自分探しとティアーシャの昔の仲間探しも終わった。……もうお前が戦う必要は無くなった。これからどうやって生きていくつもりだ」
「……そうだな」
改めて問われると、返答に困ってしまう。確かに、双方の世界を旅する必要はもう無くなった。
で、あればこれから先どうやって生活していくのか。何を目的に生きていくのか。
「再び冒険者として生きていくのか?それとも……」
「俺は、もう冒険者にはなれねぇよ」
「?」
ティールがアダマスの声を遮るようにして口を開いた。
その声からは、悲しくもあり、全てをやり切った故の満足さも感じられた。
「それはどういう」
「もう俺は剣を握れる体じゃなくなった。それだけさ」
ティールは近場にあるフォークを手に取り、握りしめる。しかし、力を込める手はプルプルと震えそのままフォークは零れ、軽い音を立てて地面に着地した。
「……ティール……」
「散々魂をこねくり回しといて、逆によくこれで済んだよ。今回魂が受けたダメージで、両腕にまともに力が入らなくなった。日常生活で困るほど不自由では無いけど、もう剣は握れないかな」
床からフォークを広い上げ、机の上にそれを戻した。
「そもそも、握る剣ももう無いし。もう俺が求めるものなんぞ無い。これからは皆とゆるりと静かに生きていくつもりさ」
「……そうか」
アダマスは小皿から塩をつまみ、軽く口に含んでから酒を喉に流し込んだ。
「しかし、それでは困るのでは無いか?今まで冒険者業を収入源にしていただろう。これからはヒモにでもなって生きていくつもりか?」
「……確かに。…………ヤベーじゃん」
「考えてもいなかったのか」
みるみるうちに顔を蒼白に染めていくティールを見てアダマスはため息を吐いた。
「はあ、であれば一つ提案があるのだが」
「提案?」
「そう、提案だ。我々神は、常時この下界に降りて逐一世界の具合を把握するほど暇では無い。そろそろ定期的に情報を取れる人手が欲しいと思っていたのだ」
「……それを、やれ、と?」
「話が早くてたすかる。つまりはそういう事だ。簡単に言うなれば、世界中を飛び回ってはそれぞれの世界の不具合を見つけて修復、手に負えなければ報告して欲しいのだ。言ってしまえばデバッカーだな。幸い、お前は私が与えた力で双方の世界を飛び回ることが可能だしな」
ニヤリ、と不敵な笑みをアダマスが浮かべる。つまりは、神達の駒となって働け、という事である。
「……報酬は?」
「もちろん出す金は惜しまない。我々に金銭は不要だからな。君が妹と暮らして困らない程度の金は出してやろう」
「ふぅん」
「案外興味が無さそうだな」
「無いわけじゃないけど」
ほう、とアダマスが苦笑を浮かべる。
「要するに駒になれってことだろ。俺が神々の」
「そうだ」
「そこまでキッパリと肯定されるとなあ……」
ティールはやりにくそうに頭を搔いた。
「そもそも、私からすればこの世界に生きる全員が駒だ。しかし、お前は駒の中でも頭抜けて優秀な駒。使わない手は無いだろう」
「……んまあ、そうなのかもだけど」
「では決まりでいいな?断られても無理矢理やらせるつもりだったからな」
「拒否権ェ……」
ティールは嫌そうな顔をしてガックリと項垂れる。
しかし、願ってもない仕事のスカウトだ。しかも誰よりも権力のある神からの。
「分かったよ。詳しい仕事の内容とかは後々聞かせてくれ」
結局、ティールが折れた。
それを見て、アダマスは朗らかな笑みを浮かべ、さぞかし美味そうに酒を喉の奥に流し込んだ。
――
それから、数日が立った。
診察室の嫌にギコギコ言う椅子に背をもたれながら、葵は天井を見つめ心ここにあらずといった様子だった。
まるで、ここ数日間の出来事が夢か何かだったかのように。まわりにその事を覚えている者は誰一人居ない。皆、何も無かったかのようにいつも通りに生活を送っていた。
唯一、彼女らとの繋がりを思い出されるのは引き出しにしまってある一本のナイフ。切っ先は欠け、柄も泥にまみれている。そのティールから護身用として貰ったナイフだけが、あれが夢では無かったのだと教えてくれていた。
「葵先生、大丈夫ですか?最近疲れているようですけど」
「……いえ、気にしないでください。最近面白い映画を見つけちゃって。単純に寝不足なだけですよ」
もちろん嘘だ。
声をかけてきた看護師に当然の如く嘘を吐き、卓上のパソコンに向かい直る。
世界が修復されてから感じるこの虚無感。何をやっても満たされない、この感覚。
「……ヘデラさん……」
嗚呼、きっとこの感覚こそ自分が今まで知らなかった感情。
葵は立ち上がり、スモークのかかっている窓を開け放った。
病院の裏にある慣れ親しんだ山。そのてっぺんに目を凝らしても、そこに例の大木は無い。
「……ふっ」
自分の未練タラタラな行動に、思わず鼻で笑ってしまう。
ついて行かないと言ったでは無いか。自分で決めたのに、まだ切り捨てられないでいる。
「先生、患者さんです」
「ん、はい」
葵は再び椅子に腰を下ろし、軽く頬を叩いた。
数秒後、スライド式のドアが開き患者がそこから入ってくる。
「こんにちは、今日はどうされましたか?」
作り笑いを浮かべ、いつものように仕事を熟す。
しかし、その患者は中々に言葉を発さず、逆にズカズカと距離を詰め、葵の正面にあるパイプの回転椅子に腰を落とす。
嗚呼、癖もんの患者かなあ……、と葵が思った刹那。両頬を掴まれ、グイと顔を持ち上げられる。
「なっ……………………ぇ……?」
何をするんですか!と叫ぼうとした時、患者の顔が目に入り声を詰まらせた。
「どうやら、心の病気みたい。私」
「……………………」
正面に座るのは、少し癖のある赤髪を揺らす女性。他の誰でも無い、ヘデラそのものである。
彼女は薄らと笑みを浮かべて目を滲ませた。
「ヘ、デラさん……」
「向こうで一人で居ても、胸が苦しくて。……何でか分からなかったからあなたに会いに来たの」
「……っ」
ガラガラと、心の中で何かが崩れていくような音がした。
「葵先生、私は資料の整理がありますから。ここは任せますね」
「えっあっ?あ、お願い、します」
そんな中、彼に着いていた看護婦は気を効かせてくれたのかその場を離れていく。
診察室の中、今は葵とヘデラの二人っきりである。
「……」
「……」
一瞬、沈黙が訪れる。
しかし、その沈黙をすぐさま破ったのはヘデラであった。
ヘデラは立ち上がり、両腕で硬直している葵を抱き締めた。
「っ」
「この数日間で、色々な事を知った。私が失ってしまったものが何かすらも。……葵、私はあなたと出会って愛を知った。私達と違って何も特別な力も持っていないあなたが、今ある力を振り絞って必死に立ち向かう様を見て、私はあなたが好きになった」
「……ヘデラさん」
葵は静かにヘデラの背中に手を回し、彼女を抱き返した。
「……いいんですか。僕なんかの為に、世界を越えてまで」
「私が縋っていたのは、過去。今、私は現在を生きてる。何をどう足掻いても変わらぬ過去と、どうにも変わりようのある未来だったら、私は後者を取るわ」
少し経って互いに離れると、双方小っ恥ずかしくなって顔を朱に染めて目を逸らした。
「では……、改めて。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく」
改めて互いに目を合わせて、ふにゃっと柔らかな笑みを浮かべた。
…………さあ、後で看護婦達に散々問い詰められるのだろう。なんて言い訳をすべきか……、はたまた本当の事を話してしまうべきだろうか。
――――
「よ、お疲れさん」
「私は一応上司なのだが……。まあいい、堅苦しいのは苦手だ」
天道でアダマスの仕事部屋に直接訪れたティール。まるで友人かのような素振りで片手を上げ、ズカズカとアダマスの元に歩み寄る。
そんな彼女を、カップの中の紅茶にレモンを搾り尻目で眺めながらひたすらに書類処理をするアダマス。
「うわ……、すっげえ隈。寝れてんの?」
彼女が凝り固まった体を解すように伸びをする。
アダマスの目元にはくっきりと隈が浮かび上がり、それは彼女がほとんど寝ていない事を現していた。
「事後処理が諸々と大変でな。ようやくひと段落着いたところだ」
再び椅子に腰を下ろし、カップの中身を静かに啜る。
そこに再びレモンを搾りながら、アダマスは口を開いた。
「ちょうどキリが良いのでな。そろそろお前の仕事について説明をしようと連絡を出したのだ」
「それよりも寝たら……??」
「全て終わらせてからゆっくりと休ませて貰う。何か仕事が残っていると熟睡出来ないタチでな」
アダマスは欠伸を噛み殺しながら、机の上にある一枚の書類をティールに差し出した。彼女はそれを受け取り、一瞬アダマスの顔色を伺ってからその書類に目を通した。
書類の内容は仕事の全容と給与の詳細、それらを加味した契約書となっていた。
ティールはそもそも『プライバシーポリシーに同意して進む』のチェックマークに、プライバシーポリシーを一瞥すらせずチェックを入れる正確であるが故、軽く一読して何となくの内容を頭に入れるに留めていた。
ざっと流し読んだ彼女が思ったことは、「へえ、結構給料高いじゃん」であった。
事実、危険な仕事であったとしても今まで何度も命の危機には瀕してきた訳だし、それに比べてしまえばどんな仕事であっても楽な物だろう。なんなら給料も発生する訳であるし。
ざっと仕事の内容は、『今回融合してしまった二つの世界をあちこち走り回って不具合を見つけて修復・報告せよ』というもの。癒着した二つの世界を無理矢理引き剥がしたのだから、何らかの不具合やバグのようなものが起きていてもおかしくは無い。
放置しておけば、世界に何らかの異常が発生する可能性も否めなくない。
そこで、空間を自由に移動でき、更には双方の世界に対しての知識もある。そんなティールはまさにうってつけの人材と言えるだろう。
給料も、悪くは無い。少なくとも一家族を抱えて暮らしていける分の量は出ているのだろう。
「ま、いいんじゃねーの。文句はねえよ」
「そうか」
アダマスは素っ気なく返答し、机の上に置いてある片眼鏡を掛けた。そして椅子から立ち上がり、机に寄りかかるようにしてティールと向き合った。
「では、早速仕事を頼もうか」
「おう」
「既に此度の仕事場はエルティナに送ってある。彼女のサポートを受けて行うといい」
『では行きましょうか。位置情報は既にインプットしてあります』
「さんきゅ」
脳内にエルティナによってマッピングされた地点の付近に『天道』を繋げる。
「じゃあ、行ってくる」
「嗚呼、行ってこい」
数秒後、空間を繋ぐ『天道』は静かにその扉を閉じた。
再び静寂に満ちたその部屋で、紅茶のほのかな湯気だけが一人静かに揺らめいていた。
次回は後書きを書こうと思っています。
諸々のお礼などはその時に……!!
できるだけ早く書くっはずっ